第1ガチャ 運命は、三途の川の向こうで待っている。

「ねえ前原さん。本当にさあ、もっとしっかりしてくれない?」


―――耳が痛い。この会話、今まで何度も繰り返したことだろう。


「すみません、すみません」

「謝ればいいってもんじゃなくて…そういうの良くないと思うけどぉ」

「ごめんなさい、何時も迷惑かけて…」

「はあ、もういいよ」


上司が去っていく気配を感じるまで、汚れた黒いカーペットの床面をじっと見つめていた。

私の名前は、前原 律葉(28)。

この職場は、残業時間は30時間超えるのは当然、一人の仕事量が半端なく多い上に、退職者が後を絶たない。大学卒業後、そんなブラックな会社に就職してから丁度4年目の私は、新人…とは言えないが、中堅…とも言えない微妙な立場にいる。


(すみません、て私が悪いわけじゃないのに。口癖になっちゃった)


4年を過ごし、退職する勇気がない自分に嫌気がさす。

苦しい気持ちのまま、ゆっくり顔を上げる。

いつの間にか、握った手のひらに爪痕が付いていた。何となくそれをぼうっと見つめていると、ころりと飴玉がひとつ転がった。


「…?」

「顔、あげなって!また怒られたの?」


恐るおそる顔を上げると、爽やかという言葉がぴったりの笑顔に思わず目がくらむ。私よりも二期下の井上君は、明るく人懐こい性格と気安い対応で、出世街道を登り続けている。


「前原さん、謝りすぎだって。ほら、もっと自信をもって!」

「…ありがとう」


会社に友人すらいない自分にまで声をかけてくるので、そういうところが出世する人間の特徴なんだろう、と思うけど…そういう光属性の人間が苦手な者もいるのまた事実。

ぺこりと頭を下げて足早に去ると、こっそりため息をつく。


(この人、なんか苦手)


私は、生まれながらの引っ込み思案に、優柔不断な性格だった。

今まで無遅刻無欠席という快挙を成し遂げている程、真面目さしか取り柄のない私は、そんな性格を見透かされてか、厄介な雑務は、いつの間にか私が担当となってしまった。

中途半端な雑用、変なクレーム案件の処理…私にぐちぐちケチをつけ、最後は文句言ってすっきりプチストレス解消!が上司のルーティンとなっている。


――「多少強く言っても、こいつ辞めないだろ」という魂胆が透けて見える。


(そんなのモラハラじゃん…。ああ、もう本当にこういう時自分は意気地がなくて嫌になる)


突如隕石が空から降ってきて、世界が滅亡してしまえばいい。

もしくは突然超絶美人に生まれ変わって、人生やり直すとか?

私は日々、どうすれば会社に行かなくて済むようになるのだろう、と本気で考えている。


「…帰ろう‥‥」


中途半端に残れば、また妙な雑用を言われてしまう。

鞄と上着を取りに事務所に戻ろうとすると、唯一の通り道である事務所の入り口で話し声が聞こえた。


「井上さー、随分根暗眼鏡に優しいじゃん」

「!」


そっと壁側に寄り、隠れる。


(…嫌なタイミング。根暗眼鏡って…私の事?)


生まれつきのど近眼の為、度数が分厚い眼鏡は必須である。

どうにか改善しようと眼鏡をコンタクトに変えてみたりもしたが、不慣れなコンタクトに四苦八苦し、途中で挫折してしまった。

せめて髪色だけでも明るくしようとしても、髪はメラニンが濃すぎてうまく染まらない。…この体質は、子供のころから抱えている劣等感でもある。

今更ど金髪にしたとて、気が違ったのか思われるだけで、結局改善には至らないだろうと思う。


「いやーだってさ、いっつも俺らの仕事やってくれてるし、ご褒美上げないと」

「ご褒美ねえー?」


早く帰宅したい心と、なるべくなら関わらずに済まないかと考える心がせめぎ合う。いっそ駆け抜けてやり過ごすべきかとも考えていると…話は思わぬ方向に進んだ。


「でも、ああいう女って勘違いしそうじゃない?」

「それならそれで…まあ、けっこう胸元は悪くないし?でも、俺の心は皆のものだけどね~」

「!」


その言葉を聞いた瞬間、ふと我に返った。


(上から目線…何様?)


「どうすっかな~いっそ、声かけちゃう?オレ落ちる方に1万!」

「お、マジ?」

「…は?」


思いがけず声が出て、慌てて口元を抑える。


「ああいう女に限って、面白いくらいコロッと落ちたりするかもよ?」

「それはそれで…好きなように教育できるのも悪くないよな」


―――何言ってるんだろう、こいつ。私があんたごときに惚れているとでも本気で思っているんだろうか?


と、喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。


(あいつ…やっぱり)


残念ながら、私は彼がそういう人間だというのは以前から知っていた。

と、言うのも、人の顔色を窺うのが日常茶飯事だった為、良くも悪くも空気と人間性を見抜く力は確かだと自負している。

徐々に話は下世話な方向へと進んでいき…いつもなら耐えて終わらせるところだが、今日はなぜか違った。


(人間って、ストレスが過ぎると何もかもどうでもよくなる日が来る‥‥って誰かが言ってた)


そう思うと同時に、体の底から嫌悪感のような物が沸き起こり、その心に火が付いた。

勝手に足が動き、ヒールのかかとを鳴らし、彼らの元へ一目散に向かっていく。

その音を聞いてぎょっとした彼らだったが、顧みず飴玉を胸元に突き出した。


「これ、いらない」

「あ、ああ…ええと、」


のけ反る井上に、半ば押し付けるようにして胸元のポケットに飴玉を放り込む。


「私、甘い物嫌いなの」

「そ、そお?」


ひきつった笑顔で受け取ったのを見届けると、一度ひと睨みし踵を返した。

胸を張り、前を向いて颯爽と律葉は自分のコートと鞄を持ち出し事務所を後にする。


「あ!ちょうどよかった!前原さ」

「お先に失礼しまーす」

「え…あ」


デブの上司をシカトしつつ、ずかずかと歩いていくと、入り口前の男共がさっと道を開ける。ぽかんと間抜け面をしている二人の間を通り抜け、くるりと右に曲がり、エレベータのボタンを押す。

確実に閉じたのを確認して…リツハは一人、エレベーター内に座り込んだ。思わず口元が緩む。


「ふふ…いえた。やった!言えるじゃん私……!!!よっしゃあ!」


ぐっとこぶしを天に向かって突き上げると…同時にぱあっと辺りが白い光に包まれた。


「へ?」


電気でも切れたのか?

そう思い、上を見て、言葉を失う。


(…一面の、青い空)


「…エエト、アレ?」


茫然としていると、銀色の扉は当然のように開き、私に降りろ、と急かす。

思い切って一歩を踏み出すと、爽やかな風が頬を撫でる。

都心にあるオフィスビルの中には似つかわしくない、雨上がりのような土の匂いは私の心を静かに取り乱した。


「ここって…会社じゃなかったっけ」


静かに混乱しつつ、あ、気持ちいいなあなどとのんきなことを考える。

するとチン、と聞きなれた音が聞こえと、エレベーターの扉は静かに閉じ、煙のように消えてしまう。


「え?」


ひゅうう、と音を立てて突風が吹き、同時に黒い影が頭上を横切る。


「わぁ‥‥」


甲高い鳴き声とと共に、金色の鳥が群れを成して飛んでいく。

見たことのない青緑色の花が一面に咲いている花畑に、青い花の絨毯は見渡す限りどこまでも続いていてた。

傍に小さな川が流れているが、なぜかその向こうは霧がかかって何も見えない。

あまりに見慣れない景色に、しばし茫然自失状態だったが、突然覚醒して腕時計を見た。


「時計…止まってる、スマホも…消えてる」


冷静を装いつつも、内面はがくがくしている。

服装と持ち物は変わらないのに、自分が今どこで何をしているのか確認する術がない。


「これは、何?」


ここはもしかしてあの世?

ほら、向こうに河も見えるし、まさか…これが噂の三途の川?

…そんなバカな。


「…遠くに、あ、人?!」


よく目を凝らしてみると、川の向こうから黄金のボートが流れてきた。

それに乗っていたのは、人型をしているけど、何かが違う。耳が尖っていて、私が好きな小説やゲームの中から飛び出してきたような、美しい女性だ。


「こんにちは!!」

「…なんて、メルヘンな」


メリハリのついたゴージャスなスタイルに、腰まで伸びた白い絹糸のように、長く美しい髪の女性。薄布一枚で大事なところはしっかり隠されているが、下品さのようなものを一切感じないから、不思議なものだ。

彼女(?)はにっこりと笑うと、ボートから降り立った。


「ええと…次の実験は、あなたでいいのかしら?」

「じ、実験?」


私の問いなどお構いなしといった具合に、その美しい女性は大きな目を更に瞬き、興味深げにこちらを見た。


「あら!…珍しい恰好。あなたはどんな世界から来たの?」

「どんなって…ええと、に、日本」

「へえ!それがあなたの世界の名前?」

「セ、世界?」


世界というスケールの大きい単語に、何となく嫌な予感を感じる。


「私の名前は、アリアドネ…担当は『運命』よ!」

「運命…?」

「そう!私が紡ぐ糸は、全ての世界につながっているの」

「ありあどねさん…その、ここ こここは、ど、どこでしょうか」

「ここはね、ビフレスト…世界と世界を繋ぐ時空の挟間よ?」

「じくうのはざま」


これは夢だろうか。

あまりの情報量の多さに、私の脳は理解が追い付かない。


「アナタは、選ばれたのよ?」

「えらばれ?!」

「そう!…あなたの人生全賭けで、神様プロデュースの運命ガチャ、回してみない?!」

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