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  • 蜀って余程土地柄が違うんでしょうね。

  • 前話ですけど劉義慶が30そこそこで引退したいとかほざいたの聞いたら、そりゃあ皇帝陛下ちょっとキレ気味で却下するよね。

    作者からの返信

    この頃の南朝ってかなりやばいレベルで追い詰められてそうなんですよね、そのへんのヤバさを地方と中央がきっちりリンクできてれば…と思わずにおれません。

  • 叔孫建すげえな。もうこの時で70歳位ですか。キャラが立っているなあ。しかも最初は拓跋珪の小姓からでしょ。北魏の生きた歴史そのものだわ。

    作者からの返信

    叔孫建は間違いなく北魏初期のトップ將ですよね

  • さらっと書いてますけど、「馮跋の子百人あまり」でワロタ。

    作者からの返信

    ビッグダディですよね、城戸光政もビックリ…

  • しかしまあ太武帝は自分で動き回る派の武帝ですね。腰が軽いなあ。ひょいひょいと遠征しちゃうんだから。でもこれって後方に信頼の置ける文官衆なんかが居たって事なんでしょうね。崔浩さんは自分を張良だって準えていたって事で、他に蕭何の様な人も居たんでしょうね。

    作者からの返信

    道武、明元の動きを見ても、皇帝の動きに「都を守る」が全くなさそうなんですよね…少なくとも太武までは遊牧民族系の動きが強く刻みつけられていそうです。

  • 劉義恭って本人はまあ栄華を極めた上で殺されたけど、子供は殆ど巻き添えで殺されてるって人生送ってるんですね。

    しかし北涼とか西秦とか細々と争ってますね。争っても先が見えないんだけどな。
    吐谷渾なんかはこの争いをどう見てたんでしょうかね?

    作者からの返信

    劉裕の息子たちは全員不幸な死に方をした、と見ていいでしょうね。末っ子の劉義季にしたってたぶん韜晦の末の酒毒死だったでしょうし。そりゃ皇帝の家になど生まれたくないと皇族が嘆くわけです。

    西秦はほんに何やってるんでしょうねえ。とは言えここまで生き延びてるのが既に驚異的でもあるわけで。俄然西秦の伝を読むのが楽しみになってきました。

  • 夏もよく分からんね。負けて負けて潰されるかと思ったら跳ね返すんだから。

    太武帝麾下だとまあ楽しかったんじゃないでしょうか。勝運のある大将って得難いもの。

    作者からの返信

    ただ太武帝の配下だと、相当戦才がないと生き延びられなかったでしょうね……しょぼい戦い方したら即処刑されそうなふいんきがあのひとには見え隠れしてますし。

  • 北魏が貯め込んでたエネルギーを解放する勢いですね。流石に西の方で細々戦っていた国々も諦めるか。

    作者からの返信

    いやほんと、治世の大半を「貯め込む」に注ぎきった明元帝やばすぎっす……

  • やっぱりこの時代の人は寿命が短いですね。赫連勃勃もたった44歳で没ですよ。信長より寿命が短いんだなあ。

  • やっぱり明元帝って大した人ですね。治世の間に拡大政策は取っている感じじゃなかったので、軍が弱体化したかと思ったら全然そんな事無いんだ。太武帝は大っきな基礎があってこその飛躍だったんでしょうね。

    宋はなんか纏まらない感じですね。やっぱり二代目が重要なんだろうな。
    ただ宋の歴代皇帝って艶福家なんですね。子沢山が多いなあ。
    子女合わせて二十数人から三十数人って、子供達でラグビー出来るじゃないか。

    作者からの返信

    明元帝はほんに化け物だと思います、なんで四十にもならないのにこんなクッソ優秀なつなぎ役できちゃってんだよ、と言う。

    皇帝については艶福とすると見誤ると思っています。というのも「絶対に跡継ぎを残して国を引き継がせねばならない」ので、たぶん、大体の「おつとめ」が、文字通りただの仕事だったのではないかな、と。

  • まあ劉義真が皇帝になるくらいならって気持ちは分かるけど、此処までやらかした劉宋が建前論とか言ってんじゃねえって思いますね。

    禿髪傉檀の娘は単純に邪魔になったから殺された系じゃないんですかね?ドロドロの昼ドラぽい。

    作者からの返信

    劉宋がどうこうと言うより、それこそ「基礎」、つまり東晋のグズグズぶりをそのまま引き継いだようにしか見えないのですよね。マジで「頭をすげ替えただけ」にしか見えないという…

    西秦はなんか暮末がおそまつというイメージでしたが、しばんの段階でかなりヤバそうです。これは西秦の十六国春秋読むのが楽しみになってきた…

  • 明元帝何があったんでしょうね。やっぱり目障りな劉裕が亡くなったのを知って血が騒いでしまったのか。

    いやしかし、同じ黄河の南岸とは言え青州側で良く防げましたね。平地なんで騎馬部隊に荒らされまくったろうに。いや劉宋側にも優秀な騎馬隊居たのかな。まあ河幅がアホみたいに広いってのが大きいのでしょうが。

  • 寒食散やっぱり許すまじですね。一体何人の有為な人材がパッパラパーになった事やら。

    劉裕の頼りにならない弟は、ここで亡くなって正解だったかもですね。生きてたらろくな事にならなかった気がする。

    作者からの返信

    どちらかといえば寒食散に頼らざるを得ないくらいストレスフルな北魏クソ王朝が怖すぎるな、と思ってますw

    劉道憐……なんというか、このタイミングでうっかり暗殺されてても不思議ではない気もしています、なにせ劉宋人たち、劉裕いがいのこと、かなりナメていそう…

  • 拓跋嗣はほんと出来る2代目って感じですね。赫連勃勃許さんとか思っていたとしても戦を吹っ掛ける訳でもなし、姚興の娘婿と言う立場でも、義親父の仇じゃあって盛り上がるわけでもなし、着々と地盤を岩盤に変えて行ったんだろな。

    作者からの返信

    いやほんと、北魏が北朝として君臨できたの、間違いなく拓跋嗣ありきなんですよね。このひとの伝記がどこかから発掘されたら、ほんとすごいことになりそうな気がします。個人的には「魏晋南北朝期におけるナンバーワン君主」の座を余裕で争えます。

    編集済
  • 夏と北魏以外は宋と同盟するしか無さそう。でも劉裕が皇帝になったって北方諸国はどう見たんでしょうね?

    作者からの返信

    ここについてぶっちゃければ…

    たぶん周辺国、北魏と劉宋が
    繰り広げる名目論について
    「なに強さと関係ない基準で
     ぎゃいのぎゃいのしてんだ
     こいつら?」

    くらいの感情しかなかったと思います!

    「こいつらのロジック
     よくわかんねえけど
     逆らったら潰される」

    みたいな。

  • 長安の一件は、棚ぼたや取りましょうって言うた王買徳と行動した勃勃っあんのみ正しいですね。

    作者からの返信

    まー正直この辺って「劉裕の長安攻めからしてなんかうさんくさい」ので、何から何まで評価のしようがないと思っています……わからん。

  • てっきり長安を任された劉義真がボンクラだったのかと思ったら、この時10歳だか11歳だかじゃないですか。これはもう名目上の将でしかないので、仲間割れした王鎮悪と沈田子が悪いな。劉裕にしても能力で言えば十分な二人に預けたつもりだったろうに、二人の相性が最悪だったとはなあ。

    作者からの返信

    このあたりは、いくらでも脚色して書ける気がしています。つまり「実際に何があったのか」なんてものは、考えるだけ無駄。劉裕の皇帝即位周りは、ぜんぶ南朝正統史観を訴えるための糊塗に満ちていると考えた上で、「では、それを実際にどう扱えば面白い物語ができるか」につなげるしかなさそうです。

    少なくとも、「これが唯一絶対の史的真実」と言い出す輩にはべろべろばーって言い切りたいところです。

  • まさかたった1年で奪ったはずの領土がほぼ全部勃勃っあんに取られるとは思わんよね。

    劉裕ってまとも過ぎたんですかね。いや、それこそ戦略の分かる方の弟が生きてればねぇ。 (*´ω`*)イフハナイケドカンガエチャウネ

    作者からの返信

    劉裕にとって最大の誤算は、間違いなく劉道規の夭折なんでしょう。下手したら、それが劉交の先祖設定に結びついたとすら言いかねないレベルで。

  • ついに滅びましたか。もう最後はカモにされてましたね。何れにせよ内側が纏まっていなきゃロクに抗戦できんのだなあ。

    作者からの返信

    姚興、内部統制力を下げるだけ下げきってから死んでるの、マジで姚泓のこと大っ嫌いだったんじゃねえの疑惑が……w

  • 司馬休之がやってられないのは、無能だから追われた理由じゃなくて、まあまあ有能だから追われたって所ですね。

    作者からの返信

    有能だったのでしょうね、その分劉裕の追い込みが本当に苛烈で、このあたりはさすがに宋書ですら擁護し切れていない印象です。

  • 姚興は心労で頭が回らなくなっていたんでしょうかね。

    作者からの返信

    心労はものすごかったと思います、二正面作戦どころではない状態に陥っていましたし……

  • 諸葛長民って、此処でなくても結局何処かで誅殺されたんだろな。

    作者からの返信

    その動きを見ると謀反「の、疑い」で殺されてる感がありますもんねえ……

  • 劉道規お亡くなりですか。この人の家は甥の劉義慶が継いだんですね。面白いなあ。

    しかし後仇地って何なんでしょうね。そんなに地形的に有利な場所なのかな。姚興って充分英主の類いだと思うのですが、運はとびきり悪いな。

    作者からの返信

    劉道規は、娘はいたみたいなんですけどね。もっとも父親が有能なら息子も有能というわけでもないし、その逆もありえるわけで、なかなかこう。

    仇池はとにかく山岳地帯だったみたいで、そこの戦いに特化したみたいなんですね。姚興の戦いのほとんどが平原戦だったはずで、そのあたりもあって赫連勃勃や仇池に翻弄されてしまったのでしょう。あとこのひと、目上を立てて成長させるのに特化しすぎて、目下を全然育てられなかった疑惑が……

  • 王買徳凄えな。あの勃勃っあんと仲良くやってるてかツーカーの仲とか、どんだけ優秀で人当たりの良い人だったんだ。

    作者からの返信

    王買徳はほんとに意味わからんですよね、ああいう化物が突然地方にスポーンするのやめてほしいですw 謝艾とかもそうですが……

  • 何を信じるかですけど、拓跋紹は大体お前が原因やろ感ありますね。何やってんの…でも部下達は拓跋珪が亡くなって安堵したのかもね。

    劉裕もえらい人数殺しちゃいますね。支配階層を根切にしてやるって事かな。

    作者からの返信

    拓跋珪の死亡はたぶん既定路線だったんだろうなあって気がします。さすがに無理というか……

    劉裕については斉土の漢人支配に当たって、鮮卑を残しとくわけにはいかなかったんだろうなあ、という気がしています。下手に求心力もっちゃってる以上。

  • 五斗米道ヤバいな。密かに広く深く根を張ってるな。

    王鎮悪って本名なんですね。字かと思う様な名前ですね。寧ろ字が知りたいわ。

    作者からの返信

    五斗米道は間違いなく劉裕最大の敵ですね。ここで劉裕が仏教徒という変数を与えると一気に生臭くなるのが素敵です☆

    王鎮悪、それと檀道済あたりはともに字なんじゃないかなって気がするんですよね。蕭衍、もしくは斉あたりの皇帝の誰かとかぶったとか。檀道済なんて衍の字義にも近い気がしますし。

  • 拓跋珪は謎の仙薬なんかに手を出すから…後秦みたいに仏教にしとけば良かったんだ。
    (*´ω`*)マアシランケド

    慕容垂も子弟の教育は上手くいかなかったんですね。しかし高雲は高句麗の王族だったとあるんで、この時代って意外と出自は気にせず養子にしたりするんだなとおもた。まあ能力優先な時代だったとか、占領した地方の懐柔の為とかもあったのかもですが。

  • 拓跋珪はまあギリ分からなくも無いですけど、慕容氏は分からんすねぇ。

    司馬休之は言うても皇族の最後の有力者みたいなもんですかね。これから8年イチビリに耐えたと思うと良く頑張ったよね。

    作者からの返信

    このタイミングでクソ君主がかぶってるのはすごいですよね……末期症状かな。

    司馬休之は貧乏くじですねえ……いや司馬徳文ほどではないでしょうけど。

  • 劉道規は単純に優秀じゃないですか。それこそ今年の大河で言う所の秀長さんじゃないですか。戦略の分かる身内とかレアキャラすぎる。

    姚興の言葉は酸っぱい葡萄的な感じ。返さなかったら毎年侵攻されかねないし、なら恩を売っておくか程度なんじゃないですかね

    作者からの返信

    劉道規、よくわからないんですよね。いやぶっちゃけ劉裕もよくわからないんですけど。この二人、一体どうやって戦略眼を得たのか。間違いなく北府軍時代に軍略レベルの動きやったことあるんだとは思うんですが、その来歴が全然見えない…

    姚興のやつはもともと姚興があんまり欲しくなかったところ(長安から武関を越えた山の向こうなので管理がめっちゃ大変)だったので、いい機会だと思ったのだろうと思います。姚興って現実的で、その辺のセンスはすごい印象です。

  • 後仇池って引き篭もりなイメージなんですが、外に出てくる事もあったんですね。

    鳩摩羅什が居なかったら、ここまで仏教の広がりが速くなかったんでしょうね。
    でも功績はともかく人としては仏図澄さんのが面白かったんだろうな。

    作者からの返信

    後仇池、結構頑張ってます。このあとも上手く南北の綱引き渡り歩いていますし。

    鳩摩羅什と仏図澄、怪しさで言えば仏図澄のほうが圧倒的に上ですね……w

  • 北魏には敗れたけど、後秦はまだまだ弱くは無い感じかな。

    桓玄はあれだけど、桓氏一門とすれば東晋に忠誠を尽くした感有るのにな。何というか働きに対して報酬が少ないって不満がずっとあったのだろうな。しかしもう見事なまでに劉裕に踏み台にされちゃって。

    作者からの返信

    後秦はまだまだ勢力保ちますね、ただここから、明確に勢力削られまくります。完全に「弱ければ舐められるの」のフェーズに入る感じです。

    桓氏、と言うか桓温ってどう考えても働きに見合う褒賞得られてないですしね。晉を恨むのも、それはそう。

  • そっか、オルドス地方を北魏が勢力下に置いたんだ。いよいよ舞台が整って来ましたね。

    五斗米道って後漢末から三国時代は別に過激派って感じじゃ無かったのに、何処で変質しちゃったんでしょうね。と言うか地域宗教から全域に広まっている感ありますね。この乱以前にも有能な宗教指導者でも居たのかな。

    作者からの返信

    オルドスの勢力推移、正直よくわからんのですよね……気付けば北魏と後秦が入れ替わってますし。基本的に鉄弗メインの場であると考えればいいと思ってるんですが。

    孫恩の前は孫泰、その前は杜炅、まではたどれます。その前がわからんのですよね……なんだかんだで張魯から繋がるらしいんですが。

  • 司馬元顕って凄いな。20歳で亡くなっのに子供六人って。何人側妾抱えていたんだ。

    劉牢之は勇将なだけだったな。誰かの麾下で活躍するタイプだったんだろな。でも息子と甥は優秀だよね。なんかおもろいわ。

    作者からの返信

    司馬元顕はだいぶお盛んだったみたいですね、さすが公子というか……

    劉牢之を見ているとピーターの法則と言うしかない印象です。呂光もそうでしたが。分相応を見極めるのは、かくも難しい……。

  • 慕容皝って何かすごいですね。自分も初代皇帝で息子三人が前燕二世皇帝、後燕皇帝、南燕皇帝だなんて。
    しかし慕容氏は出自が鮮卑族なだけで、最早完全に漢化してますね。慕容徳は歴代見ているから余計にまともに振る舞おうとしてたんでしょうかね。

    涼のエリアは大物は出ないのですが、面白いですね。グツグツと煮詰まってる感ありますわ。

    作者からの返信

    慕容はもう慕容廆の段階で本格的に漢人を官僚化している印象です、なので慕容暐なんかはほとんど漢化していたんでしょうけど、前秦という断絶のおかげでもとに戻った印象です。

  • 後秦について書くと何を書いても勃勃つぁんの大暴れに繋がりそうな気がする。知らんけど。

    宗教系の反乱って怖いですよね。落とし所が無いのだもの。

    作者からの返信

    ぼつぼつ大暴れはすぐそこです、柴壁の後日譚みたいなものですしw

    孫恩の乱についてはどちらかというと宗教反乱「ということにしておきたかった」という感じなのかな、と思っています。なにせ盧循、ガチモンの盧植の子孫ですし……

  • 建康の引き篭もり達からしたら、北が中くらいの3国で均衡してた方が良いな程度に思って居たんじゃないだろうか。そういう意味じゃ北魏じゃなくて南燕のバックアップでもした方が良かったかもね。
    勢力均衡で、相対的優位を保つ感じ。

    作者からの返信

    慕容徳の時代は割とそんな感じだったっぽいですね、このあとの慕容超の時代を知っていると、なんというか、こう……

  • 劉牢之って、コーエーシミュレーションだと呂布ぽい数値になるんだろな。武力むっちゃ高いけど他が低い系。

    後燕は一息つく間もなく混乱から混沌へだね。
    しかし後涼の呂光さんは長生きだね。彼も運命を捻じ曲げられちゃった人なんだろな。

    作者からの返信

    劉牢之には戦略眼が見えづらいですね。もうちょっとどうにかならんかったんかなというか。

    呂光もそうですが、器以上のものに手を出してしまうとえらいことになりますね……

  • 後燕は本当にグダグダですね。貧すれば鈍するってやつですね。
    しかし北魏もまだまだ国内諸部族の統制が取れている理由じゃないんですね。どの部族も生き残りかけて大変だな。

    作者からの返信

    このあたりの後燕はもう悲惨、の一言ですね。目も当てられない。

    北魏も、王として「戦い続ける」ことが課せられていたんだろうなあ、という印象です。

  • これが苻堅が死んで10年後、淝水の戦いから言うて12年後ですもんね。ちょっと何がどうなってるのか分からない時代ですね。

    慕容垂は何処が運命の分かれ道だったんでしょうね。西燕の人材をもっと取り込めばとか、軍を吸収できればとかあったんでしょうかね。
    慕容宝も決して無能じゃ無かったはずなのに、一戦の敗北がトラウマになってしまったのか。

    作者からの返信

    どれだけ苻堅の下でマグマが溜まっていたのか、ということですよね。あれで天下を収められた未来がまるで見えない…

    慕容宝については「大敗がひどすぎる」ので、そのせいで実力、才能が一切わからない印象です。

  • 正直どこまで本当か分かりませんが、結構容赦無く殺し尽くしますよね。戦乱が続きすぎて容赦とか無くなっていたんですかね。許して裏切られる方が間抜けなんだ的な殺伐とした時代だったんかな。
    北はマッドマックスな感じだな。

    作者からの返信

    殺し合ったら恨みが残るのも当然のことでしょうし、なかなか「ゆるす」は難しそうですよね。結局の所苻堅だって宗族から「こいつに殺されるかもしれない」と謀反されていたのではとも思いますし。

  • 慕容垂が西燕滅ぼして、元々同族でも徹底して支配者階級殺したってのも、自分の死後を考えていたんですかね。

    柔然の事ちらっと調べましたけど、北魏絶対許さんマンになっても仕方無いよね。先祖代々の仇感あるもんね。

    作者からの返信

    慕容永は慕容廆の代で分かれた宗門なんですけど、即位にあたって、いわゆる慕容皝の子孫を殺し尽くしたみたいなんですよね。なので因果応報ではあります。

    柔然も割と北魏に嫌がらせ受けてますけど、それ以上に謎なのが高車です、毎回いじめられ続けている…

  • 慕容垂も若くはないもんな。死んだ後の事考えるわな。前燕の正統は寧ろ西燕にあるし、万が一あれば雪崩うちそうだもんな。

    作者からの返信

    この頃の山東の人達がどれだけ正統性を愛したか、は難しそうですよね。なにせ石勒石虎冉閔慕容に踏み潰されまくってる…

  • 可哀想な亡命者を「何が来た」とか勃勃君を怪物扱いするのヒドイとオモイマース!

    そっか、この数年で西府も北府も桓氏一族の手から離れて居るんですね。じゃあ桓玄は浪人中なんかな?そりゃ豪族だろうし悠々自適だったんだろな。

    作者からの返信

    ソウデスネー! 勃勃すまん。

    桓氏一門はたぶん、この頃平然と私兵団抱えてたんじゃないかなって思います。その私兵団あってこその前秦防衛達成だったりもしたんでしょう。東晋もなかなかバランス取りにしんどそうです。

  • ヤヤコシイですね。拓跋氏は、慕容垂系とは絶交したけど前燕嫡流系慕容氏とは手を組んだって事か。言うても親戚ですもんね。

    そっか劉衛辰遂にくたばりましたか。なんともしぶとい親父でしたね。
    拓跋氏としょっちゅう争っているけど、この人拓跋什翼犍の娘婿じゃないですか。じゃあ拓跋珪の伯父さんなんか。ホントそこら中親戚だらけだな。

    作者からの返信

    匈奴と鮮卑はガンガン通婚してもお構い無しで殺し合ってるしで、まじで訳がわからんです…なんらかのロジックを拾えれば理解も出来るんでしょうけど。

    劉衛辰はもっと細かく追いたかったですね、とはいえ全部を見る、だとそうも行かないのが歯がゆいところ。まあ、調べて楽しんで頂くきっかけに慣れればいいのでしょう。

  • 東晋も重石になっていた人達が軒並み消えたものなあ。
    そりゃ恐ろしく強大な敵だった前燕がけし飛んで前秦が四分五裂したんだもの。危機感なんてぶっ飛んだんだろな。特に長江南岸の建康じゃねえ。

  • 洛陽って心の故郷的なあれでしょうけど、もうボロボロになってたんでしょうね。守るならもっとまともな所にするわと思ったんだろな。朱序も二度は御免だと思っただろうし。

    作者からの返信

    そうですね、このタイミングだと後燕も後秦も防衛拠点として魅力を感じていないのがわかります。例外は声援ですが、あれも南に出口を作りたい、程度ですし。

  • 何が姚萇をおかしくしたんでしょうね。流石に同時代人でもドン引きだったんじゃないだろか。

    前秦とは何だったのか、数年前まで曲がりなりに纏った一大帝国とは思えない惨状ですね。ホントにカリスマだけで成り立っていたんだな。

    作者からの返信

    姚萇は采配が神がかってるのに奇行の数々で大幅減点なんですよね…なんなんだあれわ、いったい…w

    前秦はたぶん王猛が「草刈り」前提で統治機構を整備してたのに、苻堅がそこに乗っかって、しかも「草刈り」をしなかったからの惨状なんじゃないか、という気がします。

  • 朱序が重用されているのがちょっと意外。建康的には一度裏切った奴って扱いになるのかと思ったら、謝玄の押しが強かったのかね?

    作者からの返信

    淝水の大勝には朱序がいなければ有り得なかった、くらいの功績があったのかもしれません。個人的には戦後これだけ活躍してるのに既存歴史書の扱いがあまりに薄いこと……(ぶつぶつ


  • 編集済

    Ifは無いとは言え、あと数年待っていたら東晋内部はメタメタになっていたかもなんですね。
    いやあ本当どうなるか分からんよね。

    でもまあ東晋が北上しても再統一出来た気がしないっすね。建康で足の引っ張りあいとか軍閥化して群雄割拠しそう。

    作者からの返信

    淝水のタイミングって「よりによってここかよ」としか言いようのないタイミングなんですよね実際、もう少し前でも後でも結構ヤバかったんじゃないの東晋って言う……

  • 苻融が生きてれば、また別だったかもですけど一度の敗北で失うもの大きすぎですね。
    いやしかし前燕最後の皇帝がまだ生きていた事の方が驚きですよ。慕容一族の相次ぐ反乱でも短絡的に殺さなかったって所は流石の苻堅さんだなってオモタ。

    作者からの返信

    そうなんですよね、慕容暐がここまで生きてるのってわりと驚きで。ちなみに苻堅、自身の本軍に張天錫も連れて(淝水のあとに東晋に帰順されて)ますから、「各国の王すら我が元にかしずいているのだ、そなたも我が元に帰するがよい」をやりたかったんだろうと思います。

  • そういやこのお祭り騒ぎに旧代国の拓跋氏の面々は召喚されていたんでしょうかね?
    辺境の蛮族扱いで華々しい舞台には呼ばれなかったかな?

    作者からの返信

    拓跋については完全な属国化ができていなかったというか、「中華王朝」として認識してなかったのかもですね。

  • でもこれ苻堅と慕容垂のみ天命を知っていたのだとか言う話になったルートもあった訳で、何がどう転ぶか分からんもんですね。
    プンスカしている前で、これだけ反対意見を臣下が言えると言うのは、苻堅さんてばやはり度量のある人だったんかなともオモタ。

    作者からの返信

    確かに石虎を前にしてこれだけ闊達に反対意見はわきおこらなさそうですよね、ほぼ確実に殺されますし…w

  • 慕容垂と姚萇がそれぞれ一方面軍率いて、まだ人材に余裕があるとか胸熱ですよね。そりゃ負ける気せんわ。

    作者からの返信

    個人的には淝水前の「晋軍があんな強いなんて聞いてないぞ!」がハイライトでした、いや謝玄軍に大敗くらってんじゃん一回ってゆう……w

  • 苻堅も苻堅だけど、何度も何度も身内で反乱ごっこするのってなんなんでしょうね。苻氏の一族はそう言う事やって良い的なルールあったんだろかと疑いたくなるね。

  • やっぱりいつの時代の史官も厨二病ぽくなるんだな。

    作者からの返信

    「歴史を残そうとする」メンタリティ、ぶっちゃけ中二くさいですよね……(残してくれてありがとう)

  • かと言って鮮卑族を自由にさせたら独立間違いなしだし、苻堅以外に抑えられる人居なかったろうな。王猛さんならどうしたろうね。

    作者からの返信

    たぶん慕容の主筋は滅ぼしたんじゃないでしょうか、あの人かなりカジュアルに殺しますしw

  • そか、大戦前夜でも謝玄はブイブイ云わせていたんですね。
    しかし長江北岸まで押し寄せたって流石に東晋のボンクラ貴族でも泡食ったでしょうね。

    作者からの返信

    ですね、この年に桓沖と謝玄にしてやられたから自身が出ていかないと埒が明かないと決意したはいいけど、それが見事に裏目に出る、みたいな流れになっています。
    広陵はさすがに合肥レベルでヤバい城なんですよね、抜かれると…

  • これだけ強大になったのに内輪で反乱とか、同族からは信頼されていなかったのか。
    東晋もしんどいですね。

    作者からの返信

    これだけ同族に信頼されてない以上、どうしても苻生って「そこまでか?」と思わざるを得ないというか…w

    とはいえほんと、東晋にとってはいい迷惑と言うか…w

  • 国境線が倍になりましたもんね。しかも殺る気満々だもんな。文どこ行ったんだ。

    作者からの返信

    苻堅さんの動きを見れば見るほど、ブレーキぶっ壊れてんなって印象です……w

  • 今回は前涼側に名将が居なかったのか、内側がガタガタ過ぎたのか。

    まあ文は文として、周辺諸国は滅ぼしたろ、王猛は晋はやめとけって言っていたから、問題無いとか。

    作者からの返信

    涼はこのときどんな感じだったんでしょうね、屠本十六國春秋で追ってみたいと思います。

    兵力的にも、そこまでガチガチってほどでもないのにあっさり落ちてますからね……

  • 前線軍団を桓温亡き後とは言え、桓一族に委ねるとか激ヤバですね。相当どころじゃない危機感あったんでしょうね。
    そりゃ数年前までヤバいのは鮮卑の前燕だったもんな。なんであんな精強な国家が滅ぶとか意味わからんし。あと伝統的に南方国家から中原統一ってないですもんね。三国ならバランスできたけど二国は怖いよな。

    作者からの返信

    前燕の滅亡、実質一瞬でしたもんね。速いとは思ってましたが、あそこまでの速さだとは思いもよらなかった。桓氏が勢力保っていたのを幸運と取るべきか不幸と取るべきかで迷いますが、「それが歴史の選択だった」としか言いようがないんだろうな、って感じています。

  • 劉衛辰ってなんかヒール側の立ち位置なので、ぱっとしないですが、凄えしぶといですよね。不屈の人だわ。実はカリスマも相当あったんじゃなかろうか。
    でもなんでこの人に子供に、あんなヒャッハーが…

    作者からの返信

    劉衛辰については別角度からの史料が欲しいところです、きっとものすごく面白いひとなんですけど、北魏の敵デバフがひどい……

  • 長江の防壁があっても、やっぱり上流取られると辛いものがありますしね。
    いやしかし、良くぞ桓温無きあと桓家取り潰しに動かなかったもんですね。

    作者からの返信

    これ、誰のファインプレーかってたぶん桓温なんですよね、謝安とそれなりの意思疎通の上での結論だったんじゃないかって気もします。

  • 簡文帝って崩御は52歳か53歳なんで高齢って程でも無いですよね。まあ当時としたら随分と遅い子だとは思うけど。

    東晋って運が良いのか悪いのかここぞと言う時に名臣が現れますね。謝安なんて出仕は大分と遅かったのに、いつの間にやら中心人物ですもんね。

    作者からの返信

    いたはいたけどのきなみ死んだらしいんですよね、この加速度的な子種の弱まり方、近親婚繰り返しすぎたせいじゃね、みたいな印象にもなります。

    謝安のタイミングは出来すぎですよね、とは言え本人は陰性と見せかけて内外での情報収集を徹底していたんじゃないか、的な手触りもあります。でないとあそこまでうまく立ち回れるはずがない、と言うか。

  • 慕容評って慕容恪が生きていた頃は有能な将軍であったのにな。トップになると駄目な人だったんだろな。

    作者からの返信

    権威って、基本ひとを駄目にするんですよねえ…だからこそ貞観政要が大古典になるわけであり。

  • しかしあれですね、前燕のあっさり負け具合見ると、なんやかんや前年の桓温侵攻に引っ掻き回されて優秀な人員が亡くなっていたりしたんですかね。

    王猛って策士っぽい動きしていたのに一転前線指揮官としても超有能な所見せるんですね。とても虱掻きながら桓温と会談した人物とは思えないですね。


  • 編集済

    前燕っていわゆる中原エリアを制しているし、治世が上手くいけば他を突き放せたんだろうけどなあ。
    慕容垂逃がすとか一番やっちゃ駄目なやつですね。まあ前秦も苻堅じゃなければ重用しようとは思わなかったでしょうけど。

    作者からの返信

    慕容、「ちょっと離れた身内をもう信じられない」が、よりによってこのタイミングで爆発しちゃった印象です。とは言えたぶん遊牧民族たちの中では仲がいいほうのようにも思えますし……

  • 晋の政治家は戦々恐々だったろうね。

    苻堅さんは大陸に稀に居る大人って人だったのかな。弟達はなんだろ、異民族を優遇しているように見える長兄が許せんかったのか。

    作者からの返信

    基本的に苻堅、「氐族からは猜疑心で見られていた」と思うんですよ。うちが信じられないから外を頼る、みたいな感覚でいたような気がしてならないです。

  • どこもかしこも地雷原だね

    作者からの返信

    この頃の前秦は他の宗族も地雷原になっていたりで、ほんとなんなんこいつらって印象です。

  • この頃の前燕は破竹の勢いでしょうから、同僚なんかは良くやってるんじゃねぇのって感想だったかも知れませんね。

    作者からの返信

    個人的にはこの頃の建康、割と淮北の話を対岸の火事的に思ってたんじゃねえのって気もしています。ニンゲンソンナモノ……

  • 前秦は足元も固めたって感じですかね。
    やっぱりなんやかんや言うて桓温は名将ですね。

    作者からの返信

    前秦についてはまともに書かれてない期間で結構荒れてたんじゃないかって印象もあります。
    桓温、資治通鑑で見ると本当に印象悪いんですよね……将来、晋書とかでちゃんと補完しておきたい感じです。

  • 前燕ってば洛陽まで取っちゃいましたか。いや混沌として来ましたね。前秦は地力を貯めている所で、目の前の洛陽掻っ攫われて気分を害したかな。
    廃帝さんは廃位後も韜晦しながら酒飲んで生きたらしいので、殺されなかっただけ幸運なんでしょうね。

    作者からの返信

    ここから洛陽が落ちまくるので楽しみにしていてくださいw

    廃帝はこれ、どういう気持ちだったんでしょうね……まぁ皇帝から降ろされたときの開放感すごかったんじゃないか、と言う気はします。

  • 晋なんかは本当なら身内を諸王にして地方の旗頭にすりゃ良いのでしょうが、西晋で身内の大反乱やらかしているし心情的に無理だったんだろな。
    有力豪族の軍閥化とどっちがマシだったのかな。

    作者からの返信

    結局のところどう制度化するか、なんでしょうね。いまの法律が無駄に複雑なのも納得です……「誰かひとりが扱いきれる」ようなものだと、すぐ悪用に回る連中が出てきますし。

    編集済
  • 桓温配下に綺羅星の如くな諸将ですか。勝てはせずとも負ける気はしないですね。

    作者からの返信

    この当時の人物たちについては、さすがに淝水に絡むためかきらびやかな人たちが多いんですよね。追っていて面白いです。

  • 洛陽守備にやる気が無いと言うより、焼け野原に価値を認められなかったんでは?防衛に難しく復興に金を喰うなんてただの厄ネタじゃないですか。

    作者からの返信

    都市機能、そのものはズタボロだったんでしょうね。石勒対劉曜のときにどのような扱われ方したのか、とかも気になるところです。

  • そら前秦の民を襲って奴隷にした上で、苻堅に献上したらブチギレられるでしょ。匈奴鉄弗部って野蛮ダワ (*´ω`*)チョットカンガエヨー

    作者からの返信

    とは言え、間に「鉄弗の天敵」拓跋の視点が入ってしまっているので、どこまで鉄弗を無邪気に野蛮と言い切れるかと言えば難しそうです……

    まぁそれはそれとして野蛮だとも思いますが☆

  • いやさ、謝安さんが来たら万全っすよ。言うか最初は桓温の副官だったんですね。
    でも副官だったけど桓温のカリスマに当てられた無かったんですね。さすが謝安やで。

    作者からの返信

    世説新語を読む感じだと、かなりこの二人ってマブくさいんですよね、いつかちゃんと晋書も読んでおかなきゃと思いつつ幾星霜……もう日本語訳もあるのに……

  • 前秦は内部を固めていて外征は後回しだったのか。でも国境付近は東も南も緊張していたんじゃ無いかな。桓温はヤバい奴認識されたでしょうし、前燕はもっとヤバい奴らと思ってたでしょうし。

    作者からの返信

    内部を固めて、と言うと聞こえはいいんですが、苻堅即位後内部が荒れていたのを抑え込もうとしてたんじゃないかな、と思わずにおれません……こいつらの「書かない」による糊塗の常習ぶりときたら……(賈南風を見ながら)

  • いやなんと言うか王羲之って書が上手いだけの人じゃ無いんですね。寧ろ趣味でやってたのが書で本業は政治家なのかな。こう言う大事な時は、王敦のせいで王氏の影響力が低下したのが悔やまれますね。正しい事を言っても、悲しいかな貫目が足りないんだろうな。

    作者からの返信

    王羲之は太原王氏の王述と政争バリバリにやっていますし、政治家としてみてもなかなか面白いです。いわゆる蘭亭会は王述との政争に負けた後の隠棲先での歌会という趣もありますし。

    東晋ももっと人物増やして語りたいところではあるんですけど(なにせこの辺の人たち世説新語で慣れ親しんだ人たちばっかですし)、切りがなくなっちゃうんですよねえ。この時期にかなりおいしい琅邪王氏の王彪之の名前も我慢してる感じですし。

  • 段部は何か不思議ですね。やっぱり後漢から魏、晋と帝国が強大であった時に、鮮卑部族の筆頭であるとされていたんですかね。逸話でも晋に忠誠を尽くすが故に諸部には降伏などせんぞ的なのがあって、余程誇りとしていたのかなと。

    作者からの返信

    あるいは晋に近い立場が長かった、とかたもしれませんね。実際、あの位置だと晋にとっては対朝鮮半島の防波堤的な位置にもなりますので、公孫淵討伐あたりから何かがつながっているのかもです。

  • 苻堅‼️苻堅‼️苻堅‼️苻堅‼️(*´▽`*)
    ワイの好きな苻堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    なんか華北地方を平定したのに東晋との決戦で一度負けたら反乱されまくっちゃった苻堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    作者からの返信

    苻堅が来ました、司馬光さんの書き方がとてもキラキラしていて眩しいですw

  • 涼州と言うと、騎馬兵だとか結構強力なイメージがあるんですが、この頃はどうだったんでしょうね?まあ秦も燕も武力と経済力手に入れたのかな。

    東晋は洛陽ですか、なんだか不相応に余計なもの拾っちゃった気がしますね。しかし桓温の王衍への愚痴がチクチクと王氏一族に突き刺さるのがオモシロイな。

    作者からの返信

    この当時だとあまり騎馬兵力は目立ちませんね、どうしても先に鮮卑たちの騎馬兵力が目立ちすぎてしまうのもあるんでしょう。

    正直このタイミングの洛陽確保なんてデメリット以外の何物でもない気はするんですが、とはいえ「晋の誇の象徴」である以上、やらないという選択肢もなかったのでしょう。「国威が十分であれば」問題なかった選択肢だったけど、という感じなのでしょうね。

  • 苻生さんの事跡は例によって例の如くですか。ただ、こんな苻生さんでも武勇には優れていたとか書かれているのがこの時代ぽいな。

    作者からの返信

    ま、まあ武勇は統治能力に関係ないですし…(キョド


  • 編集済

    なんか符健さんのセリフが、かつて石虎さんが自分の腹心を亡くした時のセリフと同じ感じで不穏…。

    符健さんも石虎さんの後追いウサギとなるのだろうか…。

  • 韓信以来の侵攻路ってのは凄いですね。
    しかし良い所まで攻め込むけど補給が途絶えるって何時もの東晋スタイルですね。そこで他人の功績とか考えているんじゃない…

  • 前涼……、謝艾さんが居なくなって大変じゃないか⁉️

  • 東晋も前秦もダメ人間が多いなあ。
    姚氏を宥めきっておけば有力な藩屏となった可能性があったのにな。なんせあのはっちゃけ爺さんの遺言でもあるしな。

    やっぱり殷浩は詳しく解説が出来るだけの人だったんだろうな。

  • 強烈な武勇の持ち主って民族選びませんね。

    しかし「晋は鄴に置かれていた伝国の玉璽を盗み取り、さらには許昌で前秦軍と激突、敗北」って東晋ダサ過ぎじゃないか…
    おっかしいな、やっぱり指揮官が悪いのか。

    大学から学生を軍に集めたって事は、士官に相当する貴族の子弟がかなり死んだんでしょうね。或いは前線にでた殷浩が建康の気楽さにキレてしまったのか。

    作者からの返信

    この時期は特にそいつが際立つ時期、というのもあるのでしょう。宇文や段にもそういった武将を見かけますし、前趙で暴れた陳安とかもそう。

    この頃の東晋、準トップ層の使い潰しぶりがひどそうです。

  • 東晋が続いたかどうかは兎も角、桓温に北伐に向かって貰った方がマシだっただろうな。
    司馬昱さんって色々貶されているけど割と有能ですよね。誰が桓温を宥められたんだって話だもの。

    作者からの返信

    桓温がもう少し勝てていれば、とは思うんですけど、さりとてあの当時に北にいるのがなにせあの連中ですからねえ…

    司馬昱は一瞬で死ぬ皇帝としてみてしまうのがほんとに勿体ないですね。晋書からもっとちゃんと引っ張り出してみたいです。

  • 蔡謨さんって良いキャラクターですよね。大臣にならないのなら反逆罪とか無茶振りも良い所ですわ。

    作者からの返信

    蔡謨はひ孫もまた美味しいんですよ、ほんとにつえー一族です。

    そのぶん、いろいろ割りを食ったんでしょうね。

  • しかし苻氏って代々投降した人間を簡単に信用しちゃう、良く言えば大人の家風を持っている一族なんですかね。

    冉閔はあれですね、カリスマの欠けた石虎みたいですね。武勇だけ受け継いだ感。

    作者からの返信

    苻氏についてはよくわからないです、内輪揉めはかなり激しいですし。

    石虎は石虎でカリスマよりも武力全振りなところありましたしね……w


  • 編集済

    符堅⁉️、符堅って言った⁉️
    ひゃっふ~‼️、五湖十六国時代で好きな人物トップ10に入る符堅さんだ~‼️‼️(о´∀`о)

    最後の失敗が無ければ天下統一できたかも❓

    作者からの返信

    苻堅、本格登場はもう少し先ですが、いったん登場したらあとはもう一気に主役ですのでお楽しみにw

  • 姚弋仲と言う爺さんは、余程石虎と相性が良かったんですね。何たる元気者。

    東晋は何をやっているんだか…

    作者からの返信

    姚弋仲の叱咤はもはやツンデレというしかない感じですごいです。

    そして東晋はなんというか、「桓温がこのタイミングだった」のが幸と言うか不幸というか……

  • 石虎さんに対して一言『お前が言うな‼️』w

    作者からの返信

    この回、ツッコミが追いつきませんでした……w

  • しかし蜀地方の制圧後にすぐ反乱って流れはなんなんでしょうね。蜀漢滅ぼした晋が嫌いとかって流れがあるのか、悪政はあったとは言え成漢のがマシとかそんな感情があったんですかね。

    こういう時は、かの王導の有耶無耶力が欲しいもんですね。

    作者からの返信

    このあと、劉裕が派遣する朱齡石の軍もあっさり平定したあとに大規模反乱を招いています。正直この辺って「本来完全に違う文化圏の国なのに強制的に同化させようとした」ことの揺り戻しなんじゃないか、と思えてなりません。結果が違うとしたら、「王導が直接出向く」くらいしかなかったんじゃないかな、と。

  • 前涼の重華さん……、駄々っ子になりつつも臣下の諫言に耳を傾けて渋々とはいえ意見を取り下げる辺り、まともな君主やねw

    作者からの返信

    とはいえここから、ここからなんですよ…だんだんタガが外れていきます…劉聡や石虎と同じく「これ以上拡大しようのない苦しさ」から逃げようとしている印象もありますけど。

    編集済
  • 国内が纏っていれば、力で倒すのは難しいんでしょうね。成漢は内がグダグダになっていて半ば自滅ぽいですもんね。
    その点、西涼は纏まっていたのかな。勿論将の優劣はあるでしょうが、それだけじゃない感じ。

    作者からの返信

    成漢と前涼は後継の良し悪しが思い切り出た感じですが、ただそれ以上に「後継に大きく命運を預けざるを得ないことの地獄ぶりが目立つな」という印象です。そうせざるを得ない状況下とはいえ、もろもろキツい…

  • 殷浩さんか。清談の名手とは何だったんでしょうね。そんな人が何故北府軍率いるようになるのか…
    諸葛亮だとか管仲だとかと評判だったって事は、清談とは言え、結構政治絡みの討論なんかもしていたんですかね。

    作者からの返信

    清談のほか、軍略議論とかもあったんでしょうね。「実際に軍を動かさないまま」。きっと趙括がいっぱいいたんでしょう…(戦慄

  • 涼州も遂に自立の時期が来ましたか……、前涼の張さん家は善良な当主が多くて好きです❗(*´▽`*)

    作者からの返信

    涼州はここからぐらついていきますね…どこもかしこも行き詰まるとろくなことにならない印象です。

  • 桓温ってば32歳、数えだと33歳ですかで、西府軍のトップですか。凄いな。
    庾翼の引きがあった様ですが、戦略眼は兎も角人物眼は大したものだったのかなぁ。

    しかし後趙も前線の人達は優秀な様ですね。まあ中央には近付きたくなかったかもですが。

    作者からの返信

    庾翼はなんだかんだで各所現実路線を取っている印象ですね。兄よりは見えていたのかもしれません。「比較的」。まぁ、「けど庾氏」みたいな顛末でしたね……w

    後趙前宣武、戦「は」強いやつが揃っていそうです。「は」。