全て点数が出ればいいのに

やさい

全て点数が出ればいいのに

一年前、電子ドラムを購入した。会社の同僚が「ぼっち・ざ・ろっく!」の影響でバンドを組みたいと言い出し、ドラム役がいないからぜひどうだと誘われたためだ。一生続けられる趣味を探していた私としても吝かではなく、二つ返事で了承し、その日中にネットで20万円する電子ドラムを分割払いで購入した。非常に高い買い物だが、一生楽しめると考えれば安いと思った。

購入してから数か月の間は熱心に練習をして、私にドラムを勧めた同僚とスタジオに何度か足を運んだ。しかしその熱はだんだんと冷めてきて、今ドラムは私の部屋の隅で埃を被り、椅子の上は物置にされている。


一年前、ゴルフを始めた。大学時代の友人が最近打ちっぱなしにハマっていると聞き、一緒に行こうと誘われた。小さいころから野球を続けている私にとって、ゴルフは多少の興味があった。初心者向けの格安ゴルフセットを購入し、練習場へ通い始めた。数か月後にはラウンドデビューし、結局ほとんどのゴルフクラブは新しいものに買いなおし、一年経った今でも週一回以上の練習場通いと月一回程度のラウンドを楽しんでいる。


この結果についてパッと考えると、単純に「私にとってドラムよりもゴルフの方が面白かった」となるが、なぜだろうか。


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格闘ゲーマーのウメハラ氏は、自身の講演の中で「ゲームに飽きたんじゃない、成長してない自分に飽きてる」と言った。蓋し名言であると思う。では私は、ドラムの成長は止まってしまい、ゴルフは成長し続けていたのだろうか。

多分、そんなことはないと思う。どちらも「成長」はしていた。ドラムは叩ける曲が増え、ゴルフは月一ラウンドのスコアが少しずつ良くなっていった。

それでも片方はやめて、片方は続いている。

では成長しているのに、なぜドラムに飽きてしまったのか。ゴルフとの違いは何なのだろうか。

その違いを考えていくと、一つだけ決定的な差に行き着いた。「数値」だ。


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ドラムを練習していても、あるいは同僚とスタジオで演奏していても、ビートの正確性、音の強弱、パフォーマンスは全て数値化されない。点数が出ない。自分の演奏がどれくらい「できている」のか、どこが「できていない」のかが全く分からない。思えばそれが、とても不安だった。


一方でゴルフはどうだろうか。私の通っている練習場では「ヘッドスピード」「ボール初速」「飛距離」などが全て数値として吐き出される。ラウンドに出れば、18ホールのスコアとして、これまた数値で自分の成長具合や現在地点を認めることができる。先述した「スコアが伸びない期間」でも、練習場の数値を見ることで私は自身の成長を認めることができていた。


つまり、純粋に「音楽そのもの」を味わう前に、「どのくらいできているか」という採点メガネが先に出てきてしまう。

楽しめるのは、演奏そのものよりも「点数」の方だった。

なんて辛く、悲しい気付きだろうか。


全ての元凶は、自己肯定感の低さに由来するのだろう。しかし、これは私の性格であり、人間性だから仕方がない。いつか見たSF映画のように、すべての事象が数値化される世界の到来を祈る。

そして死ぬとき、自分の人生の点数を見て、私は笑えるだろうか。

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