第9話 シェリルの指導

 数日後の早朝、いつもの小広場に、リィナとシェリルの姿があった。

 リィナが懸命に歌を歌っている。と、シェリルがパン!、と手を叩く。

「一度止めて、リィナ! ワンテンポ遅れているわ! いったん休憩にしましょう」

 リィナはその場に座り込んだ。ハアハアと、呼吸が荒い。

「体力が課題ね、リィナ」

 シェリルが指摘する。

「はい、すみません、シェリルさん」

 息を整えながら、リィナが応じる。

 リィナが落ち着くのを待ってから、シェリルは口を開いた。

「そうだ、リィナ。いつか貴方に聞かれた自信を持つために必要なもの──今、教えておくわ」

「本当ですか!」

 リィナは目を輝かせ、立ち上がってシェリルを見つめる。

「自信を持つために必要なもの──それは、“経験”よ」

「経験、ですか?」

 シェリルは強く頷いた。

「すぐには上達しなくてもいい。とにかく歌うの。できれば誰か、他の人の前で。一人でも多くの人の前で。その経験、積み重ねが、貴方に“自信”をくれるわ。歌い続けている内に、自然にね」

「自然に……」

「……そうだ。今度、この小広場で、観客を集めて歌ってみなさい。お客様は、歌い手にとって一番の先生よ」

 シェリルが断言する。

「でも私、自信が……」

 つい、弱音を吐くリィナ。

「だからこそ、自信をつけていくために歌うのよ!」

 シェリルが励ます。

「はい、シェリルさん!」

 リィナの青い瞳に、少し力が宿った。それは少女にとって、“自信”の芽生えなのかもしれなかった。


 そして、その日がやってきた。

 日時を指定して、リィナが歌を披露することを周囲に告知した、ライブの当日。

 会場の小広場には、村中の人間が集っていた。

 舞台袖で、リィナは震えていた。

 少女の肩に、シェリルがそっと手を置いて叱咤する。

「大丈夫よ、リィナ。いつも通りに」

「はい……」

 そして、約束の刻限がやってきた。

 シェリルに背中を押されて、リィナは舞台に上がった。

 舞台の中央に立ち尽くし、緊張で何も声に出せないリィナ。

 そんな彼女に、シェリルの強い声が飛ぶ。

「リィナ、落ち着いて! 誰にだって最初はあるわ! でも、舞台に立った以上は歌うしかないの。その場所から逃げずに歌い続けて、そして強くなるのよ!」

 シェリルの言葉で、リィナは冷静さを取り戻した。深く息を吸い、吐く。

 そしてもう一度、深く息を吸うと、青い髪と赤い瞳をした少女は、静かに歌い始めた。

「──!」

 聴衆は、耳を疑った。

 奇跡のような歌い手だった。

 高過ぎない、心地良い声質。音律を自在に操る技量の高さ。声量と細部の音感に、まだ少し課題はあるけれども、間違いなく、多くの人々を魅了してやまない、類稀な歌い手だった。

 一心不乱にリィナは歌い続ける。懸命に、精一杯、力の限り。

 そして、全ての曲が終わった。

 リィナは息を弾ませながら、観客の反応をうかがう。

 拍手をするのも忘れるほど、聴き入っていた彼ら、彼女らは、慌てて大きな拍手と歓声で、少女の熱唱に応えたのだった。


 観客が帰った後の舞台に、リィナとシェリルは背中を合わせて座り込んでいた。

「今日は良くやったわ、リィナ」

 シェリルのねぎらいが、リィナには何よりのご褒美だった。

「階段を一段、登った貴方に、もう一つ教えておくわ。

 いい、リィナ。楽曲には必ず物語があって、主人公がいるの。だから、基本的には、その楽曲の主人公になった気持ちで歌詞の意味を捉えて、感情を表に出して歌うのよ。“もし主人公だったら……”ということを、常に意識して」

「はい、シェリルさん」

「それからね」

 シェリルは話し続ける。

「夢って、口に出したり人に話したりすると、叶いやすくなるの。ただし、口に出すときは、“やりたい”じゃあなくて、“やる”って断言すること。失敗したら恥ずかしい思いをする、なんて考えないで、“やるしかない”って自分を信じるの。自信と勇気を持つのよ」

「わかりました、シェリルさん」

「そうすれば、貴方はこの世界で、唯一無二の歌い手になれるわ」

 シェリルの温かな助言は、リィナの胸を熱く満たしてくれた。

 リィナにとって、シェリルは亡くなった養母の次に、愛しい女性だった。いつまでも、自分を導いてほしいと、リィナは願った。

 けれども、その願いは、結果として叶わない。

 この日から約一年後に、シェリルはこの小広場で命を落とす運命にあったのだ……。

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