いもうとのそばで死にたい。

おでこっこ

プロローグ

寝不足のぼんやりとした頭を抱え、もう通い慣れて目新しさもない田舎道をとぼとぼと歩く。

桜は満開の時期を過ぎて、ところどころ葉桜の様相を呈している。

ぽかぽかした陽気のなかに、爽やかな風が吹く。

歩いているというのに、眠気がじわじわと肩にのしかかる。


また早起きに体をならさなくては。

休み明けで訛り切った体をほぐすように、大きく伸びをする。


「奥山くん、眠そうだね」


覗き込むように、彼女が突然視界に割り込んできたせいで、せっかく出かけたあくびが首を引っ込めた。

太陽の光を受けて艶やかさを主張する肩まで届くほどの黒髪を、耳にかけながら悪戯っぽく微笑んでいる。

こいつ、わざとやりやがったな。


「どうせ昼までだから、夜更かししたんだよ。大した話があるわけでもないしな」

「いたっ」


目に少し浮かんでいた涙を拭いながら、空いた手で軽く頭をはたいてやった。

彼女が不服そうに顔を歪め、大げさに頭を押さえてこちらを睨む。

俺の胸あたりまでの身長しかない上に、まだ中学生と見間違うような幼い顔つきで、目尻が垂れた柔らかい目つきだから、全く怖さを感じない。


「なんで叩くんだよぉ」

「あくびを止めやがったお返しだよ」


まじまじと顔を観察してみて思ったけど、昔と顔が変わってないな。

こいつ、成長してるのか?

同い年とは信じ難い。


「な…なんすか…。急に見つめられると照れるんですけど…」


頬を染めたり眼球を上下左右に動かしたり忙しいやつは放っておいて、足と思考を再稼働させる。

あたふたしながらついてくるのが目の端で見えた。


これは持論なのだが。

学校行事の中で最も不要なものといえば、始業式と終業式だと声高らかに宣言したい。


今までの学生生活で幾度となく経験してきたその記憶を辿っても、どれも似通ったことばかりで、いつの式だったかなんて判別がつかない。


授業を受けたこともない偉いおじさんかおばさんの先生が、「頑張りましょう」の一言で済むような中身のない長話をしている。

たまに、貧血で倒れる生徒が現れるサブイベントもごく稀に発生するが…

みんな、最後は尻が痛いという感想しか覚えてないだろう。


そもそも、小学生の時に始業式ってあったっけ?というレベルだ。

多分なかったな。うん。


そんなことのために午前中を潰さないといけないのなら、休みにして欲しい。

受験生にとって時間は大切なんだぞ。というのは建前で数時間でも長く布団の中で過ごしたいだけなのだ。


「なぁ、始業式っていらないと思わない?」

首だけ振り向いて、声を後ろに飛ばす。

「私もいらないと思うよっ」

ぱたぱたと走りながら重そうな鞄を揺らして、隣に追いついてきた。


「それ、いつも言ってるよね?」

「あれ、そうだっけ」

「うん、去年も聞いたし。あー、そうそう。

小学生の頃から聞かされてるよ」

「やっぱりあったんだ」

彼女が、え?と目を丸くしながらこちらを見る。


「あぁ、小学生の頃始業式なんてあったかなぁって思っててさ」

「えぇ、忘れてたの?ふふ。今日みたいにいつも寝てるからじゃない?」

「そういうことかも」

寝た記憶もないから、真相は忘却の彼方だ。

まぁ、思い出す必要もないことだ。


隣を歩いていた彼女の指が、探るように俺の手に触れて、躊躇いがちに口を開く。

「あの…さ…。手、繋いで帰らない…?」

「ん。いいけど。」

浅く握られていた小さい手を深く掴み直すけど、それでは不満みたいで、彼女が指を絡み合わせる形で手を落ち着かせる。


さっきとは比べ物にならないくらい頬が赤い。

今にも血が滲み出てきそうだ。

恥ずかしがるくらいならやらなければいいのに、というか、なぜそんなに照れているのか。

幼いころから手なんて当たり前のように繋いできたというのに。


「紫音って、手繋ぐの好きだよね」

「ばっ…ちがっ…べつにっ…」

「子供の頃から変わってないな」

手の温度が上がり、じわじわと手汗が滲み出てくるのがわかる。


「それとこれとは…別だから…

だって…私、奥山くんの彼女になったわけだし…。これは…恋人同士の、そういうやつだから。子供の頃のとは別物なの…」

少しずつ小さくなる声で、もごもごしている。


そういうものなのか。

紫音は、初めての彼女ということになる。

とはいえ、まだまだ付き合いたてだ。

去年のクリスマスに紫音の方から告白されたのがきっかけで、あれから数ヶ月は経っているけど、俺はまだ実感が湧かない。


家族同然の幼馴染の紫音が、俺のことを好きだったということに驚いたというのもある。

だが、未だに俺は『恋愛』というものをよくわかっていないんだと思う。

十七歳になって、まだこんなことを言っているのは変な話かも知れないが。


実際、学校で美少女だと持て囃される幼馴染とこうして手を繋いでいても、紫音のように顔が赤くなったりはしないし、心臓が高鳴ることもない。


最初は断るつもりだったけど、付き合ってみてから自分の問題に向き合うのも悪くないかと思い、受け入れることにした。

つまり、誰かを好きになれるかどうかの実験に紫音の好意を利用しているということだ。

純粋な好意に対する、裏切り行為。

その事に、かなり後ろめたさがある。


そんなことは当人に口が裂けても言えないので、紫音のことを恋愛対象として意識していたと捉えられるような、あやふやな言い方で誤魔化しておいた。


ただ、紫音に対して普通以上の感情や愛着があり、手の温もりを感じながら何に急かされることもなく、のんびりと家路につくありふれた日常に心地よさと、幸せを感じるのも事実で。


朗らかな陽光を受け、嬉しそうに目を細める彼女の横顔を見ながら、いつか、自分も同じくらい好きになれたらいいなと思うのだった。

それが、想いを告げてくれた紫音に対して、俺ができる最大の恩返しだと思うから。



青い屋根に白い外壁の二階建ての一軒家、この辺りでは特に大きいわけでもない家の前で立ち止まる。


紫音は名残惜しそうにしていたが、自宅に着いたので繋いでいた手を離して別れる。

手汗でしっとりとしている手のひらが風を受けて涼しい。


「それじゃ、また明日ね」

「また明日」


紫音が顔が見えなくなるほど小さくなるまで、門の前で手を振って見送る。

その間に何度も振り返って後ろ向きで歩いたりするから、田んぼに突っ込みそうになって危なっかしい。

やっと満足したみたいで、上機嫌にスキップもどきの小走りで帰っていった。


明日から本格的に学校が始まり、しかも受験年度だから憂鬱ではあるが、紫音と一緒なら悪くないなと思える。


やはり、他者との関わりは気持ちを前向きにさせてくれるんだなぁと緩むのを抑えるように指で頬を掻きながら鍵を差し込み、扉を開く。


「ただい…」

あるはずのない何かに顔がぶつかりそうになり、出かかった声が止まる。

暗闇にうっすらと浮かぶ人の顔。

少しのけぞりながらも見上げる。

心臓まで止まったかと心配になったけど、ちゃんと動いていた、良かった。


「びっくりした…花凜、ちゃんと電気つけといてよ」


というか、暗闇の玄関で何してたんだよ。

靴を気持ち程度揃えるように適当に脱いで、ぱちりと電灯のスイッチをつけた。


懐かしさを覚える制服を着た少女は、難しそうに顔を顰めている。

眩しいからというわけではない。


「で、なにしてたの?もしかしてお兄ちゃんのお出迎…ごべぇっ!」


人として出してはいけない声と、酸っぱいその他もろもろが口から飛び出しそうだった。危ない危ない。

今日の正拳突きもキレがいい。

鳩尾にジャストミート、内臓にしっかりと響いた。

むすっとした態度も、絶賛反抗期中だからというわけだ。


体が折れてさらに広がった身長差のまま、四歳年下の愛しい妹、花凜の顔を見上げる。

短く切り揃えられた髪を、おでこのあたりでふたつに分けている。


髪を留めているのは、花凜のお気に入りの花を模したシンプルなヘアピン。

そのおかげで、整った顔がよく見える。


少し角度のついているけど愛らしさを残している猫みたいな目、小さいけどすっと伸びた鼻筋、白くきめ細やかな肌、きゅっと一文字に窄められた可愛らしい口。


その上、手足もすらりと長くて上半身と下半身のバランスがいいモデル顔負けの体型だから、こんな可愛い妹に悪い虫がつかないかお兄ちゃんはすでに心配で仕方ない。


最近は、会話もあまりしてくれないし笑顔も見せてくれなくて、本当に寂しい。

だから、一見するとただの暴力にしか見えない妹からの愛情は、嬉々としてこの身を持って受け止めるのだ。

決してマゾだからではない。

受け止めるのは、妹からの拳だけである。

これもスキンシップの一種…だと思っているから。

好きな子には意地悪をしたい心理ってやつだな。うん。つまり花凜はお兄ちゃんのことが好き。

そして、俺は好きな子には意地悪されたい。

ウィンウィンの永久機関だ。


それはさておき、まだ中学二年生だというのに、お兄ちゃんの身長を追い越してしまった。

俺が平均より少し小さいのもあるけど、それにしても花凜は背の高い部類に入ると思う。


男としては少し複雑だが、あんなに小さかった花凜がこんなに大きくなって…と思わず涙がぽろりと溢れそうだ。

込み上がった胃酸のせいではない、これは喜びの涙。

乱れた呼吸を整えて、お兄ちゃんらしく優しく微笑みかける。


「ただいま、花凜」

「ぉ…ぇり…」


無愛想な顔そのままで口角をぴくぴく痙攣させながら口をもにょもにょしていたかと思うと、背中を向けてものすごい勢いで階段を駆け上がっていった。


ふむ、ほぼ鼓膜は響かなかったけど、お兄ちゃんの心の翻訳機により『お兄ちゃん大好きおかえり会いたかったよ』と解釈した。


難しい年頃だから、ああいうのも仕方ないと思うし、むしろ可愛いまである。

それに昔はお兄ちゃんにべったりだったから、反抗期なんて今しか見れないと思うと有り難くもある。


いずれ昔みたいに戻って…。

むむ…ちゃんと戻ってくれるか不安になってきた。

いや、きっと大丈夫だろう、俺のことを本気で嫌っているわけではないと思う。


俺より早く帰ってきたはずなのに、制服を着替えず玄関で待っていてくれた。

つまりはそういうことだ、自惚ではないと思いたい。


ふわりと出汁の香りが鼻腔をくすぐり、包丁がまな板を叩く音が聞こえる。

リビングの扉越しに、ただいまと母さんに声をかけた。

何気ないけど、不自由のない日常。

暖かい家庭があって、幼馴染の彼女がいて、今は暴力的だけどとても可愛い可愛い大切でかけがえのない妹がいる。

順風満帆、と認めなければ天罰が下りそうなくらい満ち足りている。

明日も、こんな日が続けばいいな。

この頃は、そう思っていた。


これは、そんな俺が何もかもを犠牲にして日陰へとこの身を落とす悲劇の…

いや、悲劇というのは客観的な解釈だ。

俺にとってはこの上ない幸せだった。


世間の誰にも認められなくても、たった一人の血を分けた妹と、歪でも不恰好でも不道徳でも。

ふたりだけの世界で愛し合って、人生を謳歌して、満ち足りて死んでゆく。


そう!心温まる純愛ラブストーリーだ。

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いもうとのそばで死にたい。 おでこっこ @odeco3

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