地上最弱、深層最強①――体質改善ノービスの成り上がり譚

塩塚 和人

第1話 村を出るノービス

 ジャンが村を出た朝、空はひどく澄んでいた。

 雲ひとつない青空は、まるで「迷うな」と背中を押してくるようだった。


 荷物は少ない。

 替えの服と、干し肉、革袋に入れた水。

 腰には父から譲られた短剣が一本だけぶら下がっている。


「行ってくるよ」


 家の前でそう呟いたが、返事はない。

 両親は数年前に病で亡くなり、今はもう誰もいない。

 この村に残る理由は、最初からなかった。


 ジャンは振り返らず、土の道を歩き出した。

 目指すは隣町――ボミタス。


 村から半日ほど歩いた先にある、交易と冒険者の町だ。


 冒険者。

 その言葉に、胸が少しだけ高鳴る。


 強くなりたい、というよりも。

 自分にも役に立てる居場所が欲しい。

 それが、ジャンの本音だった。


     ◆


 夕方前、石造りの城壁が見えてきた。

 あれがボミタスだ。


 村とは比べものにならない人の数。

 荷馬車、商人、剣を背負った男たち。

 空気そのものが、忙しなく流れている。


 街の中心にある建物はすぐに見つかった。

 入口に掲げられた看板には、剣と盾の紋章。


「ここが……冒険者ギルド」


 一度、深呼吸。

 ジャンは扉を押した。


 中は想像以上に広かった。

 木製のカウンター、掲示板に貼られた紙の束。

 酒場のような喧騒が、耳に飛び込んでくる。


「い、いらっしゃいませ!」


 声をかけてきたのは、カウンターの向こうに立つ女性だった。

 淡い栗色の髪をまとめ、にこやかな笑顔を向けてくる。


「冒険者登録をご希望ですか?」


「は、はい」


 声が裏返りそうになるのを必死に抑える。


「では、こちらへどうぞ。私は受付のポーリンです」


 彼女の案内で、ジャンは書類を書かされ、簡単な質問を受けた。

 名前、年齢、出身。

 そして、スキル鑑定。


 水晶に手をかざすと、淡く光が揺れた。


「……《体質改善》、ですね」


 ポーリンは少し首を傾げた。


「えっと、どんなスキルなんでしょうか」


「正直に言うと、詳しい記録が少ないんです。身体に関係するスキルなのは確かですが……」


 ジャンは苦笑した。

 期待していなかったとはいえ、はっきりしない。


「ランクはFからのスタートになります。初心者向けの依頼をこなして、少しずつ慣れていきましょう」


「わかりました」


 登録証を受け取った瞬間、

 ジャンはようやく実感した。


 ――冒険者になったのだ。


     ◆


 その日の依頼は、街道沿いの薬草採取。

 難しくはないはずだった。


 だが、ジャンはすぐに息が上がった。


「はぁ……はぁ……」


 少し歩いただけで、脚が重い。

 荷袋がやけに重く感じる。


 同じ依頼を受けていた他の冒険者たちは、軽々と作業を進めていた。


「新人か。……大丈夫か?」


「だ、だいじょうぶです」


 声をかけられて、無理に笑う。


 体が、弱い。

 思っていた以上に。


 村では普通だったはずなのに。

 ここでは、自分だけが取り残されているようだった。


 夕方、ギルドに戻ると、ポーリンが心配そうに覗き込んだ。


「お疲れさまでした。……少し、顔色が悪いですね」


「すみません。鍛えれば、なんとかなると思います」


「ええ。焦らなくて大丈夫ですよ」


 その言葉に、少し救われた。


 ジャンは知らない。

 自分のスキルが、この場所では力を発揮しないことを。


 そして――

 地下へ続く扉の向こうで、

 まったく別の自分が目を覚ますことを。


 このときの彼は、まだ何も知らなかった。

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