#6 刑法第199条
壁沿いの照明スイッチを入れたが、カチカチと音がするだけで、室内は暗いままだった。
階段の方へ一瞬ライトの光を向けて、何も来ていないことを確認すると、自衛隊員の遺体へ光を滑らせた。
片腕がない。桐崎美涼が躊躇なく血溜まりを踏みつけて、遺体の肩を掴んで持ち上げた。傷口が開き、断裂した腕の断面から、これまでせき止められていた血がどっと垂れ流れた。
「刃物じゃなく、噛み跡」
「刃物なワケないだろ」
「断定するのは良くないでしょ。宇宙から持ち込まれた未知の動物なんだから、体からハサミとか、斧が生えててもおかしくなかった」
「まあ少なくとも、攻撃手段から考えりゃ、そいつは知能が低いな。手とか触手を使うようなヤツじゃないって事だ。な? おまけに、四足歩行の可能性も高いワケだ」
溜口はライトを鉄のケージに向けて、続けた。彼の腰元程度の高さの、大型犬サイズのケージだ。
「大きさからするに、そこまでバカでかいってワケでもない。その点は良かったな。クソでかい低脳の宇宙生物を相手にするって可能性も、これで無くなった」
「あれじゃなくて?」
桐崎美涼が、立ち上がって部屋の奥を照らした。
ダンボールやキャリーケースで、荷物の山ができている、その奥の、さらに奥。壁一面の大きさ。ゾウや熊が入ってようやく納得ができるサイズの巨大な檻が、入り口を開け放ったまま鎮座していた。
「そうかも」溜口は深く息を吸って、吐かなかった。「ヤバいかも」
「それに、あなたのところにある腕」
「まだ何かあんのか?」
「その腕は左腕で、この遺体は右腕を食べられてる」
溜口が自らの足元に転がる片腕を照らして、桐崎が結論を述べた。
「つまり、ここには二人の死体があるってこと。もう一人は丸呑みされた」
「いいね」溜口は冷たい銃を握る手に汗が滲むのを感じながら、軽口を叩いた。「とっととそいつとやり合って、このチビ銃の弾丸が効かなそうなクソデカい図体の宇宙生物に、丸呑みにされたくなってきた」
その時だった。
濡れた雑巾を床に落とした時のような、水分を含んだ音が、階段の方から聞こえた。
静寂の廊下を反響し、室内まで入り込んできたその音に、二人は顔を見合わせた。
ペンライトの明かりを、再び廊下へと滑らせた。
何もない。音は上の階からなのだろうか。それとも、自衛官の死体から広がる血溜まりを、桐崎が踏みつけた音を勘違いしているのだろうか。
「向こうからしたよな?」
溜口の問いかけに、桐崎は立ち上がって、答えた。
「もし今のが脱走した動物の足音か何かなら、予想とは違って、軟体動物なのかも」
「人喰いタコとかか? 宇宙出身って感じだな」
「ドアを閉めて」
「何? なんで?」
「この中に立てこもって、処理班の到着を待つの」
「いい案だ。かなりイイ案」溜口は少し考えて、意見する。「じゃあオレの案もいいか?」
「どうぞ」
「全速力で階段を駆け上がって、自衛隊に助けを求めにいく」
「既に物音が上の階で聞こえたんだから、それは危険すぎる」
「一刻も早く逃げたいんだよ」
「勝手に入っておいて?」
「こんなにヤバいとは思わなかった! 人を喰う宇宙生物なんて聞いた事あるか? オレが今まで見かけたのはせいぜい、けむくじゃらのカエルみたいなやつとか、デカいやつでもノロマなスライムみたいなヤツくらいだった!」
声を潜めながらも徐々にヒートアップしていった溜口新一を指摘するように、また、冷たい布を落としたような音が、廊下のほうから聞こえた。
ペンライトはずっと、階段のほうを照らしたままだ。
「やっぱり立てこもろう」
溜口はドアの取手を掴んで、桐崎の案を採用することにした。足元で邪魔になる腕を靴でどけて、ドアを閉める。
ドアを、閉めようとする。
閉めようとした。
何かに引っ掛かって、閉まりきらなかった。扉の隙間を確認する。
下には、何もない。
上に引っ掛かっていたのは、もう一人の自衛隊員だった。
天井に、作りかけの白い繭があった。そこから飛び出た遺体の軍用ブーツが、ドアの隙間に引っ掛かっていたのだ。
未完成の繭は半透明で、天井に貼り付けられた自衛隊員の姿勢が透けて見えた。まだ繋がっている片腕と両脚がそれぞれ別の方向を向いて、顔を横に、その滑稽な姿がかえって不気味さを煽っていた。
桐崎美涼は静かに、それでいて彼を制止するために強く言った。
「動かないで」こちらを振り返った溜口に対して、何度も頷いて、落ち着くよう促す。「そのままの体勢で、動かないで、静かにして」
彼が、これ以上喋らないように祈った。
しかし、駄目だった。
「なんでだ?」
「しーっ」
人差し指を口元に、何度も叩きつけて彼に命令した。
糸で獲物を絡め取っている。肉食で、暗闇を好んでいて。それでいてここは、地下。
初めから、檻には何も入っていなかった。溜口新一が野次馬から聞いた情報は、又聞きが繰り返され変化した噂話。蛍光色の動物ではない。ここにいる暗闇を好むハンターが、明確な意思を持って消灯したのだ。
これは蜘蛛型来訪者による殺人事件で、私達はその『巣』に、入り込んでしまっているのだと、桐崎美涼は既に気付いていた。
そして、『巣』にいるハンターは、常に待っている。
桐崎のペンライトの明かりが、それまで照らしていた自衛官の遺体から、徐々に、少しずつ、上へ上へとのぼっていく。
床から、壁をつたって、天井に。だんだんと光の円が、自分の真上へ近づいて来るにつれて、桐崎美涼の脳みそから、血液がさっと逃げていくのがわかった。
そして。
細長い枝のような脚が、スポットライトに映り込んだ。
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