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  • これは蕭宝寅のナイスプレーと言う他ないのでは。北魏としても無駄飯食わせる必要無くなるし、梁には諍いのタネを蒔けるしで一石二鳥じゃないか。

    漢の宣帝ってどんな人だろって調べたら、おもろすぎる来歴の人ですね。暴れん坊将軍ならぬ暴れん坊皇帝作るなら候補の一人ですね。

  • 高車に歴史書があるなら、この当時は大英雄登場って凄い事になりそうですね。
    いやあ皆んなのサンドバッグみたいな扱いの高車にも強い時期ってあるんですね。

    作者からの返信

    高車の歴史はどこかで追ってみたいものです。あれだけ拓跋珪にサンドバックにされていたのに、不屈すぎる……

  • 割とどうでもよいことですが、元叉の小字が夜叉なんだそうで。何も字通りに暴れ回らなくても良いのにね。
    と言うか仏教の影響で夜叉なんて名乗っちゃたんでしょうかね。

    作者からの返信

    夜叉とはまたこのときの評判通りな……悪い小字をつけることで災いをはねのけるとかがあったみたいですが、そっち方面なんでしょうかね。

  • 梁武帝はアホな子ほど可愛いってものだったのか

    作者からの返信

    いくら何でもアホすぎじゃないのと言う感も否めはしませんが……

  • 南北とも箍が緩みだしてますね。

    作者からの返信

    徐々に迫っているというか、武帝の時代がずっと圧迫され通しで「どこが最盛期……?」って気分ですw

  • 儒教でも仏教でも道教でも良い所はあるとしか言えんよね。宋代でも色々腐敗した寺院勢力があったんでしょうかね。

    周勃に憧れってのも凄いな。外戚の専横許さんマンって事か。

    作者からの返信

    司馬光さん、どうも儒一尊だったみたいです。道も仏も○ねよ的な態度であらせられたとか……w

    そういや呂氏撃滅、周勃でしたね。そこがあって憧れてるなら相当ヤバい奴にも思えてきますが、さて……

  • 一見成功したかに見えたのにダメでしたか。ローマン・コンクリートでも伝来してれば良かったのにね。

    北魏笑ってますけど淮水域で被害にあったのはお互い様だろうに (*´ω`*)エエンカイ

    作者からの返信

    敷設の段階で「この堤防は切れる」と予告していたようなものですしねw

    たぶん堤防そのものって、飽くまで梁側にしかなかったんじゃないかな、って思ってます。つまり切れたら被害は全部梁……

  • 宣武帝が行きていた頃は高皇后が超ヒステリックで切れ散らかしてていたとかって話なんですが、当時の胡太后ってどうやって難を逃れていたんでしょうね。

    そっか、水攻め成功は成功したんですね。銭の力やなあ。

    作者からの返信

    胡太后の宣武帝生存時代の振る舞い、マジでわからんのですよね。どんな感じだったのやら。かなり賢く立ち回ってはいたんでしょうけど。

  • 梁武帝の大工事も成功していたら、土木工事で敵城を奪取したと評価は180度逆転していたでしょうね。秀吉の水攻めは成功したから称えられて、三成の水攻めは失敗したから笑われた様なもんだな。

    宣武帝はやりたいことだけやった人って感じですね。先祖の遺産を食い散らかしちゃった感。でもまあ南朝の梁武帝の英邁期にあたったのが不運だったかな。

    作者からの返信

    結局この段階では取れてないですしね、寿陽……

    宣武帝は本当に自由だったな、と言う印象です。

  • 簡文帝…おぉぉぅ…別口の簡文帝が居られたのか。宇宙大将軍の傀儡とかそれはそれで後世には美味しい (*´ω`*)

    作者からの返信

    このひと前門の侯景、後門の武帝みたいな感じになってめちゃくちゃ悲惨なので大好きです……w

  • なんか梁の武帝の苛立ちが分からんでもないわ。現代日本で言う所の左翼文化人と化していたんだろうね。現実には欠片も役に立たないのに、偉そうにしてたんだろな。言ってみたら竹林の七賢を持て囃したのが間違いだね。

    作者からの返信

    今の日本みたいに「戦時中とまでは言い切れない」状態ならまだしも、今まさしく急場なのにこんなふるまいをされていたら「いいから働け」しかなかったでしょうね…w

  • 高肇さんの親父の代で高句麗から渡って来たと言うから、大した地盤も無かったでしょうに。この人も政治的怪物って類なんでしょうね。

    作者からの返信

    怪物だと思います。普通ならそのまま没落してもおかしくないところを逆転していますし。このひと中心にこの当時の北魏を見れると、かなり面白そうです。

  • やっぱり平野部取りたいんだろな。
    そういや琅邪王氏の本貫ですね。

    作者からの返信

    この頃淮水沿岸ってまだそこまで魅力的な土地ではなさそうなんですよねえ……不思議でならないです。

    もう琅邪、この頃の琅邪王氏たちにとってはそれほど魅力的な土地ではなさそうですw

  • 霊太后って名前見るだけで終わりが想像出来ちゃう (*´ω`*)

    作者からの返信

    この人の名前を意識できてるかどうかで、このあとの展開を見通しやすくなりますよね‥この段階では、さすがにそこまでは考えていなかったんでしょうけどw

  • 近い所で呉の孫皓とか言われたら鼻白むしか無いですね。

    作者からの返信

    この頃の武帝、さすがに廉恥の心あるでしょうしね(ひどい言い草)

  • 北魏も人材の層は厚いって事ですね。

    チラ見したら邢巒って董卓の霊に祟られたからとか言うオモシロ逸話の持ち主なんですね。

    作者からの返信

    そうですね、他にも面白い人物はたくさんいるのだろう、と感じました。可能な限りこうした人物を拾いたいところですが、煩瑣になりすぎても仕方がない。悩ましいところです。

    邢巒、いろいろタスクに圧迫されて「面白そう」までしか拾えていないのですよね。今度しっかり調べたいと思います!

  • 前線の将だけではなく、蕭衍の戦略眼もあってこそなんだろな。梁は絶好調ですね。まあ正直な所、北伐に走ったら両方ともグダグダになったろうし、よい判断ですよね。

    作者からの返信

    それなりに鍾離後に押し返してはいるみたいですが、謝玄みたいにガツッと取ってはいないみたいですね。このあたりも堅実だと思いました。まぁ北魏が大崩れしていないから食い込めないという実情もありそうですが……

  • 今から見ると、南北に分かれた時は蜀方面を抑えて長江沿いに東進が良いような気がするものの、そのまま平地を進めば良いではないかってなるんだろうな。
    しかし先代から何度も侵攻しているし、何か余程弱点ぽく見えるものがあったんでしょうね。

    作者からの返信

    蜀を抑えるは、北魏がもう百年近く失敗し続けているのでしびれを切らした、ということなのかもしれません。そういう意味で西方の持ちこたえぶりが異常……そしてここの功労賞が仇池なのでしょう。

  • 仇池面倒くさいなあ。滅ぼすより懐柔した方がコストが安そう。

    作者からの返信

    仇池はいい仕事してると思います……梁にとっては。

  • 北魏ってこの時点では有能な宗室に連なる人がたくさんいてるので、高氏って意外と皇帝一族とは上手くやっていたのかなと。

    作者からの返信

    このあたり、資治通鑑からだと全然見えないんですよね……どんな感じだったんでしょう。まぁ魏書を見てどこまでわかるかもまた微妙ですけど……

  • 馮道根って何故か名前だけ覚えているんですよね。なんかリズムが良いと言うか変わった名前だからか。

    これは蕭衍が運を持っているんだろうな。いくら北魏でも内側が揺れればねえ。

  • 蕭宝寅は優秀なんですよね。この取り逃しは大きかったですね。とは言え名目上の旗頭なんていくらでもいるだろうから、この人が亡命に失敗していても、北魏による南征は変わらなかったでしょうけどね。

    梁の武帝は長生き以外は問題なかったのにね。

    作者からの返信

    劉昶と同じように、まず「めちゃくちゃ大義名分として強い」がありそうな気はしています。

    武帝も早い段階で蕭統に譲れていたら違ったと思うんですが、とはいえ蕭統、父親より先に死んじゃってるんですよね…

  • 才幹のある皇帝親族ですか。皇帝自身が有能で求心力があれば気にならないだろうけど、年少で輔弼する臣下が小物なら邪魔にしかならんでしょうね。

    しかし蕭衍が攻めたエリアって対北魏の前線だったろうから、そりゃまあしっかり抵抗したんでしょうね。だけど北魏も介入が遅いな、絶好の機会だったのに。

    作者からの返信

    孝文の弟たち、動向を追うとめちゃくちゃ楽しそうなんで八王みたいに整理しておきたいな、と感じました。

    蕭衍の動きは長江沿いなので、北魏とは特にぶつからずに済むみたいなんです。それにしても二百日の攻防戦はすごい…

  • 北魏なんでどうなのかですが、藻が開けるまでの3年間は前帝の方針でとかやってそうな気もする。コチコチの漢人官僚ならやるかも。

    作者からの返信

    皇帝は流石に三年喪が難しい立場ですし、この辺りどのような実務処理があったのかは気になるところですね。

  • 馮太后は優秀な先駆者だったんだけど、後続はそれありなルートなのねって思うだけだもんな。
    しかし身内を殺しまくった結果、頼れる親族が欠片もいなくなったって哀れではあるよね。でもまあ本当に皇帝の権力が弱い王朝だったんだろな。
    蕭衍は立ち回りが上手かったとかもあるんでしょうが、一族とは言え大分傍流だったから警戒されなかったんかね。

    作者からの返信

    こういうのを見てると、皇帝ってシステムは心底権威継続のための試行錯誤の塊なんだなって思います。

    蕭衍も、明帝がアホみたいに皇帝の権威を削減しなかったらただの優秀な宗族で終わってたんでしょうねえ。

  • なんと、明帝蕭鸞は畳に上で死ねたのか。何時かは殺られる雰囲気だったんですが。

    宣武って事は、再び武威を盛んにするって事で国境線はきな臭くなるんですね。

    作者からの返信

    そこも含めての明帝なんでしょうねえ。劉彧と蕭鸞のおかげで明帝の値段の下落がひどいw

    蕭衍さん、兄貴になかなかどぎつい諡つけたもんだって思いました。ありなんだそれ……

  • 蕭衍さんで抑えきれないなら仕方ないね。
    休戦期間が長くて、お互い大きな戦に不慣れになっていたんですかね。

    作者からの返信

    不思議ですよね、頻繁にぶつかってる気がするんですが……

  • 明帝ってそんな事してるから蕭衍さんに輿望が集まっちゃうねん。やっぱり皇帝に近い親族殺しまくるのは良くないですね。

    作者からの返信

    ここまで追ってきた感じ「そうしないと安心できない」なんだろうなあ、と思えてなりません……ゆくも地獄、帰るも地獄……

  • なんでしょ、これは皇太子の周辺には鮮卑系が集まっちゃったのか、或いはバランスを考えてやっていただけなのか…実は袴よりズボンが好きなだけだったりしてな。

    名族って怖いですね。まあなんやかんや言うて北朝においては官僚を輩出してくれる貴重な職能集団だったんでしょうけど。しかじ特権集団に成りたいと言う欲望がグツグツ煮えててホント怖い。

    作者からの返信

    中華圏に戻りたい漢人系と鮮卑系の対立であった、と言われても不思議ではなさそうです。事務処理能力で鮮卑系は漢人系になかなか勝てないでしょうし、こういう流れが出てしまうのは必然だったんでしょうけれど。

  • 孝文帝はブレーンに鮮卑系の人達が居なかったのか少なかったのかって感じですね。
    そりゃまあ相対的に大人数である漢人達を統治するには、同化の方がやりやすいと思ったのでしょうが、肝心の武力を担う者達の心を離しちゃ後の代が困るだろうな。

    ま、蕭道成が見てたら嘆くしか無いですね。どうなんでしょうね仏教の説話集に有りそうな話ですね。鬼となった蕭道成、子孫の絶えるを見て慟哭する話とかで因果応報話で作れそうなんだけどな。

    作者からの返信

    鮮卑系、少なそうですね。高氏とか李氏みたいなバリバリ漢族に囲まれてそうです。南斉滅亡って蕭道成の呪いって言われても割と割とありそうなのがやばいですね…w

  • 鬱林王はまだ贅沢できたみたいだけど、つなぎの海陵王が可哀想過ぎるね。食事の献立すら思う様にならなかったって、24時間監視付きの軟禁状態で廃位された上に殺されるって…
    なんかこう、転生して幸せになって下さいって思うレベルですね。

    作者からの返信

    海陵王の貶号はむしろ明帝に押しつけろって感じですね、もう少しマシな諡号を……

  • 流石に相談なしに遷都はまずいし、憧れは兎も角、現在の洛陽の状態を知ってからの方が良かったでしょうね。散々争いの的になって、何度も灰燼に帰して、外壁は残っていても中身はボロボロだったんじゃないだろか。

    小説であるなら、蕭衍が悪役で国を乗っ取るまでを読んでみたいな。まあ実際はそんな事無いんでしょうが。

    作者からの返信

    北魏の時代になってもまだ取ったり取られたりを繰り返しましたからねえ。とは言え淮北を手に入れられたから安心して出てくることができるようになった、とは言えるのかも。

    蕭衍についてはやっぱりきな臭いんですよねえ……いや、きれいな「簒奪」なんて有り得ないし当たり前っちゃ当たり前なんですが。

  • 北魏は名目論大好きな漢人官僚の勢力が大きくなったんですかね。それとも皇帝の御意であったのか。戦乱の時代を知る武将が残っていたら敵手に対する敬意がないって怒ったかもね。

    作者からの返信

    遷都、何か微妙に孝文帝以外の人も考えていたのでは、という気もしなくはないです。史料がないので完全に妄想にしかなりませんが。この時代の戦いって、微妙に華々しさがないですよね。どんな感じの戦局推移だったんでしょう。

  • ケチョンケチョンにやられた拓跋氏復興という観点から見たら宣武だけど、北魏帝国の祖とすれば太祖になりますし、実際の所まあ文句の付け所は無かったんじゃ無いでしょうか。

    南斉はきな臭いですね。蕭鸞って優秀だけど多分ネジが数本ぬけてる系ですよね。

    作者からの返信

    この辺については「我々がいま五胡十六国時代を認識していること」の重大な契機ですよね。蕭鸞は……あれは何なんでしょうね本当に、自分の叔父がなぜのし上がれたのかを理解できていないというかなんというか……

  • 北朝と比べると南朝は緩やかな連合体に近かったんでしょうかね。北朝に対抗すると言う一点では纏まるけれどそれ以外では纏まれない感じ。未だ東晋以来の亡命系と地元系の諍いは続いてるのかな。続いていたら先祖代々の仇敵にまで昇華してる気もするけど…

    作者からの返信

    ですね、南朝の歴史がほぼ中央に偏ってるから見えづらいですが、この頃もすでに五代十国ぐらい各地は個性を出していたんだろうと思います。

    もと中流家系も劉氏、徐氏、臧氏、そして蕭氏あたりは名門に食い込んでいますし、完全に固定ではなかったのでしょうね。また結局の所傍流は落ちぶれますし。

  • どうでしょう、蕭道成が簒奪した後、劉宋の皇族の後押しして侵攻したとかで建前上断交したんじゃないですかね?

    作者からの返信

    たぶん資治通鑑にも断交が書いてあったんじゃないか、とは思うんですよね……ちょくちょく見落としも出ちゃいますので(とは言ってもそこを拾い直せるほどのタスク的余裕はない)、「あったらしい」で終わる以外になさそうです。

  • 北魏の孝武帝が部下の意見を良く聞いて、良い意見なら取り入れた人だったって事なんでしょうかね。
    南朝斉はどうなんでしょ、少なくとも武帝は優秀な統治者であった様ですし、立て直し中である事も考慮しなくちゃいけないのでしょうね。

    顧憲之は顧覬之の孫なんですね。この人は珍しい清廉かつ有能な人だったみたいですね。そりゃまあ記録に残したくもなるね。

    作者からの返信

    この辺はなかなか難しいところですね、司馬光さんが完璧に孝文帝に肩入れしてるので、せめて魏書と南斉書に目を通さないとなんにも言えなさそうです。

  • 北朝正統説とかあるんですかね?まあ今更南朝に正統性ないもんな。

    作者からの返信

    まぁ資治通鑑だと基本的に「どちらも正統ではない」扱いです、その上で南北比較が走っていて、その中でもこのタイミングの孝文はいけている、という評価なのかな、と。

  • 98歳ですか、そりゃ長生きしたものですね。今ですら稀だもの、当時だと本当に驚異的だったろうね。
    小説としたら蕭衍が全ての黒幕的なドロドロしたものが書けるのかもね。
    違うか、親族でもある皇帝一家の隆盛と没落を見守る感じの方かな。一人称で進んでいくやつだな。

    作者からの返信

    蕭衍を主人公にしたらかなりえげつないやつ書けそうな気がします、なにせ明帝シンパも経てますから、その気になれば「はじめから簒奪を仕組んだ」形ですらかけますしw

    高允さんはなんというか、超弩級にヤバいお方だな、って印象です。

  • 南朝も北朝の事を蛮族とか呼べないね。
    なんだろ、まさか孫子以来の糧食は現地で奪えを自領土で実践しちゃったのか (*´ω`*)マサカナ

    作者からの返信

    単純に統御不足でしょうねえ……
    あとたぶん、上が戦争慣れしてないんだと思います。なので規律を作れない。


  • 編集済

    流石に収奪が続けば反乱が続発するでしょうし、なんかナアナアで回ってはいたんでしょうね。しかしなあ賄賂って利権を分けて貰える公算が有るから渡すんだけど、北魏の役人ってそんなに権限あったんでしょうかね?

    作者からの返信

    北魏の役人は、なんだかんだここまではヤクザの親分みたいなもんでなかったんでしょうね……w

  • 蕭衍さんも数奇な運命辿りますもんねえ。

    いやしかし、トップが冗談を解さない人なのに、調子こいて口を滑らせるからですよね。何ともお調子者だなあ。

    作者からの返信

    蕭衍さん、ここからどう存在感を増していくのかが楽しみです。蕭道成は結構いきなりポップしてきた印象ですし。

  • 北魏はともかく、名目に拘る南側が良くまあ解放したもんだね。どんな理由をこじつけたんだろう?まつろわぬ北方の蛮族に偉大なる皇帝の慈悲云々とかなんだろか?

    南斉みたいな国内貴族が勢力を養って相対的に優位となって簒奪するって場合は辛いでしょうね。他から見たら元は同格ですもん。まあ北からの脅威があれば纏まらざるを得ないけど(あれ?高帝って外患誘致しかけたよね)、脅威の度合いが下がるとタガが緩みそうですね。特に地方拠点の軍閥化とかありそうで。

    作者からの返信

    南斉は押し込まれつつも、なんだかんだで北魏に対して「うちが正統だ」アピールは続けているんでしょうねえ……

    ぶっちゃけ宋斉の皇族蜂起って、統治の緩みを見出した豪族たちの逆転を狙った突き上げでしかない気がしてるんですよね。で、それが変な方向に転がって、うっかり蕭道成に皇位が転がり込んでしまった。たぶん蕭道成、流れが見えた瞬間絶望したんじゃないかって思います。

  • 南北とも統一への動きは無しですか。でも北魏としちゃ、淮北荒らしやがってって思いは残っているでしょうね。

    作者からの返信

    どちらも統一に向かうだけの力がなかったのでしょうね。個人的には地勢的にも南北に分かれているぐらいが自然だとは思うんですが、問題はそうなると河淮エリアが永遠に紛争地になるんですよね……

  • 仇池ってなんなんでしょうね。まあ奈良の山奥みたいに守るに固くって土地みたいになので、勝手な事言ってくる中央の事なんか聞けねえべってなるんかな。

    作者からの返信

    重要なのは「間」ってことなんだろうな、って思います。自分たちのいる場が安易にせめられる場でもないくせにルートとして重要なこと自覚してるから、そこを活かして交渉に交渉を重ねる、という。

  • 蕭道成は華は無いけど立派な政治家って感じですね。

    作者からの返信

    すごいです、めちゃくちゃ立派。「このひとの治世が長ければ」は、はっきり言って劉裕より蕭道成にこそ相応しいと思いました。

  • 謝朏って面倒くさい男ですね。
    なんか権威になっちゃったから、斉以降歴代に招かれるのにお断りしちゃうし。
    有名過ぎて誅殺出来んかったんでしょうね。まあ久びさの謝氏でちょっと嬉しかったけども。

    作者からの返信

    謝氏にしろ王氏にしろ、このあたりだとどうしても主役になってくれないのが切ないですね。

  • なんかこう蕭道成はこう突き抜けた英雄感は無いですよね。そりゃあ政治的な手腕だの権謀術数とかは得意だったのだろうけど。やっぱり劉裕凄かったんだなとしみじみ。

    作者からの返信

    蕭道成は運悪く巡っちゃった感じですね。個人的には劉裕も運悪くのっかっちゃったように感じていますけどw

  • もう正当化以外の何を疑えと (*´ω`*)ムリポイナ

    作者からの返信

    ちょっともう後廃帝の存在が都合良すぎてなんともはや……

  • びょ、病弱だったんでは…そういう事になってますから。

    作者からの返信

    「そういうことになってます」を魏書・北史・資治通鑑が着々と拡大解釈してんの、ほんにすげえなこいつら本気かよって思います……w

  • 祭祀の際に牛馬を殺すなってなんでしょうね?仏教の影響かな?
    対象に含まれなかった豚さん可哀想に (*´ω`*)ブヒブヒ

    沈一族が付き従っていた訳じゃないんですよね。カリスマ成分薄かったんだろか。

    作者からの返信

    仏教の影響は大きそうです。
    中華伝統なら黒毛牛とか捧げますしね。

  • しかし献文上皇の病弱とは…意味深ですね

    作者からの返信

    これだけ勢力的な方が病弱なんだ、ふーん? と言う感じですよね、まぁ息子も早死にですしそんなもんなのかもしれませんが……

  • なんでしょうね、東晋と言い劉宋と言い南の方が内乱はお得意ですね。しかもジメジメと反抗して叛乱する感じ。

    作者からの返信

    孝武以降の内乱は本当に何と言うか、ねとっとしたのばっかですね……

  • 献文帝と馮太后の関係ってこの時期は意外と悪く無かったのかも知れないですね。追い落とした人間に大兵力握らさないもんなあ。
    なんなんでしょうね。色々遺失したのかな。

    作者からの返信

    この両名の関係については、河東竹緒さんの

    前史「孝文帝の洛陽遷都~六鎮の乱直前」
    前史①史官の紆余曲折https://kakuyomu.jp/works/1177354054888552296/episodes/1177354054921022554

    を参考にしています。これ、くっそ面白いのでお勧めです。

  • 北魏に関しては結果として皆偉かったなと。正しい選択したんでしょうね。
    それか遊牧民系の非情さが出たのかな。あんなのが頭とかナイワーって。

    作者からの返信

    とは言ってもこのあと頭としての指導力を示してるんですよね……マジで訳わからんです。

  • マジですか。乙渾っててっきりサクリと嵌められてあっさり殺されたと思ってたわ。でも東方で手柄を立て過ぎたからなんだろな。慕容一族もガックリしただろね。

    作者からの返信

    乙渾については「わからん、マジでなんもかんもわからん」以上言えない気もしています、ほんにわからん。

    あえてここに何かを付け加えるなら「史料を消すことによって読者が妄想するにあたっての方向性をある程度整えた」なんだろうな、と…

  • 沈慶之はwikipedia に項目無いのに、甥っ子の沈文秀は項目あるんですね。なんだろな、沈慶之ってそんなに嫌われているのかね。

    劉宋って皇帝の権威が低いですね。北からの脅威がある中、これだけ内乱が起きるってなんなんだろう。まるで室町幕府の様だね。

    作者からの返信

    沈慶之は文帝孝武帝期の宋を支えた支柱みたいな存在だと思うんですが、やはり陳慶之とかぶりすぎているのがいけないのか……(そうでもない)

    宋は皇帝権の低さを露呈させるわけに行かなかったから文帝紀孝武帝期の記述が薄いんじゃなかろうか、とゲスの勘ぐりが止まりません。まぁいま見える記述でもめっちゃ低いんですが……

  • 交州は中国なんだか中国じゃ無いんだか混沌としているエリアですもんね。蜀と似ているんじゃ無いでしょうか。

    作者からの返信

    秦が過去に抑えていたからって、あんな所支配しようにも統治コストがひどすぎませんかって印象なのですよね……

  • 久々に慕容氏が出て来ましたね。なんか名字だけで用兵が巧みそうなイメージですな。
    しかし拓跋氏の配下になってもちゃんと登用されているんですね。流石に旧燕領とはいえ、もう慕容氏復古とか無いんだろうな。

    作者からの返信

    慕容白曜、明らかに名将のふいんきなんですけど、退場のさせられ方がまたえげつないんですよね……生まれた時期が悪すぎたんだ……

  • いや逆に驚きでしたよね。良く今まで淮水から黄河南岸まで確保出来ていたもんだなって。やっぱ劉裕凄かったんですね。山東半島を得た後きちんと確保し続けていたんだから。

    作者からの返信

    ここは文帝もすごいとたたえたげてつかぁさい…孝武とかいうクソボケ蕩尽システムが挟まっても北魏を跳ね返せるだけの青州統治ができたのは劉裕もさることながら文帝の功績もでかいと思うのです…

  • 孝武帝はストレス溜まっていたんだろなと同情できなくも無いけど、前廃帝は普通に狂ってますね。何がしたかったんだろな。

    沈将軍は、皇帝に忠誠を誓うと言うタイプなんじゃなかろうか。名君の下では名臣になれたでしょうが、仕える皇帝がダメすぎたんだ…

    作者からの返信

    前廃帝については「ストレスがマックスだった皇帝の後継者」ですし、たぶん人格がネジ曲がるレベルの虐待も受けていそうだと思いました…それこそ宇文邕による宇文斌いぢめが可愛く思えるレベルで…

  • まあ未だ孝行息子ではないだけ…

    作者からの返信

    そうですね、まだセーフ……

  • 司馬光的には周秦漢晋からの正統を継ぐ劉宋が退潮したのはお前のせいじゃ的なあれでもあるんでしょうか。国号が同じなだけに許せない思いが強かったとか?

    いやまあ碌でもない皇帝であったのは確かなのでしょう。

    作者からの返信

    あと重要なこととして「宋書南史からだとこれ以外書けることがなかった」もあるんではないかな、と思いました…沈約ェ…

  • 孝武帝ってやる事意外としょうもないですね。
    しかしこうなると建康は兎も角、その他地方行政の緩みが気になりますね。
    北魏としても、侵攻止めて数年放置した方が南がグズグズになりそう。

    作者からの返信

    南朝は、見れば見るほど地方統治の実態側からなさすぎて震えます……何やってたんだこの人たち、ほんと……

  • 大分おかしくなってますね。色々精神的な重圧あったんでしょうかね?伝奇物なら今まで誅殺した者達が夜な夜な枕元にってやつだな。

    作者からの返信

    重圧はあると思います、ずっと北魏に圧迫され続けるとか、その最高責任者でいさせられ続けるとか悪夢以外の何物でもありませんし。悪事の免責にはならないですけど、壊れないやついないだろ、とは思います。

  • 司馬光ってそんなに孝武帝が嫌いなんですかね。確かにあれな人ですけど何割かはなすりつけられているんだろうな。

    劉宋って何故か歴代子供が多いし、孝武帝も30人以上子供がいた様だから王族が痩せたって事は無いよね。
    直系を守る為には多少の枝葉は枯らしてもよいって事なのか…

    作者からの返信

    正直司馬光が云々もありますが「そういう風に宋書に残されている」が非常に大きいんだろうなあ、とも思っています。この辺の宋に興味がないので宋書をまともに読んでないから何とも言えんですけど。

    子供の多さが結局内紛の多さにしか繋がってないのが、なんというかだいぶ終わってるな、と……

  • 防衛有利とは言え、思った以上に南朝側が粘り強いですよね。もっとあっさり押し込まれていると思ってました。

    作者からの返信

    孝武の時代までは頑張ってたんです、そう、孝武の時代までは……

  • 孝武帝は何処に武の要素が有るんだろう。対外拡張はしてないのにね。忖度か?やっぱり忖度何かな。

    作者からの返信

    晋孝武帝の司馬曜を意識した、が一番しっくりきそうです。

  • 「魏の百官には禄がなかった」って本当かもしれないけど、全てではないでしょうね。古くからの臣下は自分の領地だとか荘園だとか経営してそこからの年貢で賄うとかしてたんだろな。新参はどうなのか分からないですけどね。
    大体人間なんて報奨無しで働くわけ無いですよ (*´ω`*)

    作者からの返信

    鮮卑の「各部族の代表者が参集される」みたいな形式を引きずっていたんじゃないかな、と思います。俸禄以外に褒美はあったりするんでしょうね。

  • 唐の薛仁貴のご先祖様じゃないですか。このあたりから歴史に出てくるんですね。

    作者からの返信

    薛安都はかなり息が長いですよね。この人も本格始動が楽しみです。

  • 馮太后此処で出てくるんですね。北魏の元王族ですか。慕容氏じゃないのがなんとも栄枯盛衰ですね。

    作者からの返信

    本格的活躍までまだまだ期間はありますが、ついに出てきたか、と言う感じですよね。蕭道成もそうですが、一線に出てくるまでが長い…

  • 拓跋抜は拓跋丕の息子の様です。
    親子二代とも誅殺されるって不運な人達ですね。拓跋抜はちょっと調べただけでは殆ど何も出て来ないのですが、車騎将軍まで登ったって事は優秀な人ではあったのでしょうね。連座とは書いて居たので、皇帝に担ぎ上げようとした一派が居たのですかね。

    作者からの返信

    ありがとうございます、あれ、調べたはずなのに……変なところでポカが出ますね。この当時の北魏を見ていると「これ本当に皇帝に実権ありました???」みたいな疑問も結構わいてきてこわいです。

  • ウ~ンなんやかんやで文帝の見る目が正しかったんかな。
    まあ後からそういう事にしたのかも知れませんが。

    作者からの返信

    この辺については「結果から論じた沈約」について、さらに「結果から論じた司馬光」がいた、と考えるしかないのかな、と思います。つまり事後孔明を事後孔明が評価した、でしかないのだろう、と。仮に文帝が正しかったにしても「本当の意味で正しかったなら弑逆されるはずもないやろ」となりますので。

  • 文成帝の時代は休養期間にあたるんですね。太武帝が遠征で黄河南岸から淮水辺りまでごっそり奪えていればって思いますね。

    しかし劉宋の孝武帝、字が休龍…起きて来なかったんだろうな。

    作者からの返信

    太武帝はなんというか…やりすぎ、でしたねw

    なんだかんだで宋の跳ね返し方半端ないですし、時を追うごとにこの防衛体制がぐずぐずになっていくの、諸行無常だな、って思います。

  • 鮮卑的には宦官ってありだったんでしょうかね。漢化して取り入れた制度なんだろか。まあ五胡十六国の造反有理とか下剋上上等な世界では、皇帝にのみ忠誠を尽す(はず)の宦官って安心できる何かだったのかもしれませんけども。

    しかし宦官であっても大した勢力を持っていたんですね。直ぐに太武帝麾下に誅殺されそうな物なのに、粘りおる。

    作者からの返信

    漢の時代に匈奴入りした宦官とかもいましたし、なしではない、くらいの感じなのかもしれませんね。宗愛とか見ると、この当時の宦官が勢力を保つのはかなり難しそうです。

  • 派手にやったけど今回の成果はって聞かれると辛いやつですね。次の戦役に繋がれば良いですが、そんな感じでも無いのかな。

    作者からの返信

    太武帝にしてみれば、どうにかして南朝の血統を自分の中に取り込みたかった、がありそうな気がしました。その意味では完全に失敗。なんとも悲しい結末というか…

  • そっか、太武帝は長江北岸に到達しただけでそこまでの領域を確保したわけじゃないんだ。
    でもまあ建康のお気楽な人達は青ざめたろうね。

    しかし冬場まで待つが出来る太武帝はやっぱりヤバい人ですわ。

    作者からの返信

    太武帝の戦術合理性はヤバすぎますね。たぶん洛陽に対する感覚の落差とかも当たり前に計算に織り込んでいたんでしょう。すごいがひとのこころがない。

  • しかしこの時代に十万単位の兵を動かすノウハウを特別なものでは無く普通に運用している所が恐ろしいですね。いやホント、物資の集積とかどうやったんでしょうね。鉄道も自動車も無い。道はどうなんだろう、大街道はあったとして戦争状態で何処まで整備されていたんだろうか。

    作者からの返信

    様々に、すでに滅んでいる諸マニュアルも存在していたのだろう、と思っています。このあたり、産業革命よりも前を想定すれば、唐宋あたりにあるなにかを応用できそうな気がしています。

  • 北伐の準備が着々と進んでいますね。まあ討たれるのはどっちか知りませんけど…

    作者からの返信

    北魏側がどう準備していたかの動きが見えないの、ほんと勘弁してほしいですよねえ……

  • 太武帝の娘凄いな。あの父にしてこの娘ありってやつですね。

    言うても王玄謨って北伐推奨派じゃないですか。

    作者からの返信

    太武帝の娘も含めて、仇池まわりかなりお話のネタとして美味しそうだな…と思えてなりませんw

    王玄謨については、この後のこと考えると紹介せざるを得ないんですよね…

  • 北魏は人材豊富だな

    作者からの返信

    面白いひとが多いですね。このあたりはもともとくわしいところでもないので、陸俟を知れたのは収穫でした。

  • まじか寇謙之は煽った方じゃ無かったんだ。
    まあ絶対者が居る国で、唯一のなんちゃらになったら目を付けられるしね。

    作者からの返信

    寇謙之、崔浩のことどう見ていたのでしょうね。「あいつ絶対やらかすだろ……」と思っていそう。

  • 気の所為でしょうが酷いフラグが立った気がする。
    太武帝ってやっぱり名君の内ですね。臣下の首がバッサバッサ飛ばないのは良い事。

    作者からの返信

    ですね、ここまで気に食わないとすぐ首を物理的に飛ばす王ばかりでしたが、それが少ないとすごいとも思えてしまう。人類の七不思議かもしれません。

  • 呪術団体になってしまったら仏教を利用した治世のメリットより民衆反乱の拠り所になるデメリットのが大きいって判断があったんじゃないでしょうか。黄巾と言い五斗米道と言い呪術系宗教団体の反乱には事欠きませんでしたしね。

    でもその割に道教持ち上げて居るんですよね。対抗馬的なものだったのか、外来宗教に対する警戒からか?

    作者からの返信

    北魏における道教については、なんとなく「儒は規範とするに足りないが、さりとて仏教もここに来てだいぶうさんくさくなってきた」が遇ったのかもしれませんね。いくら何でも一気に広がりすぎ。とは言えその経典は大いに仏教を参考にしたとも言われるし、結局うさんくさいんですが……

  • 刁雍さん未だ生きていたんですね。この時点で52とかなんで老将に入るのかな。
    しかし95迄生きたそうなので、当時本当に稀な長寿を得た人なんですね。

    作者からの返信

    刁雍もなかなかにドラマチックですよね。
    司馬楚之、王慧龍、刁雍の三人はみんな興味深いです。

  • 基本引き篭もりの仇池が侵攻してくるって、劉宋の統治に余程の隙が合ったんでしょうし、仇池にしても起死回生の一手だったんだろうな。三国時代再びだったかも。
    ただ宋にとって今回ばかりは仇池が間にあって助かりましたね。北魏と直に蜀エリアが接していたら取られていたんでしょうから。

    作者からの返信

    いやあ、たぶんこれ北魏の差し金じゃないかと……w
    仇池は本当に「宋に活かされていた」感があってヤバいですね、
    今回改めて地図込みで見て、「むごいな……」って思いを新たとしました。

  • 劉湛は官吏としては優秀だった様ですが、付いた人が悪かったね。

    范曄ってそんなにぶっ飛んでた人だったんだ。

    作者からの返信

    劉湛については、遅れてやってきた謝晦みたいな印象です。

    そして范曄は、なんというか…史書で接したあとだと「よくお前らこんなやつのテキストを正史に据えたな???」とビビって仕方ありません。

  • まだ亡くなっていないですけど、劉義慶って本当に良い時期に生きた人だったんですね。
    10年早くても地獄、10年遅くても地獄だもんな。

    しかし北涼のエリアにそんなに文人士人って居たんでしょうか。やっぱり中原エリアが酷過ぎて西方に疎開した人達が居たんですかね。そういや前涼時代は名君が続いてましたもんね、北涼末期まで続く下地があったのかな。

    作者からの返信

    劉義慶はその後の北魏南進も見ていませんし、いいタイミングですね。本人としては「アレが起こる」だろうことは憂えてたみたいですが……

    疎開については涼・慕容・江南にパッキリ割れたんでしょうね。なのでそれぞれの人材がそれぞれで発展させた知が南北朝でまた統合された、的な。

  • 褒めてから腐すんじゃなくて、腐してから褒める所がロックなんですよ。知らんけど。

    作者からの返信

    モラじゃないですかーやだー!

  • 北魏が取り敢えず北から統一って動きしてたから国境線も安定していて本当に記録に残らないくらい平穏だったのかもよ。
    平和ボケかも知れんけど。

    作者からの返信

    個人的には「平穏だからこそどのように統治したか」が必要なんじゃないの、って思うんですよね。なんか記録に残せないろくでもない動きがあったんじゃないの、と邪推したくなってきます。

  • 流石に劉宋なら史官は居たでしょうから、どこかの時点までは記録があったんでしょうね。地方官の話だから抹消される様な事は無いだろうし、王朝交代時に燃えたか紛失したか水没したか。

    一番面白いのは、誰かの墓の発掘で一緒に出てくる事ですね。

    作者からの返信

    少なくとも隋の書庫には正史が捨てた数多くの記録が残っていたみたいなんです、つまり「その気になればかけたものを書かなかった」が宋書記述。なんというか、いろいろ怪しいんですよね。

    いまはちらほら墓誌とかで面白い事実がわかったりもしていますが、本は出てこないみたいですね。やはり人類はせめて木簡で記録を残さねばならなかったのだ……(そうでもない)

  • 北燕もどうしようもないですね。諫言的なものが無いって、家臣から恐れられていたのか、見放されていたのか…でも北魏には降りたくないとかあったのかな。

    劉宋は何やってるんでしょうね。そりゃまあ檀道済も癖のある男だったでしょうが、このタイミングじゃ無かろうに。

    作者からの返信

    北燕は馮弘がどうしようもなかったみたいですね、もうちょっとどうにかならんかったのかと。

    檀道済については、文帝が病から猜疑心に囚われたのもありそうです。あんな地獄みたいな情勢じゃ誰を信じていいものかになるのも仕方ないんでしょうけど、それにしても……

  • 西方諸国が庇護下に入りたいって事は、北涼を見限ったって事かな。

    しかし柔然は相変わらず良く分からんね。統一国家じゃなくて、緩やかな紐帯の民族って事かね。東と西の一族じゃやってる事お互い感知してないのかね。

    まあ目の前の美味しそうな獲物に飛び付いちゃっただけかも知れない。北魏を知っている族長連中はちょっと慌てちゃう系のオイタ。

    作者からの返信

    柔然についてはきっと、もうちょっと部族連合体だったんじゃないかな、という気もしています。必ずしも一枚岩ではない。もともと遊牧民族って血統の確かさよりも実力とか利害を優先するみたいですし。

  • 下した側の王族を娶る事で、お前らも一族になったんやでとか、謀反が起きにくいとか、鮮卑族の暗黙の了解があるんですかね。

    幾ら名門直系でも傲慢かまし過ぎたらアウトなんですね。反乱を企んだとか嘘くせえ。

    作者からの返信

    トロフィーワイフにしか見えないんですよねえ、このあたりのロジックをなにかで知れないもんかとは思うんですが……

    謝霊運については「傲慢」って書かれすぎているので、何やら別の話もありそうな気がしています。なにせ謝混とも接点あったようですし。謝混、謝晦と殺されて、では謝霊運は、とは考えずにおれません。

  • 蜀って余程土地柄が違うんでしょうね。

    作者からの返信

    正直、あそこを同じ国と扱うのって無理がありすぎると思うんですよね。けど秦が制圧したのでそうなってしまった。そこからずっと不幸が続いて、それこそ碧蜀にまで繋がるんだろうなあ、と。

  • 前話ですけど劉義慶が30そこそこで引退したいとかほざいたの聞いたら、そりゃあ皇帝陛下ちょっとキレ気味で却下するよね。

    作者からの返信

    この頃の南朝ってかなりやばいレベルで追い詰められてそうなんですよね、そのへんのヤバさを地方と中央がきっちりリンクできてれば…と思わずにおれません。

  • 叔孫建すげえな。もうこの時で70歳位ですか。キャラが立っているなあ。しかも最初は拓跋珪の小姓からでしょ。北魏の生きた歴史そのものだわ。

    作者からの返信

    叔孫建は間違いなく北魏初期のトップ將ですよね

  • さらっと書いてますけど、「馮跋の子百人あまり」でワロタ。

    作者からの返信

    ビッグダディですよね、城戸光政もビックリ…

  • しかしまあ太武帝は自分で動き回る派の武帝ですね。腰が軽いなあ。ひょいひょいと遠征しちゃうんだから。でもこれって後方に信頼の置ける文官衆なんかが居たって事なんでしょうね。崔浩さんは自分を張良だって準えていたって事で、他に蕭何の様な人も居たんでしょうね。

    作者からの返信

    道武、明元の動きを見ても、皇帝の動きに「都を守る」が全くなさそうなんですよね…少なくとも太武までは遊牧民族系の動きが強く刻みつけられていそうです。

  • 劉義恭って本人はまあ栄華を極めた上で殺されたけど、子供は殆ど巻き添えで殺されてるって人生送ってるんですね。

    しかし北涼とか西秦とか細々と争ってますね。争っても先が見えないんだけどな。
    吐谷渾なんかはこの争いをどう見てたんでしょうかね?

    作者からの返信

    劉裕の息子たちは全員不幸な死に方をした、と見ていいでしょうね。末っ子の劉義季にしたってたぶん韜晦の末の酒毒死だったでしょうし。そりゃ皇帝の家になど生まれたくないと皇族が嘆くわけです。

    西秦はほんに何やってるんでしょうねえ。とは言えここまで生き延びてるのが既に驚異的でもあるわけで。俄然西秦の伝を読むのが楽しみになってきました。