魔導師の弟子

あぐつ

第一章

第1話 碧い瞳の少年

 七月二十五日、晴天。今週は昨年の記録を上回る猛暑日となった。

 進堂真帆しんどうまほは荷物が限界まで詰め込まれた大きなキャリーケースを引きずっている。アスファルトで転がされるキャリーケースのタイヤは、ゴロゴロと音を鳴らしながら走っていた。

 真帆は高校一年生の夏休み真っ只中。四日前に十六歳を迎えたばかりの少年だ。明るい茶髪に、海のような碧い瞳をしている。

 横断歩道の青いランプが点滅し、赤色に切り替われば真帆は立ち止まった。額から流れる汗を腕で拭う。


「暑いな……」


 誰に言うでもなく、ひとり呟く。

 少年と同じく行き交う車を眺めている他の歩行者も同様に汗を拭ったり、扇子で仰ぐなどして、耐え難い太陽の日差しにうんざりしているようだ。

 信号待ちの間、ふと隣に誰かが立ち並ぶ気配に、隣を見上げた。

 そこに居たのは真帆より背丈が高く、からすのような黒髪に深紅の瞳をした青年だ。耳につけた赤い三角形のピアスが夏風に揺れている。

 その柘榴ざくろのように熟れた赤い瞳に不思議と惹きつけられた。燃えたぎる炎に引き寄せられるかのような感覚。


(綺麗な目だ。赤い目って初めて見た)


 すると真帆の視線に気が付いた青年がこちらへ顔をむけた。慌てて深紅の瞳から視線を逸らし、赤ランプが点滅する信号機へ向き直る。

 横断歩道の信号機が青色へ切り替われば、歩行者は一斉に横断歩道を渡り始めた。真帆も重いキャリーケースを引きずりながら、急ぎ足で周りに続く。



 歩道の脇道。日陰へ移動するとズボンのポケットから一枚の名刺を取り出した。その名刺の表には【魔香堂】と書かれたロゴ。裏には簡易的な地図が載っているだけ。

 お店の名刺のようだが住所や電話番号、営業時間などの記載はない。


「この辺りの道で合ってると思うんだけどな。どこの道を行くんだ?」


 真帆は眉間に皺を寄せながら、名刺に記載された地図を何度も角度を変えて現在地と照らし合わせる。

 商店街の入り口の側で名刺と睨めっこすること数十秒。


「迷子かな」


 優しげな声色に真帆は顔をあげた。声の持ち主は、先ほどの深紅の瞳を持つ青年だ。赤いピアスが陽の光に照らされて輝いている。

「あっ……」と思わず目を見開いて声を漏らした。


「観光客か。美術館ならこの先だし、庭園ならあのバスから乗って行く方がいい。城なら庭園の近くだから、庭園へ行く先と同じバスに乗るんだな」


 青年は夏休みという時期と、真帆が持つキャリーケースを見て観光客だと判断したのだろう。説明しながら青年は道を指す。しかし真帆は目をぱちぱち瞬きさせると首を横へ振った。


「観光客じゃないです。お店を探していて……ここなんですが」


 手に持ってた名刺を青年へ渡せば、彼は無言で名刺と真帆の顔を交互に見る。


「君、名前は?」


 その声色は冷静で無感情のまま。しかし、その瞳には真帆への好奇心が向けられているようだ。

 突然の問いに戸惑いながら答える。


進堂真帆しんどうまほです」

「……なるほど」


 青年は腰に手をあて、何か納得した様子。だが真帆は怪訝な表情を浮かべた。


「私が案内しよう。着いてくるといい」


 そう言いながら青年は商店街の中へ入っていくのだ。

 首を傾げながらも真帆は彼の後を追うことにする。



 賑わう日中の商店街で、真帆は青年の後ろを着いて歩いた。


「君は運が良かった。なかなか辿り着けなければ迎えを寄越しても良かったがな」


「そうなんですか」と相槌を打ちつつ、対向する人混みを避けていく。

 すれ違う人たちは殆どが観光客で、なかには外国人も混じっていた。店のあちこちでは呼び込み店員の大きな声が響き渡っている。


「こっちだ」と青年は商店街の脇から外れる細い道を指した。

 商店街の喧騒は遠のいてゆき、静かな町中へと入ってゆくのだ。そして入り組んだ暗い路地裏へと導かれ、真帆の不安が次第に募ってくる。

 自分から着いてきたものの、この青年が信用に足る人間なのだろうか。このまま着いて行って事件にでも巻き込まれでもしたら?

 暗い路地裏を歩きながら、そんなことを頭の中で考えてしまう。


「あの、本当にこの道で合ってますか?」


 恐る恐る聞けば、青年は答えないまま立ち止まって振り返る。

 路地の突き当たりを指で指すのだ。青年の背後の先には黄色の扉が一枚。灰色の景色の中で、それは異質なほど際立っている。


「あそこが……?」


 聞くが青年は真帆に答えず、黄色の扉へ足速に向かう。


「ほら見たまえ。魔香堂まこうどうと書いてあるだろう」


 青年が指差す先。扉の上にかけてある木製の看板。そこには確かに“魔香堂まこうどう”と書かれていて、名刺と同じロゴだ。

 真帆は辺りを見渡した。いま自分たちがいるのはコンクリートの壁に囲まれた袋小路で、見上げれば雲のない青空が広がっている。

 陽にあたる黄色の扉は、まるで人からも街からも遠ざかるかのように、ひっそりと息を潜めて存在しているかのように思えた。


 「入らないのか」


 青年は店の扉を開けて待っている。真帆はキャリーケースを引きながら店内へ入った。

 淡い暖色の照明、天井から吊り下げられた観葉植物。アンティークな雑貨が置かれている。

 棚やテーブルには大小様々な瓶が並んでいた。大きな瓶には植物、キノコ、木の実など種類ごとに分けて詰められている。小瓶には青や緑、赤などの毒々しい色の液体が入っていた。

 ふわりと薬品の匂いが漂い、それが店の不思議な雰囲気を際立たせているようだ。

 静かな店内に違和感を覚える。店は開いているのに人の気配がない。


「店員さんがいませんね。どこにいるんでしょうか。僕、ここの店主に用事があったんですが」


 二人の客がやってきたというのに、店員は誰ひとりとして顔を出さない。


「まだ気が付いてないのか?」


 青年は真帆の横を通り過ぎると、カウンターを背に寄りかかり、こちらに体を向けて腕を組む。


「私がこの店の店主。鳥羽眞人とばまことだ」


真帆は目を丸くした。


「あなたが、鳥羽眞人とばまことさん!?」


 鳥羽は真帆が仰天しているのを他所に話し始める。


「君の父親から話は聞いている。海外赴任が決まり、ひとりになる息子を預かって欲しいとな。息子の話は何度も聞いていた。だから街で見かけたときに“もしや”と思い、声をかけたんだ」


 鳥羽はカウンターから離れると近付いてきた。顎を少しあげれば視線が交わる。


「茶髪に青い瞳。その容姿では人ごみの中でも目立つだろう」


  反射的に顔を背け、鳥羽の視線から逃れた。あまり容姿について触れられるのは好きではない。


「君はここがどういう店かわかるか?」


 唐突に鳥羽は聞いてくる。真帆は一つだけ予想がついていた。

 瓶に詰められた植物に、小瓶に入った謎の液体。充満する薬品の香り──


「薬屋ですか?」


 真帆はそっと顔をあげる。

 すると鳥羽は嬉しそうに目を細めた。


「そう。ここは薬屋。ただし売っているのは普通の薬ではない」


 彼は腰に手をあて、得意げな顔で言う。


「ここにあるのは“魔法薬”だ」


 真帆は再び目を丸くした。


「魔法薬……それじゃあ、鳥羽さんは!」


 鳥羽はニヤリと口角を上げる。


「改めて紹介させてもらおう。私は魔法薬店【魔香堂まこうどう】の店主、鳥羽眞人とばまこと。そして───」


 彼は声高らかに胸を張り、天井からスポットライトを当てられた役者のように腕を大きく広げた。


現代いまでは希少高き魔法使いで魔導師だ!」

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