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  • 朱序が重用されているのがちょっと意外。建康的には一度裏切った奴って扱いになるのかと思ったら、謝玄の押しが強かったのかね?

    作者からの返信

    淝水の大勝には朱序がいなければ有り得なかった、くらいの功績があったのかもしれません。個人的には戦後これだけ活躍してるのに既存歴史書の扱いがあまりに薄いこと……(ぶつぶつ


  • 編集済

    Ifは無いとは言え、あと数年待っていたら東晋内部はメタメタになっていたかもなんですね。
    いやあ本当どうなるか分からんよね。

    でもまあ東晋が北上しても再統一出来た気がしないっすね。建康で足の引っ張りあいとか軍閥化して群雄割拠しそう。

    作者からの返信

    淝水のタイミングって「よりによってここかよ」としか言いようのないタイミングなんですよね実際、もう少し前でも後でも結構ヤバかったんじゃないの東晋って言う……

  • 苻融が生きてれば、また別だったかもですけど一度の敗北で失うもの大きすぎですね。
    いやしかし前燕最後の皇帝がまだ生きていた事の方が驚きですよ。慕容一族の相次ぐ反乱でも短絡的に殺さなかったって所は流石の苻堅さんだなってオモタ。

    作者からの返信

    そうなんですよね、慕容暐がここまで生きてるのってわりと驚きで。ちなみに苻堅、自身の本軍に張天錫も連れて(淝水のあとに東晋に帰順されて)ますから、「各国の王すら我が元にかしずいているのだ、そなたも我が元に帰するがよい」をやりたかったんだろうと思います。

  • そういやこのお祭り騒ぎに旧代国の拓跋氏の面々は召喚されていたんでしょうかね?
    辺境の蛮族扱いで華々しい舞台には呼ばれなかったかな?

    作者からの返信

    拓跋については完全な属国化ができていなかったというか、「中華王朝」として認識してなかったのかもですね。

  • でもこれ苻堅と慕容垂のみ天命を知っていたのだとか言う話になったルートもあった訳で、何がどう転ぶか分からんもんですね。
    プンスカしている前で、これだけ反対意見を臣下が言えると言うのは、苻堅さんてばやはり度量のある人だったんかなともオモタ。

    作者からの返信

    確かに石虎を前にしてこれだけ闊達に反対意見はわきおこらなさそうですよね、ほぼ確実に殺されますし…w

  • 慕容垂と姚萇がそれぞれ一方面軍率いて、まだ人材に余裕があるとか胸熱ですよね。そりゃ負ける気せんわ。

    作者からの返信

    個人的には淝水前の「晋軍があんな強いなんて聞いてないぞ!」がハイライトでした、いや謝玄軍に大敗くらってんじゃん一回ってゆう……w

  • 苻堅も苻堅だけど、何度も何度も身内で反乱ごっこするのってなんなんでしょうね。苻氏の一族はそう言う事やって良い的なルールあったんだろかと疑いたくなるね。

  • やっぱりいつの時代の史官も厨二病ぽくなるんだな。

    作者からの返信

    「歴史を残そうとする」メンタリティ、ぶっちゃけ中二くさいですよね……(残してくれてありがとう)

  • かと言って鮮卑族を自由にさせたら独立間違いなしだし、苻堅以外に抑えられる人居なかったろうな。王猛さんならどうしたろうね。

    作者からの返信

    たぶん慕容の主筋は滅ぼしたんじゃないでしょうか、あの人かなりカジュアルに殺しますしw

  • そか、大戦前夜でも謝玄はブイブイ云わせていたんですね。
    しかし長江北岸まで押し寄せたって流石に東晋のボンクラ貴族でも泡食ったでしょうね。

    作者からの返信

    ですね、この年に桓沖と謝玄にしてやられたから自身が出ていかないと埒が明かないと決意したはいいけど、それが見事に裏目に出る、みたいな流れになっています。
    広陵はさすがに合肥レベルでヤバい城なんですよね、抜かれると…

  • これだけ強大になったのに内輪で反乱とか、同族からは信頼されていなかったのか。
    東晋もしんどいですね。

    作者からの返信

    これだけ同族に信頼されてない以上、どうしても苻生って「そこまでか?」と思わざるを得ないというか…w

    とはいえほんと、東晋にとってはいい迷惑と言うか…w

  • 国境線が倍になりましたもんね。しかも殺る気満々だもんな。文どこ行ったんだ。

    作者からの返信

    苻堅さんの動きを見れば見るほど、ブレーキぶっ壊れてんなって印象です……w

  • 今回は前涼側に名将が居なかったのか、内側がガタガタ過ぎたのか。

    まあ文は文として、周辺諸国は滅ぼしたろ、王猛は晋はやめとけって言っていたから、問題無いとか。

    作者からの返信

    涼はこのときどんな感じだったんでしょうね、屠本十六國春秋で追ってみたいと思います。

    兵力的にも、そこまでガチガチってほどでもないのにあっさり落ちてますからね……

  • 前線軍団を桓温亡き後とは言え、桓一族に委ねるとか激ヤバですね。相当どころじゃない危機感あったんでしょうね。
    そりゃ数年前までヤバいのは鮮卑の前燕だったもんな。なんであんな精強な国家が滅ぶとか意味わからんし。あと伝統的に南方国家から中原統一ってないですもんね。三国ならバランスできたけど二国は怖いよな。

    作者からの返信

    前燕の滅亡、実質一瞬でしたもんね。速いとは思ってましたが、あそこまでの速さだとは思いもよらなかった。桓氏が勢力保っていたのを幸運と取るべきか不幸と取るべきかで迷いますが、「それが歴史の選択だった」としか言いようがないんだろうな、って感じています。

  • 劉衛辰ってなんかヒール側の立ち位置なので、ぱっとしないですが、凄えしぶといですよね。不屈の人だわ。実はカリスマも相当あったんじゃなかろうか。
    でもなんでこの人に子供に、あんなヒャッハーが…

    作者からの返信

    劉衛辰については別角度からの史料が欲しいところです、きっとものすごく面白いひとなんですけど、北魏の敵デバフがひどい……

  • 長江の防壁があっても、やっぱり上流取られると辛いものがありますしね。
    いやしかし、良くぞ桓温無きあと桓家取り潰しに動かなかったもんですね。

    作者からの返信

    これ、誰のファインプレーかってたぶん桓温なんですよね、謝安とそれなりの意思疎通の上での結論だったんじゃないかって気もします。

  • 簡文帝って崩御は52歳か53歳なんで高齢って程でも無いですよね。まあ当時としたら随分と遅い子だとは思うけど。

    東晋って運が良いのか悪いのかここぞと言う時に名臣が現れますね。謝安なんて出仕は大分と遅かったのに、いつの間にやら中心人物ですもんね。

    作者からの返信

    いたはいたけどのきなみ死んだらしいんですよね、この加速度的な子種の弱まり方、近親婚繰り返しすぎたせいじゃね、みたいな印象にもなります。

    謝安のタイミングは出来すぎですよね、とは言え本人は陰性と見せかけて内外での情報収集を徹底していたんじゃないか、的な手触りもあります。でないとあそこまでうまく立ち回れるはずがない、と言うか。

  • 慕容評って慕容恪が生きていた頃は有能な将軍であったのにな。トップになると駄目な人だったんだろな。

    作者からの返信

    権威って、基本ひとを駄目にするんですよねえ…だからこそ貞観政要が大古典になるわけであり。

  • しかしあれですね、前燕のあっさり負け具合見ると、なんやかんや前年の桓温侵攻に引っ掻き回されて優秀な人員が亡くなっていたりしたんですかね。

    王猛って策士っぽい動きしていたのに一転前線指揮官としても超有能な所見せるんですね。とても虱掻きながら桓温と会談した人物とは思えないですね。


  • 編集済

    前燕っていわゆる中原エリアを制しているし、治世が上手くいけば他を突き放せたんだろうけどなあ。
    慕容垂逃がすとか一番やっちゃ駄目なやつですね。まあ前秦も苻堅じゃなければ重用しようとは思わなかったでしょうけど。

    作者からの返信

    慕容、「ちょっと離れた身内をもう信じられない」が、よりによってこのタイミングで爆発しちゃった印象です。とは言えたぶん遊牧民族たちの中では仲がいいほうのようにも思えますし……

  • 晋の政治家は戦々恐々だったろうね。

    苻堅さんは大陸に稀に居る大人って人だったのかな。弟達はなんだろ、異民族を優遇しているように見える長兄が許せんかったのか。

    作者からの返信

    基本的に苻堅、「氐族からは猜疑心で見られていた」と思うんですよ。うちが信じられないから外を頼る、みたいな感覚でいたような気がしてならないです。

  • どこもかしこも地雷原だね

    作者からの返信

    この頃の前秦は他の宗族も地雷原になっていたりで、ほんとなんなんこいつらって印象です。

  • この頃の前燕は破竹の勢いでしょうから、同僚なんかは良くやってるんじゃねぇのって感想だったかも知れませんね。

    作者からの返信

    個人的にはこの頃の建康、割と淮北の話を対岸の火事的に思ってたんじゃねえのって気もしています。ニンゲンソンナモノ……

  • 前秦は足元も固めたって感じですかね。
    やっぱりなんやかんや言うて桓温は名将ですね。

    作者からの返信

    前秦についてはまともに書かれてない期間で結構荒れてたんじゃないかって印象もあります。
    桓温、資治通鑑で見ると本当に印象悪いんですよね……将来、晋書とかでちゃんと補完しておきたい感じです。

  • 前燕ってば洛陽まで取っちゃいましたか。いや混沌として来ましたね。前秦は地力を貯めている所で、目の前の洛陽掻っ攫われて気分を害したかな。
    廃帝さんは廃位後も韜晦しながら酒飲んで生きたらしいので、殺されなかっただけ幸運なんでしょうね。

    作者からの返信

    ここから洛陽が落ちまくるので楽しみにしていてくださいw

    廃帝はこれ、どういう気持ちだったんでしょうね……まぁ皇帝から降ろされたときの開放感すごかったんじゃないか、と言う気はします。

  • 晋なんかは本当なら身内を諸王にして地方の旗頭にすりゃ良いのでしょうが、西晋で身内の大反乱やらかしているし心情的に無理だったんだろな。
    有力豪族の軍閥化とどっちがマシだったのかな。

    作者からの返信

    結局のところどう制度化するか、なんでしょうね。いまの法律が無駄に複雑なのも納得です……「誰かひとりが扱いきれる」ようなものだと、すぐ悪用に回る連中が出てきますし。

    編集済
  • 桓温配下に綺羅星の如くな諸将ですか。勝てはせずとも負ける気はしないですね。

    作者からの返信

    この当時の人物たちについては、さすがに淝水に絡むためかきらびやかな人たちが多いんですよね。追っていて面白いです。

  • 洛陽守備にやる気が無いと言うより、焼け野原に価値を認められなかったんでは?防衛に難しく復興に金を喰うなんてただの厄ネタじゃないですか。

    作者からの返信

    都市機能、そのものはズタボロだったんでしょうね。石勒対劉曜のときにどのような扱われ方したのか、とかも気になるところです。

  • そら前秦の民を襲って奴隷にした上で、苻堅に献上したらブチギレられるでしょ。匈奴鉄弗部って野蛮ダワ (*´ω`*)チョットカンガエヨー

    作者からの返信

    とは言え、間に「鉄弗の天敵」拓跋の視点が入ってしまっているので、どこまで鉄弗を無邪気に野蛮と言い切れるかと言えば難しそうです……

    まぁそれはそれとして野蛮だとも思いますが☆

  • いやさ、謝安さんが来たら万全っすよ。言うか最初は桓温の副官だったんですね。
    でも副官だったけど桓温のカリスマに当てられた無かったんですね。さすが謝安やで。

    作者からの返信

    世説新語を読む感じだと、かなりこの二人ってマブくさいんですよね、いつかちゃんと晋書も読んでおかなきゃと思いつつ幾星霜……もう日本語訳もあるのに……

  • 前秦は内部を固めていて外征は後回しだったのか。でも国境付近は東も南も緊張していたんじゃ無いかな。桓温はヤバい奴認識されたでしょうし、前燕はもっとヤバい奴らと思ってたでしょうし。

    作者からの返信

    内部を固めて、と言うと聞こえはいいんですが、苻堅即位後内部が荒れていたのを抑え込もうとしてたんじゃないかな、と思わずにおれません……こいつらの「書かない」による糊塗の常習ぶりときたら……(賈南風を見ながら)

  • いやなんと言うか王羲之って書が上手いだけの人じゃ無いんですね。寧ろ趣味でやってたのが書で本業は政治家なのかな。こう言う大事な時は、王敦のせいで王氏の影響力が低下したのが悔やまれますね。正しい事を言っても、悲しいかな貫目が足りないんだろうな。

    作者からの返信

    王羲之は太原王氏の王述と政争バリバリにやっていますし、政治家としてみてもなかなか面白いです。いわゆる蘭亭会は王述との政争に負けた後の隠棲先での歌会という趣もありますし。

    東晋ももっと人物増やして語りたいところではあるんですけど(なにせこの辺の人たち世説新語で慣れ親しんだ人たちばっかですし)、切りがなくなっちゃうんですよねえ。この時期にかなりおいしい琅邪王氏の王彪之の名前も我慢してる感じですし。

  • 段部は何か不思議ですね。やっぱり後漢から魏、晋と帝国が強大であった時に、鮮卑部族の筆頭であるとされていたんですかね。逸話でも晋に忠誠を尽くすが故に諸部には降伏などせんぞ的なのがあって、余程誇りとしていたのかなと。

    作者からの返信

    あるいは晋に近い立場が長かった、とかたもしれませんね。実際、あの位置だと晋にとっては対朝鮮半島の防波堤的な位置にもなりますので、公孫淵討伐あたりから何かがつながっているのかもです。

  • 苻堅‼️苻堅‼️苻堅‼️苻堅‼️(*´▽`*)
    ワイの好きな苻堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    なんか華北地方を平定したのに東晋との決戦で一度負けたら反乱されまくっちゃった苻堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    作者からの返信

    苻堅が来ました、司馬光さんの書き方がとてもキラキラしていて眩しいですw

  • 涼州と言うと、騎馬兵だとか結構強力なイメージがあるんですが、この頃はどうだったんでしょうね?まあ秦も燕も武力と経済力手に入れたのかな。

    東晋は洛陽ですか、なんだか不相応に余計なもの拾っちゃった気がしますね。しかし桓温の王衍への愚痴がチクチクと王氏一族に突き刺さるのがオモシロイな。

    作者からの返信

    この当時だとあまり騎馬兵力は目立ちませんね、どうしても先に鮮卑たちの騎馬兵力が目立ちすぎてしまうのもあるんでしょう。

    正直このタイミングの洛陽確保なんてデメリット以外の何物でもない気はするんですが、とはいえ「晋の誇の象徴」である以上、やらないという選択肢もなかったのでしょう。「国威が十分であれば」問題なかった選択肢だったけど、という感じなのでしょうね。

  • 苻生さんの事跡は例によって例の如くですか。ただ、こんな苻生さんでも武勇には優れていたとか書かれているのがこの時代ぽいな。

    作者からの返信

    ま、まあ武勇は統治能力に関係ないですし…(キョド


  • 編集済

    なんか符健さんのセリフが、かつて石虎さんが自分の腹心を亡くした時のセリフと同じ感じで不穏…。

    符健さんも石虎さんの後追いウサギとなるのだろうか…。

  • 韓信以来の侵攻路ってのは凄いですね。
    しかし良い所まで攻め込むけど補給が途絶えるって何時もの東晋スタイルですね。そこで他人の功績とか考えているんじゃない…

  • 前涼……、謝艾さんが居なくなって大変じゃないか⁉️

  • 東晋も前秦もダメ人間が多いなあ。
    姚氏を宥めきっておけば有力な藩屏となった可能性があったのにな。なんせあのはっちゃけ爺さんの遺言でもあるしな。

    やっぱり殷浩は詳しく解説が出来るだけの人だったんだろうな。

  • 強烈な武勇の持ち主って民族選びませんね。

    しかし「晋は鄴に置かれていた伝国の玉璽を盗み取り、さらには許昌で前秦軍と激突、敗北」って東晋ダサ過ぎじゃないか…
    おっかしいな、やっぱり指揮官が悪いのか。

    大学から学生を軍に集めたって事は、士官に相当する貴族の子弟がかなり死んだんでしょうね。或いは前線にでた殷浩が建康の気楽さにキレてしまったのか。

    作者からの返信

    この時期は特にそいつが際立つ時期、というのもあるのでしょう。宇文や段にもそういった武将を見かけますし、前趙で暴れた陳安とかもそう。

    この頃の東晋、準トップ層の使い潰しぶりがひどそうです。

  • 東晋が続いたかどうかは兎も角、桓温に北伐に向かって貰った方がマシだっただろうな。
    司馬昱さんって色々貶されているけど割と有能ですよね。誰が桓温を宥められたんだって話だもの。

    作者からの返信

    桓温がもう少し勝てていれば、とは思うんですけど、さりとてあの当時に北にいるのがなにせあの連中ですからねえ…

    司馬昱は一瞬で死ぬ皇帝としてみてしまうのがほんとに勿体ないですね。晋書からもっとちゃんと引っ張り出してみたいです。

  • 蔡謨さんって良いキャラクターですよね。大臣にならないのなら反逆罪とか無茶振りも良い所ですわ。

    作者からの返信

    蔡謨はひ孫もまた美味しいんですよ、ほんとにつえー一族です。

    そのぶん、いろいろ割りを食ったんでしょうね。

  • しかし苻氏って代々投降した人間を簡単に信用しちゃう、良く言えば大人の家風を持っている一族なんですかね。

    冉閔はあれですね、カリスマの欠けた石虎みたいですね。武勇だけ受け継いだ感。

    作者からの返信

    苻氏についてはよくわからないです、内輪揉めはかなり激しいですし。

    石虎は石虎でカリスマよりも武力全振りなところありましたしね……w


  • 編集済

    符堅⁉️、符堅って言った⁉️
    ひゃっふ~‼️、五湖十六国時代で好きな人物トップ10に入る符堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    最後の失敗が無ければ天下統一できたかも❓

    作者からの返信

    苻堅、本格登場はもう少し先ですが、いったん登場したらあとはもう一気に主役ですのでお楽しみにw

  • 姚弋仲と言う爺さんは、余程石虎と相性が良かったんですね。何たる元気者。

    東晋は何をやっているんだか…

    作者からの返信

    姚弋仲の叱咤はもはやツンデレというしかない感じですごいです。

    そして東晋はなんというか、「桓温がこのタイミングだった」のが幸と言うか不幸というか……

  • 石虎さんに対して一言『お前が言うな‼️』w

    作者からの返信

    この回、ツッコミが追いつきませんでした……w

  • しかし蜀地方の制圧後にすぐ反乱って流れはなんなんでしょうね。蜀漢滅ぼした晋が嫌いとかって流れがあるのか、悪政はあったとは言え成漢のがマシとかそんな感情があったんですかね。

    こういう時は、かの王導の有耶無耶力が欲しいもんですね。

    作者からの返信

    このあと、劉裕が派遣する朱齡石の軍もあっさり平定したあとに大規模反乱を招いています。正直この辺って「本来完全に違う文化圏の国なのに強制的に同化させようとした」ことの揺り戻しなんじゃないか、と思えてなりません。結果が違うとしたら、「王導が直接出向く」くらいしかなかったんじゃないかな、と。

  • 前涼の重華さん……、駄々っ子になりつつも臣下の諫言に耳を傾けて渋々とはいえ意見を取り下げる辺り、まともな君主やねw

    作者からの返信

    とはいえここから、ここからなんですよ…だんだんタガが外れていきます…劉聡や石虎と同じく「これ以上拡大しようのない苦しさ」から逃げようとしている印象もありますけど。

    編集済
  • 国内が纏っていれば、力で倒すのは難しいんでしょうね。成漢は内がグダグダになっていて半ば自滅ぽいですもんね。
    その点、西涼は纏まっていたのかな。勿論将の優劣はあるでしょうが、それだけじゃない感じ。

    作者からの返信

    成漢と前涼は後継の良し悪しが思い切り出た感じですが、ただそれ以上に「後継に大きく命運を預けざるを得ないことの地獄ぶりが目立つな」という印象です。そうせざるを得ない状況下とはいえ、もろもろキツい…

  • 殷浩さんか。清談の名手とは何だったんでしょうね。そんな人が何故北府軍率いるようになるのか…
    諸葛亮だとか管仲だとかと評判だったって事は、清談とは言え、結構政治絡みの討論なんかもしていたんですかね。

    作者からの返信

    清談のほか、軍略議論とかもあったんでしょうね。「実際に軍を動かさないまま」。きっと趙括がいっぱいいたんでしょう…(戦慄

  • 涼州も遂に自立の時期が来ましたか……、前涼の張さん家は善良な当主が多くて好きです❗(*´▽`*)

    作者からの返信

    涼州はここからぐらついていきますね…どこもかしこも行き詰まるとろくなことにならない印象です。

  • 桓温ってば32歳、数えだと33歳ですかで、西府軍のトップですか。凄いな。
    庾翼の引きがあった様ですが、戦略眼は兎も角人物眼は大したものだったのかなぁ。

    しかし後趙も前線の人達は優秀な様ですね。まあ中央には近付きたくなかったかもですが。

    作者からの返信

    庾翼はなんだかんだで各所現実路線を取っている印象ですね。兄よりは見えていたのかもしれません。「比較的」。まぁ、「けど庾氏」みたいな顛末でしたね……w

    後趙前宣武、戦「は」強いやつが揃っていそうです。「は」。

  • 白い鳥のは五行説だのからですかね?東晋の色が白で、白い物が出征の邪魔をした、不吉である的な。まあ何か正当な理由はあったのでしょうね。

    Amazonで五胡十六国時代勢力地図と言うものを買って眺めたのですが、東晋って思った以上に頑張っていたんですね。この大趙天王時代でも淮河が境界線ですもんね。
    そりゃ建康に居れば優雅な貴族文化も花開くってなもんですね。

    作者からの返信

    出征取りやめについては「思いついたけどちょっと無理っぽいので取り下げる劉が欲しかった」だったのかもなあ、とかは思ってしまいました。この頃の石虎のよくわからないぶりよ…

    当時の技術感覚からすれば、淮水での戦いなんてそれこそ中東ウクライナくらいだったでしょうね。当事者でこそあるけど、的な。


  • 編集済

    漢の時代(前漢か後漢)『娘が皇后になったけど外戚として権勢を振るう気は無いんだぜ‼️』って中央から身を引いたり、中央にいても分をわきまえて普通に暮らしてた一族は、後々に何かあっても周りの人々からは敵視されずに同情されたりしてるから、康帝さんの奥さんの実家(漢字難しいですね……、読めなかった・゜・(つД`)・゜・)はこの後静かにフェードアウトしてくのかな❓

    作者からの返信

    漢にもそういう家があったんですね! ネタバレすると褚氏はこのあと、普通に唐の褚遂良まで続く南朝一流の甲族であり続けます!

  • 桓愠さんも若い頃があったんやね~‼️

    北周建国者の宇文さん家は綱渡り状態……、北斉建国者の高さんは、この頃なにやってたんだろ❓、華北は『仁義無きナントカ』みたいで大変だったでしょうね…。

    作者からの返信

    桓温さんの若いころのかっこよさは異常。

    高さんもそれなりな豪族だったんだろうとは思います、と言うのも、遊牧民族なんて力のある一族じゃないと子孫を残せなかったでしょうし。あの地域の民について言えば「生き延びている」のが、一つの勝利の形かな、と。

  • 桓温ってば若い頃は男伊達なんだね。格好良いぜ。

    宇文部は一旦退場ですか。慕容部が強すぎたんだ (*´ω`*)

    作者からの返信

    そう、男伊達なんです!

    ちなみに若いころのエピソードを資治通鑑は華麗にスルーしていますw

  • 庾氏と王氏の暗闘があったんですね。
    成帝は若くして無くなったとは言え、幸運な人では有りましたよね。正直北なら三、四回殺されてますよね。
    ただ相変わらず皇帝の寿命が短いってって怖い世界です。

    作者からの返信

    資治通鑑ベースだとどのような対立があったのかわからないので、余裕が出たらちゃんと晋書にも当たりたいところです。こののち琅邪王氏が南朝の甲族化、庾氏が二軍落ちしてしまうのが、なんとも時代の皮肉。

    成帝康帝については、なんというか…「ほんとうに病死でござるかぁ〜?」感も正直否めないよな、と😅

  • 分からなくも無いけど、一度安定しちゃうと変革とかしたくなくなるもんだよね。

    作者からの返信

    この時期の東晋って、ある意味でこの世の春な気がするんですよね…地勢的に言えば、淮水の南北で国が割れてたほうがもろもろ平穏だと思いますもの。

  • 権力者同士が血で血を洗う抗争を繰り返している華北と違い東晋王朝でまとまってる上、華北地方がまとまらないから、ほぼ南進してこない状態の江南地方に住んでたら平和ボケするのも仕方ないのか❓、まるで今の日本かも❓(*´▽`*)

    作者からの返信

    この当時の東晋、よくも悪くも安定してますしね。敢えて戦争なんてリスク抱えたくなかったろうなあ、とは強く思いますw

  • 石虎の兄貴ィ…
    いや、慕容皝が上手いんですね。薊とか立派な城市だったろうに、良く落とせたもんだね。

    成漢は最後の徒花ですね。線香花火が最後の一瞬パチパチッってきらめくみたいな。桓温みたいなのが出て来るとは思わなかったろうな。

    作者からの返信

    石虎については南朝からも北朝からもヘイトされるしかない存在なので「じゃあどこまで実情に沿ってたの?」と聞かれると「なにひとつ信じられない」としか言いようがないんですよね……つまり後趙は辺縁部の情報はさておき、中央の情報についてはすべて小説と認識する以外ないのかな、って……

    成漢もまた、「あっちゅう間に桓温に滅ぼされるしかない国」とのみ扱われてる印象です。マジで実情の把握無理。

  • 遂に東晋が退場するときが来るのか……、劉宋まで後少し…。

    作者からの返信

    いやいや、劉宋建立は5/28です、かなり先です!!!

  • 庾亮何やってんの (ノД`)
    この庾亮と言う男って原理主義で、やらねばならないベースの人ですね。現実と理想で力が釣り合ってれば活躍出来たんでしょうが、何処か見えてない人だな。権力持つとはた迷惑な事限りないな。

    石閔は石虎の薫陶宜しく戦に強い所を存分に受け継いで居るんですね。悪い所も存分にですが (*´ω`*)メグルメグルヨ

    作者からの返信

    庾亮はこう、ありとあらゆるところでポカを決めますよね……
    人の心を知らない気がします、世説新語でも無意味に王敦を言葉で追い詰めようとして左右から足踏んで止められてましたし。

  • 慕容垂だ❗、遂にワイの五代十国時代の好きな人の一人、慕容垂が来た~‼️‼️(о´∀`о)

    でも何した人かあまり分かってないw

    作者からの返信

    ご安心ください、ここから嫌と言うほど慕容垂祭ですので……w

  • 石虎のアニィがヒャッハーしていないのを見ると物足りなく感じますね。でも遅れて来たくせに、先に宴会始めるとかどういう事よ言い掛かり付ける所が素敵ですわ。

    段部は本当に良く頑張りました。花丸上げたい。ここで宇文部がチラ見せする所が良いですね。どんな追い上げを見せてくれるんだろうか。

    作者からの返信

    慕容としても石虎となんか手を組みたくなかったでしょうけどね、けどそれ以上に段部を抜かないとどうしようもない……嫌なジレンマに囚われているものです。

  • 成が何故『成漢』と言われるのか疑問だったのですが『漢王』だったからなんですね❗、長年の疑問が解けてスッキリです

    作者からの返信

    そうなんです、別々の国号だけど国体的にほとんど変わっていないのでくっつけて、みたいな感じなんですね。とは言え十六国春秋だと「お前にそんな立派な名前はいらねえ、蜀だ蜀!」と切り捨てていて楽しいですw

  • 記述されなかった東晋では王導劇場が繰り広げられていたんでしょうね。

    流石に棺に28人は物理的に不可能なんで、お骨にしてからなんですかね?或いは一つの墳墓の石室に閉じ込めて封鎖したったとか?
    誅殺したものの息子ではあるしと弔って、ついでに息子と仲の良かった悪友連中を殉死させてあげたのだって事かも知れんね。

    後趙天王石虎陛下の話だから実際にあっても不思議じゃないけど、色々モリモリに盛られて伝わったとしても不思議じゃないですね。

    作者からの返信

    王導劇場……マジでどんなことがあったのか……

    石虎の虐殺劇、晋書載記だともう少し詳しいです。殺すのが孫にまで及んでいますから比較的小さなパーツも多かったのではないか、と思います。ちなみに石虎、孫のひとりを可愛がっていたのでその子だけは助けてほしいとか言い出して臣下に却下されてますw

  • 東晋はあれですね、今時ロックとかダッサ、これからはヒップホップすよ、ラップバトルっすよって感じですね。

    作者からの返信

    魏晋交代期では反骨の象徴だったのがめっちゃ骨抜きになってんですよねえ……

  • 石虎って何処で仏教に出会ったんでしょうね?
    色々小うるさく融通が効かない儒教が気に食わなくて、代わりの統治論を持つ(インドで実績あるもんな)仏教がよく見えたのか。

    しかし王導氏は妖怪ですね。多分ぬらりひょんか何かですわ。なんなんでしょうね、この生存力と言うか人誑し能力は。

    作者からの返信

    資治通鑑ではここが初登場ですが、晋書芸術伝仏図澄節に拠れば石勒が僧侶を虐殺していたところを謎のブッダパワーで心服させ、以降相談役的な立場になっています。この坊さんマジで生臭そうで最高です……w

    王導は後半のこのぬらっとした感じが真骨頂という感じですね、だからこそ切り盛りできた、と言うのももちろんありそうですし。東晋初期はほんと、奇跡の連続だなって思います。

  • 李雄は李氏の宗家だけ兄貴の子に返して、王家は渡さなければ良かったんですかね。そりゃ油断しかない状況ですが、親父の葬式で従兄弟暗殺とか無いですわ。

    姚弋仲はその時54前後ですから、まだまだ意気盛んなんじゃないですか。
    しかし石虎のアニィを怒鳴りつけるとか、きっと傘下団体の超武闘派のオジキですね。

    作者からの返信

    李雄についてはなにが正しかったよくわからないですね、結局桓温と苻堅に挟まれるわけで、これをどうかわすのよと問われれば、無理でしょ、としか言いようがない…

    大丈夫です! 五十代なかばは当時の平均寿命に照らせば十分余裕でジジイですので!!!

  • 後趙の跡目争い凄いっすね。なんかこう昭和のヤクザ映画ですね。石虎の兄貴流石ですわ。

    作者からの返信

    すごいですよね、「こんなコエーヤツのこと悪し様に言う以外の選択肢ないでしょ」感がやばいw

  • 流石に李寿を石虎と一緒にするのはどうなんでしょ。石虎が武闘派ヤクザとすれば、李寿は経済ヤクザくらいの差はあるんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

    まぁ正直スケールが(銃声

  • 遠方にある正統政府(自称)って便利ですよね。錦旗を入手できるし、余計な干渉してこないし。後趙に侵攻して略奪しても、これは解放戦争で我々に大義があるのだ的な言い訳出来るし。
    慕容氏にとっても、陶侃さんの親切な一言は、それは分かってるって感じだったんじゃないですかね。

    作者からの返信

    前涼以前は、袋小路的な感覚はあったでしょうけど、上手く立ち回っていますよねえ。

    慕容部についてはこの後、慕容皝がどのタイミングで燕王を名乗るに至ったのかが興味津々ですw


  • 編集済

    権力者ってノリノリの時に、過去の名君や英雄と比べるの好きよね……、劉邦にしても光武帝劉秀にしてもましてや曹操や司馬懿も部下に『俺って過去の英雄に例えたら誰❓』なんて聞かなかったし(曹操さんは似たことしてたけどw)、少なくとも後趙より大きい国家を建設した人々なので、その方々より偉大とは思えないのよねw

    作者からの返信

    石勒についてはこの時期、もう心理的には行き詰まってたんじゃないかなあって思います、せめて持ち上げてほしかった……みたいなw

  • 石弘が文に偏りすぎたのは、石勒にとって想定外だったのか、或いは自分自身で国体を盤石にするまで生きているつもりだったのか…
    とは言え文弱の主じゃ石虎がヒャッハーしなくても、生き残るのは難しかったでしょうけどね。

    いやなんかびっくりです。後趙にそれなりの水軍がある時期があったんですね。長江の南によく頑強な拠点を作られなかっったもんです。東晋は首の皮一枚ですね。


    作者からの返信

    たぶん石勒、自分も一代でどうにかなる、くらいのつもりでいたんじゃないでしょうか……ところがどっこい、的な。韓信と彭越というチョイスがなかなかに絶妙で面白いです。

    後趙の水軍はこれ、興味深いですよね。東シナ海ラインって軍港作れたんだ、みたいな驚きもありますしw

  • 前趙は25年ですか。短命でしたね。初代劉淵の時は希望に満ちた感じだったのにな。でも五胡十六国始まってまだ25年ですか。魔女の大釜とか蠱毒の壺は続くんですね。

    作者からの返信

    五胡勢力については、もっと官僚機構とかも深く分け入って把握できたらな、って思いました。劉淵が整えたように見えても、下部はわりと匈奴のシステムそのまま残ってそうです。それが前趙と後趙の明暗の分かれ道だったのかも、とかを思いました。

  • 東晋の人達って優秀な人多いけど、互いの相性が悪すぎてワロエル。でも当時の民衆は笑えなかったろうな。真顔で詰められそう (*´ω`*)ワルギハナインヤデ

    石虎って多分モヒカンで鋲付き革ジャン羽織ってる系だな。ヒャッハーとか言ってそう。

    作者からの返信

    蘇峻の乱とか、完全にとばっちりですよねえ、当時の民衆にとって……

    石虎についてはもちろん暴虐だったんでしょうけど、同時にその立場があまりにも「悪役に置かれるべき」場所なので、なんというか、今で言う悪事のフリー素材的扱いにもなってるんだろうな、という気もします。

  • 庾亮の信じていた東晋中央政府の権威と実力がとんだハリボテだったんですね。現実を見れないタイプだったんだろうか。しかし陶侃さん、チョロいな。

    作者からの返信

    陶侃のちょろさについてはなかなか判定が難しいな、って感じます。と言うのも中原人の場合、ナチュラルに見下しも忍び込みそうなので。世説新語のこの辺の話とかも
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054887536441
    書いた当時は陶侃のちょろさを当てこすっていますが、今ともなると「チョロくあってほしい」からそう演出してるんじゃないかな、とかとか……

  • 前趙は、やることなす事上手くいかないですね。それに乗じる事のできない東晋も東晋ですが、石勒さん居ますもんね。仕方ないか。

    作者からの返信

    この時代の不幸って、ひとえに「石勒がいた」に尽きる気がしていますw

  • 段部って地理的に難しい所に勢力圏があったんですね。東西南北逃げ場が無いんだもん。

    庾亮って良い様に考えると、権威しか無い東晋王家に力も集中させようとしたんでしょうが、言うて亡命政権ですもんね。そりゃ総スカン喰らいますわ。王導ののらりくらりとした感じの方が合っていたんでしょうね。
    とは言え、本気で北伐考えるなら庾亮の方針も間違いじゃないでしょうし、難しいですね。

    作者からの返信

    段部はほんによく立ち回ったよなって思います、まぁ彼らにとっては慕容部がでかくなるのが計算外だったと思うんですけど。

    庾亮について、その方向性はやむを得ないものだとも思うんですが、あいつなんて言うか人の心なさ過ぎで……w

  • 華北がドタバタしてる時に深夜徘徊……、石勒さん何してるんだw

    作者からの返信

    石勒さん、ちょっと情緒不安定っぽいです……w

  • 農業生産能力が落ちていたんですかね。5世紀の中国って結構冷涼で農業には厳しい環境だったって見かけました。
    遊牧民も南下せざるを得なかったのかも知れないですね。

    作者からの返信

    >5世紀の中国って結構冷涼で農業には厳しい環境だった

    これ、よく聞きますよね。実際に資治通鑑を追っても「飢饉」って単語がよく出てくるので、そうなのかも? と言う気はしてるんですが、ただこれ536年の大噴火
    https://en.wikipedia.org/wiki/Volcanic_winter_of_536
    みたいな感じでの傍証が薄くて、正直どう厚かったもんかなって思っています。

    第3章 魏晋南北朝時代の気候変動に関する初歩的考察

    https://core.ac.uk/download/pdf/12531519.pdf

    この辺拾えるといいんでしょうかね。「寒冷化が原因で遊牧民族も南下せざるを得なかった」が、一番しっくりくるので採用したいところなんですけど、だからこそこれを紹介するのに及び腰です。

  • 華北の人口増加率が異常ということは……、やはり北からの民族移動が起こっていたのでしょうか❓

    作者からの返信

    個人的には、当時の技術力だと中原人:騎馬民族って9:1位の人口比にならない? って印象があるんですよね。つまり騎馬民族的なスタイルを抱える以上、中原人は養いきれない気がしてるんです。もちろんこのあたりは単なる妄想です。

  • 正直、揚州ならともかく幾らあそこは平穏だよって言われても、涼州に逃げる人達って中々居なかっただろうな。なんか荒っぽいイメージあるもんな。

    地図見ると長安からは近いんですけどね。

    乱世に跡継ぎ争いの種を蒔いてどうするんだ…
    何とか生かそうとするなら自分が死ぬ前に、実子を人質として東晋か趙に送るくらいでしょうかね。

  • そっか、石勒にしたって鮮卑最大の拓跋部が内紛でゴチャついているし、本当に正念場だったんだろうな。慕容部は慕容部で良く喧嘩吹っ掛けたもんだよ。

    作者からの返信

    外交的やり取りって、基本的に全部ハッタリというか博打って印象です……w

  • 郭璞さんじゃないですか、占卜では自分の運勢は読めないんですね。 
    後世の占い師に、他人の運勢は占えても自分の運勢は占えないとか教訓を与えた偉大な人ですな。

    五胡十六国でシミュレーションゲーム作ろうとしたら大変でしょうね。相対的には東晋は最大国力保持で人材も居れば軍も弱くは無いもんね。なんでこれで追い込まれるんだ…

    作者からの返信

    きっとあれです、個々人を対象にした占いでは戦争による大量死を読めないんでしょう! しらんけど

    この当時の東晋、マジで粒ぞろいなんですよね。とはいえ五胡勢力も負けてなかったはずで、もう少し記録が残っていてくれたら…ってまあそんなこと言いだしたら、冒頓単于の時代の軍容とかも教えてくれとか言い出したくなるのでやめやめ。


  • 編集済

    曹氏を蹴落として皇帝になったのに内輪揉めと内憂外患で国が滅んで、逃げた先の江南で王氏に反乱喰らうなんて……、司馬懿や司馬孚が草葉の陰で嘆いてそう……、特に最後まで曹魏を守ろうとした司馬孚は祟ってきそう(´TωT`)

    作者からの返信

    これ、当時のひとも思ってたくさいんですよね。なので世説新語にも王導が晋の建立を語れば「こんな国長く続くわけねえじゃん!」と明帝が嘆くという…

    まあそこから一世紀近くなんだかんだで命脈を保つわけですが

  • 王氏も王氏だけど、元帝も元帝ですね。争ってる場合じゃねぇだろう…

    いやあ段部は晋側に付いたばっかりに、酷い意趣返しをされちゃいましたね。石勒的には慕容部との間に緩衝勢力が居たほうが良かったのかもね。この時点じゃ誰も分かんないですが…

  • 元帝も大変ですよね。至上の地位に立ったのに、心配で夜しか寝れないなんて。

    作者からの返信

    元帝的に、どこまで帝位が心地のいいものだったのかはやや気になるところですね、めっちゃ居心地悪そう。

  • この時一番治安が良かったのはもしかして涼州だったのでは❓(*´▽`*)

    作者からの返信

    この時代の涼州と、あと蜀はほんに平穏だったんだろうと思います。まあどちらもその後えらいことになりますが…w

  • 周訪は王敦にブチ切れたけど反乱はしていない様です。
    関係者名から見ると石勒に寝返って、東晋に鎮圧されたのは周撫みたい。

    羊皇后も逞しいですね。史書になんやかんや書かれていても、能ある人だったのかな。

    作者からの返信

    ありがとうございます、見間違えてた! 訂正を入れておこうと思います。

    羊献容、たくましいですよねえ。あとはまぁ「言わされた」じゃないことを祈るばかりです。

  • 乱世の一般人は大変ですね。北に行っても大乱、南でも大乱、留まっても地獄。

    靳準って何か勝算あったんだろか。やっぱり前帝の時代にやりすぎて、今代で誅殺間違いなしって考えちゃったか。

  • 吐谷渾って、起こりはそこなんだ。妙な名前だなって思ってましたが、初代部族長の名前からだったんだ。いやさ鮮卑部族が流れに流れたもんですね。500年続いたんなら立派なもんです。

    そりゃまあ端から見たら日和見野郎が何言ってやがるなんですが、司馬睿にしたって宗家が滅んじゃったし、棚にあったぼた餅は食うしかないだろ的な。別に権威は借りたけど、支援してもらった理由じゃないとか色々あるんじゃないですかね。後漢末、袁家の袁術と袁紹みたいだな。

    作者からの返信

    とよっこんはほんとにびっくりです、全く意味がわからない。

    まぁ司馬睿にしてみれば正規ルートだと石勒と真っ正面からぶつからないといけなかったりですし、まぁ正直どう頑張っても救援は無理だったと思うんですよね。むしろ十八史略の書きぶりの悪意がひどい感じです。

  • 国として組織立った軍ではなくて、地方義勇兵みたいなのが表に出始めるといよいよ終わり感ありますね。

    作者からの返信

    この辺の塢主は基本的に西晋の残滓ですよね、微妙に東晋というのとは違いそう。

  • 長安までは遠いですもんね。仕方ねぇっす。

    作者からの返信

    下手に武関ルートを使おうにも、察知された劉曜にボコボコにされるだけですしね。あまりにもデメリットが大きすぎる。愍帝も建業に落ち延びればよかったのに、とは思えてなりません。なんでよりによって行き止まりに…

  • 拓跋氏は代国だし、本当なら魏ではなく趙を名乗りたかった所ですかね。まあ既に使われていちゃあ仕方ないですけどね。
    王導って本当に優秀なんですね。

    作者からの返信

    孝文帝の前までは五胡国家を正統として見なしていた史観もあったみたいなんですよね。そこでたぶん趙が正統扱いされていたから使えなかった、とかが本当のことだとは思っています。

    王導の優秀さは本当にヤバいです、意味がわからない……

  • 王淩はなんとも残念な人だな。しかし祁弘が配下だったんですね。将軍じゃなくて主簿だったって。呂布も主簿だったし軍勢指揮の権限も大きかったんでしょうかね。
    と言うか祁弘が散々追い回した石勒が、どうして忠誠を誓ってくれると思ったんだろ。

    作者からの返信

    孫子とか呉子とか読んでいても、わりと軍事務と兵事は明確に分かれていたっぽいですからねえ。その辺のもろもろごとを回すのに、融通の利く動きを信じられる将軍には、事務官的な役職を背負わせていた方が動きやすかった、とかはあるのかもしれません。

    石勒のこと、漢人たちがとにかく信じすぎなんですよねえ……なんなんだ本当に、このひと。Xでは母の王氏が実は太原王氏の結構いいとこのひとだったんじゃないの、的仮説をお立てになっている方がいらっしゃるんですが、個人的には賛成したい仮説です。

  • こうなると鮮卑の各氏族に中原統治要員として迎え入れられた人達ってのは見る目があったんですね。そりゃ一時的にはド田舎に移ったかもですけど、貴重な文官枠で仕事で言えば晋に居た頃より面白かったでしょうし。

    作者からの返信

    この頃の慕容部入りした中原人たちの手元には「自分たちが国を作っている」手応えがものすごくあったんだろうなって思います。とはいえこのへんも、まぁ怪しいといえば怪しいんですよね。ここまでの感じ、慕容拓跋が最後に残ったからその創建伝説もよく書かれているだけな印象もありますし。なかなか物語以上には見ることが出来ないな、と。

  • 石勒さんは殺る時は殺る男 (*´ω`*)

    作者からの返信

    石勒のブッ殺マンエピソード、くっそ面白いの多いんですよね……袋詰め投擲事件とかも扱いたいは扱いたいんですが。

  • 石勒は半独立勢力だったんので地位を保てた感じですか。この負け戦の数からして完全な配下なら更迭されてそうですもんね。
    後漢末期の義勇軍ぽさ、劉備ぽい図々しさがオモローです。

    作者からの返信

    なんだかんだでこの当時の地元民からはヒーロー扱いされてたんじゃないかなあって気もしないではないです。晋目線だから悪し様に言われてるだけで。