予告だけが映る
ナガイエイト
第1話
カーテンの隙間から漏れ入る光が朝を知らせる。
鳥の囀りも、小学生の笑い声も聞こえない。壁掛け時計の音だけが耳へ届く。
寝台から体を起こし、眦に付いた涙を拭う。気持ちはどうも晴れやかでない。
カーテンを開けることなく身支度を始める。細い光が漏れ入る部屋の中、特別手間取ることもなく着替え終わり、昨日と重さの変わらないカバンを持つ。そのまま洗面所へと向かい、洗顔と歯磨きを済ませる。ぐぅと鳴るお腹をさすりながら玄関へと向かい、艶の無くなった黒いローファーを履く。そのまま誰もいない部屋へ背を向けたまま、玄関の扉を押した。
カーテンを開けずに身支度をしていたため、視覚は太陽の光に対して不適応だった。
目を細めて見る世界は今日も変わりない。
団地の駐輪場。そこに停めている自転車へ跨る。鍵は失くしてしまった。こんな平和な街だ、自転車を盗むような奴はいないと信じているからこそできることだ。
通学路の道中にある商店街。自転車を降りて押しながら歩く。点々と位置する柱には、近日開催と書かれた商店街で行われる行事を知らせるポスターが貼られている。開催時期はもうずっと昔だ。
商店街を抜けると、道は途端に広くなる。車の通らない時間帯の道路は、いつもよりもひび割れた箇所が目立って見えた。
もう一度自転車へ跨り、ペダルを踏む。風が頬を撫でる。速度は上げない。ゆっくり、ただ走るために漕ぐ。到着しなくたっていい。でも、いつかは到着してしまう。
正門をくぐり、駐輪場へ自転車を置きに向かう。駐輪場はがらんとしており、誰の声も聞こえない。手で押しながら、いつも通り駐輪場の一番奥の位置に停めてある自転車の隣に停めた。勿論鍵など持っていないので、かけることなく校舎内へ入る。
向かう先は視聴覚室だ。
向かうまでの道中、引き戸の開いた教室をいくつも横切った。カーテンは外されており、机の上に逆さにされた椅子が置かれている。綺麗に整えられたその教室内からは、青春というものを一つも感じられなかった。
視聴覚室の扉は今日も軽い。部屋の中は、今日も静かで、光を抱いた埃だけが舞いて浮かんでいた。机の上に置かれたカメラも、椅子の上に畳まれて置かれた三脚も、綺麗にされているが使用された形跡が見られない。
映画を撮る人間に映画を撮る気がないのだから、それは当然と言えた。
ノートをカバンの中から取り出す。中には、この町を題材とした映画の脚本が書き込まれている。この、終わりへと向かう町の記録として残そうとした映画。
母の顔が浮かぶ。「この町が好き?」そう問われたけれど、答えなかった。もし好きだとしても、だからといって、この町の映画を作ろうだなんて思えない。もし、それを作ってしまうと、ほんとに終わってしまう気がしてしまった。
机の上のカメラを手に取り、レンズキャップを外してすぐに戻す。確認だけだ。それでも気が変わるかもしれないから、その時のための確認。
日が沈むまで、視聴覚室の中で過ごすと決めていた。何をするでもなく、ノートをペラペラと捲りながら、この町のことを想いながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。他の生徒は今頃授業を受けている時間帯だ。
昼休憩になり、いつの間にか空腹感を忘れていたお腹が、チャイムの音を機に思い出したかのように鳴り始めた。けれど、お弁当もお菓子も持ってきていないので、またお腹が空腹感を忘れてくれるまで耐え忍ぶしかなかった。
そう覚悟した瞬間、視聴覚室の扉が開いた。
「来てるなら教室に来ればいいのに」
数少ない同級生で、同じ映画研究部の詩西メイだった。彼女は校則で規定されているスカート丈よりも遥かに短いスカートを履いており、白い脚を曝け出している。全体的に華奢な体つきで、少々心配になってしまう。その反面で溌溂とした性格が体型と不釣り合いで面白い。
「映画、やっぱり撮らないの?」
詩西は机の上に広げられたノートに目を向けて聞いてくる。
「詩西は撮りたいの?」
「詩西って呼ばないで、メイちゃんって呼んでよ」
「そんな関係性じゃない」
「そうかな?あたしたちって3年間同じ部活で、2年生からは2人きりで、むしろこの学校の誰よりも仲良いと思うけど?」
「………撮らないよ」
答えを聞いた詩西は、小さく息を吸い込んだ。そんな音が聞こえてしまうくらい、この学校は静かだ。
今の三年生の代で、この高校は終わりを迎える。
詩西は扉に手をかけたまま視聴覚室には入って来ない。彼女との距離は、きっと「メイちゃん」などと呼べない程の距離を保ったまま、変わることはなかった。
「町の人はさ、みんな喜ぶと思うんだ。テレビでも『過疎化が進む、終わりへ向かう町』なんて紹介されてさ、活気がなくなっていく町を見てさ、みんな寂しがってる。でも、この町を一生の記録として残す映画を作ってあげたら、みんな喜ぶと思う」
言い分は分かる。当然、そのことは何度も思い至った。乾いた唇を舌で舐めて湿らせる。視線を机の上に置かれたカメラへ向けた。
「撮ったらさ、この町が本当に終わる気がするんだ」
詩西は首を傾げる。
「だからでしょ、高校も商店街も町も、だから撮るんでしょ」
正論で、恐らくはそれがこの町の総意だ。この町に暮らすみんなが、きっとそれを願っている。けど。
ノートを閉じて、背表紙を指で叩いた。気づけばそうしていた。
「終わるって決まってるから撮るってさ、撮る側が先に終わらせてる感じがして。嫌、なんだ」
詩西は視線を上げて、視聴覚室の奥にある窓、その外を眺める。分厚い遮光カーテンが開けられたその窓の向こうには、一年生の春にこの部屋へやってきたときと変わらない景色で、それはその次の日も、その次の月も、その次の年も変わらなかった景色。
「みんな喜ぶよ。最期を迎えるかもしれない町の映画を、最後の生徒のあんたが撮ったら、なんていうか、ちゃんとしたのになると思う」
ちゃんとした終わり。ちゃんとした感動で、ちゃんとした拍手で、エンドロールを迎える。そんなちゃんとした終わりなら。
「ちゃんとしなくていいよ」
詩西はその言葉を聞いて、少し驚いた顔をした。けれど、それから顔を綻ばせ、笑った。
「変なの」
「ごめんね」
「お詫びにメイちゃんって呼んでよ」
「詩西」
「意気地なし」
◆
彼女はそれからも視聴覚室に入ってくることもなく、廊下と視聴覚室の境界線上で話し合い、お昼休憩の終わりを告げるチャイムと同時に、教室へと戻っていった。
彼女の声と、静かな音を立てて閉まった扉の音がしばらく頭の中に残った。
日が傾く。机の上に置かれたカメラの影が伸びる。
気づけば放課後になっていた。まだかろうじて部屋の中が見える頃まで視聴覚室に居座ったが、詩西が再度やってくることはなかった。宙を舞っていた埃も光を手放し、その存在感をかき消していた。
ノートをカバンに戻し、立ち上がり、椅子を机の下に戻す。きちんと揃える必要もないが、乱す必要もないのであれば、揃えた方が気分的にいいから。それに、どうせこの部屋は他に誰かが使うこともないだろうから、本当にどちらでもよかった。
廊下に出る前に、もう真っ暗で見えなくなったカメラと三脚を見る。彼らは今日も何もできなかったと、悲しんでいるだろう。役目通りに使ってやれなくて、本当に申し訳なく思っている。
校舎内はもう空っぽだった。どこへ行っても闇ばかりが続く。長く居る意味もないので昇降口で靴を履き替えて駐輪場へと向かう。
案の定、自転車は盗まれていなかった。けれど、朝と少しだけ違うところがあった。右側のグリップに、「この町は好き?」と書かれたピンク色の付箋が貼ってあった。筆跡には見覚えがある。
貼られた付箋を剥がして返事を書いてから、その付箋をまだ停めてある隣の自転車のハンドルに貼り付けた。
自転車を押しながら駐輪場を出る。サドルへ跨り、ペダルを踏みつけ、風を浴びる。
流れる景色。首を捻り校舎を見れば、視聴覚室の電気が点いていた。そこから視線を外し、前を向いた。
朝来た道を戻る道程。相変わらず町は静かで、光もまばら。
商店街の柱に貼られたポスターが夜風に揺れている。近日開催。未来のまま、過去に取り残された言葉。ペダルを漕ぐ。
団地に着く。自転車を駐輪場へ停める。部屋の明かりは点いていない。母はまだ帰ってきていないようだった。階段を登り、鍵を開ける。流石に平和な町と言えど、玄関の鍵はかけている。けれど、これが必要なくなる日も来るのかもしれない。
扉を開けると、自宅の香りが身体を包んだ。電気を点けないまま、自室へ向かい、重さの変わらないカバンを床に置いて、寝台へ倒れこむ。
何も足すことのない一日が、またこれで終わる。
カーテンの隙間からは、月光が細く入っている。朝の光とは違う色。
体を仰向けにして寝転がると、その光が目を突き刺した。
ひどく眩しいから、腕を伸ばして隙間なくカーテンを閉め切った。
町は今日も終わらなかった。
終わらせなかった。
始まりもしなかった。
撮影は始まらない。対立も激化しない。説得も和解もなく、成長の兆しもない。
物語における起承転結は、何も起こらなかった。起承転結を描くためのことを、何もしなかった。
何もしない。そうすれば終わらないから。
そう願って、変わらない明日を迎えるために目を閉じた。
予告だけが映る ナガイエイト @eight__1210
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