【7日】285年11月~286年09月
【285年11月~286年09月】
資治通鑑原文360文字(354/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/1-司馬炎-1/11
1/1-司馬衷-1/29
1/1-劉淵-2/2
1/4-慕容廆-2/26
・準メインキャスト
1/1-司馬倫-1/23
1/1-張華-1/22
【できごと】
迫る胡馬の足音! 鮮卑と匈奴
1/1日号にて呉制圧の大功を挙げるも独断専行を糾弾された将、王濬が死亡しました。あまりにも淡々と三國志の終焉を導いた人物たちが消えまくっています。
ちなみに王渾王済親子と違い、王濬の家門情報は資治通鑑に載りません。晋書に少し載る程度です。前者はのちの南北朝時代でも大きな存在感を示す太原王氏で、後者はここで史書に載る家門が止まる弘農王氏。この両名の子孫の書かれ方こそが、九品中正制のありようを示している、とすら言い切ってしまっても構わないでしょう。名家以外は士人にあらず、というわけです。
このころ、地方はどうだったのでしょうか。まず、これが語られました。匈奴十万「世帯」の帰属。世帯ですから、人口で言い換えれば、百万レベルです。こういう集団が晋になだれ込みました。こんな大規模集団をどう養うのでしょうか。
更に、鮮卑。特に慕容部は慕容廆の統率のもと、晋の北東部に頻繁な襲撃を掛けています。なお鮮卑は慕容部のほか宇文部、段部、そして拓跋部がおり、それぞれが婚姻関係を結び合いながら同時に殴り合うという恐ろしい状態となっています。このときも慕容部は宇文部、それと今で言う朝鮮半島の国、夫余を襲撃。ここまでは晋もなんとか慕容部を撃退できていましたが、その圧力はにわかに高まっていました。
この年、誰が何をしたかという具体的事例は少ないです。ここまでの状況に特に変更がなかった、と読むべきなのでしょう。しかしながら、人物の退場だけは淡々と書かれます。寡黙に淡々と実績を積んだ魏舒、宗族の中でも武力折衝力に優れた司馬駿。こうした人物の引退や死亡が書かれる一方で、次代を牽引するに値する新星はまるで登場しません。
明日の資治通鑑は、今日以上に「何も書きません」。これだけ不穏な動きを書いておきながら設ける余白には、空恐ろしいものが感じられてなりません。
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