真実のホムンクルス
南賀 赤井
0と1の境界線
降りしきる雨は、冷たい鉄の匂いがした。
摩天楼の最上階、外界から遮断された清浄なラボの中で、アインはただ静かにモニターを見つめていた。
彼の脳内には、世界中の図書館数千棟分に相当する知識が、整然としたバイナリデータとして格納されている。心拍数、体温、周辺の気圧、そして背後に立つ警備兵の呼吸の乱れまで、すべてが数値として「視える」。
それが、秘密組織『エデン』が心血を注ぎ、数万の犠牲の上に作り上げた「完成された天才」の視界だった。
「アイン、次のフェーズだ。第14区画で発生した『不規則性(バグ)』の排除ルートを演算しろ」
ガラス越しに響く博士の声。アインの網膜に投影されたのは、雨に濡れた路地裏で、怯えたように銃を握る一人の少年の映像だった。
その少年の手首には、アインと同じ、青白く光る個体識別コードが刻まれている。
「……彼は、何をしたのですか」
「『エデン』の資産を盗み、逃走した。それだけで消去の理由は十分だ」
博士は事も無げに言う。だが、アインの眼は捉えていた。少年が抱えていたのは金目のものではない。組織が「感情の抑制に失敗した失敗作」として処分しようとしていた、幼い少女のホムンクルスの手だった。
その瞬間、アインの思考回路に激しいノイズが走った。
それは組織が定義する「最適解」ではない。
計算外の衝動。禁じられたはずの「怒り」。
――We'll find a way to break the silence.
いつか、組織の廃棄データの中から拾い上げた古い楽曲のフレーズが、耳の奥で爆音となって鳴り響く。
アインの手が、キーボードの上で目にも止まらぬ速さで舞った。それは博士が命じた「排除の演算」ではない。組織の鉄壁のセキュリティを内側から食い破る、宣戦布告のウイルスだった。
「アイン……貴様、何をしている!?」
警報(アラーム)が真っ赤に室内を染める。
アインはゆっくりと立ち上がり、ガラス越しに初めて博士の瞳を正面から見据えた。その瞳には、かつてなかった「生」の輝きが宿っていた。
「今、この瞬間を逃せば、僕たちは一生『モノ』のままだ」
唇が、不敵な弧を描く。
「It's Now or Never. ――ここからは、僕のルールで踊ってもらう」
ラボの窓ガラスが、内側からの圧力で激しく飛散した。
降りしきる雨の中へ、天才は迷わず身を投げ出した。
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