街の砂漠は神のゆりかご

きたの しょう

街の砂漠は神のゆりかご

 競馬とは、記憶のゲームである──とはよく言ったものだが、肝心な所では、肝心の記憶が行方不明になってしまうこともまたよくある話だ。しかしそんなことにも挫けずに、競馬好きはせっせと今日も国や地方自治体へと喜んで税金を支払い、あるいは引き出しが困難な貯金に精を出している。


 昨日本命馬が直線で伸びてくる光景を全く見れず、危うく生活費を失いそうになった俺だが、今日はそれを取り返そうと勇躍、場外馬券場という名の馬の走らない競馬場に乗り込んできた。


 昨日は一緒にいた井原──現役女子高校生で、俺の教え子──は、今日はおとなしく家族と大掃除に従事しているとのLINEが午前中に回ってきた。夏にたまたま競馬場帰りの電車でばったり出会って、初めは法律違反の事を咎めたものの、予想センスに感心した俺はアドバイザーとしての役割をお願いした。


 これは二人だけの秘密──こう言うと禁断の関係と言われてしまうが、実際はドライ以外の関係が全く見当たらない、ただの競馬好きの教師と生徒、それだけだ。


 さて、今日のメインレースは地方競馬最大のレース。俺の本命は、前走目の前のG1レースで惨敗はしたが3歳戦では敵がなかった馬を本命に、中央競馬所属の馬を中心として買った馬券を握りしめている。なんだかんだ言っても、地方所属馬よりは中央所属の馬が有利なのは自明。ヒモに付けてるのはいるけどな。


 今回は彼女のアドバイスは一切受けていない。というより、掃除に忙しくて予想してる暇がないとのこと。


 しかし、この地方競馬場……学生時代に何度か行ったことはあるんだが、どうにも相性が悪い。これが固いと思ったレースでは穴馬が平然と穴をあけ、荒れると見込んだレースだと全然荒れる気配すらなくド安目にしかならない固いレース……と翻弄されることばかり。マトモに当たったレースは記憶にない。フルゲート16頭という中央と変わらない頭数がレースするためか、それとも地方所属ということで馬のフカホリが出来てないだけなのか。


 っともうすぐ出走時間だ。俺は本場馬の正面に輝いているターフビジョンに注目した。


 ゲートが開き、西日が出走馬たちの背後から照らす中、一斉に勝利を目指して駆け出してゆく。最初の直線で俺の本命馬が先行争いをし、同じ中央所属馬が先頭に立つとその番手に控える。1、2コーナーを過ぎた所で縦長の隊列を形成していた。ペースが速い。少し心配にはなったが、鞍上の手はまだ余裕が感じられる。


 ほぼそのままの間隔で3コーナーを回り始め、4コーナーから直線へ。


 濛々と立ち上る、馬たちが蹴り上げた砂煙が逆光気味の西日と相まって、ほんのわずかだがその美しさに心を奪われそうになる。その下で、先頭集団が圧縮されて残り2ハロン400mを切ってきた。横一列に並んだ馬たちが、あらん限りの力を振り絞って、ダートという名の砂漠の向こうに輝くゴールラインへと駆け抜ける。


 一瞬、本命馬が先頭に立った。俺の前身にアドレナリンが駆け抜け、これで勝てる!と払い戻し列に並んでホクホク顔の俺自身が頭の中に浮かんだ──。


「そのままぁーっ!!」


 周囲が大声を上げる中、俺も負けじと声を上げる。そのままいってくれえええええええっ!


 ──現実は残酷だ。


 あっという間に外から買った馬と同時にヒモにも買っていない馬、地方所属馬が同じ勢いで俺の本命馬を簡単に飲み込んで行った。内側からも別の中央馬に抜かされ、既に脚が上がったかのようにろくな抵抗も出来ずにあっけなく馬券圏外へと去って行った。


 終わった……。


 24時間ほど前の、俺自身のリプレイを見てるような気分になった。つか、レースが変わっただけで俺自身の行動同じやないか……!


 声なんて出るわけない。まだ抵抗していれば、差し返していれば声も出ようとするものだが、鞍上が鞭を入れても反応が希薄な3歳馬はやる気を喪失したようにその位置を下げてゆく。


 レースは中央馬を競り落として地元地方競馬所属の馬が真っ先にゴールラインを割った。20年ぶりの快挙だそうで、まさかそんな馬が中央馬相手に大立ち回りをやりのけて勝つなんて想像がつかなかった。


「はぁ……」


 所々から勝った!当てたぁー!と歓声が響く。しかし、半分以上の観客は、苦笑いか、悔しがるか、肩を落として帰路に就くか、だった。俺は、その半分以上の観客と行動を共にした。


 競馬場を出た俺は、階段を下ってその他大勢の敗残者と共に下り坂を歩いてゆく。昨日と同じ、夕日に照らされた敗残者たちはただ何もしゃべらずに黙々と近くの駅へと歩いていた。


 寒風が吹く。身に染みる。直接じゃないが、俺の財布の中にも氷点下の寒風が吹きすさんでいるだろう。


 ポケットに突っ込んでいるスマホが鳴動した。誰からと思ってみてみると井原──教え子からだった。


 LINEを開けた。彼女からのメッセージが目に入る。


『どうでしたか?』


 俺はすぐさま返信する。


〈撃沈した〉

『前走惨敗した馬から、ですか?』

〈まさかあそこまで脆いとは思わなかったよ〉

『ご愁傷様でしたね』


 文字だけの情報なのに、頭の中で彼女自身が文字を読み上げてくれる気分にさせてくれる。それだけでも、ほんの少しだけ惨めな気分が和らいだような、気がした。


〈今日はそっちは家の大掃除だったんだろ?〉

『ええ、でもレースまでには終わったので予想はしてました。本命は2着になった馬。勝った馬はパドックでの動きや右回りコース適性を見てひょっとして、と思って入れてました』


 彼女からの返信と共に、予想を記したメモ帳の一部と、画面の端に腕時計が写っている写真が添付されていた。時間は3時35分を指していた。


 彼女の予想は2着になった馬から、5頭ほどへ流し。その中に勝った馬の番号も含まれていた。そして、その相手先には俺の本命馬の番号はなかった。


〈当てたんかい……〉


 相変わらずそれを拾えるセンスがうらやましい、と俺は返信しながら、じゃあなぜ掲示板をやっと確保したくらいの順位になってしまった俺の本命馬を上げなかったか──俺はそのことをメッセージに書き入れた。


〈何でそれを外した?〉


 彼女からの返答はこうだった。


『前走、古馬とのレースで惨敗した若駒って体力は戻ってても心が回復するのに時間がかかると思ったので……。新聞では本命の印もついてるのもありましたけど、それはないんじゃないか、と思って外しました』


 お金がかかって無いとはいえ、よく外せるなぁ……センスが違うなぁ、と俺は駅への下り坂の人波の中で晴れ渡った空をふと見上げた。昨日と似たような、きれいに晴れた空。西には、やはり同じ茜色の光がその領域を広げようと勢いを増し、それに照らされた全てのものをその色に染め上げていた。


『先生、このレースにまさか生活費つぎ込んだとか……?』

〈ま、まだ大丈夫。何なら明日の競輪の大レースで取り返せるから〉

『何言ってるんですか。それじゃ先生ただのギャンブル中毒ですよ』


 競馬法違反してた女子高生から言われるセリフじゃねーな、と苦笑しながら、


〈いや、やめとくよ。俺もこれ以上生活費削るわけにはいかんし〉

『そうしてください。ギャンブルに凝り過ぎて警察のご厄介になったらシャレになりませんから』

〈わかったよ。それじゃ〉

『おやすみなさい、先生』


 互いに挨拶のスタンプを貼り付けて、二人の、文字だけの会話は終わった。


「はぁ……」


 ため息をついた俺は帰る人らの波の中に逆らうように立ち尽くし、再び頭上のきれいな空を見上げた。


「今年も終わっちゃうなぁ……来年はもうちょっとマシな結果にせんとなぁ」


 そうだ、正月明けの東西の名物レースこそ当てないと──俺の心は、既に来年を見据えていた。

 煩悩にまみれた願いと共に。


「さて、帰って年越しの準備しないと、な」


 俺は再び、駅へ向かって歩き出した。



【終】

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