#4 バディ四丁目





 マンホールの蓋はせいぜい四、五十キロで、持ち手のない外側から持ち上げるのは至難の業だが、下から押し上げる分には、本人の頑張り次第、というところのようだった。少なくとも、全身踏ん張って鉄蓋を持ち上げる桐崎の姿を、下から見ていた溜口はそう思ったのだった。


 桐崎に続いて地上へ這い出ると、その場所は建物の間にひっそりと落ち着いている、行き止まりの路地だった。車一台分も通れない狭さで、壁沿いには換気ダクトや室外機が剥き出している。

 砕けたコンクリートブロックの破片が足元に散らばっていて、六年前の残滓が、まだありのままそこに残されていた。

 スーツの汚れを払いのけながら、大通りへと歩き出した桐崎の後を追って、溜口は意外そうに言う。


「オレ達は元々区画内で捜査をしていて、今ちょうど帰るところだった。そういうことでいいか?」

「いい」

「実際、どうしてだと思う?」

「何が?」

「ゲートだ。成田とか、羽田が真っ暗になってるようなモンだ。空の玄関。日本と外国を繋ぐ施設の電気が、全て消えてるのは、おかしな話だ」

「本当に、ただの停電かも」

「予備電源があるはずだ。明らかに、意図的に消灯してる。まあ、マジで停電だったとしたら、オレ達は非正規ルートで墜落区画に侵入した二人組って事になるな」

「まあね」

「バレたらヤバい。よく乗り気だったな? 正直、あんたはもっと保守的なヤツだと思ってた。見直したぜ」

「日本国民が区画内に侵入したら罰せられるって法律は、まだできてない。私達が刑務所に入ることはないから」

「案外図太いな、あんた」


 路地を抜けると、そこは恐らく円形の墜落区画の西側に広がる、昆虫型の来訪者達が多く住んでいるエリアのようだった。街灯は光を失ってその役目を忘れ、代わりにそこに括り付けられたオレンジ色の電球の明かりが、薄明るく、道を行き交う来訪者の外骨格を照らしている。


 二人のニンゲンの存在に気がついたのか、行き交う来訪者達はちらちらとこちらを見る者も、反対に決して目を合わせないように早足になる者もいた。区画内にいる、迷彩服ではないニンゲンは、大抵政府の関係者か、来訪者管理課の警察官だけだからだ。


「陰鬱な街だ。明かりもしょぼい。虫どもは暗くても見えるんだろうが」

「ここは虫型来訪者の区画だから、向こうの通りにゲートがあるはず」

「よく覚えてるな?」溜口は桐崎の隣を歩きながら、彼女の土地勘に驚く。「観光ガイド作るのはどうだ? 墜落区の歩き方。東側には軟体型のエイリアンがいて、八本足のマッサージを受けることができます、とかさ」

「マッサージ店をやってるのは見たことないけど」

「それはオレも」

「それに、軟体型の脚の数は微妙に個体差がある。六本の個体と、十二本の個体まで」

「やっぱり、六本足のヤツは十二本のヤツを羨ましがってんのかな? 相当違うぜ? 風呂に入って、スマホ見ながら体が洗える」

「それは六本足でもできるでしょ」

「いーや、できないね。オレのスマホはローマ字入力だから、最低でも手が二本必要だ。そんで、体を支えるのに最低でも三本必要だ。ほら、もう残り一本しかない。でも、足が十二本あったらどうだ? 同時に飯だって食える」


 どこから湧き出る妄想かもわからない溜口の言葉の羅列は、軟体型について喋ったかと思うと、今度は近くの建物を指差して、突拍子もなく話を変える。


「見ろ。何か育ててるぞ」


 溜口が指差した先には、ビルの一階テナントにあるコンビニの跡地だった。墜落の衝撃波によって全てのガラスが無くなって裸になった店内は、本来あったはずの商品棚などは全て外の道路に放り出されていて、中では鉢植えに入れられた青色の植物が、温室のように綺麗に整列していた。

 道にぽつぽつとしか点在しない電球の街灯では、その店内の全てを照らしてはくれない。しかしそれでも、茎と葉、花全てが真っ青に色付いている謎の植物が、まるで意思を持つ触手のように不気味に、揺らめいているのだけはわかった。


「こんな所まで来るのは初めてだ」溜口は言った。「ディープなとこって言うのか? オレはいつもゲート近くをうろつくだけだからな。区画内じゃ、そこにしか店がないしさ。海外旅行に来て、わざわざ田舎を選んだ気分だ」

「溜口くん」


 珍しく名前を呼んだ桐崎に驚いて、溜口新一は彼女を見た。その視線は溜口ではなく、大通りのずっと向こう側を凝視している。


 遠くから、数台の車列がこちらに向かってきている。


「隠れるか?」

「別に。捜査の帰りって言えばいい」


 昆虫型達が、迫り来る台風から逃れようと、慌ただしく屋内に避難していく。元は誰かの住居だった一軒家の中へ、誰かの職場だったビルの階段へ。引っ付く手足でコンクリートの壁をわしわしと掴んで、二階の窓へと避難する者もいた。

 フロントライトの逆光で初めは見えなかったものの、次第にその車両が自衛隊の軽装甲車だとわかった。重たげな四駆の車輪を掻き回して、道路の真ん中に立つ溜口と桐崎の前までやってくると、それは停車した。


 先頭の車両から降りてきたのは、迷彩服ではなかった。桐崎や溜口と同じ、黒いスーツ姿の男だ。整えた顎髭を蓄えて、目尻の皺を深く刻んでいる、紳士的な男だった。

 軍用車の唸る豪快なエンジン音に負けないように声を張りながら、溜口は開口一番、切り出した。


「何してる? こんな大勢で。一、二、三……四台も」


 髭の男は二人を交互に見て、疑いの視線を向けたまま、逆に質問した。


「来訪者管理課の刑事か?」

「素晴らしい! その通り。今ちょうど、仕事が終わって帰るとこなんだけど、そしたらおたくらがジープ並べて行軍してるもんだからさ」

「ゲートは封鎖中だ。数時間後待てば出られる」

「なんだって!」溜口新一は、その大根役者ぶりを遺憾なく発揮している。「もう朝になっちまうだろ? とっとと家に帰らないと! 息子を学校に送り届けないといけないんだよ!」


 隣に立つ桐崎の視線が痛く刺さるが、溜口は構わず続けた。


「何があったんだ? 教えてくれたら協力するさ。いーや、むしろさせてくれ! 事件の捜査は捜査官の責務だからな! 解決しないといずれにしてもオレ達は帰れない!」

「協力は結構。ゲート付近で待機してくれ」

「なんでだよ? 捜査官だぞ? 事件の概要を知る権利はある」

「これは国家公安委員会が受け持った案件だ。二人共、ゲート付近で待機するように。以上」

「いや、そうは言ってもだな」


 溜口の難癖を聞き入れる様子も見せず、男は車に乗り込んでいった。

 アクセルを踏んだ車両がじりじりとこちらへ近づいてくる。最初は渋ったものの、桐崎が道を譲ったのを見て、溜口もまた仕方なく道路脇に避けるしかなかった。


 激しい音を立てて目の前を通り過ぎていく車両達を目で追って、遠くなっていく車列を見つめながら、溜口新一は桐崎に訊ねた。


「公安だって? エイリアン事件はオレ達の担当のはずだろ?」

「よっぽど大きな事件なんでしょう」

「なんであんたはそんな客観的なんだよ? オレ達の仕事が奪われてるんだぞ? 初めから公安がやるんなら、来訪者管理課なんて組織、要らねーって話になるだろうがよ」

「あなたがそこまで仕事熱心とはね」

「熱心も熱心。ド熱心よ。あんたは知らないだろうが、オレは初めからこの部署希望だった。なぜだかわかるか?」

「不法移民から日本を守るため?」

「違う」

「来訪者との仲を取り持ちたい、とか」

「違う」

「じゃあ何?」

「エイリアン映画が好きなんだよ」


 桐崎美涼が恐ろしく巨大なため息を吐くために、胸を膨らませて大きく息を吸ったのを目の前で見たが、彼女はそれすらも億劫になったかのように、踵を返して歩き出した。


「何だよ、怒ったのか?」溜口は彼女の隣に駆け寄って、歩幅を合わせる。「これも立派な理由だ。だからこそ、この仕事を取られたくないし、公安が極秘に捜査してる事件に興味と好奇心がある。捜査官にうってつけの男だぞ? オレは」

「そう」

「どこに向かって歩いてる? オレ達」

「ゲート」

「なんだよ、おとなしく待機するのか? ヤツらを追おう。どこで何をするのか、知りたくないか?」

「現場を調べに行こうとしてるの。ゲート施設の電気が消えていた原因がわからないと、捜査も何もないでしょ」

「あいつらを追うのが先決じゃないか?」

「変にこそこそ尾け回してたら、それこそ職を失うでしょ? 私は、ただでさえインチキをして墜落区画に入った刑事二人が、ギリギリクビにならない線引きで暴れ回れる範疇を模索しながら、提案してるわけ」


 溜口新一は少し考えると、納得した様子で同調した。


「なるほど? いいね。乗った」


 荒廃した建物からは、再び昆虫達が蠢き出てきていた。



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