第四話 生きる意味
雪が降りしきる冬の夜。人気の無い道を少年は少女と共に走っていた。
疲労で息を荒げ、雪に足を取られながらも走り続ける。雪のせいで視界は悪いが、それでも止まるわけにはいかなかった。
「はぁ……はぁ……」
涙で視界が滲む。こんなつもりじゃなかった。こんなはずではなかった。
今日は偶々村の外れにある山の中まで二人で遊びに出ていたのだ。そのために帰りが遅くなったのがいけなかったのだろう。
人目のつかない夜道を行く最中に、まさか通り魔に出くわすなんて。
「……もう、良いんだよ。アルマ……」
弱々しい少女の声。少女の腹部は服越しでも分かるほどに赤く染まっている。
先程通り魔に刺された傷だ。左手を腹部に当てているが、抑えきれない血が地面にこぼれ落ちていた。
「喋ったらダメだルプス!ただでさえ刺されてるんだから!」
村の診療所に着くまで少女の命が保つ可能性はゼロに等しい。
それを分かっていながら、それでも少年は足を止められなかった。
死なせたくない。その一心で理屈も確立も投げ捨てて走る。
こうなったのは自分のせいだ。今日に限って遠くに遊びに行こうなんて馬鹿なことを言ったから、彼女はこんな目に───。
「ッ!?」
その時、足がもつれて二人は転んでしまった。顔から雪に倒れ込む。
雪のせいで良く見えないが、後ろからは今も通り魔が追って来ている。早く立たなくては追いつかれる。
すぐに少年は立ち上がった。倒れた少女にも手を差し出す。
「ルプスっ!早く起きてっ!」
必死に呼びかけた。だが何故か少女は少年の手を取らない。
代わりに顔を上げて、少年に笑いかけた。今にも崩れてしまいそうな脆い笑顔で。
「もう、良いんだよ……」
「良くない!死んだらダメだ!僕も、君のお母さんもお父さんも、そんなこと許さない!」
「アルマだって分かってるでしょ……私はもう、ダメなの……このままアルマと逃げても、私は間に合わない。それどころか、アルマまで……あの人に殺されちゃう」
「そんなこと……!」
その続きは言えなかった。少女の言葉が正しいと自分でも分かっていたから。
「だからね……アルマだけでも……逃げて………私のことは置いて……アルマだけでも生きて……!」
少女は必死に訴える。
本当は彼女も逃げたかったはずだ。まだ死にたくない、生きていたいと言いたかったはずだ。
だがそれは叶わないという事は自分が一番良く分かっている。
逃げても間に合わないなら、せめて───。
「お願い……アルマ……!!」
この人だけは、私の大好きなこの人だけは、どうか助かって欲しい。
「っ……!!」
そんな事できるわけがない。喉まで出かけた言葉を少年は何とか堪える。
胸が張り裂けそうな思いだった。
大好きな少女を置いて、自分だけ助かる。こんな最低な選択肢こそが、最良の選択だなんて……。
「どこ行きやがったクソガキ共!さっさと出て来い!」
近くから通り魔の声。
雪のおかげでまだ二人に気づいていないようだが、見つかるのも時間の問題だ。
「早く行って……アルマ……」
腹部から流れる血が雪を赤く染める。苦痛で歪んだ顔はもう笑顔も浮かべられない。
生きたい、助けてほしい。そんな本音を飲み込んで、少女は訴え続けている。
「…………」
ゆっくりと、されど確かに少年は動き出した。
かつて身体を動かすためにここまで意識を使った事があるだろうか。
鉛のように重くなった足を少女から遠ざけ、少女に釘付けにされた視線をどうにか振り切った。
「……あとで、絶対に戻るからっ!」
そうして遂に、彼は前へ足を踏み出した。
生きるために、見捨てるために、この暗い雪道を走り抜ける。
「ばいばい……アルマ……」
最後に聞こえたその言葉に、再び少年の足が止まりそうになった。
だけど走った。何度つまづいても、何度雪に足がもつれて転んでも、全速力で走り続けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
息に混じって、涙と嗚咽が溢れる。
ああ、なんて情けない姿だ。本当に惨めな事この上ない。
生まれて初めてこんなにも強く自分を恨んだ。
大好きな少女を置いて逃げることしか出来ない自分の弱さが、憎くて仕方がなかった。
それからどれだけ走っただろう。
村のすぐ近くまで来たところで、ようやく少年は足を止めた。
「はぁ……はぁ……」
全身を汗が伝う。疲労と寒さで体が上手く動かなかった。
少年はその場で膝をつく。
溢れた涙が地に落ち、雪に溶けて、
「はぁ……はぁ……!クッソがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
振り上げた拳を怒りのままに雪に叩き付けた。
何が召喚士だ!何が皆を守れる人に成るだ!何一つ守れてないじゃないか!
大好きな人に命を捨ててまで守られて、自分は逃げるだけだなんて……!
「僕は何のために……こんな力を……!」
全てはただの戯言だった。儚くも愚かな幼子の願いに応えてくれるほど、この世界は甘くない。
世界はいつだって無情なものなのだ。誰もが予兆も無く不幸に見舞われる。善人だから幸福に成れるなどという都合の良い理は存在しない。
死ぬ時は死ぬ。奪われる時は奪われる。
それが世界であり、そんな理の中に自分は生きているのだと、この日少年は思い知った。
「……ッ」
ゆっくりと立ち上がると、目元の涙を拭った。
その表情から
彼の瞳には弱々しくも、確かな意思が宿っている。
自責の念は絶えない。本音を言えば今すぐにでも死んでしまいたいくらい苦しい。
だけど、それは絶対にダメだ。
立て。
立ち上がれ。
何があっても歩みを止めるな。
彼女に命を賭してまで守ってもらったこの命を無碍にしてはいけない。
守られたからには最後まで生き抜け。彼女の死に報いれる生き方をしろ。
それが僕に────俺に出来る唯一の贖罪なのだから。
「…………っ」
ふと目が覚めた。
真っ先に感じたのは人肌の温もり。視界に白い布と誰かの首と思わしきものが映る。
確かこれは────。
「ああ……セラと寝てたんだっけ」
目の前のものから少し顔を離してみると、セラリエルの顔が見えた。
セラリエルは目を瞑っている。どうやら寝ているらしい。
このままセラリエルと眠る事も出来たが、少なくとも今はそんな気分では無かった。
頭に回されていたセラリエルの腕をそっと離して、ベッドから起きる。
「………………はぁ」
額を抑えてため息を吐く。
最悪な気分だ。あの日の事は時折夢に見るが、いざ見ると本当に嫌に気分になる。
あの時彼女が見せた悲痛な笑顔が、鮮明に思い返される。
「クソっ……」
壁際の棚から何冊か本を取る。机にそれらを置くと、ダウンライトを付けて椅子に座った。
学院の講義で貰ったレポート用紙を置いて、本を見ながらか何かを書き始める。
そうして作業すること数分、ベッドから物音が聞こえた。
そちらを向くと、セラリエルが体を起こしていた。目が覚めたようだ。
「起きたのか。セラ」
「……アルマ?何をしてるのですか?」
「レポートだ。今朝の講義で貰ったものだ」
「今朝?それなら今日やらなくても良いのでは?期限に余裕はあるでしょうに」
「確かに期限は三日後だが、今日はこれ以上休む気にならなかったんだ。どうせ時間があるなら今やっておいた方がいい」
「…………そうですか」
話ながらもアルマはレポートを進めていく。
自室で彼が勉強や課題をしているのは珍しいことではない。むしろ彼が自室で暇を持て余している事の方が珍しいくらいだ。
この光景もセラリエルにとっては見慣れたものだが、今日はいつもよりアルマの真剣さが増している気がした。
「…………もしかして、あの時の夢を?」
「…………」
数秒の沈黙を挟んだ後に、アルマは語る。
「……そうだ。君には何度か話したな。ルプスのことを」
「ええ。貴方の幼馴染さんなのでしょう?そして貴方の
「そっちまで覚えてたか……まぁいい。君の考えてる通り、さっき俺は夢を見た。ルプスが死んだ時の夢だ。あれを見たら、どうにも寝てられなくてな。何かしら作業してないと落ち着かない」
「それが貴方の生きる意味だから、ですか」
「そうだ。俺はルプスを死なせてしまった。俺が弱かったばかりに、ルプスに最悪な思いをさせてしまった。なら俺はルプスの死に報いなければいけない」
それに、と言葉を挟んでから。
「思うんだ。ルプスが俺のことを見てるかもしれないって。別にあの世なんてものを信じてるわけじゃないが、もしもそういうものが存在するなら、尚更俺は前を向いて生きていなければいけない。俺がいつまでも落ち込んでいたら、きっとルプスも落ち着かないだろうからな」
アルマの言葉は全てに強い決意が宿っていた。
今までにもセラリエルは何度か聞かされた、アルマがここまで努力する理由。
アルマの過去────彼が過去に死なせてしまった少女について。
「…………本当に、アルマはルプスさんの事が好きなのですね」
「そう言われると恥ずかしいが……そうだな。好きだよ、今でもルプスの事は愛している」
普段はあまり見せないような優しい笑みを浮かべながら、アルマは言った。
──ルプス・アルメリア。
それはアルマの幼馴染である少女の名であり、同時にアルマの初恋の相手でもある。
だが彼女は既にこの世を去っている。二人が十歳の頃、山に遊びに行った帰り道で偶然通り魔に襲われ、彼女は死んだ。
アルマはその時の事を深く後悔している。それこそ今でも夢に見る程に。
あの日、ルプスを置いて逃げた後。アルマは村の大人たちと共にルプスの元に戻った。
その時の事は今でも覚えている。腹を刺されて出血多量で亡くなった彼女の冷たい体に触れた時の感覚は、生涯忘れることはないだろう。
ルプスを死なせた事への後悔や、自分への不甲斐なさ。その思いはアルマの心を強く蝕んだ。
しかしアルマはそれでも前を向いて生きると決めた。
ルプスの死に報いるために、今も自分を見ているかもしれないルプスを心配させないためにと、アルマは必死に努力した。
その結果として、アルマはここまで強くなった。凡人の身でありながら、文武共に学院の頂点まで上り詰めたのだ。
「……ちなみに、アルマはルプスさんのどういったところが好きなのですか?」
「好きなところか……あまり考えた事は無かったが」
「では、気づいたら好きになっていたという事ですか?」
「そうだな。ルプスとは赤子の時から一緒にいた。俺とルプスが生まれる前から、俺たちの両親に関わりがあったそうだからな。赤子の時からずっと一緒にいて、ルプスの事を見続けて……気づいたら好きになってた」
「なるほど。時間を積み重ねた末に生まれた愛なのですね」
「多分そう……なのか?」
自分でも深く考えた事が無いのでハッキリとした事は言えなかった。
「ルプスが幸せそうにしているのを見るのが好きで………叶うなら、ずっと
「ですがその願いは決して間違いでは無かったと思いますよ。愛する人を守りたいという願いは立派なものです。そもそも、ルプスさんが亡くなったのは通り魔のせいではありませんか。貴方が気に病む事では無いと思います」
「全ての原因が通り魔にあるなら、そう考える事もできた。だがルプスが死んだ原因は俺にもある。あの日、俺が山まで遊び行こうなんて言ったから帰るのが遅くなったんだ。そのせいで、ルプスは……」
顔を俯かせるアルマ。
どれだけ強い決意をもってしても、あの時の自責の念が消えた事は一瞬たりとも無い。
「時々考えるんだ。あの日、俺がルプスを遊びに誘ってなくて、今もルプスが生きてたらって。もしそうなら、ルプスは今でも幸せそうにしてただろうな。もっと長く生きて、本来得るはずだった幸せを感じてたはずだ。いや、ルプスだけじゃない。ルプスの家族も、他のルプスの友達も……皆……皆……こんな最低な気持ちを知らずに済んだはずなんだ……!」
───だけど。
「それは……それは、もう絶対に叶わないんだ。どれだけ願ってもルプスは戻ってこない。だから俺は何としてでもルプスの死に報いるんだ。この命は決して無碍にはしない。もっと強くなって、一人でも多くの人を助ける。それが俺の命の使い方として相応しい」
アルマは再びレポートを進め始めた。
苦しみも悲しみも飲み込んで、彼は前へ向き続ける。それがどれほど険しい道であったとしても、彼の足は止まらない。
「…………」
セラリエルは顔を俯かせる。その表情には悲しみが見えた。
───どれだけだろう。
どれだけ彼は苦しんだのだろう。
本当は彼も泣きたいはずだ。この苦しみを吐き出したいはずだ。
だけど彼はそれをしない。自責の念と使命感から
少なくとも並大抵の事ではない。
(……本当に、最低)
ああ、本当に私は最低な女だ。彼に苦しい思いをさせているのは他でも無い私だろう。
本当の事を言ってしまいたい。そうすればきっと彼の苦しみも無くなる。
だがそれは、必ずしも彼のためになるとは限らない。
ルプス・アルメリアの存在が全てに於いてアルマにメリットを生むとは限らないのだ。
だから私は口を閉ざす。
今日も最低な嘘を吐いて、彼を真実から遠ざける。
この私、セラリエルこそが─────ルプス・アルメリアだという真実から。
うちの召喚獣がめちゃくちゃ甘やかしてくる件について 綿砂雪 @kasuteratimes
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