神のお宿の仲居さん〜狐の嫁入り編〜

尾松成也

狐の嫁入り(前編)

 ここは現世と常世の狭間に位置する神のお宿『あまてらす』です。とある国の最高神の名前を借りた、現世に降りる神様や常世に戻る神様を癒す為の格式高いお宿になります。


 建物は豪奢な日本家屋です。中庭には大きな蓮が浮かんだ池に朱色の橋がかかり、季節によって風景がガラッと変わる自慢の庭なのですよ。

 

 あっ……すみません、長々と喋りすぎちゃいましたね。私は神のお宿『あまてらす』で働く仲居の絹子と申します。見た目は十代後半に見えますが、こう見えて大正、昭和、平成の世を見送ってきたベテランの仲居なのですよ? 分からないことがあれば、なんでも聞いてくださいね。

 

 生前、私は日本で生まれ育った女学生でした。車に撥ねられそうになった子供を助けて死んでしまいましたが、神様方に道を外れる事なく真っ直ぐに生きてきた事が評価され、次の転生までこちらで働かせていただく事になりました。


 なんでも次の人生を豊かにする為に神様に奉仕をし、徳を積む準備期間なんだとか……。転生自体の仕組みはあまりよく分かっておりません。けど、ここで働く仲間達は皆、次の転生を目指して魂磨きをしているようです。


 ですが、私は魂磨きとやらに興味はありません。ここでの暮らしが気に入っているから、支配人に頼み込んで働かせていただいているだけなのです。

ですから、百年以上も働いてるだなんて可哀想だなんて思わないで下さいね。ちゃんと休日もありますし、ご飯がとっても美味しいですし。申請すれば、現世や常世で過ごす家族の元へ帰れますから、寂しくなんてないですよ。


 さてと、神のお宿『あまてらす』の成り立ちと私の自己紹介は以上とさせていただきます。今日は特別なお客様がお見えになりますから、主である稲荷神様の為に丁寧に仕事をしてくださいね。


「「はぁーいっ!!」」


 元気に返事をしてくれたのは、幼稚園児くらいの子供達。皆、人の姿をしているが紅白の装束を着込み、大きな狐の耳と尻尾が生えている。


 この子達――否。この小さな稲荷神達は『あまてらす』でお見合いなさる稲荷神様に仕える予定の新米のお稲荷さん達で、一足早くこの宿に辿り着いたのだ。


「じゃあ、皆さんにはお祝いの席でお出しする稲荷寿司を作ってもらいましょうか」


 私が厨房にいる者達に目配せをした後、机の上には枝豆が入った酢飯と出汁が染み込んだお揚げが用意された。それを見た小さな稲荷神達の目がキラキラと輝きだす。


 ここにいる稲荷神の中でも一番霊格が高い珠々じゅじゅに「おあげに詰め詰めする!?」と聞かれて、「はい。おあげに詰め詰めしていただけると嬉しいです」と答えると、「私もご主人様の為にやる!」と珠々に続いて小さな稲荷神達は次々に挙手し始めた。


「では、皆さん。主人の幸せを願って丁寧に握ってくださいね。私はお客様のお迎えに行って参ります」

「「いってらっしゃーい!!」」


 そう言い残し、厨房を出た私は和傘を差して急いでお客様を迎える門へと急ぐ。急に空が曇ってきた。どうやら、今回のお客様はかなりご機嫌斜めらしい。


「あぁ、どうにかしてこのお見合いを成功させなければ。支配人が用事で出ている間、『あまてらす』の切り盛りは私の采配にかかっているというのに……」


 百年ぶりに私はプレッシャーを感じていた。神のお宿『あまてらす』はお客様――つまり、神様方の御礼品によって運営が成り立っている。


 現世であれば、御伽話に出てくる〝火鼠の羽衣〟や〝小判が出る小槌〟のような伝説級の代物を御礼品として賜るのだが、支配人曰く、稲荷神から授かる品々は素晴らしい物ばかりらしい。


 特に今回は長年対立してきた東の首領の御息女と御子息のお見合いだ。中立の立場を保ちつつ、和やかに過ごしていただけるように気を配らねば――。


 私は長く息を吐き、トントンと胸を軽く叩いて先を急ぐ。すると、私と同じ傘を差して右往左往していた玉乃という名前の仲居の姿が見えてきた。


「絹子さぁ〜〜んっ! わ、私っ! 神様を相手に接客するのは初めてで! 万が一、粗相があったらと思うと不安で仕方がないですっ!」


 玉乃は『あまてらす』では何年かぶりに入った新米の仲居だ。支配人の話によると死因は私とよく似ているらしい。まだ入って日が浅いので詳しくは聞けないでいるが、そういう事は本人が話そうと決めた時に聞こうと思っている。


 玉乃は不安に思っている事を口にし始めた。


「どうしましょう!? 神様同士のお見合いなんで何百年に一回あるかないかなんですよね!? そんな晴れの日に粗相なんてしちゃったら……!!」

「玉乃ちゃん。そんなに心配しなくても大丈夫だから、一回落ち着きましょうか」


 敢えて落ち着いた口調で話しかけると、玉乃はキュッ……と唇を結んだ。けれど、緊張はまだ解れていないらしく、表情は強張ったままである。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私が側にいるんだもの。大船に乗ったつもりで仕事しなさいな」

「うぅ……、絹子さぁん……」


 玉乃は安心したのか目尻に涙が浮かんでいた。

私は緊張を解す為に「手のひらに人の字を三回書いて飲み込むと緊張しなくなるらしいわよ」と教えると、玉乃は「成程!」と返事して素直に実行した――が、暫しの無言。その後すぐに「全く緊張が解けないです……」と肩を落としていた。


「あら、おかしいわね。私が生きている時に聞いた御呪いなのだけれど」

「そうなんですか? 私が生きていた頃は聞いた事がないのですが……」

「日本に古くから伝わっていた御呪いよ。令和の世ではもう聞かないのね。えーっと、こういうのってアレでしょ? 〝じぇねれーしょんぎゃっぷ〟っていうのよね?」


 軽く首を傾げながら言うと、「絹子さんがカタカナを使ってるの初めて聞きました……」と玉乃は率直な感想を口にした。


 少し馬鹿にされた気がした私はムッとして、玉乃の頬を軽く摘む。「い、いひゃいです!」と痛がったところで、「いいですか、玉乃ちゃん?」とお説教を始めたのだった。


「貴方の素直さは長所だと思ってます。ですが、お客様は癒しを求めに『あまてらす』をご利用なさるのです。思ったことをなんでも口にするのは控えるようにした方がいいですよ。でも……私は貴方の素直な所が大好きですし、普段から少しだけ意識されるといいです」


 私が優しく指摘すると、「すみませんでした!」と玉乃は勢いよく頭を下げて謝ってきた。


「私、絹子さんみたいに立派な仲居になって、早く転生できるように頑張ります!」

「その調子よ。目標があれば自然とやる気が出てくるもの。私は玉乃ちゃんの事を応援してるわ」


 玉乃は自分の目標を再確認したおかげで緊張がなくなったようだった。


「……あら? 随分と雨が強くなってきたわね」

「本当ですね。それにあれは雷雲でしょうか――わっ!?」


 灰色の空が一瞬で黒雲に覆われ、ピカッ! と稲光が走った。その直後、本格的に大粒の雨が降り始め、視界が真っ白になる。


「も……もしかして、今日お越しになられる神様が怒っていらっしゃるんでしょうか?」

「そんなまさか。今日のお客様は初めて『あまてらす』をご利用される方だもの。お怒りになる理由が見当たらないわ」

「そ、そうですよね! お怒りになる理由が見当たりませんもんね!」


 そうは言ったものの、私は恐怖で傘を持つ手が微かに震えていた。理由は分からない。だが、これからお見えになるお客様はかなりご立腹でいらっしゃるようだ。


 私は泣きたくなった。正直に言えば、今すぐにでも天岩戸に逃げ込みたくなる程の恐怖に駆られている。けれど、玉乃のいる手前、不安を煽るわけにもいかず、常世と『あまてらす』を繋ぐ巨大な太鼓橋の先をジッと見つめ、お客様の到着を待った。


 暫くすると、激しい豪雨の中、灯篭の灯りがぼんやりと光って見えた。狐の面をつけた黒装束を着た従者達がゆっくりと『あまてらす』に向けて歩を進めている。その後ろには豪奢な牛車があった。前簾の奥に薄らと人影が見える。体格的に男性には見えなかった。


「牛車に乗っているのは、菊姫様でしょうか……」


 玉乃が神の名を口にした直後、雷がピシャーーンッ!! と大きな音を立てて落ちた。予想外の出来事に私も思わず、肩が上下する。


 程なくして宿の敷地内からいろんな人が騒いでいる声が聞こえてきた。どうやら、雷が木に落ちて倒木し、火災が発生したらしい。


「も……申し訳ございません……」


 玉乃はブルブルと震えながら、何度も謝罪の言葉を口にし続けていた。私も一瞬のことで驚いてしまったが、すぐに玉乃を励まし始める。


「大丈夫。今のはたまたま雷が落ちただけよ」

「で、でも……。私が尊き方の名前を呼んでしまったから、お怒りになったのでは……」

「そんな事ないわ。私も初めてお迎えするお客様だもの。きっと、お見合いが上手くいくか不安なだけだと思うわ」


 玉乃は何も言わなかったが、今にも泣き出しそうだった。


 この時、私の胸の内には二つの感情が芽生えていた。

一つ目はお客様とはいえ、いくらなんでもやりすぎだと憤る気持ち。二つ目は私がしっかりせねばなるまいという毅然とした気持ちだった。


 暫くして牛車が門の前に停まり、従者達が大きな和傘を広げて牛車から菊姫様が降りてくるのを待っていた。しかし、一向に降りてくる気配がない。


 私は近くにいた従者に「いかがされましたか?」と声をかけてみる。すると、従者は困り果てた様子で私に耳打ちをしてきたのだった。


「非常に申し上げにくいのですが、今日の姫様はご機嫌がかなり悪いのです。長年、派閥争いで対立してきた東の御山の稲荷との見合いですから、緊張されておられるのかもしれません」

「あぁ、それでこのような天気なのですね……」


 だとしても、私は陰ながら支える事しかできない――。そう思ったのだが、牛車の中から「緊張なぞしておらん」と甲高い声が聞こえてきた。


 その瞬間、従者達は地面がびしょ濡れでも構わず片膝を着いた。空気が冷気で包まれて吐く息が白くなっていく。隣にいた玉乃は更に震え上がり、私も微かに奥歯が震えた。


「左近よ。お主とは長い付き合いじゃが、妾の陰口を叩けるようになっていたとはの。まさかとは思うが、お主……。父上の席を狙っているんじゃないかえ?」


 左近と呼ばれた従者が、やれやれ……と言わんばかりに小さく溜息を吐いた。


「そんな愚かな事を考えたことは一切ございませぬ。姫様、いつまでも臍を曲げずに牛車から降りてきて下さい。姫様は西の御山を統治する稲荷大明神の愛娘なのですぞ。家臣を困らせるような事をして、お父上の威厳が損なわれるような事になれば、それこそどうなるか――」

「ええい、わかったわかった! お主は本当に昔から小言の多い奴じゃ! そんなに急かさずともすぐに降りてやるわ!」


 白くて細い腕が牛車の中から伸びてきた。側にいた従者達が慌てて御簾を上げると菊姫の美しい容姿が露わになった。


 銀色の長い髪に陶器のような白い肌。大きな金色の目は満月を両の目に嵌め込んだかのようで、先程まで怯えていた玉乃も恐怖を忘れてうっとりと見惚れてしまう程だった。


 菊姫は花車の着物を着用していたが、着物に疎い者でも一目で高価である事は間違いない。なのにも関わらず、菊姫は着物が濡れる事を気にせず牛車から降りようとしていた。


 近くにいた従者数名が慌てて着物が地面に着かないように配慮をする。内心、見ているこちらがハラハラしてしまったが、私は自分に与えられた役割を思い出し、背筋を伸ばす。


「ようこそお越しいただきました。神のお宿『あまてらす』で仲居を務めさせていただいている絹子と申します。長旅でお疲れでしょう。今日は当店自慢の温泉に浸かって、旅の疲れを癒して下さいね」


 私は深々と菊姫に向かって頭を下げる。すると、菊姫は袖から出した扇子の先で私の顎を無理やり上げさせたのだった。


「……お主、名を絹子と言ったか?」


 金色の丸くて大きな目で見据えられる。この時、私は心臓を鷲掴みにされたかのような、今まで感じた事のない感覚に陥っていた。


 息をするのもやっとだったが、「さ、左様でございます」と辛うじて返事をする。菊姫が綺麗な笑みを浮かべた瞬間、恋に落ちたかのように心臓が高鳴りだした。


「ホホホ、これは吉兆じゃな。まさか、お主がこの宿で働いておるとはのぅ……」


 菊姫が発した言葉の意味が分からず、私と玉乃はポカンとした様子で黙り込んでいた。


「さて、東の御山の狐達が来るまでの間、宿でゆっくりさせてもらうとしようかの。楽しませてもらうぞ、絹子」

「は、はい。ご案内いたします」


 お客様を案内する為に先頭に立ち、お部屋に案内するまでの間、品物を見定めるかのような菊姫の視線を私は常に感じていたのだった。

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