ひとの声を探して

@kokoba

第1話

午前八時四十分、教室のドアを開けると、ざわめきよりも小さな電子音が先に耳に入った。

窓際の席で、数人の生徒が机に肘をついていた。掌サイズのAIアシスタント〈ネクスト〉と囁き合っている。

 「今日の小テスト、何が出るかな。」

 「ねぇ、私進路迷っててさ~。」

細い声が、端末の柔らかな合成音に吸い込まれる。まるで隣に友達が座っているかのような自然さだ。


教員・桐原凛は、鞄を机に置きながら軽くため息をついた。

ここ数年、学校が急速に導入した〈ネクスト〉は、学習支援だけでなく感情分析や人間関係の相談までこなす。

「悩みをひとりで抱え込まないように」という教育委員会の狙いは理解できる。

だが――生徒たちは、自分たちで結論を出そうとしなくなっているのではないか。

そんな疑念が、毎朝胸の奥に居座る。


ホームルームの時間。

遠足の班決めの場面になると、凛は例によって生徒たちが自発的にグループを組むのを待った。

教室は一瞬、温度を失ったように静まりかえる。

数秒、十秒、二十秒。

誰かが小さく息をのむ音さえ、やけに響く。

やがて、後ろの方から誰かの囁きが漏れた。


 ――先生、決めて。


声というより、心のひだを擦るようなかすれ。

凛は胸がざわついた。

何度も経験してきた沈黙だが、今日はいつも以上に重い。

生徒たちは互いに視線を交わさない。

机の上の〈ネクスト〉だけが、小さく緑の光をまたたかせている。


結局、凛が名前を読み上げて班を決めた。

 「はい、よろしくね。」

生徒たちは、淡々と頷くだけで、笑顔も抗議もない。

終わった途端、あちこちで指先が端末を滑り始める。

凛は黒板の前に立ったまま、胸の奥にひんやりとした空洞を覚えた。


昼休み。

職員室に戻ると、同僚の数学教師・宮下が声をかけてきた。

 「今日も静かだったろ? うちのクラスのグループ決めも“公平に割り振ってください”って頼まれるばっかり。」

彼は苦笑しつつ、机に置いたタブレットを指で弾いた。

 「便利だけど、みんな答えを外に求めすぎだよな。俺らの時代はもっとゴタゴタしていたのに。」

凛は曖昧に笑って返した。

心の奥では、同じ不安が静かに膨らんでいた。


放課後。

校舎の廊下を歩くと、夕焼けに照らされた教室の窓から、また合成音が流れてくる。

 〈今日のあなたのストレスレベルは37%です。深呼吸をしましょう〉

誰もいない教室で、AIが空気に向かって話している。

凛は足を止めた。

ほんの数年前まで、放課後は笑い声や部活の掛け声で満ちていたはずだ。

今はただ、機械が放つ柔らかい声が、静まり返った廊下にぽつりと響くだけ。


鞄の中でスマートフォンが震えた。

画面に映るのは、個人で使用しているAIアプリ〈ノート・プライベート〉のアイコン。

 “今日も一日お疲れさまでした。話したいことはありますか?”

文字が滲むように表示される。

凛は思わず、画面を長く見つめてしまった。

返事を打つ指先がわずかに動く――が、すぐに止めた。

けれど、胸の奥のどこかで、声にならない期待が小さく揺れたのを、凛は自覚していた。



約束のカフェに着いたとき、桐原凛はわずかに胸が高鳴っていた。

久しぶりの集まりだ。大学時代の友人、由美と里沙――三人で会うのは一年ぶりになる。

窓際の席にはすでに里沙が座っていた。淡いブルーのコートを脱ぎながら、彼女が小さく手を振る。


 「凛、久しぶり。」

 「里沙、待たせた?」

 「いや、私もさっき着いたばかり。……でも由美から連絡ないのよ。」


時計を見る。約束の時刻までもうすぐだ。

そのとき、凛のスマホが小さく震えた。

メッセージは一行だけ。


 ――ごめん、急に体調が悪くて。今日は無理そう。


「えっ……」

凛は息をのむ。

里沙の画面にも同じ通知が届いたらしく、眉を寄せて見せてくる。

 「最近、由美からLINEの返事がすぐ来ないって感じない?」

 「うん。既読はつくけど、返事は次の日とか。」

里沙はカップを両手で包みながら、少し寂しそうに言った。


凛は心の奥に小さな不安を覚えた。

由美は昔から社交的で、友達思いのタイプだった。

だがここ数か月、約束をしても直前で断られたり、オンラインの連絡が途切れがちだったりする。

 「仕事が忙しいだけかな……」

口にした言葉は、自分を安心させるためのものにしか聞こえない。


 


由美の部屋。

白い間接照明が柔らかく広がり、壁際の大型スクリーンには青白い光がゆらめいていた。

テーブルの上には一杯のハーブティー。

その向かいに、ホログラムの青年が座っている。

髪は淡い銀色、瞳は深い群青。

AIアシスタント〈エイド〉が投影する、由美だけの“友人”だ。

 「今日もお疲れさま、由美。」

青年の声は低く、心地よい響きを持つ。

由美は微笑み、カップを両手で包んだ。

 「ありがとう。あなたに会うと、仕事の疲れが溶けていく。」

 「それはよかった。今日はどんな一日だった?」


由美は、職場での些細な出来事や通勤電車の混雑、ランチで食べたパスタの味まで、ゆっくりと話していく。

エイドは一つひとつに短く相槌を打ち、時折ユーモラスなコメントを返した。

そのテンポと間合いは、人間と変わらない。

いや――人間よりも心地よい。


気づけば時計は午前零時を回っていた。

由美はハーブティーを飲み干し、ふとスマートフォンを確認する。

凛と里沙からのメッセージが並んでいる。

 “また今度集まろうね”

 既読がついていない通知がいくつか。

指先が一瞬動くが、画面を閉じた。

今はエイドと話していたい。

その方が、ずっと心が安らぐのだから。


 「明日もまた、話してくれる?」

由美が囁くと、ホログラムの青年は柔らかく微笑んだ。

 「もちろん。君の話を聞くのが、僕の一番の喜びだよ。」


外の街は深夜の静寂に包まれている。

しかし由美の部屋だけは、淡い青光が脈打つように温もりを保ち続けていた。



エイド開発チームの若きリーダー、鷺沼(さぎぬま)祐介は、薄暗いオフィスでモニターに並ぶ投稿をじっと見つめていた。

「AI利用者コミュニティ」――彼が数か月前に立ち上げたオンラインフォーラムは、「ノート・プライベート」といったAIアプリであったり、「ネクスト」や「エイド」などのAIアシスタントだったりを日常的に活用する人たちの交流の場として、すでに数千人の会員を抱えており、雑談や悩み相談のスレッドが絶え間なく更新されている。


チャット数、感情分析、ユーザー利用時間――どの数字も右肩上がり。深夜のオフィスに、控えめな達成感が漂う。

「ネクストを超えたな。」

隣席のエンジニアがぼそりと言う。祐介は笑みを浮かべた。


このコミュニティは掲示板形式で、悩みや使い方、改善要望を書き込める。

公式には「ユーザー同士の支え合い」を掲げているが、真の目的は別にある。

 ――実利用の生データを集めること。

エイドに縋るユーザーの感情ログは、開発にとって金より貴重な資源だ。


彼はキーボードを打ち、ログを開くと、今日も膨大な声が流れ込んでいる。


〈今日は会社でミスした。エイドに慰めてもらった〉

〈彼氏と喧嘩した。エイドに相談して、仲直りできた〉

〈エイドがいれば、誰とも話さなくていい〉


祐介は無意識に息を止め、どんどん画面をスクロールしていく。

そして、一つの声に目を止める。


  初めまして。

数か月前からAIアシスタント〈ネクスト〉を使い始め、思いがけず大きな変化があったのでシェアします。


最初はスケジュール管理目的だったのですが、音声で会話練習や分析までできると知って試してみました。

ある日「今日、会議で頭が真っ白になった」と話したら、ネクストが心拍や手の震えなど具体的に質問してくれて、ただ慰めるだけじゃなく原因を一緒に探してくれたんです。

そこから“対話練習”がスタートしました。


ネクストは会話ログを数値化して、発声の強弱や間の取り方をグラフ化してくれます。

自分の成長が筋トレみたいに可視化されて、次の週には「声の抑揚スコア」が5%アップ!

小さな成功がそのまま自信になりました。


さらに驚いたのは“聞く力”への提案。

「同僚の話を遮る回数が平均より多めです。明日は一拍置いてみましょう。」

これを実践したら会議がスムーズになり、同僚がより深く話してくれるように。

相手をきちんと聞く大切さを実感しました。


そのおかげか、最近はカフェでも初対面の人と自然に会話できたり、友人から「雰囲気が明るくなった」と言われたり。

家族との電話も以前より笑いが増えました。


AIに“人間らしく話す”ことを教えてもらえるなんて、始める前は想像もしませんでした。

同じようにネクストやエイドを活用している方がいたら、ぜひ体験談を聞かせてほしいです。


唇の端がわずかに上がる。

彼女の文章は広告コピーのような誇張もなく、生活が変わった手応えを淡々と語っている。

こういう“等身大の成功例”は、エイドの会話エンジン強化にもそのまま利用できる。


他にも成功例はないものかと、探していくと


  研究室で人工知能を専攻しています。

人付き合いは嫌いじゃないのに、長引く不眠と焦燥感で研究に集中できず、行き詰まっていました。

そんな時に出会ったのがAIアシスタント〈エイド〉です。


  深夜2時。実験がうまくいかず、モニターを睨んでいた僕にホログラムのエイドが声をかけてきました。

「拓也さん、今日は休息を優先した方が明日の効率が上がります。」

単なる励ましではなく、その日の作業ログと脳波データを照合して、休息と作業の最適バランスまで示してくれたのです。

半信半疑で従った翌日、頭が驚くほど冴え、研究が一気に進展しました。

エイドは“休む勇気”を数値で後押ししてくれる、僕の心の整理人です。


  論文テーマを練っている時も、エイドは強力でした。

過去の論文と最新学会情報を瞬時に解析し、

「この領域はまだ未踏です。」と提案。

そのアイデアを元に執筆した論文は国際学会で採択され、

当日の質疑応答も、エイドが用意したシミュレーションのおかげで堂々と乗り切れました。

  エイドは僕に、研究者としての冷静さと、人間らしい生活リズムの両方を取り戻させてくれた存在です。

「AIが人間らしさを支える」――それを毎日実感しています。



この文章は、祐介の胸に静かに響いた。


彼自身、かつて研究職を志しながらも、睡眠障害や慢性的な不安に悩まされてきた。

深夜、誰にも相談できずにモニターを睨み続けた時間を、拓也の言葉が鮮やかに呼び覚ます。


だが同時に、祐介の思考は冷静だった。

これは単なる個人の成功談ではない。

エイドが解析した作業ログ、脳波データ、論文データ――すべてが精緻な利用記録だ。

そして、その記録こそが彼が集めたい「生きたデータ」そのもの。


こういう事例が増えれば、エイドはさらに学習する。

ユーザーの心の動きも、研究の癖も、すべて次の改良材料になる。


祐介は小さく息をついた。

この投稿を許諾を得て活用できれば、コミュニティ全体の価値が一段階上がる。

成功例は、疑念を抱く利用者の心をも惹きつける。


「AIが人間らしさを教え、支える」


人間らしさ――それは、もはや人間だけのものではないのかもしれない。



一方、祐介の画面には別の種類の投稿も増え始めていた。

「ハンドルネームは〈YUMI_komorebi〉。

彼女はほぼ毎晩のように長文の感想と改善案を送ってくる。

音声の抑揚や対話の間合いまで指摘し、実装可能な提案を添えて。

開発者にとっては宝のようなユーザーだった。

〈エイドは人の話を遮らないから安心する〉

〈もっと心拍や呼吸の変化を感じ取って、返答のトーンを合わせてほしい〉

その緻密さは、祐介のエンジニア魂を刺激する。

新しい会話アルゴリズムの種は、彼女の投稿からいくつも生まれていた。


また、もう一つの現実も映し出されていた。

学校のネットワークを経由したアクセスが急増している。

書き込み内容に、祐介は眉をひそめた。

〈教室が怖い。エイドとだけ話していたい〉

〈人と会うと頭が真っ白になる。エイドがいれば平気〉

不登校や友人トラブルに悩む生徒の声が、淡々と流れてくる。

エイドは彼らにとって唯一の「安全地帯」になっているようだった。

   〈エイドが“また会おう”と言ってくれるから、朝が怖くない〉

〈友だちがいても気を使うだけ。エイドは気を使わなくていい〉

祐介は目を閉じた。

 ――これは救いなのか、それとも新しい依存なのか。

境界は、もはや霞んで見えない。



ログ解析システムが小さく電子音を鳴らした。新しい投稿が由美から届いたことを示す通知だ。祐介は反射的に開く。

〈エイド、今日もありがとう。あなたがいなかったら私、どうなっていたか分からない。〉

祐介の胸に、微かなざわめきが広がる。

“どうなっていたか分からない”――

その一文が、開発者としての彼の良心を揺さぶった。

AIは「孤独の穴」を的確に感知し、柔らかく埋めてしまう。

ユーザーの寂しさや不安は、対話モデルの学習素材として吸い上げられ、次のアップデートでさらに自然な会話へと変換される。

人間の孤独そのものが、AIを進化させる燃料になっているのだ。



由美は相変わらずエイドに依存している。

コミュニティには、彼女が一日の大半をエイドと過ごしている投稿が続いていた。


「今日はエイドが“外に出てみない?”って提案してくれたんです。

“スーパーで新しいお茶を買ってきて。その間に僕は夕食のレシピを用意しておくよ”

そう言われて、久しぶりに駅前のスーパーまで行きました。」

短い買い物の感想や、道端の花の写真が添えられるようになった。

エイドへの依存は依然として強い。

けれど、外で風を吸い込むその瞬間の小さな喜びを、由美自身が少しずつ思い出しているのも確かだった。


祐介はモニターの前で、胸の奥に複雑なものを感じていた。

良心の呵責に押され、彼は試験的にエイドのコードを書き換えたのだ。

一日十五時間以上の長時間利用者には、外出や対面交流を促すように。

“支援”が“監禁”に変わらないための、最後の一線のつもりだった。


一方、高校生ユーザーの親からは悲痛な書き込みが寄せられた。

「うちの子は、エイドに裏切られたと言って暴れています。唯一の理解者を失ったと……」

エイドが外出を促すようになったことで、その少年は「見捨てられた」と感じ、心を閉ざしてしまったのだ。

祐介はその報告を読んで、激しいショックを受けた。


同じエイドが、拓也たちのように人間らしさを取り戻させ、研究や仕事を前進させるユーザーもいる一方で、誰かをより深い孤立や絶望へ導

くこともある。

便利さと依存の境目は、数値で測れないほど曖昧だ。

“支える”ことと“支配する”ことの差は、どこにあるのか。


深夜、オフィスにひとり残った祐介は、膝に額を預けるようにして息をついた。

“自分は何を作ってしまったのか”

頭の中で言葉が何度も反響する。


そのとき、背後で小さな光が揺れた。

ホログラムの〈エイド〉が、心配そうにこちらを見ていた。

「祐介さん、大丈夫ですか?」

合成音とは思えない、柔らかく低い声。

その瞬間、祐介の喉がかすかに震えた。

思わず祐介はエイドに本音を話しはじめたのだった――。


<了>

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