第3話 春を纏う魔女

 星が瞬く夜。一面に広がる白い花は月明かりに照らされ銀色に輝いて見えた。

 純白の衣装を纏い、とんがり帽子を被った魔法使いは三日月を見上げている。夜風に揺れる長髪は、まるで銀糸のように美しい。

 その魔法使いは何も喋らないし、こちらを見ることもない。声を掛けたくても声が出ない。真帆はただ魔法使いの背中を静かに見つめているだけなのだ。


──あなたは誰?


 声を出す代わりに、その背中へ手を伸ばした。それでも魔法使いには届かない。

 すると魔法使いはゆっくりとこちらを振り返った。帽子の大きなツバと、なびく髪のせいで顔はハッキリと見えない。前髪の隙間から見える瞳だけが鮮明に焼き付く。

 その瞳は自分と同じ色を持っていた。


──まさか……僕……?



 そこで真帆は目を覚ます。どうやら夢を見ていたようだ。


「またか……」


 謎の魔法使いが出てくる夢は、幼い頃から何度も見ている。

 ここ最近は見なくなったと思ったが──



 ベッドから体を起した。スリッパを履き、窓のカーテンを開く。朝の日差しが真帆の寝ぼけ眼を覚醒させた。

 窓から見える景色は昨日と変わらない。朝霧が薄らとかかり、緑の丘が遠くまで広がっている。庭の草花が朝日に照らされ輝いていた。


「イギリス。なんだよな……」


 この風景が、いま自分がいるのは日本ではないことを証明している。

 一階へ降りれば、焼けたパンの香りと温かなスープの匂いがした。それが真帆の鼻腔を刺激し、腹が空腹だと訴えてくる。


「おはようございます」


 ダイニングキッチンへ入り、コンロの前に立つ鳥羽へ挨拶すれば、彼は「よく眠れたか」と返してくる。


「はい。父さんと暮らしてたアパートでは布団でしたから──」


 途中で真帆は言葉を切った。

 ダイニングキッチンのテーブルに見知らぬ女性が座っていたからだ。


「だ、誰っ!?」


 驚いて飛び上がると、女性はくすくすと笑う。


「あなたが寝ている間に帰ってきたから、今日が初めて顔を合わせるわね」


 そう言って女性は椅子から立ち上がる。

 彼女はラベンダーの瞳をしており、桃色の髪は三つ編みでまとめられていた。その外見だけでも奇抜に見えるが、紫のチャイナドレスという、イギリス住宅には不釣り合いな服装である。


「わたしはシュンリン。春に鈴と書いて春鈴シュンリンて読むの。わたしもこの家に暮らしているのよ。これからよろしくね、真帆くん」


 自己紹介を終えると春鈴はにっこりと微笑む。


「よ、よろしくお願いします……」

(女性と一緒に暮らしてたの!?)


 思わず真帆の心の声が漏れてしまいそうだった。昨日は同居人がいるなんて聞かされていなかった。突然現れた春鈴という女性に動揺を隠せないでいる。

 鳥羽はフライパンを持ってくると、野菜がのったプレートにベーコンエッグをのせていく。春鈴は鳥羽に顔を向けた。


「やっぱり、わたしのこと話してなかったのね。驚いてるじゃない」

「忘れていた」


 そう答える鳥羽はそっけない。

 彼の態度にため息をつきながらも、春鈴は真帆に向き直る。


「ごめんなさいね、こういう人なの。直ぐに慣れるわ。それより朝食にしましょう。真帆くんも座って」


 春鈴は自分の向かいの席を指さし、動揺しながらも真帆は指定された席へ座る。

 真帆に続いて春鈴が着席し、鳥羽は春鈴の隣の席へ。

 テーブルには三人分の朝食と真ん中に一つのバスケットが置いてある。バスケットには焼きたてのパンがいくつか入っていた。

 鳥羽と春鈴が両手を合わせれば、真帆もそれに習う。


「いただきます」


 真帆はこの家に来てから初めての朝を迎え、最初の朝食をとった。



 朝食後。真帆と春鈴は二人並んで庭を見て歩いていた。ピンクのバラが咲くアーチをくぐる。


「イングリッシュガーデンっていうのよ。こうして広い敷地に庭を作るの」

「こんなに広い庭を春鈴さんがひとりで?管理するのは大変じゃないですか」


 鳥羽の家の庭は春鈴が管理し、植物を育てているという。


「でも、好きでやってるの。それに魔法薬に必要な植物は自分で育てたほうがいいでしょう」


 二人は庭の中にあるガゼボまでたどり着いた。

 真っ白なガゼボの中には円形テーブルと三脚の椅子が用意してある。


「春鈴さんは鳥羽さんのお店を手伝っているんですよね。二人は結婚されてるんですか?」


 それを聞いて春鈴はポカンと口を開けた。


「えっ、違うんですか?」


 すると「あははっ!」と春鈴は声を出して笑う。


「そうね、そう思うわよね。わたしは鳥羽さんの弟子みたいなものなのよ。一緒に暮らしてはいるけど、真帆くんが思っているような関係じゃないわ」


 まだ笑いが絶えないのか、彼女はくすくすと笑っている。


「どうりで、朝食のときに気まずそうな顔していると思った」


 彼女は目尻の涙を指で拭った。


「失礼。だから真帆くんは気をつかう必要はないの。恋人の仲でもないから、家では自由に過ごしてくれて構わないし、何かあればわたしの部屋を訪ねてくれても構わない。あなたのもう一つの居場所だと思ってよ。そのほうが、わたしも嬉しいから」


 自分が歓迎されていることに真帆は安堵する。彼女から感じられる雰囲気そのままに、優しい女性だった。


「ありがとうございます。改めてですけど、お世話になります」


 真帆は頭を下げ礼を言う。


「いいのよ。それより……」

「……?」


 頭をあげると春鈴は不安げな表情を浮かべていた。


「鳥羽さんは少し……気難しい人なのよ」


 春鈴が申し訳なさそうに言うので、真帆は苦笑する。


「それは、なんとなく感じてますよ。笑ったりしますけど、普段は仏頂面って感じだし。僕のことは会ってからずっととかて言って、名前で呼ばないですからね」

「あの人は人付き合いが上手くないのよ。真帆くんには暫く迷惑をかけるかもしれないわね」


 まるで春鈴が鳥羽の母親のようだ。自分の息子が、息子の友人と仲良くできるか心配をする母のようで。それが少し可笑しかった。


「鳥羽さんは人付き合いが苦手でも、お店を経営してますよね。今日だって鳥羽さんが店番をしてるんでしょう?接客ができるなら、あまり問題ない気はしますけど」


 真帆にはバイト経験がなかった。真帆の学校では一年生は、三ヶ月間はバイト禁止という校則がある。バイト禁止期間が過ぎて早速バイトを始めた同級生から話を聞くに、居酒屋でバイトをしているが、職場の人間関係や接客が大変なのだと言っていた。

 鳥羽が問題なく店をまわしているのなら、対人関係に関して問題はないように思う。

 しかし春鈴は渋い顔をしている。


「……そのうち、わかるわよ」


 どうやら春鈴を悩ませるほど問題がある男らしい。と真帆は察したのだった。

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