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  • 分からなくも無いけど、一度安定しちゃうと変革とかしたくなくなるもんだよね。

  • 権力者同士が血で血を洗う抗争を繰り返している華北と違い東晋王朝でまとまってる上、華北地方がまとまらないから、ほぼ南進してこない状態の江南地方に住んでたら平和ボケするのも仕方ないのか❓、まるで今の日本かも❓(*´▽`*)

  • 石虎の兄貴ィ…
    いや、慕容皝が上手いんですね。薊とか立派な城市だったろうに、良く落とせたもんだね。

    成漢は最後の徒花ですね。線香花火が最後の一瞬パチパチッってきらめくみたいな。桓温みたいなのが出て来るとは思わなかったろうな。

    作者からの返信

    石虎については南朝からも北朝からもヘイトされるしかない存在なので「じゃあどこまで実情に沿ってたの?」と聞かれると「なにひとつ信じられない」としか言いようがないんですよね……つまり後趙は辺縁部の情報はさておき、中央の情報についてはすべて小説と認識する以外ないのかな、って……

    成漢もまた、「あっちゅう間に桓温に滅ぼされるしかない国」とのみ扱われてる印象です。マジで実情の把握無理。

  • 遂に東晋が退場するときが来るのか……、劉宋まで後少し…。

    作者からの返信

    いやいや、劉宋建立は5/28です、かなり先です!!!

  • 庾亮何やってんの (ノД`)
    この庾亮と言う男って原理主義で、やらねばならないベースの人ですね。現実と理想で力が釣り合ってれば活躍出来たんでしょうが、何処か見えてない人だな。権力持つとはた迷惑な事限りないな。

    石閔は石虎の薫陶宜しく戦に強い所を存分に受け継いで居るんですね。悪い所も存分にですが (*´ω`*)メグルメグルヨ

  • 慕容垂だ❗、遂にワイの五代十国時代の好きな人の一人、慕容垂が来た~‼️‼️(о´∀`о)

    でも何した人かあまり分かってないw

    作者からの返信

    ご安心ください、ここから嫌と言うほど慕容垂祭ですので……w

  • 石虎のアニィがヒャッハーしていないのを見ると物足りなく感じますね。でも遅れて来たくせに、先に宴会始めるとかどういう事よ言い掛かり付ける所が素敵ですわ。

    段部は本当に良く頑張りました。花丸上げたい。ここで宇文部がチラ見せする所が良いですね。どんな追い上げを見せてくれるんだろうか。

  • 成が何故『成漢』と言われるのか疑問だったのですが『漢王』だったからなんですね❗、長年の疑問が解けてスッキリです

    作者からの返信

    そうなんです、別々の国号だけど国体的にほとんど変わっていないのでくっつけて、みたいな感じなんですね。とは言え十六国春秋だと「お前にそんな立派な名前はいらねえ、蜀だ蜀!」と切り捨てていて楽しいですw

  • 記述されなかった東晋では王導劇場が繰り広げられていたんでしょうね。

    流石に棺に28人は物理的に不可能なんで、お骨にしてからなんですかね?或いは一つの墳墓の石室に閉じ込めて封鎖したったとか?
    誅殺したものの息子ではあるしと弔って、ついでに息子と仲の良かった悪友連中を殉死させてあげたのだって事かも知れんね。

    後趙天王石虎陛下の話だから実際にあっても不思議じゃないけど、色々モリモリに盛られて伝わったとしても不思議じゃないですね。

    作者からの返信

    王導劇場……マジでどんなことがあったのか……

    石虎の虐殺劇、晋書載記だともう少し詳しいです。殺すのが孫にまで及んでいますから比較的小さなパーツも多かったのではないか、と思います。ちなみに石虎、孫のひとりを可愛がっていたのでその子だけは助けてほしいとか言い出して臣下に却下されてますw

  • 東晋はあれですね、今時ロックとかダッサ、これからはヒップホップすよ、ラップバトルっすよって感じですね。

    作者からの返信

    魏晋交代期では反骨の象徴だったのがめっちゃ骨抜きになってんですよねえ……

  • 石虎って何処で仏教に出会ったんでしょうね?
    色々小うるさく融通が効かない儒教が気に食わなくて、代わりの統治論を持つ(インドで実績あるもんな)仏教がよく見えたのか。

    しかし王導氏は妖怪ですね。多分ぬらりひょんか何かですわ。なんなんでしょうね、この生存力と言うか人誑し能力は。

    作者からの返信

    資治通鑑ではここが初登場ですが、晋書芸術伝仏図澄節に拠れば石勒が僧侶を虐殺していたところを謎のブッダパワーで心服させ、以降相談役的な立場になっています。この坊さんマジで生臭そうで最高です……w

    王導は後半のこのぬらっとした感じが真骨頂という感じですね、だからこそ切り盛りできた、と言うのももちろんありそうですし。東晋初期はほんと、奇跡の連続だなって思います。

  • 李雄は李氏の宗家だけ兄貴の子に返して、王家は渡さなければ良かったんですかね。そりゃ油断しかない状況ですが、親父の葬式で従兄弟暗殺とか無いですわ。

    姚弋仲はその時54前後ですから、まだまだ意気盛んなんじゃないですか。
    しかし石虎のアニィを怒鳴りつけるとか、きっと傘下団体の超武闘派のオジキですね。

    作者からの返信

    李雄についてはなにが正しかったよくわからないですね、結局桓温と苻堅に挟まれるわけで、これをどうかわすのよと問われれば、無理でしょ、としか言いようがない…

    大丈夫です! 五十代なかばは当時の平均寿命に照らせば十分余裕でジジイですので!!!

  • 後趙の跡目争い凄いっすね。なんかこう昭和のヤクザ映画ですね。石虎の兄貴流石ですわ。

    作者からの返信

    すごいですよね、「こんなコエーヤツのこと悪し様に言う以外の選択肢ないでしょ」感がやばいw

  • 流石に李寿を石虎と一緒にするのはどうなんでしょ。石虎が武闘派ヤクザとすれば、李寿は経済ヤクザくらいの差はあるんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

    まぁ正直スケールが(銃声

  • 遠方にある正統政府(自称)って便利ですよね。錦旗を入手できるし、余計な干渉してこないし。後趙に侵攻して略奪しても、これは解放戦争で我々に大義があるのだ的な言い訳出来るし。
    慕容氏にとっても、陶侃さんの親切な一言は、それは分かってるって感じだったんじゃないですかね。

    作者からの返信

    前涼以前は、袋小路的な感覚はあったでしょうけど、上手く立ち回っていますよねえ。

    慕容部についてはこの後、慕容皝がどのタイミングで燕王を名乗るに至ったのかが興味津々ですw


  • 編集済

    権力者ってノリノリの時に、過去の名君や英雄と比べるの好きよね……、劉邦にしても光武帝劉秀にしてもましてや曹操や司馬懿も部下に『俺って過去の英雄に例えたら誰❓』なんて聞かなかったし(曹操さんは似たことしてたけどw)、少なくとも後趙より大きい国家を建設した人々なので、その方々より偉大とは思えないのよねw

    作者からの返信

    石勒についてはこの時期、もう心理的には行き詰まってたんじゃないかなあって思います、せめて持ち上げてほしかった……みたいなw

  • 石弘が文に偏りすぎたのは、石勒にとって想定外だったのか、或いは自分自身で国体を盤石にするまで生きているつもりだったのか…
    とは言え文弱の主じゃ石虎がヒャッハーしなくても、生き残るのは難しかったでしょうけどね。

    いやなんかびっくりです。後趙にそれなりの水軍がある時期があったんですね。長江の南によく頑強な拠点を作られなかっったもんです。東晋は首の皮一枚ですね。


    作者からの返信

    たぶん石勒、自分も一代でどうにかなる、くらいのつもりでいたんじゃないでしょうか……ところがどっこい、的な。韓信と彭越というチョイスがなかなかに絶妙で面白いです。

    後趙の水軍はこれ、興味深いですよね。東シナ海ラインって軍港作れたんだ、みたいな驚きもありますしw

  • 前趙は25年ですか。短命でしたね。初代劉淵の時は希望に満ちた感じだったのにな。でも五胡十六国始まってまだ25年ですか。魔女の大釜とか蠱毒の壺は続くんですね。

    作者からの返信

    五胡勢力については、もっと官僚機構とかも深く分け入って把握できたらな、って思いました。劉淵が整えたように見えても、下部はわりと匈奴のシステムそのまま残ってそうです。それが前趙と後趙の明暗の分かれ道だったのかも、とかを思いました。

  • 東晋の人達って優秀な人多いけど、互いの相性が悪すぎてワロエル。でも当時の民衆は笑えなかったろうな。真顔で詰められそう (*´ω`*)ワルギハナインヤデ

    石虎って多分モヒカンで鋲付き革ジャン羽織ってる系だな。ヒャッハーとか言ってそう。

    作者からの返信

    蘇峻の乱とか、完全にとばっちりですよねえ、当時の民衆にとって……

    石虎についてはもちろん暴虐だったんでしょうけど、同時にその立場があまりにも「悪役に置かれるべき」場所なので、なんというか、今で言う悪事のフリー素材的扱いにもなってるんだろうな、という気もします。

  • 庾亮の信じていた東晋中央政府の権威と実力がとんだハリボテだったんですね。現実を見れないタイプだったんだろうか。しかし陶侃さん、チョロいな。

    作者からの返信

    陶侃のちょろさについてはなかなか判定が難しいな、って感じます。と言うのも中原人の場合、ナチュラルに見下しも忍び込みそうなので。世説新語のこの辺の話とかも
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054887536441
    書いた当時は陶侃のちょろさを当てこすっていますが、今ともなると「チョロくあってほしい」からそう演出してるんじゃないかな、とかとか……

  • 前趙は、やることなす事上手くいかないですね。それに乗じる事のできない東晋も東晋ですが、石勒さん居ますもんね。仕方ないか。

    作者からの返信

    この時代の不幸って、ひとえに「石勒がいた」に尽きる気がしていますw

  • 段部って地理的に難しい所に勢力圏があったんですね。東西南北逃げ場が無いんだもん。

    庾亮って良い様に考えると、権威しか無い東晋王家に力も集中させようとしたんでしょうが、言うて亡命政権ですもんね。そりゃ総スカン喰らいますわ。王導ののらりくらりとした感じの方が合っていたんでしょうね。
    とは言え、本気で北伐考えるなら庾亮の方針も間違いじゃないでしょうし、難しいですね。

    作者からの返信

    段部はほんによく立ち回ったよなって思います、まぁ彼らにとっては慕容部がでかくなるのが計算外だったと思うんですけど。

    庾亮について、その方向性はやむを得ないものだとも思うんですが、あいつなんて言うか人の心なさ過ぎで……w

  • 華北がドタバタしてる時に深夜徘徊……、石勒さん何してるんだw

    作者からの返信

    石勒さん、ちょっと情緒不安定っぽいです……w

  • 農業生産能力が落ちていたんですかね。5世紀の中国って結構冷涼で農業には厳しい環境だったって見かけました。
    遊牧民も南下せざるを得なかったのかも知れないですね。

    作者からの返信

    >5世紀の中国って結構冷涼で農業には厳しい環境だった

    これ、よく聞きますよね。実際に資治通鑑を追っても「飢饉」って単語がよく出てくるので、そうなのかも? と言う気はしてるんですが、ただこれ536年の大噴火
    https://en.wikipedia.org/wiki/Volcanic_winter_of_536
    みたいな感じでの傍証が薄くて、正直どう厚かったもんかなって思っています。

    第3章 魏晋南北朝時代の気候変動に関する初歩的考察

    https://core.ac.uk/download/pdf/12531519.pdf

    この辺拾えるといいんでしょうかね。「寒冷化が原因で遊牧民族も南下せざるを得なかった」が、一番しっくりくるので採用したいところなんですけど、だからこそこれを紹介するのに及び腰です。

  • 華北の人口増加率が異常ということは……、やはり北からの民族移動が起こっていたのでしょうか❓

    作者からの返信

    個人的には、当時の技術力だと中原人:騎馬民族って9:1位の人口比にならない? って印象があるんですよね。つまり騎馬民族的なスタイルを抱える以上、中原人は養いきれない気がしてるんです。もちろんこのあたりは単なる妄想です。

  • 正直、揚州ならともかく幾らあそこは平穏だよって言われても、涼州に逃げる人達って中々居なかっただろうな。なんか荒っぽいイメージあるもんな。

    地図見ると長安からは近いんですけどね。

    乱世に跡継ぎ争いの種を蒔いてどうするんだ…
    何とか生かそうとするなら自分が死ぬ前に、実子を人質として東晋か趙に送るくらいでしょうかね。

  • そっか、石勒にしたって鮮卑最大の拓跋部が内紛でゴチャついているし、本当に正念場だったんだろうな。慕容部は慕容部で良く喧嘩吹っ掛けたもんだよ。

    作者からの返信

    外交的やり取りって、基本的に全部ハッタリというか博打って印象です……w

  • 郭璞さんじゃないですか、占卜では自分の運勢は読めないんですね。 
    後世の占い師に、他人の運勢は占えても自分の運勢は占えないとか教訓を与えた偉大な人ですな。

    五胡十六国でシミュレーションゲーム作ろうとしたら大変でしょうね。相対的には東晋は最大国力保持で人材も居れば軍も弱くは無いもんね。なんでこれで追い込まれるんだ…

    作者からの返信

    きっとあれです、個々人を対象にした占いでは戦争による大量死を読めないんでしょう! しらんけど

    この当時の東晋、マジで粒ぞろいなんですよね。とはいえ五胡勢力も負けてなかったはずで、もう少し記録が残っていてくれたら…ってまあそんなこと言いだしたら、冒頓単于の時代の軍容とかも教えてくれとか言い出したくなるのでやめやめ。


  • 編集済

    曹氏を蹴落として皇帝になったのに内輪揉めと内憂外患で国が滅んで、逃げた先の江南で王氏に反乱喰らうなんて……、司馬懿や司馬孚が草葉の陰で嘆いてそう……、特に最後まで曹魏を守ろうとした司馬孚は祟ってきそう(´TωT`)

    作者からの返信

    これ、当時のひとも思ってたくさいんですよね。なので世説新語にも王導が晋の建立を語れば「こんな国長く続くわけねえじゃん!」と明帝が嘆くという…

    まあそこから一世紀近くなんだかんだで命脈を保つわけですが

  • 王氏も王氏だけど、元帝も元帝ですね。争ってる場合じゃねぇだろう…

    いやあ段部は晋側に付いたばっかりに、酷い意趣返しをされちゃいましたね。石勒的には慕容部との間に緩衝勢力が居たほうが良かったのかもね。この時点じゃ誰も分かんないですが…

  • 元帝も大変ですよね。至上の地位に立ったのに、心配で夜しか寝れないなんて。

    作者からの返信

    元帝的に、どこまで帝位が心地のいいものだったのかはやや気になるところですね、めっちゃ居心地悪そう。

  • この時一番治安が良かったのはもしかして涼州だったのでは❓(*´▽`*)

    作者からの返信

    この時代の涼州と、あと蜀はほんに平穏だったんだろうと思います。まあどちらもその後えらいことになりますが…w

  • 周訪は王敦にブチ切れたけど反乱はしていない様です。
    関係者名から見ると石勒に寝返って、東晋に鎮圧されたのは周撫みたい。

    羊皇后も逞しいですね。史書になんやかんや書かれていても、能ある人だったのかな。

    作者からの返信

    ありがとうございます、見間違えてた! 訂正を入れておこうと思います。

    羊献容、たくましいですよねえ。あとはまぁ「言わされた」じゃないことを祈るばかりです。

  • 乱世の一般人は大変ですね。北に行っても大乱、南でも大乱、留まっても地獄。

    靳準って何か勝算あったんだろか。やっぱり前帝の時代にやりすぎて、今代で誅殺間違いなしって考えちゃったか。

  • 吐谷渾って、起こりはそこなんだ。妙な名前だなって思ってましたが、初代部族長の名前からだったんだ。いやさ鮮卑部族が流れに流れたもんですね。500年続いたんなら立派なもんです。

    そりゃまあ端から見たら日和見野郎が何言ってやがるなんですが、司馬睿にしたって宗家が滅んじゃったし、棚にあったぼた餅は食うしかないだろ的な。別に権威は借りたけど、支援してもらった理由じゃないとか色々あるんじゃないですかね。後漢末、袁家の袁術と袁紹みたいだな。

    作者からの返信

    とよっこんはほんとにびっくりです、全く意味がわからない。

    まぁ司馬睿にしてみれば正規ルートだと石勒と真っ正面からぶつからないといけなかったりですし、まぁ正直どう頑張っても救援は無理だったと思うんですよね。むしろ十八史略の書きぶりの悪意がひどい感じです。

  • 国として組織立った軍ではなくて、地方義勇兵みたいなのが表に出始めるといよいよ終わり感ありますね。

    作者からの返信

    この辺の塢主は基本的に西晋の残滓ですよね、微妙に東晋というのとは違いそう。

  • 長安までは遠いですもんね。仕方ねぇっす。

    作者からの返信

    下手に武関ルートを使おうにも、察知された劉曜にボコボコにされるだけですしね。あまりにもデメリットが大きすぎる。愍帝も建業に落ち延びればよかったのに、とは思えてなりません。なんでよりによって行き止まりに…

  • 拓跋氏は代国だし、本当なら魏ではなく趙を名乗りたかった所ですかね。まあ既に使われていちゃあ仕方ないですけどね。
    王導って本当に優秀なんですね。

    作者からの返信

    孝文帝の前までは五胡国家を正統として見なしていた史観もあったみたいなんですよね。そこでたぶん趙が正統扱いされていたから使えなかった、とかが本当のことだとは思っています。

    王導の優秀さは本当にヤバいです、意味がわからない……

  • 王淩はなんとも残念な人だな。しかし祁弘が配下だったんですね。将軍じゃなくて主簿だったって。呂布も主簿だったし軍勢指揮の権限も大きかったんでしょうかね。
    と言うか祁弘が散々追い回した石勒が、どうして忠誠を誓ってくれると思ったんだろ。

    作者からの返信

    孫子とか呉子とか読んでいても、わりと軍事務と兵事は明確に分かれていたっぽいですからねえ。その辺のもろもろごとを回すのに、融通の利く動きを信じられる将軍には、事務官的な役職を背負わせていた方が動きやすかった、とかはあるのかもしれません。

    石勒のこと、漢人たちがとにかく信じすぎなんですよねえ……なんなんだ本当に、このひと。Xでは母の王氏が実は太原王氏の結構いいとこのひとだったんじゃないの、的仮説をお立てになっている方がいらっしゃるんですが、個人的には賛成したい仮説です。

  • こうなると鮮卑の各氏族に中原統治要員として迎え入れられた人達ってのは見る目があったんですね。そりゃ一時的にはド田舎に移ったかもですけど、貴重な文官枠で仕事で言えば晋に居た頃より面白かったでしょうし。

    作者からの返信

    この頃の慕容部入りした中原人たちの手元には「自分たちが国を作っている」手応えがものすごくあったんだろうなって思います。とはいえこのへんも、まぁ怪しいといえば怪しいんですよね。ここまでの感じ、慕容拓跋が最後に残ったからその創建伝説もよく書かれているだけな印象もありますし。なかなか物語以上には見ることが出来ないな、と。

  • 石勒さんは殺る時は殺る男 (*´ω`*)

    作者からの返信

    石勒のブッ殺マンエピソード、くっそ面白いの多いんですよね……袋詰め投擲事件とかも扱いたいは扱いたいんですが。

  • 石勒は半独立勢力だったんので地位を保てた感じですか。この負け戦の数からして完全な配下なら更迭されてそうですもんね。
    後漢末期の義勇軍ぽさ、劉備ぽい図々しさがオモローです。

    作者からの返信

    なんだかんだでこの当時の地元民からはヒーロー扱いされてたんじゃないかなあって気もしないではないです。晋目線だから悪し様に言われてるだけで。

  • 何というかこの混戦を見ると、長江を境として仕切り直しって考えるのは有りですよね。
    北宮純は職業軍人って事なのかな。やっぱり西晋って国としての機構が未だ生きている感じですよね。魏から西晋の統治機構を作った人達の優秀さなのか。北宋から南宋の地方義勇兵を集めてって感じじゃないですね。

    作者からの返信

    匈奴漢はそれでもまだ「魏晋の息子」的なところもあったんだろうな、とも思います、「劉淵の代までは」。なのでまだ内遷みたいなふいんきがでないでもなかったんだけど、劉淵の死で全部がおじゃんになるという……

    劉聡、「洛陽を破壊した悪役」というところで割をくらってるところもあるとは思うんですが、それにしても、それにしてもなんですよね。

  • 何というか劉淵さんって、部下がオイタした時に普通に怒りますよね。凄いまとも。いや指示をしっかり出しないさいよとかあるんですが、教養人的にそこまでアホな事せんやろって思ってたのかな。

    作者からの返信

    おいたしたのを怒ったというのもあるでしょうし、演出的なところもある気がします。なにせあの辺のやらかしを降格で終わらせるのはさすがにどーよ、と。劉景なんかは劉聡政権でむしろ中心人物化してますし、ちょとなんだかなぁ感も感じないではないですw

  • 苟晞さんの伝をチラリとWikipediaで見ましたが、この人はヤベェっすね。ただ理想が高すぎたのか、余程風紀委員長体質だったのか、公私を峻拒し過ぎて皆から好かれる人ではなかった様子。
    エピソード見るに私人としては、情の厚い人の様なのだけどなあ。
    まあ例え犯罪者とは言え、死罪連発で死体を積み上げてちゃ怖さしかなかったでしょうよ。

    作者からの返信

    厳しい時代に厳しい人が必要になるのはしかたないにせよ、それにしてもこのひとモズグズ様過ぎるんですよね、ベルセルクの……w

  • 恵帝遂にお亡くなりに。恵帝はこの内乱をどう思っていたんでしょうね。錦の御旗がどちらにあるかのツール扱いだったろうに。

    しかしこれだけ荒れているように見えて、軍閥が割拠していると言う感じには未だなってないですね。晋と言う国の統制はそれなりに取れている感あって、不思議な感じ。

    作者からの返信

    軍閥割拠よりも前に外が割れすぎたというか、まぁ「所詮晋の当時の影響力ってそんなもん」というのが一番しっくりくるのかもしれません。乱の地域が、ぶっちゃけ狭すぎ。

  • 暴れている諸王領の兵とは別に、晋の正規軍はそれはそれで優秀だったのか。

    作者からの返信

    優秀です、特に劉弘陶侃ラインが強烈ですし、
    張軌も本人だけなら十分晋の名吏ですし。

    上が使いこなせていなさすぎ、って印象です。

    編集済
  • 劉淵の戦歴てば意外と勝ったり負けたりなんですね。

    作者からの返信

    結構びっくりしました、特にたくばついろとの戦争はもっと詳しく教えてくれって気分ですw

  • これは最早、民とすれば劉淵様状態だったんでは。普通に愛想が尽き果てた感ですよ。

    作者からの返信

    晋書だと「五胡」として書かれてますけど、初動はたぶんかなりガッツリ漢人国家のガワかぶってそうですよね。まぁ劉淵死亡で全部剥がれたでしょうけど。

  • 八王で乂さんはほぼ悪い所無いよね。穎を見過ごしていたのが悪いちゃあ悪いけど、それを言っちゃあお終いだもの。

    作者からの返信

    向こう見ずにすっ飛ばす、みたいな人ではありそうですw

  • 滅ぶのに理由ありってやつですか。これだけ内憂してれば、外患が蠢動しないわけ無いじゃない…
    もうどうにも同情する所無いですよね。恵帝がひっそり未だ生きているのが、たちの悪い冗談みたい。

    作者からの返信

    八王の乱の「そんなことしてる場合じゃねえだろいい加減にしろ」ぶりはほんとにおかしいです……とは言え歴史は起こるべくして起こってるわけで、それが必然になってしまってる事実が更に恐い……

  • Googleマップで地形レイヤを有効にして蜀の辺りを見ると無茶苦茶広大な盆地な上に川が縦横に走ってるわ、周囲は山脈だでむっちゃ良い土地ですね。それこそえり好みしなきゃ発展しか無い土地ですよね。

    作者からの返信

    状況的には割と甲府盆地みたいだったみたいです、つまり結局は治水しないとどうしようもない、って言う。このあたりを始皇帝の時代に改善しちゃうとか、あの国の治水レベルマジでわけわからんです……w

  • こっちの汚い孫秀も小物臭いんだけど策謀家としては優秀なんですよね。孫秀ファンとか居るんだろか?

    作者からの返信

    お一方知っています、司馬倫と孫秀のワンセットで。その方の影響で、自分も結構好きになりましたw

  • やっぱり恵帝が一番悪いですね。まあ更に言うなら武帝が悪いですね。確かに司馬一族は優秀な人達が多いけど、野心家もむっちゃ多いの分かってたやろと。

    賈南風は賈南風で、運がないよね。なんせ恵帝との間に4女居るんだもの。男児が生まれていれば別の道あったのかもね。

    作者からの返信

    恵帝はもともと暗愚極まりなかったので、責任という意味ではもう完璧に武帝だと思うんですよね。どう考えても恵帝に押さえ込めるはずがない。

    賈南風については、ただただ追い詰められぶりがヤバいっすね……

  • 孟観って勇猛で有能だったかもですが、大分粘性が強い感じですね。
    若い時分には賈南風に付いて楊駿一族を三族皆殺しの目に合わせるは、内乱鎮圧で大活躍するわ、最後は司馬倫にベットして三族皆殺しになるって波乱万丈過ぎですわ。

    作者からの返信

    なかなかこの時期の名将ってクセが強くて面白いですよね。その中で強さだけで個性を出す祁弘の異常さよ。

  • 清談ですか。あれですねウッドストック・フェスティバルでヒッピーでラブ&ピースで葉っぱサイコーってムーヴなんですね。

    作者からの返信

    やってもいいけど高官がやるなと言う印象です……w

  • 反乱の初動で、鎮圧にベストな将を選定している(ここまでは有能)のに、何故おまけで足枷を付けてみるのか…西晋って何やっても裏目に出る感ありますね。
    まあそりゃ中原に異民族が相当数住み着いた後に異民族主体の蜂起ってのは初めてだったからかもしれないですが。

    周処に討伐に向かったら死ぬから引退しなはれって勧めたのは、きれいな方の孫秀さんなんですね。似た年代の同姓同名はヤヤコシイ。

    作者からの返信

    枝を増やしてもその枝の剪定もまた重要なんですよねえ……結局のところ権力がそもそも毒だってところからスタートせんことにゃどうしようもない印象。ここの自認を怠ってだいたい沈没してる気がします。この辺に対して李淵の発言が、たとえポーズだとしても権力が毒であることを強く自覚してたのがカッケーです。

    この時代の孫秀二人、どっちも割と存在感でかいのが困りものですね……w

  • 王莽の首とか何ですかその特級呪物…

    作者からの返信

    なんでこんなもん保管しとくねん感が半端ないですよね……w

  • 北方の情勢がじわじわきな臭くなっていくの良いですね。
    しかし余白が多い時代って、それはそれで創作の余地があっておもろいですね。

    作者からの返信

    このあたり、ほんにどのようにも書ける感じが素敵です。少なくともここで司馬越をめっちゃ活躍させないとあとの展開との整合性がとれませんし……w

  • 内乱無ければどうなっていたでしょうね。まあ所詮は時間の問題だったのかも知れませんが。

    作者からの返信

    結局似た流れにはなったと思うんですけど、全然その形は想像がつかないです。誰がどう動くのか…

  • 誰もが「どうしてこうなった」って首を傾げそうですね。

    司馬懿の末子が生きてたってのも驚きですね。50代なんで意外と若いと言うべきか。

    作者からの返信

    いやほんと、司馬倫孫秀ペアがいなかったときにどうなるのかさっぱり読めないんですよね、あそこまでわかり易すぎるトリガー的存在はイフを考えるにも換えが効かない…

  • 劉琨さんてば、中山靖王劉勝の末裔なんですね。なんかワロタ。縁故頼って蜀には流れなかった一族なんですね。

    いや確かに恩人殺しまくるのはヤバいですね。呂太后はヤバいけど、政敵を殺すだけだったもんね。

    作者からの返信

    賈南風については「もろもろあって、そのような結果になってしまった」ことをセンセーショナルに書きたてられている印象が強いんですよね。それをさもはじめから計画的に企んでいた、とされた、みたいな。

    普通に考えれば、こんな鮮やかな抹殺連鎖を計画し、しかも完遂なんてできるはずがないと思うんですよ。利害の絡む人物が多すぎますし。史家にとって結果があまりにも都合が良すぎた、としか思えません。

  • 賈南風はやり過ぎたんですかね。前漢の呂太后なんかを意識し過ぎたのかしらん?

    作者からの返信

    「史家が呂太后のように扱いたいたすぎた」なのかな、って。あんまりにもテンプレ過ぎますし……

  • 当時の一般の人達ってどんな風に思っていたんでしょうね。三国から統一で、平和な世になるって思ってたんですかね。
    あ、統一したから武帝だったのか。じゃあ世間一般には中原から争いを無くした偉大なる皇帝って評価だったのかも。

    作者からの返信

    天下統一とかいいながら周辺地域にはあんまり影響なかったんじゃないかなとも思います、上がアレで行政組織がどこまで機能するなんかなんてあまりにも心許ない……

  • 戦乱が続くと荒れた地域じゃ儒教は無力だから教化を一からやり直しだもんね。
    前漢も呉楚七国の乱起きましたしね。まあ呂氏一族は排斥したんで功罪相半ばなのかも。
    かと言って後漢真似たらアカン気がしますもんね。

    作者からの返信

    司馬熾は劉氏より突出した存在じゃなかった、ってのも一つなのかなって思ってます。つまりそれだけ下のやつらが御神輿として担ぎやすかった、的な。

  • 草原の覇者も移り変わるもんですね。
    さあ、いよいよ350年レースが始まるのか。100年戦争どころじゃないな、ホント。

    作者からの返信

    各国、でこの書き方でどういう見え方がするようになるのか、全く読めないんですよね。楽しみです!


  • 編集済

    匈奴10万世帯は流石に眉唾ぽく聞こえますね。白髪三千丈のたぐいぽいなあ。でも大挙して南下したのは確かなんでしょうね。
    この後の事考えると鮮卑族から圧迫されたんですかね。ローマ帝国のフン族の話ぽいな。
    違ったフン族に押し出されたゲルマン民族ぽいなと。

    作者からの返信

    「過大に申告しない人間の謙虚さが異常とされる時代」ですものねえ……たぶん帰属受け入れ担当が盛大に数字を盛ったんだろうとw

  • 匈奴って意外とカジュアルに帰順しますよね。北方で部族間の争いが激しく行われてたとかあるのかな。

    作者からの返信

    匈奴より北のこと、漢文史料だとまったくわかりませんものねえ……実際のところ匈奴も「はざまの民」ではあったはずなんですが。

  • 劉毅って偶に中国史に現れる皇帝相手に直諫しても殺されない人ですね。どんなだけ覚悟ガンギマリなんだろう。

    作者からの返信

    たぶん家柄もヤバかったんじゃないかなあって思います。下手に切れない家柄というか。そうすると魏徴がよくわかんなくなるやつですが……w

  • 劉毅さん、よくその場で殺されなかったな。

    諡号で荒とか実際にあるもんなんですかね?そりゃ霊や幽よりマシな気はしますけども。生きてる時から評判悪かったんでしょうね。

    作者からの返信

    司馬炎は良くも悪くも果断ではない、ということなんでしょうね。このあとその辺がかなり露骨に吹き出てます。

    賈充については、たぶん支持してるの司馬炎くらいだったんじゃないか……みたいな気もしていますw


  • 編集済

    二代目が統治を固める以前に初代がご乱脈か。でも劉邦みたいに疑心暗鬼で功臣殺しまくるとかでもないのね。

  • 賈充さんがウググググって言ってそう。

    後漢末から三国でどれだけ人口減ったんでしょうかね。とは言え、楚漢戦争程酷くは無かったでしょうし、匈奴の最盛期にぶち当たった訳でも無いから、何かやり方で安定した晋が登場って可能性はあったのかも知れないですね。
    前漢だって外患もあれば、内乱もありましたし、何が違ったんでしょう。

    作者からの返信

    人口については、正直「わからん、なんもわからん……」って感じです、あの時代の人口統計ほど信じる意味もないものもない……

    個人的には「漢のやり方がもう通用しなくなってるのに引き続き漢式で回そうとして大やけどした」なのかな、って思っています。とは言え何をもって漢式と呼べばいいのか、はよくわからないんですけど。

    前漢と決定的に違うのは、胡族徙民が内部に入り込みすぎていた、ということなんでしょうね。石勒なんて五胡とは言っても漢土ど真ん中からの決起ですし。

    編集済