失はれたもの

  失はれたもの


そのとき蒼穹は黒に近いほど深く

太陽は堪へ難いほどに眩く一切を呪縛し

もの影は墨を流したやうに濃かった。


静謐がみなぎってゐた。

道ゆくひとは跫をひそめ

子供は呆然と佇み

諍ふ犬たちでさへ憚って声をひそめた。


一切は言葉の領域に属さない明瞭な輪郭と意味を帯び

すべてのひとといきものはこれを了解してゐた。


草も木も石も土も

その本来の場所にあって

その本来の生命を生きてゐた。


──やがて野のすゑに音もなく純白の雲が湧き

昨日と同じく苛烈な雷雨をもたらす筈だった。

そしてそののちに

信じ難いほどに鮮やかな

日没と黄昏がおとづれる筈だった。


──ひとは自明のごとく弁へてゐた。

日々演じられるこのおほひなる神秘劇のなかにあって、

みづからの役がいかほどのものであるのかを。

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