怪異対策課のふたり〜中堅捜査官の僕、最近来た新人がうるさくて困る〜
キロ
第1話
怪異対策課——通称怪対。
警視庁の端っこにぶら下がる、世間から隠された、見えない真実の後始末係。
僕――相沢 梢。
朝は苦手だ。朝焼けが目に染みるあの感覚が大嫌いだ。でも朝のコーヒーは好き。濃ければ濃いほどいい。報告書は嫌い、めんどくさいから。そして怪異はもっともっと嫌い。
なのに今日もここ、怪異対策課にいる。
しかも、新人付きで。何でだ。
「先輩っ! おはようございます!」
扉が勢いよく開いた。冷えた風に冬の匂い。
あと、鼓膜が殴られるかのような元気な声。
新人――桐生 ひより。配属二週目。
僕の新しい相棒……という名の、怪獣。
「はい、おはよう。でも声でかいよ。署内は図書館くらいの気持ちでね」
「はい!……図書館の声で、ですね!おはようございますっ!」
言い直してもまだ元気なのがすごい。話を聞いてないんじゃ無いかと思うけど、本当に重要なことは聞いてるから始末が悪い。
僕は返事の代わりに、机の紙コップを持ち上げた。黒い液体が揺れる。僕の好みの濃さ。
「先輩、ブラックですか? かっこいい〜」
「かっこよさで選んでない。美味しいから」
「じゃあ、おいしさプラスに砂糖を——」
「やめろ。僕のブラックコーヒーに不純物を入れるな」
「もー。先輩、今日もかわいいですね」
「……褒めても何も出ないぞ」
ひよりは「へへ」と笑って、僕の向かいに座る。
笑うと頬が少し赤くなる。寒さのせいか、素なのか。
どっちでもいい……はずなのに、視線がひよりに吸い込まれていく。
「今日の案件、なんですか?」
ひよりが身を乗り出す、近い。
新人が先輩に懐くのは普通。普通だ。だからその髪や肌から香る匂いを、吸い込んでしまってもしょうがない。しょうがないんだ。
僕はモニターを回した。薄暗い地下通路の監視映像。
「西区の『栞地下道』で失踪が続いてる。何もなく通り過ぎた人は、何かに呼ばれた気がしたかもしれない。そんな証言をしている」
「呼ばれた気がしたかも?」
「そう、よくあるタイプの怪異だ。呼ばれて反応してしまうと攫われてしまうとかね」
「うわ。やだ、それ」
ひよりが小さく肩をすくめる。
その素直な怖がり方は大事だ。恐怖を忘れた時、それは死を意味する。
「十中八九怪異だろうね。怪対が出ることになるよ」
「一般の刑事課じゃ対応できないから、ですよね」
「そう。それと——地下道の近くに旧い水路がある。相手は水が絡む怪異だ。まったく、めんどくさい」
「先輩、水の怪異、苦手ですもんね」
「……誰に聞いた?」
「課長です。相沢は水に弱いって」
「弱いんじゃない。水は書類を濡らすからね。僕は書類仕事が嫌いなんだ。だから1からやり直しになるのが――」
「ふふ。早口で言い訳しててかわいい」
「かわいいって言うな」
「えー? じゃあ、かっこいい? ……は違うから、やっぱり可愛いですよ?」
小悪魔みたいに首を傾げる。
僕は視線を切った。付き合ったら負けるタイプだ、これ。
「……準備。現場行くぞ」
「はーい。先輩と出動、うれしいなぁ」
「嬉しいとか言うな。油断すると死ぬよ」
「でも先輩がいるから死にませーん」
その言い方が妙に胸に引っかかった。
信頼は危険だ。怪異の前では特に。
でも——ひよりが僕を見る目には、迷いがない。
怖いくらいにまっすぐで、それが僕にはとっても嬉しくって、コートの襟を立てて誤魔化していた。
栞地下道は、昼でも薄暗かった。
蛍光灯は古く、光が一定じゃない。点いたり弱まったり、息をしているみたいに揺れる。
「先輩、ここの音、変ですよ」
この新人の感覚は侮れない。僕も気づいていたがなかなかに鋭い。
足音の反響が一拍ズレている、遅れて返ってきているようだ。
「気づいたか。音がズレてるね。ここ、空間が重なってるみたいだ」
「重なってる……?」
「ただの地下道の構造じゃない何かが、薄く挟まってる」
ライトで壁を照らす。コンクリの継ぎ目に、水の筋。
触れると冷たい。冬の水より冷たい気がする。
「怪異の影響……?」
「たぶんね。——ひより、手袋して」
「はい」
ひよりに手袋を差し出して、着けさせる。
肌が見えるのはよく無い、怪異は露出した側から入ってくる奴もいる。
ちなみに僕は365日24時間、お風呂とトイレ以外は手袋をしてるけどね。
「先輩、やっさしぃ」
「生存率を上げてるだけ」
「それが優しさって言うんですよ」
やめろ。
そういう言葉は、僕の心を溶かす。
地下道の中ほど。監視カメラの死角になる角。失踪者はここで消える。
僕は足を止め、床を照らした。
「儀式痕……あるな」
床の隅に黒い染み。水に見える。でも水じゃない。乾いているのに、濡れて見える。
「先輩、それ……墨?」
「違う。名前だ」
「……名前?」
ライトを当てると、染みが文字の形を浮かび上がらせた。
読めない。読めないのに、頭の中だけで単語が浮かび上がる。
『——ひ——よ——り——』
「ひより!」
僕が叫ぶと、ひよりがわずかに首を傾けた。
「……はい?」
返事が遅く、目が少し虚ろで。振り返るためにそうしたように、片足が半歩後ろに下がっている。
「動くな。僕を見るんだ」
「先輩……なんか、呼ばれた気がして……」
呼ばれた気がする。その時点で怪異の術中。
僕は肩を掴んで引き寄せた。近い。可愛い。いい匂い。
心臓がうるさい。今それどころじゃないのに。
「名前を呼ばれても返事するな。怪異の術は返事で成立する」
「……でも、先輩が呼びました」
「僕が呼ぶのはいい。僕は——」
言いかけて止まった。
僕が何だ。怪異に勝てる特別な何かか? 違う。
ただの四年目。ちょっと慣れただけの警察官。
ひよりが見上げる。信頼がある。依存に近い熱がある。
その目が、僕を一瞬だけ黙らせた。
「先輩?」
呼び方が妙に優しい。
僕は視線を逸らしたくなるのに、逸らせなかった。
「……大丈夫。僕は先輩だからね」
「はい」
虚な目が元に戻ってきた。
僕を見たから。僕の声に意識が集中しているから。
その瞬間、地下道の空気がひゅっと冷えた。
ライトが一瞬だけ暗くなる。——そして、聞こえた。
『ひより』
女の声。水の中からするみたいに濁っている。
ひよりの瞳が揺れる。僕は反射で、彼女の耳を手袋越しに塞いだ。
「聞くな」
「でも……先輩、すごく近くで——」
『ひより。ひより。ひより、ねぇ返事して』
呼び声が増える。反響じゃない。数が増えている。
壁の向こうから、無数の声が押してくる。
僕は封じ札を取り出した。怪対の標準装備。万能じゃないが、時間は稼げる。
「ひより。手順、覚えてるな」
「はい。名を呼ぶ怪異には、名乗らない、返事しない、視線を切らない」
「よし。——じゃあ、ここから先輩の仕事だ」
「先輩、かっこいいのお願いします」
「任せろ」
札を床の染みに叩きつける。朱が一瞬光った。
空気がぎゅっと縮む。水圧みたいな圧迫感。
『やめて』
今度は、はっきり聞こえた。
『私にちょうだいよ』
「ダメだ」
『……ずるい。貴方には他にもいっぱいいるでしょ?』
背筋が冷たくなる。怪異は心を覗く。
「いっぱい? ひよりはたった1人の可愛い後輩だ」
「え? 先輩、私のこと可愛いって思ってたんですか!?」
「ちが、そう言う意味じゃ、怪異は不安定な存在だから、言葉で屈服できるならそれに越したことはないからであって」
「ふふふ、また早口。かわいい」
ふと、この状況でそんなに慌てていないひよりに違和感を感じる。
僕がいるから安心してるから? それとも鈍感なだけか?
「先輩。私を助けようとしてくれてるんですもんね。」
「違う。保身だ」
「違いません。先輩、私を死なせたくないんだ」
言い切るな。
そんなふうに言われたら——
『ねえ』
怪異が割り込んだ。甘い声。人間みたいな声。
『そんなに仲良しなら2人一緒においで?』
ああ、そうだな。ひよりと一緒にいるのは心地がいい。認めよう。
でも、それはどこでだってできる。こんなジメジメしたところなんかごめんだ。
「僕の事は、僕が守る。ひよりのことも僕が守る」
封じ札を重ねる。重ね封じ。使い方をちゃんとすれば力も増して安定感も増す。
『……じゃあ、奪う』
床の染みがじわっと広がった。湿り気が増える。
床が沼みたいに柔らかくなる。
「先輩っ、足が!」
ひよりの靴底が沈み始めていた。膝まで。太ももまで。
「ひより、抜け!」
「抜けません!」
抜けない。沈むと言うより床が吸っている。
『ひより』
怪異が呼ぶ。怪異の呼び声に支配されそうになる。
ひよりの唇が開きかけた。
「——返事するな。僕を見ろ!」
「……っ」
瞳は合う。でも、喉が勝手に返事を作ろうとする。
このままじゃ間に合わない。塩弾も、札も、次の一手が——
……あーもう。
僕はひよりの顎を掴んで、引き寄せた。
唇が、触れた。
冷えた地下道で、ひよりの体温だけがやけに鮮明だった。
息が止まる。言葉が止まる。返事が止まる。
ひよりの目が丸くなる。
そのまま、僕は一瞬だけ深く押さえて、すぐ離した。
「……っ、先輩……!」
ひよりは赤くなって固まっている。
でも、返事はしていない。怪異の声に。
「今のは……緊急事態だったから」
「え? それで……キス……?」
「口が勝手に動くなら、物理で止めるしかないだろ」
「……先輩、合理的すぎるけど……手でもできたんじゃ?」
ひよりは、状況が最悪なのに、なぜか口角を上げた。
「へぇ。先輩って、私のこと好きだったんですか?」
「……は?」
唐突すぎる。
僕は一瞬、思考が止まった。
「今その話をする必要ないだろ!」
腰まで沈んでるって言うのに何でそんなに余裕そうなんだ。
「だって、先輩、顔真っ赤」
「赤くない!」
「赤いですよ。かわいい」
「かわいいって言うな!」
ひよりが楽しそうに笑う。
その瞬間、床の吸い込みが少しだけ弱まった。
——人間の感情は、怪異の儀式に割り込む。予想外のノイズになる。
とはいえ、本当に軽微だ。
僕は舌打ちして銃を抜いた。塩弾装填。
撃つのは床。怪異の喉。と言うかそう見える部位。
「……撃つ」
「先輩、私に当てないでくださいね」
「当てないよ。そもそも当たる位置関係にないだろ、黙ってろ」
引き金。乾いた音。
床に白い塩が弾けて、染みの中心がひび割れた。
『ぎっ——』
声が潰れる。吸い込みが弱まる。
「今だ、僕にしがみつけ!」
「はいっ!」
僕は腕を引く。今度は動いた。
ずるり、と足が抜ける。ひよりが前のめりに倒れて、僕の胸にぶつかった。
抱きとめる形になる。近い。近すぎる。
さっきの唇の感触が、まだ消えていないって言うのに。
「先輩……助けてくれた」
「当たり前だ。可愛い後輩だからな」
「ふふふ……先輩って本当素敵なうさぎさんですね」
ひよりが見上げる。熱を持った瞳。
うさぎ? どうしてそれを?
ひよりがハッとしたように口を塞ぐ。
「先輩その……あの……」
「誰に……いや。誰も知らないはずだ。誰にも話してない」
「だって先輩から可愛い匂いがいつも漂っているんですもん」
長い、長い八重歯? いや牙が彼女の口から覗く。
「わかっちゃいました? そうですよ。弱点ぜーんぶ無くなった完璧のバンパイア。バンパイアプリンセスの桐生ひよりちゃんです!」
は? ひよりが怪異? どう言うこと?
『……ちょうだいよ、どっちでもいいから』
怪異はまだ生きてる。札の下で染みがうごめく。
か細い声
ひよりのことは後。で良くないけど敵対してる感じじゃないからしょうがない。後回しに。
目の前のこいつは精気を集めて生きている。奪われた者は綺麗さっぱり消えて無くなる。
「ひより、味方って考えて良いんだよね?」
「はい! ひよりちゃんは先輩の愛の奴隷です!」
味方なのは確実っぽいけど、より厄介な方向に進化してそう。
まあこの場では心強い。そしてあの余裕も納得か。
「バンパイアって言ったら最上位怪異だけど、何ができる?」
「特殊な能力は全部弱点克服に振ってるので、圧倒的ぱわーのみです!」
少しため息を吐く。バンパイアの膂力は魅力的だけどこの場では、特殊な力の方が嬉しかった。
純粋な膂力があまり意味をなさない相手だからだ。
『ねぇ、ちょうだい、ちょうだい』
「はぁ、まあ何とかなるか」
僕は最後の札を取り出し、ひよりに渡した。
「ひより。これ貼って」
「私が?」
「そう。ひよりが。バンパイアなら何とかなるでしょ? その力で前衛ちゃんとやってよね」
「了解。先輩なら何でも解決しちゃいますよね?」
ひよりは僕を庇うように前に立つ。
さっきも今も不安なのは僕だけだったらしい。
塩弾を撃ち、ひびを広げる。染みが縮む。
その瞬間、ひよりが札を滑り込ませた。
ぴたり。朱が光る。
地下道の空気が一気に軽くなる。
『……』
怪異の声が、水底に沈むみたいに遠ざかった。
終わった。
「……よくやった」
僕が言うと、ひよりはぱっと笑った。
「先輩に褒められた。……ねえ先輩」
「何」
「さっきのキス、もう一回必要になったら、していいですか?」
「必要になったらだ」
「わたしぃ、キスがないと誰かの血吸っちゃうかもぉ」
「おい、ふざけるなよ? 突き出しても良いんだぞ?」
「でも先輩そんなことしませんよね?」
ひよりは楽しそうに笑う。
僕はその笑顔を、ほんの一瞬だけ見てしまった。
クソが。その通りだよ。僕はもう、ひよりなしの生活は送れなくなってしまっている。
「それにそんなことしたら、先輩の秘密口を滑らせてしまうかもしれませんしね?」
バンパイアらしい、悪魔的な笑みをのぞかせてこちらを覗き込む。
ため息をまた一つ。
怪異としてのひよりに名前を呼ばれるより。
ひよりに先輩って呼ばれる方が、よほどマシか。
腹が立って、僕は少しだけ歩く速度を上げた。
「先輩、待って! 置いてかないで!」
「置いてかない。……置いてかないから、ちゃんと着いてこい。後輩としてな」
「はーい、先輩様」
背後で足音が弾む。
それはさっきまでのズレた反響じゃない。ちゃんと現実の、二人分の足音だった。
怪異対策課のふたり〜中堅捜査官の僕、最近来た新人がうるさくて困る〜 キロ @kiro0325
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