第3話 堕天使の鉄槌(ルシファーズ・ハンマー)
思考よりも先に、怒りが体を突き動かす。 咆哮と共に、ベルゼに殴りかかる。
当然のごとく、無謀な突撃は容易にいなされた。
「フンッ、バカが。お前は進歩しねえな」
ベルゼは侮蔑を込めて鼻を鳴らす。 いつもの魔法の矢ではなく、つがえたのは冷たい鋼の鏃(やじり)。
肉が裂ける湿った音。 太ももを貫通する熱い衝撃。
「ぐぅっ……!」
両脚を正確に射抜かれ、その場に崩れ落ちる。 脳髄を走る、焼けるような痛み。
ベルゼは、這いつくばる俺を見下ろし、ペッと唾を吐き捨てる。
「厄介だからな、お前は。女神の恩寵のおかげで、破魔の力を宿す肉体には一切の魔法が効かねえ」
「物理攻撃で仕留めなけりゃいけねえ!」
「なんでまた、女神様はこんなクズをお気に召したのか、まったくわかんねえな」
ベルゼは苛立ちを隠そうともせず、兵士たちに捕縛を命じる。
「武力ならライザ、魔力ならダルク。お前は運だけは最強ってか? まったく呆れるぜ」
つまらなさそうに煙草を吹かすベルゼ。 そこへ、異変を察知したライザが駆けつけてきた。
兵士たちが、腕をねじ上げようと手を伸ばした──その時だ。
とっさに腰の鞄へ手を突っ込み、冷たい感触を鷲掴みにする。 二丁の相棒。 迷うことなく引き金を絞り、虚空へ向けて撃ち放つ。
乾いた破裂音が、三度。
黎明の静寂を切り裂き、立ち込める硝煙の匂い。 兵士たちは一瞬硬直するも、すぐに手元を見て浮かべる嘲笑。
「なんだこいつ、いったいどこに向かって撃ってやがんだ?」
だが、遠巻きで見ていたベルゼの顔色だけが、蝋人形のように変わっていた。
「嘘だろ、没収して封印したんじゃなかったのかよ!?」
「やべえ! 聞いてないぜ! 逃げるが勝ちだぜこりゃ」
認識した時には、既に終わっていた。
何もない空間から降り注ぐ、死。
虚空へ消えたはずの三発の弾丸。 それらが物理法則を無視し、ベルゼの肉体を捉える。 利き腕、右脚、左脚。 弾丸は正確に骨を砕き、肉を抉って貫通―。
「ぐはっ! クソが、舐めやがって!」
血を噴き出しながら崩れ落ちるベルゼ。 兵士たちは、目の前で起きた不可解な現象を理解できずに、ただ立ち尽くしていた。
「お前ら! 早く逃げろ!」
ライザの叫びが遅れて響く。
魔力も剣術もからっきしなのに、どうして勇者になれたかって? 別に心が清いとか、女神に愛されているとかじゃないぜ。 答えはいつも単純。 ただ、この世界で最凶なだけだ。
ベルゼの体を食い破った弾丸は、勢いを殺さず背後の兵士三人の眉間を穿つ。
折り重なるように倒れ伏す兵士たち。 何が起きたのか理解する間もない――絶命。
「お前は忘れたのか、奴の怖さを! 時空を支配する力を!」
苛立ったライザが、悲鳴を上げるベルゼに吐き捨てる。
「分かってるよ! そんなの!」
ベルゼは脂汗を流しながら叫ぶ。
「でもよぉ、ダルクがちゃんと封印と鍵を何重にもかけたって言ってたんだよ!」
「まさか、奴の拳銃が! 『ルシファーズ・ハンマー』がここにあるなんて、夢にも思わなかったんだよ!」
ライザは、恐怖に震えるベルゼを見下ろし、冷徹に告げる。
「立て、ベルゼ」
「えっ!?」
ライザの視線は俺に固定されている。 神剣デュランダルを正眼に構え、殺気を練り上げていく。
「もう一度だけ言うぞ。ここで死にたくなければ、立て、ベルゼ!」
ベルゼは覚悟を決めたように、震える手で自らの傷口へ焔の矢を押し当てた。 肉が焼ける嫌な音と共に止血する。
「うぅぅ、畜生、痛えぇ!」
「もう少しで、ダルクが手勢を率いて来る」
ライザは、一瞬たりとも目を離さない。
「それまで何とか持ちこたえるぞ」
「ロアンもこちらへ向かっている。傷はその時に癒してもらえ。それまで耐えろ!」
「弾が来るぞ!」
ベルゼが弓を構えるが、その手は怯えで震えが止まらない。
「いいか、ベルゼ! 奴の時空を支配する力は、無限じゃないし、完全でもない!」
ライザは鋭く看破したように叫んだ。
「一種のトリックのようなものだ!」
それを聞き、口角を歪めて嗤った。
「言ってくれるね。俺の『キング・オブ・ディメンジョン』は、弾丸に空間座標を記憶させ、物理的な障害を無視して必中させる」
二丁のリボルバー。 その撃鉄を起こす。
「次元の裏側を通って、お前たちの喉元へ届く死の招待状だ」
さて、躱せるものなら、避けてみな。
「やってみせろよ!」
「行くぜ! キング・オブ・ディメンジョン!」
轟音が、炸裂した!
魔銃が火を噴き、空気がびりびりと震える。 三発、さらに三発。 連続で引き金を絞り、全弾を虚空へと叩き込んだ。
放たれた九発の凶弾が、次々と空間の歪みへと消えていく。
ライザはあえて目を閉じ、すぅーっと深く息を吸い込んだ。 視覚を捨て、気配だけで空間を捉える構えだ。
次の瞬間。 全方位、あらゆる死角から、タイミングをずらして弾丸が襲いかかる。
ヒュッ。 不可視の弾道が、ライザの頬を切り裂く。
「ひぃッ」
ベルゼは悲鳴を上げて頭を抱える。
「動くな!」
カッと目を見開くライザ。
走る剣閃。
金属が弾ける甲高い音が連続して響き、散る火花。 神速の剣技が、空間から飛び出した弾丸を次々と叩き落としていく。 最後の弾丸を弾き飛ばし、ライザはふぅーっと息を吐き出す。
「さすがは『閃光の剣神』。その二つ名は伊達じゃないな」
「フンッ、バカが」
ライザは冷たく言い放つと、デュランダルの刀身を一瞥する。 刃こぼれ一つない。 彼女は勝利を確信したかのように、酷薄な笑みを浮かべる。
「所詮、目標物が定まっていれば、神経を集中させて迎撃するなど容易いこと」
「からくりが分かれば、どうということはない」
「そもそも、貴様のような劣等種風情が、たまたま女神に気に入られただけで、飄々と勇者を名乗ることなど断じて許されないのだ!」
ライザは激昂と共に、切っ先を俺に向けた。
「今すぐ貴様を斬り刻んでやる。黙って大人しく死ね」
「断る」
短く答えた。
ズドンッ。
背後で、肉が弾ける湿った音。
凍りつくライザの表情。 背後から穿たれた利き腕。 噴き出す鮮血。
「がっ……!? し、しまった。不覚……!」
苦悶に顔を歪めるライザ。 空高くに撃った一発だけ、次元の狭間に留めておいたのだ。
他の八発はすべて、この一発を叩き込むための、派手な囮に過ぎない。
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