薬師のお前を追い出したい!※できません

泉井 とざま

第1話 やはり薬師は戦闘には不要

「今回の依頼ではっきりしたことがある。みんな、聞いてくれ」


 人々の生活を脅かす魔物、突如発生するダンジョン。

鍛えた技と魔法でそれらに立ち向かい、街へ安寧と資源をもたらすのが、俺たち冒険者だ。


 今日も依頼成功を祝う酒場で、俺たち五人は打ち上げの真っ最中。

突如立ち上がった俺の声に、仲間たちの視線が集まった。


 ジョッキを掲げかけていた槍使いのレオナードは眉を上げ、神官のクララベルは肉を切り分けるナイフを止める。

中衛のリリエンティはワインのグラスを軽く揺らしながら、口元に笑みを浮かべつつ事態を静かに見守っている。

そして……薬師のミーナは、俺の皿に揚げ芋を取り分けていた手を止め、驚いたように目を丸くした。


 その瞬間、酒場のざわめきが遠のいたように感じた。

テーブルに並ぶ厚い肉や茹でた腸詰、揚げ芋にピクルス、様々な酒の輝きが急に色褪せて見える。

陽気な歌声や笑い声は確かに響いているはずなのに、俺の耳には遠くに聞こえた。


 仲間たちの視線――懐疑と好奇が入り混じる圧力に耐えるため、俺は腹の底に力を込めた。

ずっと胸の奥で燻っていた考えが、今日の依頼で揺るぎないものになった。

だからこそ、ここで言わなければならない。もう先延ばしにはできない。


「ミーナ……お前には今後、街で待機していて欲しい」

俺は、幼馴染のミーナの目をまっすぐ見て、努めて冷静に、静かに宣言した。

言葉を受け止めたミーナの瞳は、驚きと怒りを越えて、静かに光を失っていく。

表情が抜け落ちた目は、暗い湖の奥底のように濁り、俺をじっと射抜いている。


「非戦闘職の防衛に戦力を割けば、攻撃力が落ちる。いや、それだけじゃない。連携が乱れれば危機も増える。」

俺は、ミーナの様子にひるまずに言葉を重ねる。

「今回の依頼、最後の戦闘を思い出してほしい。」


 酒場のざわめきが遠のく中、俺の脳裏に針樹のダンジョンでの光景が蘇る。


――フォレストオーク三体との交戦の最中、茂みから伏兵が鋭い木片を投げ放った。

狙われたのは後衛、茂みに最も近かったミーナだ。

薬品箱を抱えた彼女は振り向いたまま固まり、避ける余裕がないように見えた。

だから俺が飛び出すしかなく、迫る針樹を叩き落とし、伏兵と対峙した。


 だがその結果、前衛のレオナードが孤立した。

槍が獲物の彼の相手は、同じように木の槍を持つ三体のオーク。

牽制に重点を置いた立ち回りをするも、一人で受け止めるには無理があり、隊列は大きく乱れた。


 パーティーは中央で分断され、連携も活かせず、それぞれが力任せに乗り切るしかなかった。

危うく突破を許すところだったのだ。

だから俺は拳を握りしめ、仲間たちを見渡す。


「ミーナを庇ったせいで隊列が乱れた。非戦闘職を戦場に連れれば――」

「なんでそんなこと言うの! ひどいよビッ君!」


 ミーナの叫びが酒場の喧騒を切り裂き、周囲の冒険者たちがこちらに視線を向ける。

普段の快活さを失ったミーナは、暗い瞳の眦に涙を浮かべていたまま、震える声で必死に言葉を紡ぐ。


「依頼の日に起きれないから、ビッ君のこと私が起こしてるんだよ?」

――え? それ、今言う必要ある?

心臓が跳ね、背筋が冷えた。ただ、頭だけが異様な速度で回転していく。


「冒険中のご飯だって、ビッ君の嫌いなレーズンは入れないようにしてるし!」

――おい! それ以上はやめろ! やめてくれ!

手を伸ばすが遅い。もどかしさが焦りを煽る。


「お部屋の片づけも、脱ぎっぱなしのパンツだって私がお洗濯してるのに……なんで!なんでなの!?」

――あああああああああ!

頭の中には「パンツ」という言葉だけが木霊していた。


 現実世界では、涙を堪え、ギュッと瞳を閉じたミーナの叫びに近い言葉が、文字通り、酒場全体に爆発した。

シンとした沈黙が酒場に広がる。

静寂を追いかけるようにざわめきが広がり、ヒソヒソとした声が飛び交い始める。


「痴話喧嘩か? おい、男は何やらかしたんだよ」

「あんな成りしてレーズン嫌いとか……ヤバ、ウケる」

「あんな甲斐甲斐しくお世話してくれる子が……爆ぜろよ……」

「いや、パンツ洗ってもらう仲だぞ? もう結婚してるんじゃ……」

「パwwwwンwwwwwツwwwっうぇ」


 酒場全体の視線が一斉に俺へと集まり、羞恥の熱が頬を焼く。

俺は耐えきれず、思わず声を荒げた。

「な、なに言ってんだミーナ! これ以上、いい加減なこと言うと追放だぞ!」


――しまった!

口にした瞬間、胸の奥で冷たい後悔が膨れ上がる。

言葉はもう取り消せない。酒場の空気が一気に凍りつき、笑い声は途絶え、沈黙が広がった。

冒険者たちの視線が突き刺さり、誰もが息を呑んでいる。


 俺は拳を握りしめ、心臓の鼓動が耳の奥で響くのを感じた。

やりすぎた……そう思ったときには、もう手遅れだった。


 ミーナの肩が震え、ハシバミ色の瞳から零れた涙が頬を伝う。

ヨロヨロと嗚咽混じりに俺へと歩み寄り、すがるように腰へしがみついてきた。

その小さな体から伝わる熱と震えに、俺の背筋が硬直する。

こんなはずじゃなかった……罪悪感が俺の胸を締め付けた瞬間――


「うわあああん! もうエッチな本も捨てないからああああ!」

泣き叫ぶ声が酒場全体に響き渡り、冒険者たちから、ドッと笑いが沸きあがる。


「エッチな本!?」

「おいおい、マジかよ!」

「いや~、若いねぇ~」


 笑い混じりの声が飛び交い、場の空気は緊張と爆笑の狭間で揺れ動いた。

俺は顔から火が出そうなほど赤くなり、ただ呆然とミーナを抱きとめるしかなかった。


 泣きすがるミーナの後ろから、リリエンティの細くしなやかな腕が抱き寄せた。

「おーよしよし、可愛いミーナ。安心しなさい。ミーナは大切な仲間。追放なんてさせないわ。ねぇ、レオ?」

「もちろんだとも!」


 ミーナの頭を優しくなでる彼女の背後から、くるりと回りながら金髪の優男が現れる。

優男――レオナードはエールの杯を飲み干すと、高くに掲げ、ポーズと決めながらこちらに視線を決める。

「そもそもあの戦い、俺がわざと、パーティーが分断するように立ち回ったしな!」


 わざと分断を!? そんな馬鹿な!

呆然としていた俺の頭が、次は衝撃で真っ白になる。


「リリーが敵は全てと教えてくれたからな。 元々は別のパーティーだったわけだし、ああいう手分けもありだろう」

言葉の意味を理解してようやく我に返る。

だが、次の言葉が容赦なく突き刺さった。

「そもそも伏兵の対処には、リリーが向かうべきだった。そうすれば陣形は維持できたはずだ」

こちらに背を向け、人差し指を揺らしながら、レオナードが冷静に指摘する。


 俺の判断ミス……?

いや、そんなはずはない!だってミーナはあの時……動けずに……

胸が締め付けられるように苦しくなる。

そんな俺を気にも留めず、リリエンティがさらなる言葉を重ねる。


「そもそもミーナに攻撃や迎撃用の薬品を持たせてないのは、あなたの指示でしょう? 危ないからって」

ぐっ……! 俺のせいだと!?

違う……いや、違わない……!

頭の中で否定と肯定がぐちゃぐちゃに渦を巻く。


 酒か、怒りか、それとも困惑か……

完全に混乱している俺に向かって、上手そうにステーキを頬張るクララベルの柔らかく一言が、とどめを刺した。


「ビックス君がミーナちゃんのことで飛び出すのなんて、いつものことだから。そもそも、何の問題もないよ?」


――俺は死んだ。

人は、恥ずかしさで死ねるのだ。

周囲の声も、仲間の顔も、もちろんミーナのことも、もはや何も頭に入らなかった。


「こ、この話はいったん保留だっ!」


 椅子を倒し、テーブルにぶつかりながら、転げるように酒場を飛び出した。

背後からは、再びドッと笑いが爆ぜたような気がしたが、それどころじゃなかった。


 頬の熱も、胸の痛みも、すべてが夢であってくれと祈りながら、布団に潜り込む。

だが、どれだけ瞼を閉じても眠ることはできず、笑い声とパンツの木霊が頭の中を埋め尽くしていた。

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