初恋メビウス~先に好きになったのは私です~

相内充希

第1話

 失くした記憶が戻ったのは突然だった。


 それは「ハザマ」と呼ばれるこの村に迷い込む直前の光景。四年間思い続けていたエヴェリー様が、副団長からからかわれていた姿だ。

 逢魔が森の守護者、白狼騎士団団長であるケイラン・ソーン・エヴェリー。三十代に入っても独身で、あまたの縁談をことごとく断っているのは長年想い続けている女性がいるとのもっぱらの噂。かの女性は二度と会えない場所にいて、その人だけを思い続けているから結婚しないのだという話は令嬢たちの中で公然の秘密であった。


 だからそっと憧れるだけ。

 苦しくても切なくても、彼は誰のものにもならないのだという安心感が自分の中にあったのだろう。


「ついに身を固めるのか」「待ち続けててよかったなぁ」


 風に乗って切れ切れに聞こえた言葉はそんな祝福とからかいの混じった声で、リアラは目の前が真っ暗になった。

 憧れだと言い聞かせていた気持ちが嘘だったことを、この時始めて思い知った。初めて会った十五歳のときから四年。淡い初恋は、彼の人柄を知るうちにいつしか愛に代わっていたのだ。漏れ聞こえた声から察するに、エヴェリーの想い人は生きていて、ようやく求婚する機会を得たのだろう。


 誰にもばれないようにこっそり泣いて泣いて泣き続け、やっと失恋を受け入れる決意をしたのは五日後のこと。

 エヴェリーの求婚は必ず成功するだろう。彼の愛を拒む女性なんているはずがない。

 だから自分は笑顔でそれを祝おうと決めた。

 愛しているからこそ、誰よりも彼の幸せを祝福するのだと。


 きっと求婚は年が明けた後だろう。

 新年を祝う祭りリッカリアの日かもしれない。


(でも、どんな女性ひとなのかは、まだ見たくないな……)


 そんなことを考えていた時、リアラはハザマに引きずり込まれたのだった。


  *


「リリ?」


 一緒に祭りを見ていたランが訝しげにリリの顔をのぞき込む。


 ハザマと呼ばれるこの村は、この世でもあの世でもない世界だ。

 実りの月が終わって月が一度満ちて欠けると年が明ける。その時死者の国も生者の国も、それどころか過去も未来も、すべての世界の境界が曖昧になるといわれている。

 新年を祝う祭り《リッカリア》は、生きている人間が他の世界に連れ去られないよう守りの装束を着て篝火をたき、一年に感謝すると同時に新年を祝うのだが、それでもまれに異界に迷い込むものがいる。

 ハザマはそんな迷い人が集まった村だった。


 どこにも所属しない、小さな小さな世界。

 帰れないまま子孫を残していくものもいれば、いつの間にか消えるものがいたりと様々で、リアラのように記憶を失った少女が迷い込むことくらい珍しくもなかった。


 リアラを見つけてくれた婆様の孫であるこの少年は、ここで生きていくために様々なことを教えてくれた恩人の一人だった。


「あのね、ラン」


 湧き出す記憶と胸の痛みに蓋をして、弟のように思って来た少年にあえていたずらっぽい笑みを向けると、ランが何を言い出すのだろうとでも言うように少し身構えたのが分かり、ちょっと吹き出しそうになる。

 記憶があっても迷惑をかけたであろうお嬢様育ちのリアラは、火をつけることさえできないくせに、なんでも自分でしようとしては迷惑をかけていた。その一番の被害者がランなのだ。


「うん? 祭りのダンスなら、あとでちゃんと踊ってあげるけど?」


 だからいい子にしていなさいと言わんばかりの口調に、ふき出そうか膨れて見せるか一瞬迷い、リアラはあえて気取って鼻を鳴らしてみせた。

 年が明けたら十四歳になる少年は、この一年でぐんと背が伸び、今ではリリと目線の高さがほとんど変わらない。そんなことに気づいて、リアラの胸は言い知れぬ感情に満たされ、一瞬だけ失恋の痛みを忘れた。


「私ね、年が明けたら二十一歳になるみたい」


 年が明けたら全員がひとつ年をとる。

 突然自分は十七歳ではなく二十一歳になるのだと言ったリリに一瞬不思議そうな顔をしたランは、次いでハッとしたように目を見開いた。


「何か思い出したのか?」


 目をまんまるにするラン可愛くて、リアラはクスッと笑った。

 出会ってからずっとそばにいてくれたランは、

「年がわからないから婆様は十六歳くらいだろうって言ってたけどさ、実は老けた十二歳だろ?」

 なんてリアラに言い続けていたのだが、実際は遥かに年上だったことがショックだったのかもしれない。面倒見がよく、ランが時折兄のようでもあったのは否定できなかったから。


(でも、二歳どころか七歳も年上だったなんて、さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいだわ)


 思わず頭をなでそうになった手を胸元で握りしめると、ランは気を取り直したように

「思い出したことを教えてくれよ」

と、にっこり笑った。



 見知らぬ土地で十六歳のリリとして過ごした一年。

 赤子のように周りに手を焼かせながら、炊事も洗濯はもちろん、掃除や畑仕事など様々なことをした。

 年の近い女の子たちとはコイバナにだって花を咲かせた。

 記憶がないリアラの答えはいつも同じ。

「絶対年上! がっちりしてて強くて、眼鏡をかけてて、あとは一人称は俺じゃなくて私ね」


 夢の中に出てくるのは、夢の世界にしかいないであろう程完璧な理想の男性。

 それが分かっているから女の子たちは、好き勝手に夢の王子様像を言ってはキャッキャと盛り上がっていた。男の子達には白い目で見られたが、向こうは向こうでセクシーでかわいい女の子像を語っていたのでお互い様だ。


 でも夢は夢。

 現実の中でちらほらと恋人になるものが増え、結婚して家庭を築いた友もいる。

 誰もがいつ消えるか分からないから、一瞬一瞬が大事な世界なのだ。


「やっぱり理想の人は年上だったわ」


 実際に恋をしていたとは言わない。話したらまだ泣いてしまいそうだから。


 しかしそう言ったリアラに、今度はランがフンと鼻を鳴らした。


「嫁が年上のほうが夫婦はうまくいくって婆様も言ってたぜ?」


 ランは年上の女の子の誰かが好きなのだろう。あえて誰とは聞かないが、彼の好みとリアラの理想は別だ。


「別にいいじゃない。私の好みはそうだってだけなんだもの」


 そう言ってケラケラ笑うのは、リアラ・ウィンスという令嬢だったころにはありえない姿だ。


「リリが令嬢?」


 ほらね、ランだってびっくりしてる。


 過去をすべて笑い話にしながら祭りを冷かして歩いていると、ふいにリアラの足元に生ぬるい風がまとわりついた。

 その瞬間、自分が元の場所に戻るのだと本能的に悟って焦る。


「ラン! 私、戻るみたい」


 思わず半泣きになったのは、何もかもが突然だったせいだ。

 わかっていた。でも実際にそうなるのとは気持ちが全然違う。


 一歩も動けなくなったリアラに、ランが混乱した表情を浮かべた後、意を決したようにギュッと抱きしめてくる。


「リリみたいなおっちょこちょい、令嬢なんて難しいことが出来るわけないだろ。ここにいればいい。どこにも行くな!」


「それはさすがにひどくない?」


 行くなと言ってくれたことが嬉しくて、そっと彼を抱き返そうとした腕は空をかいた。


 篝火に照らされた明るい夜は、一瞬にして青空に変わったのだ。


  *


「リアラ嬢、もうお身体は大丈夫ですか?」

「はい、エヴェリー様。おかげさまで良好ですわ」


 元の世界に戻って三日がたった。

 逢魔が森のほとりで見つけてくれたのは、一番会いたくて、でも会いたくなかった騎士団長その人だ。

 リアラが消えて七日がたっていたが、大騒ぎにならなかったのは、彼が一年以内に絶対戻ってくると周りを説得したからだという。

 守護者である彼は、時空の歪みに気づきやすいというので、必死にほころびを探してくれたのだと聞き、今日はその礼を言いに来たのだった。

 



「エヴェリー様のことが好きでした」


 一通り礼と、どこで過ごしていたかを話していたリアラの口から、ふいに気持ちが零れた。自分でも驚いたが、彼も虚を突かれたように目を丸くする。

 普段の冷静な姿とは違う素の姿がおかしくて苦しくて愛おしくて、リアラは涙をこらえて静かに微笑んだ。


 こことは違う世界ですべての記憶をなくしていた一年間でさえ、理想の男性として語っていた、空想の中にしかいないと思っていた男性ひと


 十三歳も年上で、結婚も控えているはずの男性。

 長い鳶色の髪。意志の強そうな眉と唇。骨折した影響で少しだけゆがんだ鼻でさえ彼の魅力を損なうことはなく、左頬に走る傷跡ですら彼の男らしさを強調しているに過ぎない。

 記憶喪失だった名残からだろうか。理想そのものの姿が目の前にあることが不思議にすら感じてしまう。


 十五歳の時、一目で恋に落ちた。

 たくましい体躯、低い声。なのに無骨に見えない優雅な所作。

 出会ったときから大人の男だった。年の離れた娘など絶対相手にしてくれない。

 でもそれがよくて、なのに苦しくて。遠くから見つめただ思ってるだけでいいと決めていた人。絶対この気持ちを打ち明けたりしないと決めていた恋。

 その強すぎる初恋を、ただ一度だと思える愛を、今何も考えずにぽろりとこぼしてしまったのだ。

 とはいえ、これくらいのことは彼も簡単にいなしてしまうだろう。それでいい。いや、そうして欲しい。冗談だと笑ってくれたらそれでいい。


(だって私は、この恋を終わらせるために帰って来たんだから)


 ここへ戻ってきたことに意味があるのなら、最愛の人を心から祝福するためだと信じたい。


(おっちょこちょいでも、それくらいはちゃんとやってみせるわ)


 心の中の家族にそう語りかけると、目の前でエヴェリーは落ち着かなげに顎を撫でるので、リアラは首をかしげる。すると口を開いた彼が不思議なことを言うので驚いた。


「それは、過去形ですか?」

「はい?」


 どういう意味だろう?


 意味が分からず後ろに控えていた侍女に視線を向けても、さっきまで焦ったような雰囲気だった彼女も不思議そうだ。次いでなぜか団長の後ろに控えている副団長に視線を向けると、なぜかそっぽを向かれてしまった。意味が分からない。


 戸惑いつつも暇を告げようとしたリアラを、エヴェリーは焦ったように引き留めた。


「リアラ嬢は二十歳ではなく、二十一になった。それで間違いないですね?」

「え、はい」


 一年を飛び越えてしまったことを両親は嘆いたが、エヴェリーはとても肯定的に受け入れてくれた。その経験は得難いものだと、傷物令嬢になんてなっていないのだと両親に言ってくれたのも彼だ。


「それが、何か?」

「……ってたんです」

「え?」


 何かつぶやいた声が聞こえず戸惑うと、ふいにエヴェリーが立ち上がりリアラのそばに跪くのでギョッとした。


「え、エヴェリー様?」

「ランだ」

「え?」


 たしかに彼の名前はケイラン・ソーン・エヴェリーで、副団長だけは彼をランと呼んでいる。リアラにもそう呼べと言ってるのだろうかと戸惑ったのは、リアラにとってランは一人だけだからだ。


 しかしリアラの顔を覗き込むエヴェリーの顔があまりにも真剣で、なにがなんだか分からないまでも、彼の希望を叶えたい気持ちが沸き上がり、胸の痛みをこらえながら小さく「ラン、様?」と囁いた。


 なぜ今なのかわからない。

 何も知らなかったら、自分が求婚されるものだと思い込んだだろう。

 異性と二人きりにはなれないから、侍女も副団長も一緒にいるのに、急に二人だけになったような気持ちになってリアラの目に涙が浮かんだ。

 揶揄われているのだと思った。不思議な経験をしたリアラの気持ちを楽にするための冗談なのだろうが、正直なところ残酷だと思った。


 それでもありったけの矜持をかき集めて涙を止めると、エヴェリーがリアラの手を取ってそっと口づけるので心臓が止まりそうになる。


「エヴェリー様、なにを……」

「ランだよ、リアラ」


 眼鏡を取り、くしゃっと髪を乱したエヴェリーの顔を戸惑ったまま見つめる。その顔は誰かに似ているような気がするが、それが誰なのか分からない。というより、口づけられた手が熱くて心臓がうるさくて、何かを考えるなんて無理だった。


「ラン、様?」


 とりあえず彼の希望の呼び方をあえぐように口にするが、彼はそうじゃないと首を振って苦笑した。


「分からないよな。うん。リリがすぐに気づくなんて有り得ないって知ってたさ」


(今、リリって呼んだ?)


 その名前だけは誰にも話していなかったはず!

 でもリリと言ったエヴェリーを見てみると、つい数日前まで一緒に過ごしていた少年の姿が重なった。


「うそ……。ラン、なの?」

「そうだよ、リリ!」

「でも髪の色が違うわ」


 ランは金髪だった。


「年を経るごとに濃くなっていっただけ。珍しいことじゃないだろ」


 たしかにそうだ。


「私より七つも年下だったわ」

「俺も元の世界に帰ったら、リリが生まれて間もない世界だっただけ」

「元の世界?」


 婆様の孫だったはず。


「リリと同じ。十歳の時に記憶をなくした状態で婆様に拾われたんだ」


 混乱するリアラに、エヴェリー、いや、ランは何度も何度も説明を繰り返した。

 元の世界に帰った時、リアラと同じ世界だとは知らなかったこと。

 さすがに初恋をあきらめ縁談を受けようかと考えていたころ、まだ十五歳だったリアラと出会ったこと。

 法律の問題で、三女であるリアラには二十歳になるまで求婚はできないことを知り、ずっと待っていたこと。

 歴史を変えたくなくて、知っている秘密を守り続けたこと。


「そして、リリの理想に合うよう、ずっと頑張ってきたんだけど……」


 理想に合ってるか?と言外に問われ、今度こそリアラは泣き崩れた。


「ラン。ラン!」


 それしか言えなくなったリアラの肩をエヴェリーが撫で続ける。

 急に消えてごめんなさいと言うと、迷子になっただけだろ? と、昔のように言われ、リアラはにっこり微笑んだ。


「ラン、大好きよ」


 そう言ったリアラに真っ赤になるエヴェリーは確かにランだった。

 その後、どちらが先に好きになったのかで少しだけ喧嘩になったが、どちらでもいいかということで落ち着く。

 どちらが先でも、二人が結ばれる運命だったことには変わりはないのだから。



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