ハリーポッターの〇〇の〇〇

電楽サロン

ハリーポッターの〇〇の〇〇

 私は夢の中で出版社に勤めていた。時間は昼時で社員食堂に来ていた。食堂内は無印良品の店内に似ており、明るい印象だった。注文は食券制で他の社員たちで混んでいた。

 私は何を食べようかぼんやり考えていた。すると、後ろから誰かが近づいてきて、話しかけてきた。

「ハリーポッターの〇〇の〇〇って読みましたか?」

 顔のぼやけた人だった。クレヨンで顔の色を塗って指で滲ませたような曖昧な見た目だったけれど、出版社の社員なのは分かった。

 その人の言ったタイトルに聞き覚えはなく、新刊のようだった。私は素直に「読んでません」と答えた。

「面白いから読んだ方がいいですよ」

 その瞬間だけその人の顔がくっきりとなった。少し残念そうな顔をしていた。出版社の立場なのに、それほど話題になってる本を追えておらず、私は申し訳ない気持ちになった。

 その人の顔を見るのも居心地が悪く、ふと食券機に視線を戻した。

 着物姿の小さな女の子が三人、食堂を走り回っていた。おかっぱで色が白く、両目は真っ黒だった。人というよりは日本人形のような無機質な印象が強かった。

 女の子たちは互いを追いかけるように、くるくると社員たちの足の間をすり抜けながら走り回っていた。

「ああいうもんですよ」

 社員の人はいつものことのように言った。

 仕事は夜になっても続いた。

 私と同僚は、先輩社員から新しく辞書を作る案を聞かされ、意見を求められていた。

 先輩社員はパンツスーツの似合う女性で、随分とこの問題に悩んでいるようだった。

「何かない?」

 腕を組んで壁に寄りかかったまま、彼女は尋ねた。

 同僚はパーマのかかった髪で、目鼻立ちのよい有能そうな人物だった。

 彼は一通り案を聞いてから、きっぱりと言った。

「辞書を作るのに、受付がいないんじゃ話になりませんよ」

 私は何のことだか分からなかった。辞書作りに受付がある話なんて聞いたことがない。先輩社員の方を見ると、なぜそこに気がつかなかったんだという風に頭を抱えていた。

 分からないのは私だけだった。辞書と受付の共通点を考えている間に、話は進んでいった。当たり前のように話が進むので、段々と出版社ではそれが常識なんじゃないかと思うようになった。

 完全に質問するタイミングを逃してしまった私は、自分も同じ点に気がついていたように頷き続けるしかなかった。

「ちょっといい?」

 辞書問題が解決すると、先輩社員は私を呼んだ。私たちは部屋を移動して、給湯室の前で止まった。

 給湯室は不思議な造りをしていた。

 普通の給湯室は水場があり、通路を挟んで冷蔵庫がある狭いスペースだ。その給湯室は突き当たりにガラス戸があり、向こう側には木目調の談話スペースが続いていた。

「ねぇ、ハリーポッターの〇〇の〇〇って読んだ?」

 先輩社員は期待するように私に尋ねた。

 ああ、またこれだ。嫌な予感がした。

 読んでません、と答えようとした時だった。

 ガラス戸に目をやると、水をかけられたような気分になった。

 ガラスの反射に、あの小さな女の子たちが映っていた。

 とっさに私はガラス戸を開けた。女の子たちはいなかった。自分の見間違いかと胸を撫で下ろしたのも束の間だった。

 談話スペースの左側。大きく切り出した窓の近くで、女の子たちは走り回っていた。黒眼ばかりで微笑みをはりつけたまま、同じ場所をぐるぐると回っていた。

 晴れた日で窓辺から日光が差していた。女の子たちが動くたびちらちらと黒い影がついて回るのも、彼女たちの実在を証明しているようで不気味だった。

 隣で先輩社員がため息をついた。毎度故障するコピー機を見るような呆れた様子だった。彼女は辞書について尋ねた時と同じく、腕を組みながら言った。

「たまにね、二桁くらいが走り回ってる時もあるのよ」

 そこで私は目が覚めた。

 夢は無秩序で記憶が組み合わさったパッチワークのようなものだと思っていた。

 その夜の夢は、一つの法則に則って同じ現象が起こっていた。

 夢の展開自体は鮮明に覚えているのに、いまだに「ハリーポッターの〇〇の〇〇」に入るタイトルを思い出せない。

 夜はこれから何度もやってくる。私がまたこの夢を見た時、今度はタイトルを覚えてしまっているかもしれない。その時、夢と現実が繋がってしまったらどうなるのか。私は輪郭の曖昧な不安を抱えたまま生き続けていくしかない。

 同時に私は嫌な想像をしてしまう。夢の中、着物の女の子たちで膝下まで埋まって私は途方に暮れているのだ。

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