第22話:その手で掴む力
かつて神を祀った神殿の残骸が、今もこの地に静かに横たわっている。白い大理石の柱は時の流れに蝕まれ、ひび割れた表面には深緑の苔が這う。
その中心に、神話の守護者――グリフォンがいた。
鷲の頭部は鋭い黄金の眼を持ち、まるでこの世のすべてを見通すかのように私を見下ろしている。鉤爪のように湾曲した嘴は、鋼すら砕く力を秘め、夜空のように深く、虹のように煌めく羽根が広がるたび、空気が震える。獅子の胴体はしなやかで、盛り上がる筋肉が波打ち、ただそこにいるだけで圧倒的な威圧感を放っていた。
そんな存在と、たった一人で対峙しているのは――
私、アニー。茶色の髪を後ろで束ねた、どこにでもいるような素朴な娘。戦いの経験など皆無で、魔法もろくに使えない。けれど、今だけは、そんなことを言っていられない。
「っ!」
グリフォンが翼を広げた瞬間、空気が裂けるような轟音とともに突風が吹き荒れた。私は反射的に地を蹴り、ひび割れた石畳を転がるようにしてその場を離れる。直後、私がいた場所に雷鳴のような閃光が落ち、白い大理石が爆ぜて砕け散った。もし一瞬でも遅れていたら、今ごろ私は――。
「お母さん!頑張って!」
「アニー!無理はするな!」
「チンチクリン!!シャンとしろォ!!」
湿った空気を裂いて、仲間たちの声が届く。メグーちゃんの澄んだ声、ミリアリアさんの背筋が伸びる応援、オーグさんの豪快な怒声。彼らの声が、私の震える心を支えてくれる。
この戦いは、私が望んだことだった。戦力になりたいと願った私の言葉を、ミリアリアさんとオーグさんが真剣に受け止めてくれた。ミリアリアさんは、あの気品ある微笑みで「アニーならできる」と言ってくれた。
農民のロールを持つ者が戦うなど、常識では考えられない。だが、私は変わりたい。誰かに守られるだけの存在ではなく、誰かを守れる存在になりたい。
「バリア!!」
メグーちゃんの声が響いた瞬間、私の目の前に透明な壁が現れ、グリフォンの閃光を弾き返した。銀髪をなびかせる彼女の姿が、まるで神殿の女神のように見えた。
「っ!?」
「お母さん!!上!!」
その声に反応して見上げると、グリフォンが爪を煌めかせて急降下してくる。私は地面に身を投げ出し、転がるようにしてその攻撃をかわした。だが、体はすでに限界に近い。呼吸は荒く、足は鉛のように重い。
「夜空に浮かぶは深紅!世界を赤く染め上げよ!紅の夜に誇れ!赤月花!!」
私は最後の力を振り絞り、血のように赤い花を空に咲かせた。花弁が舞い落ちる様は、まるで神殿の過去の血塗られた記憶を呼び起こすかのようだった。グリフォンは警戒心を露わにし、後退すると、花は地に落ち、マナを吸うことなく散っていった。
「…っ」
私は震える手を突き出し、ハッタリをかける。グリフォンの後ろ足が一歩引いたのを見て、わずかな勝機を感じた。だが、赤月花にはクールタイムがある。私に次の手はない。
「アニー!奈落草の種だ!グリフォン程度ならば、あの種を撒かれればひとたまりもない!」
ミリアリアさんの声が響く。彼女の言葉には、どこか風格が滲んでいた。だが、私はその意味を深く考える余裕もなく、ただ「奈落草の種」という未知の力に賭けるしかなかった。
私は一歩、また一歩とグリフォンに近づく。ひび割れた大理石の床が、私の足音を吸い込むように沈黙している。汗が頬を伝い、赤い花の香りが鼻をつく。
「チンチクリン!来るぞォ!!」
オーグさんの叫びと同時に、グリフォンが柱の陰から飛び出した。その巨体が信じられない速さで迫ってくる。
「どこ!?どこ!?」
視界が揺れる。恐怖で心臓が喉元までせり上がる。
「アニー!後ろだ!!」
「っ!?」
ミリアリアさんの声に導かれ、私は振り返る。そこには、黄金の眼を爛々と輝かせ、嘴を突き出すグリフォンの姿があった。
「…うわぁぁぁぁっ!!!」
私は恐怖を押し殺し、スキルを発動する。再びメグーちゃんの魔法が私を守り、透明な壁がグリフォンの攻撃を防いだ。私はその隙に手を伸ばし、灼けるような熱を帯びた体毛に触れる。
「深淵なるもの嘆きに震えよ!這い出ろ奈落草の種!!」
叫ぶと同時に、私の手から黒紫の種子が放たれ、グリフォンの体内に吸い込まれていく。次の瞬間、グリフォンは苦悶の声を上げ、空をもがくように飛び回ったが、やがて力尽きて地に落ちた。
その体から、植物の根が這い出し、黄金の瞳を突き破り、喉元からも芽吹いていく。神殿の静寂を破る絶叫が、湿った空気に溶けていった。
「こりァ、惨いゼェ」」
オーグさんの低い声が響く。私の手のひらには、まだグリフォンの熱が残っていた。私が倒したのだ。
私の力で――。
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