堕天女神のサーガ

草屋伝

かの方の靴の話

 かの方はもともと天上におられた女神であったと聞く。


 天にある神がその身清浄なる地にあるにふさわしからずと地に落とした。


 されどその身の力が減ずることはいささかも なく。

 ゆえに、地に生きるものたちにとっては身の幸いにも災いにもなった。



 かの方は素足である、地上にその足を包むに足る品が無かったがゆえに。


 その足が大地に触れようとするとき、大地はその足を傷つけまいとその下に柔らかい若草を茂らせる。


 その足が地に着いたとき、若草は歓喜に身を よじり、ありとあらゆる花を一度に咲かせ。


 その足が地から離れようとするとき、その悲しみに草花は一度に萎れ。


 その足が完全に離れたとき、もはや二度とその足はこの地に触れぬとことを悟り、草花は枯草となり果てた。


 ゆえにかの方が歩いた後には転々と続く枯れ草の茂みのみがその地に残された。



 あるところに靴屋のせがれがいた。


 その男は自分の靴をより気高く高貴な方に捧げたいという大望を抱えていた。


 仕事の合間に、仕事の後に、また仕事の前に。理想の方に捧げる靴を手直しし、作り直し。


 その行いは店を継いでも変わらず。よりふさわしいと思われる素材があれば大枚をはたいて遠い土地まで買い求めるため店はいつも火の車。

 いつも根を詰めて仕事をしているせいか人々に「ガチャ目の靴屋」と呼ばれ、誰が来てもお貴族さまが来てもその靴だけは売りもせず……。


 そんな靴が店の一番高いところに鎮座していた。



 店にせがれだけがいたある時、ふと店の大気の質が変わった。

 何事、と店先を見たとき、地にはありえぬその方がいらっしゃった。


 かの方を遮る者はいない。

 遮ることができるものなどあろうものか。


 目の前にあるものに何も価値を見出せぬように見回しているその方を見てせがれの心が躍る。

 この方こそあの靴を差し上げる方だと。


 その目がすうぅっと店の中を滑り一番高い 場所を見たとき、その唇がほころんで一言こぼれ落ちた。


“よし”と。


 そしてその指が伸びてかの靴に触れると、靴もまた己が望むかのようにその手の中に入った。


 そしてそのまま去ろうとする姿は城の大広間に飾られた一服の絵画のよう。そこでせがれは我に返った。


 靴を渡すことに異論はない。

 だがこれで、もはやこの方に会うことはあるまい。


 そこで身の破滅を覚悟の上でかの方の面前に 丸び出ていって申し上げた。


「その品、差し上げることに否やはございません。

ですがお方様、靴というものはそのおみ脚に添うてこそ仕事ができるというもの。

どうかわたくしめに最後の仕上げをさせていただきたく」


 かの方にその言葉は届いていたのだろうか、地を這う者の天上ならざる言葉の羅列を。


 だがどう思ったのか、その方は地に座り足を投げ出した。


 座られるかの方を支えようと大地には低木の茂みが現れ、座面にやわらかな若葉が現れ、その光栄に酔いしれるかのように香り高い花々が咲いた。


 それはせがれにとっても永遠とも言える時。

 されどすべての力を注ぎ、もはや仕事ができなくなるともかまわぬと、その御足を包むための靴を唯一の品とすべくなすべきことを行った。


 仕事が終わり万感の思いを込めてせがれが靴から手を離すと、かの方は立ち上がり靴のつま先をトントンと。


 するとかの方の唇が弧を描き音を奏でた。


“よし”と。


 それはせがれには至上の喜び。

 思わず不敬ながらもかの方の顔を見上げた。


 口元に弧を描いた尊顔は目線を落とし、せがれの顔面を視野に入れた。

 そして一言つぶやいた。


“悪し”と。


 そしてせがれは意識を失った。



 気を失ったせがれを見つけたのは幼馴染の隣の娘だった。


 別に恋仲なわけでもない。

 それでも一つの靴に入れ上げる幼馴染をなにかれと世話をしている仲ではあった。


 靴が無くなり倒れている男を見て、さては物盗りが来たかと思った娘は声をかけて助け起こした。

 ゆすぶられて気を取り直したせがれがその娘の顔を見たとき、相手は息をのんだ。


 あの仕事のしすぎでなっていたガチャ目の気配は消え去り、そこに残されていたのは涼やかな好青年だった。


 のちに二人は夫婦となった。



 その後、せがれはもはや仕事に身が入らず ため息だけ大きく響く日々が続いていた。


 かの方は去った。

 もはやお戻りにはならない。

 この上、靴を作ってどうしようというのか。

 いっそ店をたたんでしまおうか。


 それを聞いた今や女房となった娘が「何ということを言うのか」と叱りつけた。


 たとえその方がどれほど素晴らしい方であろうとも、そしてどれほど素晴らしい品を献上したと言おうとも、地上の品ではその過酷な仕事に耐えきれずほころぶこともあるだろう。


 そのときに主がそれを直さずしてどうする。


 そのときは主の命がすり果てた後かもしれない。


 そのときに主の技を残さずしてどうする。


 かの方への品に責任を持っているというなら、 そこまで考えずしてどうするのだ、と。



 ……その靴屋こそかの老舗、名店中の名店と名高かきあの店である。


 今代の店主のかの方への替えの靴は、今も店の一番高いところに飾ってある。


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堕天女神のサーガ 草屋伝 @so-yatutae

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