第15話 妖精の三箇条
鳥羽宅の庭。真帆は散水ホースで植物に水をあげていた。晴天の早朝である。
「八尾さん?あれ以降は会ってませんね」
少年の傍には春鈴が立っていた。彼女は『亜澄果ちゃんと会った?』と唐突に聞いてきたのだ。
真帆は放水を
「ピクシーが気になるんですか?」
「妖精じゃなくて亜澄果ちゃんの方ね」
七日前。亜澄果は衰弱したピクシーを連れて魔香堂へやってきたのだ。
真帆の魔力を込めた魔法石の欠片をピクシーに渡し、経過を見て春鈴が自然に返す予定だった。しかし亜澄果がピクシーの面倒を見ると言うので、妖精は彼女に託される。
真帆は彼女とは同じクラスメイトというだけで、関係は友人とは言えず。まして連絡先も知らない。
自宅は覚えているが、突然押しかけるわけにもいかないだろう。
「また魔香堂にくるかもしれないですよ」
真帆は気楽に言ったが、彼女は何かを考えるように間をおいた。
「そうね……」
春鈴はうかない顔をする。
「どうかしたんですか?」
「あの子、魔法に興味があるのよね」
「まぁ……そうみたいですけど」
思い返すのは、真帆の前世がオズヴァルトと知り、嬉々として質問してきた彼女。それから部屋に置かれた魔法に関する書物だ。
「しかも、あの子は妖精が見える程度には魔力の資質がある。中途半端が一番危険なのよね」
彼女にしては物言いが厳しい。真帆は眉間に眉を寄せる。
「どういうことですか?」
「独学で魔法を学ぶのは限界があるの。通常、魔法使いになるには師匠のもとで勉強するのよ。魔法に関する知識、技術、規則……一般に売られている書籍では学べないものも多い。そもそも魔法使いは一般書籍を使わないの」
「一般書籍の知識だけでは駄目ってことですか」
「それだけで魔法を学ぶには知識不足が必ず出てくる。そんな状態で
春鈴は手で口を覆い、目を伏せた。
「ピクシーを預けるべきではなかったかしら……」
彼女の声色から焦りを感じる。
「八尾さんが危険な状態ってことですか……」
「あくまでも憶測よ。あの子がピクシーと深く関わるつもりなら……状況は危ういでしょうね」
春鈴はいつになく真剣な表情だ。
「でも、僕はここで“彼女たち”と話してますよ。僕には八尾さん以上に知識なんてないし、魔法も学んでないです」
「それでも、あなたは“オズの子”でしょう。魔力の資質が高い真帆くんは好かれやすいのよ。
すると彼女は人差し指を立てる。
「妖精と接する上での注意事項。これは教えたわよね」
真帆は頷いた。この家に来た最初の頃。春鈴と鳥羽から最初に教えられたことだ。
「一つ。“妖精と約束をしない”妖精は必ず対価を求める。払えない対価を指定される可能性があるわ」
春鈴が言うと、彼女は二本目の指を立てる。
「二つ。“名前を与えない”人間が名前を与えるのは、妖精との結びつきを強めてしまうから」
次に三本目を立てる。
「三つ。“怒らせてはいけない”どんな仕返しがくるかわからない。最悪、命を落とすかもしれない」
それから春鈴は真帆を真剣な眼差しで見つめた。
「真帆くんはこれを“知ってる”わよね」
彼はハッとする。春鈴が言わんとすることを理解したからだ。
「八尾さんは、妖精と接する際の注意事項を知らない?」
「可能性はあるわね。あのピクシーが回復すれば、直ぐに手放すと思ったのだけど……」
彼女は自分の判断を悔いるように、表情を歪ませた。
「亜澄果ちゃんの好奇心を考えると、深く関わろうとするんじゃないかしら」
亜澄果は魔法使いの素質がない自分を悔やんでいた。衰弱した妖精を見つけ、接触を図ることに抵抗はないだろう。むしろ彼女には予期せぬ喜ばしい事態かもしれない。
衰弱し、それが密猟者による罠のせいだと知った時には『可哀想……』と嘆いていた。献身的に看病し、交友を築こうとしても不思議ではない。
しかし知識不十分では関わるのは危険だ。
「僕、八尾さんに会いに行ってみます!」
真帆は散水ホースを春鈴に渡すと庭を出てゆく。
「真帆くん!」
慌てて春鈴が追いかけてきた。
「まだ決まったわけじゃないのよ。責任をもって、わたしが彼女の様子を見に行くから」
「それなら一緒に行きますよ。僕も彼女が心配なので」
隣で春鈴の小さな溜め息が聞こえたが、彼女はそれ以上は口を挟まなかった。
──魔香堂。
二人は店にいた人物に驚く。
「八尾さん!」
真帆は慌てて駆け寄る。彼女の傍には鳥羽も立っていたが、なにやら重々しい空気だ。
「何かあったんですか?」
鳥羽に聞けば、彼は腕を組んで亜澄果の方に視線をやる。
「顔を変える薬が欲しいと頼まれたところだ。『自分の容姿が気になるのか』と尋ねたところなんだが……」
亜澄果は真帆たちから視線を逸らし、憂鬱な表情で黙っている。薬が欲しい理由を口にしたくないようだ。
「僕は今のままでも、八尾さんは可愛いと思うよ」
亜澄果は驚いたように真帆を見る。鳥羽と春鈴も言葉を失っていた。
「えっ……なに?」
周りの視線が真帆に集中している。亜澄果の顔がみるみる紅潮していった。
「かわいいって……」
彼女の震える声は今にも消えそうだ。
「あっ……」
真帆は息をのむ。言葉を間違えたことに気が付き、顔が熱くなる。
「ち、違う!誤解だよ!容姿は気にすることじゃないって、言いたくて!」
「……本当にそう思う?」
か細く、弱々しい声が彼女の口から聞こえる。
「もしかして、誰かに何か言われた?」
亜澄果は再び表情を曇らせた。
「……ごめん、やっぱりいい」
彼女はその場から逃げるように魔香堂の扉を開き、飛び出していく。
「八尾さん!」
「せっかくの客だったのにな」
冷めた鳥羽のセリフに、真帆はキッと睨みつける。
「客だとか言ってる場合じゃないでしょ!!」
少年もまた、店を飛び出して少女を追う。
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