仮面の女王とはぐれ男子

ヨムカモ

第1話

 何を隠そう、俺は生物部の幽霊部員である。


 部活の加入は任意だから、いやいや入部したわけではない。ただ、毎回参加するのが面倒臭いだけだ。


 そんな俺が、突然、部長に呼び出された。

 なんだろう。俺、何かしたか。もしかして、幽霊部員クビだろうか。

 戦々恐々としながら部室に入ると、部長は眼鏡の奥の目を潤ませながら、俺の肩を強くつかんだ。

 そして、言った。


 ――俺の魂を取り戻してほしいんだ、と。




「えーと、つまり。落とし物をしたんですね?」

「そうだ。そしてそれが――あれだ!」


 部長は俺を廊下へ連れて行くと、壁にぴったり張り付いた。それから、おもむろに腕を持ち上げ、俺のクラスの前にできた人だかりの中心をビシッと指さす。


「職員室に届けるのかとつけていたんだが、ずっと、肌身離さず持っているんだよ!」


 涙声でささやく彼の影から、俺も顔をのぞかせた。

 そこには一人の女子生徒がいて、部長の視線は彼女のブレザーの左ポケットに注がれている。ちらりと見えている図鑑のようなそれが、部長の落とし物なのだろう。


「ああ、あれを見られたら一巻の終わり……! 俺は、社会的に死んだも同然だ!」


 顔を覆ってうずくまる部長に、半ば呆れながら問いかけた。


「そんな大げさな……。でも、あれって一体何なんですか?」

「俺お手製の魚図鑑だよ。パソコンで作ったんだ。……ただし、めぼしい生徒を魚に見立てた」

「いや、あんた、何やってんだよ」


 ウケ狙いならまだしも、部長はそんなキャラではない。魚(生徒)の説明に悪口が書かれていないことを、切に願った。


「ちなみに、お前はゴンベだ」

「ゴンベ?」


 俺はゴンベ……、と記憶を探ると、サンゴ礁などによくいる鮮やかな魚に思い至った。


「いや俺、あんな派手じゃないです」

「当たり前だ。ゴンベは人気の魚だぞ? お前と似ているのは、マイペースなところだけだ」


 ひどい言われようである。なるほど、この調子で描かれた図鑑なら、部長のうろたえぶりにも納得がいく。


「――ああ、しかし! こっそりスリ盗ろうにも、ポケットとは! 万が一、彼女の身体に触れでもしたら、痴漢容疑までかけられてしまう!」

「だから俺にやらせようと? 部長も大概ひどいですね……」


 俺は心からため息をついた。

 そう。俺は今、彼の代わりに図鑑を抜き取ってこいと脅されているところなのである。


「何を言う。テストのヤマを張ってやっただろう」

「三点分じゃ割に合わ――ああもう、睨まないで下さいよ。行けばいいんでしょ、行けば!」


 ただより高い物はない。その言葉をかみしめながらやけくそ気味に言うと、部長は満足げに頷いた。


「その意気だ。さあ行け、さながらニセクロスジギンポのように!」

「は? にせくろ……? 何ですか、それ」

「ああ、お前は知らないか。じゃあ、ホンソメワケベラは知ってるか?」

「いや、それも知らないです」


 幽霊部員には難しいクイズである。首を傾げると、部長は嬉々として説明を始めた。


「ホンソメワケベラは、他の魚についた寄生虫や食べかすなどを掃除してくれる魚で、掃除魚とも呼ばれている。ニセクロスジギンポはそのホンソメワケベラに擬態して他の魚に近づき、ひれなど体の一部を食いちぎって行く魚のことだ。どうだ、面白いだろう?」

「……いや、怖えよ!」


 一言そうつっこみ、俺はしぶしぶ集団へ向かって歩き出した。




 部長が擬態しろと言ったのには訳がある。

 落とし物を拾った彼女――斎河さいかわ美優みゆは、文武両道で才色兼備、かつ人格者だと評判で、他学年にも知られるほどの人気者なのだ。たとえクラスメイトであろうが、俺みたいなのが側に寄るなんてもってのほか。取り巻きたちにあっさり追い払われて終わりだろう。


「あれ、美優。そろそろ部活じゃない? 今日はどこ行くの?」

「えー? えへへ、今日はねえ――」


 ふわりとボブの髪を揺らし、鈴の音のような声で答える斎河を横目で見ながら、俺は彼女の左側に移動した。男子生徒の背後に身を隠し、息を殺して、魚ではなく空気に成りきる。


 斎河が友達との会話に夢中になっている間に、男子たちの隙間から手を伸ばした。視界が塞がれるのは仕方がない。指先にすべての感覚を集中させる。


(たぶんこの辺に斎河のポケットが……)


 指先に本の角と思しきところが触れた――と思った瞬間、ガッと手首を掴まれた。


「!?」


 心臓が跳ねる。


「……見ぃつけた」


 にやり、と悪魔が笑った気がした。




 斎河が取り巻き達を適当にごまかし、俺を連れ込んだのは、校舎の端にある階段裏だった。

 彼女は本をちらつかせながら、正座させた俺の前に仁王立ちをする。


「生物部の誰かとは思ったけど、いずみ、まさか、あんただったとはね」

「え?」

「よくも、あたしをミノカサゴなんかに例えてくれたわね!」


 斎河は目をきりりと吊り上げ、本を眼前に突き付けてきた。


(……あれ。てっきり、お前ごときが近づくなとか言われるとばかり……)


 どうやら取り越し苦労だったようだ。意外なことに、本をこっそり抜き取ろうとしたことも気にしてはいないようである。


「ミノカサゴだったらいいじゃないか。派手できれいな魚だぞ」

「だって、毒があるじゃない! あたしだったら、ベタとかネオンテトラでしょ!」

「そ……そうなのか?」

「そうよ!」


 どちらでも構わない俺は、適当に頷いておく。

 しかし、見かけによらず熱帯魚に詳しいな、こいつ。


「わかったら、今すぐこれを直しなさい!」

「いや、直せと言われても。それ、俺が作ったんじゃないし」

「はあ? じゃあ、誰が作ったのよ!?」

「それは……」


 言えない。

 俺が口をつぐむと、彼女は「ふうん」と目を眇めた。


「……まあ、それは後でいいわ。とりあえず、本題はこっち。――あんた、土下座しなさい」

「は?」

「これ、返してほしいんでしょ? だったら、みんなの前で土下座して、どうか生物部に入って下さいってお願いするの」

「……えーと?」


 何を言っているのかわからない。

 俺は改めて、彼女を観察した。


(生物部に入りたいってことか? ……いや、それも意味が分からないし)


 だが、それよりも――。


「お前……、もしかして、それが本性?」

「……へっ?」

「今までずっと、キャラ作ってたのか……!」


 尊大に腰に手を当てて物申していた斎河は、俺の言葉にハッとなり、慌ててしなを作り直した。


「ち、ちちちちち違うわよ馬鹿ね! じゃなくて、ち、違いますわよお馬鹿さん! やだな泉くんってば冗談ばっかり!」

「キャラが迷子になってるぞ」

「作ってないって言ってるでしょ!」


 斎河がキレた。少なくとも人格者でないことは確信した。


「いいから、あんたはあたしに頼めばいいの! どうせ、生物部なんて地味で根暗な部、廃部になるのも時間の問題でしょ! それを、あたしが救ってあげるって言ってるのよ!」


 彼女は地団駄を踏み、無礼な主張を繰り返した。が、俺はそれを一刀両断する。


「いや、遠慮するわ」

「えっ」

「悪いんだけど、間に合ってるんだ。うち、幽霊部員三十六人いるから」

「――は? 三十――って、何それおかしいでしょ!?」


 そう言われても、事実だから仕方がない。部長以外の部員たちは基本的に幽霊で、姿を現すのは課外活動の時くらいである。


 しかし、部費は部員数に応じて支給されるので、資金面では潤沢だ。おかげで、夏には釣り大会と水族館とバーベキューが催されたりもする。


「じゃ、じゃあ……、あっそうだ! あんたがあたしに惚れてるってどう? 『いつも一緒にいたいから入部して下さい』!」

「なんで俺がそこまで身を削らなきゃなんねえんだよ! 大体、それでお前が入部するってことは、俺と付き合うってことだぞ?」

「――あ、そうか、却下!」

「却下!?」


 自分から言い出しておいて、失礼にもほどがある。


「そもそも、そんなに入りたければ、普通に入部すればいいだろ!?」


 むっとした俺が当然の疑問を投げかけたが、斎河は首を横に振った。


「だめなのよ。友達が、生物部だけはやめろって。たぶん、生物部が地味で根暗なのが悪いんだわ。……でも、それだけ人気があるなら、完璧美少女のあたしが入っても別におかしくないわよね?」


 斎河は勝手なことをつぶやいている。俺はそれを流して、問いを重ねた。


「お前、そんなに生物に興味があるのか?」

「え? ああ、まあ、そうね。アクアリウムとか、きれいだと思うし」


 部室にあるのは何の変哲もない水槽だが、それより、斎河の気のなさそうな返事がひっかかる。


「あー、でも、問題はそれだけじゃないのよね」


 俺がさらに質問しようとするよりも早く、彼女が唸って頭を抱えた。


「あたしって、人気者すぎて、部活一個に決めると不満が出ちゃうっていうか。だから、まだどこにも正式に入部していないのよ」

「え、そうなのか?」

「うん。一応、先生から特別に許可もらって、全部仮入部の状態なの。……その数、なんと二十四個」

「――二十四個!?」


 なんだそれは。ほぼ全種類じゃないか。


「だって、しょうがないじゃん。みんなが誘ってくれるんだから。で、不公平感が出ないように片っ端から回っていたらそうなったの。でも、さすがにそろそろ決めなきゃでしょ? 何か、角が立たない理由があればいいんだけど」

「……はあ。つまり、誰も文句が言えない理由で他の部を辞めなきゃいけないんだな?」

「まあ、そういうことになるわね」


 俺はため息をついた。

 どうしてそこまで他人に気を遣うのか理解できない。しかし、本を人質に取られていては断れない。


 ――一日に二回も脅されるなんて、俺は脅され体質か何かなのだろうか。


 己の身の上を嘆きながら、俺は観念して、告げた。


「……わかった。とりあえず、協力はしてやるよ」




 ということで、次の日から退部作戦が始まった。


 最初に選んだのは剣道部だ。

 対面して竹刀を持った瞬間、斎河が素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 顔を覆ってうずくまった彼女は、仰天して駆けつけた部員や顧問に向かって、こう訴えた。


「すみません……! あたし、先端恐怖症になっちゃったみたいです!」




 二番目は、放送部にした。


「ごめんなさい、密閉空間にいられません!」


 三番目、水泳部。


「実はあたし、潔癖症で。他の人と同じ水には入れないんです!」


 天文学部。


「暗闇コワイ! 退部します!」


 美術部。


「図案見ていたら、集合体恐怖症の発作がぁ!」


 etc、etc……。




「ううううう……!」


 作戦会議を行っている階段裏で、彼女が地面に突っ伏した。


「思ったんだけど、これって、あたしの評判いちじるしく傷ついてない!?」


 そうかもしれない。が、アレルギーが理由なら誰も文句は言えないと、斎河も納得していたはずだ。


「嫌だったらやめてもいいんだぞ。……けど、お前、すごいな。キャラ作ってるだけあって、演技力と根性だけは抜群だな」

「はあ? なんでそれだけなのよ! スポーツ万能で手先も器用で……、いいとこいっぱいあったでしょ!?」


 よくもそれだけ自画自賛できるものだ。俺は呆れながら、猛抗議している彼女の手を取って裏返した。


「っ! ちょっと――」

「手の内側。意外と荒れてるよな」

「……!」


 斎河は素早く手を引いた。だがその前に、彼女の手の平に小さな切り傷やマメの痕がいくつもあるのは確認できた。


「これ、一人でこっそり練習していたからなんだろ?」


 斎河は答えなかったが、その表情が正解だと言っている。


 本当の彼女はきっと、万能でも天才でもないのだ。そう、見せかけていただけで。


「不思議なんだけどさ、何でそこまでして生物部に入りたいんだ? アクアリウムがどうとか言ってたけど、それが理由じゃないんだろ?」

「……」


 彼女はしばらく黙っていたが、やがて、意を決したように口を開いた。


「合宿の時さ、あんた、あたしたちと会ったの覚えてる?」

「え? ……あー……」


 そういえば、歓迎会を兼ねた合宿が五月にあった。他にもいくつかの部が同じ敷地内で合宿をしていたようだったが、俺は一人で川釣りをしていたので、あまりよく覚えていない。


「あの時、あんた、めちゃくちゃ失礼だったじゃない」

「え? そうだったか?」

「そうよ! あろうことかあたしたちに向かって、うざい、邪魔すんな、どっか行けって言ったのよ!?」


 その時のことを思い出したのか、斎河は眉間にしわを寄せた。


(そう言われれば、そうだった気もする……)


 釣りに騒音は大敵だ。魚が逃げないように、女子たちを追い払った記憶ならある。


 思い返してみれば、クラスの女子からの風当たりが強くなったのもあの頃だった。となると、斎河が生物部への入部を反対されたのも、俺が原因だったのかもしれない。


「あー、斎河、もしかして……」


 ばつが悪くなって謝ろうとしたが、斎河は聞いていなかった。


「まあでも、むかついたけど、思ったのよ。あれだけ人目を気にせずいられたら気が楽――じゃなくて、たまには気分転換になるんじゃないかって。生物部なんて誰もいなくて静かだろうし、息抜き――じゃなくて、一息つくのにいいんじゃないかって」


 言っちゃいけない本音がぼろぼろ出ている。こいつ、本当はもう自分を飾るのは限界なんじゃないだろうか。


「お前さあ、もう、人気者やめたら? そんなに大変な思いしてまで取り繕っても意味ないだろ。部長が言うには、アクアリウムにはストレス削減効果があるんだとよ」


 斎河の負担を減らしてやろうと言った言葉だったが、彼女はむっとしたように俺を睨んだ。


「変な勘違いしないでよね。あたしが人気者なのは当然のことだし、ストレスなんかじゃないわ。あんたにはわからないでしょうけど!」

「……あっそ。悪かったな」


 確かに、俺にはわからない。他人の目を気にして好きなこともできないなんて、頼まれたってお断りだ。


 拗ねたような俺の口調に、彼女が笑った。


「でも、あんたでも人の心配なんてするのね」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」


 協調性がないと、血も涙もない人間だと思われるのか。それはさすがに心外だ。


「そんなに気にしてくれるんなら、やっぱりあの作戦でいく? あたしが好きだから生物部に――」

「それで、入部したら俺と付き合うのか?」

「そうだった、却下!」




 それ以降も、俺と斎河は順調に部活を攻略していった。


 そうして、残りあと五つと迫ったある日。

 先に出た斎河を追って教室を出ようとした俺は、クラスメイトたちにドアを塞がれた。


「……え?」


 戸惑っているうちに、斎河が廊下から押し戻されてくる。

 俺と同様、目を丸くしているから、彼女にも何が起こっているのか理解できないようだった。


「? えっと……? みんな、もしかしてあたしに用?」


 いぶかし気な表情をパッと消し、斎河はすぐに破顔した。しかし俺は、突然のことに頭が付いていかず、ただ突っ立って眺めていることしかできない。


 斎河と一番仲のいい女子が前に立ち、代表して口を開いた。


「美優さ、今から部活行くんでしょ?」

「え? うん、今日はテニス部に顔を出して――」

「――で、やめてくるんだ?」


 びくっと、斎河の肩が揺れる。平静を装おうとしたようだったが、「え?」と聞き返した声が震えている。


「……美優、この頃、変だよ」


 斎河の反応に確信を得たのか、彼女が語気を強くした。


「あちこちで噂になってるよ。美優がおかしな理由つけて、次々に仮入部やめてるって。いきなり病気になったり変な症状が出たりして、有無を言わせずやめるんだって。……おかしいよ。一体どうしちゃったの!?」

「……っ」


 鋭い声に斎河がひるむと、他の生徒たちも口々に訴え始めた。


「吹奏楽部もやめたんだって? 何考えてんだよ、あれだけ才能がありながら!」

「そうだよ! 調理部も、あんなに楽しそうにしてたのに!」

「あ、あれは……っ。だから、片栗粉恐怖症きょうふしょうが――」

「私、美優のお母さんに確認したよ。そんな症状、出たことないって。他のも、何も」

「――っ」


 斎河が言葉を失う。その背後で、俺も顔色を失った。


 まさか、そこまでするとは。

 彼女の承諾も無しに親に確認をするとは思わなかった。


 そんなに、斎河に対する不信感が募っていたのだろうか。俺がもう少し、他人に関心を持っていれば気づけたのだろうか。


 ――斎河の手の平を思い出し、唇を噛んだ。


 俺のせいだ。俺が彼女に嘘をつかせた。おかげで、彼女のイメージが崩れてしまった。


 今まであんなに、努力をしていたのに。

 俺には理解できなくても。それでも。


(――いや、考えろ。後悔してる場合じゃないだろ。とにかく、斎河を助けないと……!)


 焦りに突き動かされ、とにかく何か言おうと口を開きかけた時、皆の視線が俺に集中していることに気が付いた。


「美優を責めてるわけじゃないの。私たち、わかってるから。……全部、そいつのせいなんでしょ?」

「……は」


 口調以上に冷たい視線に射抜かれて、俺は思わず息を止めた。


「そうよ、美優は悪くないわ。そいつが全部仕組んだんでしょ!」

「お前が斎河を脅して、部活をやめさせてるんだろ」

「白状しろよ。放課後、斎河がお前と一緒にいるの、見たってやつが何人もいるんだよ!」

「――」


 何を言っているんだこいつらは。

 呆然としている間に、彼らは次々と罵声を浴びせかけてきた。


「何が目的なのよ! 美優を脅すなんて、何様のつもり!?」

「根暗野郎が不釣り合いなんだよ。身の程をわきまえろ!」


 不釣り合い。

 ああ、そうか。


 押し寄せる波のような罵詈雑言に飲まれているうちに、ようやく、皆の態度が腑に落ちた。


 彼らは、様子のおかしい斎河を心配しているのではない。ただ、俺を排除したいだけなのだ。

 斎河に――自分たちの理想の人気者に、俺は不釣り合いだから。


「ま、待って! みんな、違うの!」


 そんな彼らに向かって、なぜか斎河が声を張り上げた。


 不思議だった。俺を脅してでも自分のイメージを守りたいんじゃなかったのか?

 俺のせいにしておけば、彼女にとっては都合がいいはずなのに。


 ――しかし、彼女が痛々しいほど必死に訴えても、誰も耳を傾けようとはしない。


 青ざめた彼女を見ているうちに、ふつふつと怒りが込み上がってきた。


 結局、他人なんてこんなものだ。

 斎河を守るふりをして、誰も彼女なんて見ていない。本当の彼女など、どうでもいいに違いない。

 だから、斎河自身をないがしろにしても、自分たちの意に沿わない人間を取り除こうとする。


 俺は斎河の前に立ち、大きく息を吸った。


「……お前らの言う通りだ」

「! 泉――」


 斎河が驚愕しているのを無視し、彼らが望んでいるだろう言葉を続ける。


「たまたまこいつの弱みを握ったから、部活をやめろって脅したんだよ」

「!?」


 斎河が目を見開いて息を飲む。


(……悪い、斎河)


 俺は、心の中で彼女に謝った。

 生物部に入りたいという願いは叶えてやれそうにない。だが、せめて最低限の償いはしたい。

 そのためには。


(簡単だ。以前の関係に戻ればいい)


 話もしない。目も合わせない。ただ、同じ空間にいるだけの存在に。


(……まあ、ちょっと、残念だけど)


 斎河が何か言おうとしたが、それより皆の反応の方が早かった。


「な――なんだこいつ! いけしゃあしゃあと……!」

「さっ、サイッテー! 信じられない! 底辺のくせに!」


 悲鳴のような怒号に、俺はわざとらしく耳を塞いだ。


「うるせえな。これくらいでキンキンわめくなよ。もう、やめるからそれでいいだろ」


 一際大きくなった罵声を背に、俺はきびすを返した。


 さすがに言いすぎたかもしれない、と内心びくびくしながら出口に向かう。と、その時、ぐいと上着を引っ張られた。


「……?」

「――違うでしょう」


 ――わめき声の隙間を縫って紡がれた言葉は、やけに鋭く鼓膜を刺して。


 女王然とした威厳のある声音に、心臓をわしづかみにされるような感覚を抱く。


(……斎河……?)


 息をするのも忘れて彼女を凝視した。

 静かに強く光る双眼には、怒りの炎が灯っている。


「泉くん。あなたは脅してなんかいない。ただ、頼んだだけよ。生物部に入ってくれって」

「……い、いや、それは」

「どうしてなの?」


 斎河の声が響く。


「なぜ、生物部に入ってくれって言ったの?」


 いつの間にか、近くにいる生徒たちは皆、固唾を飲んで彼女の声に耳をすませていた。


(――なぜ?)


 ……わからない。

 彼女の意図がわからない。


 なぜ、彼女は怒っているのか。なぜ、そんなことを聞くのか。

 俺に、何を言わせようとしているのか。


 ――じゃあ、やっぱりあの作戦で行く?


 その時、ふいに、いつかの台詞が頭をよぎった。斎河の目に導かれるようにして、そのままそれを舌に乗せてなぞる。


「……それは、俺が――斎河を、好きだから……?」

「――」


 しいん、と教室が静まり返った。先ほどまでの喧騒が嘘のように、衣擦れどころか呼吸音すら聞こえない。


(――、あれっ?)


 我に返った瞬間、ざあっと勢いよく血の気が引いた。


(おっ――、俺は今、何を……!?)


 慌てて発言を撤回しようとしたが、斎河がそれを許さなかった。馬の目を射抜くような素早さで、生まれた静寂に言葉を差し込む。


「ごめんなさい。嬉しいけど、あなたの気持ちには答えられないわ。でも、せめてものお詫びに、生物部に入部させてちょうだい。……そこで、お友達から始めましょう!」


 すらすらとよどみなく言いきると、彼女は青空のような笑顔を浮かべた。


 数秒遅れて、今度は黄色い叫び声が教室中を席巻する。


(…………え?)


 地鳴りのような音を遠くに聞きながら、俺は呆然と立ちすくんだ。




 ――数日後、俺はぼーっとしたまま、部室で水槽を眺めていた。


 隣には、同じくうつろな瞳で魚を眺める斎河の姿がある。


「お友達からって……昭和かよ」


 ここ数日の騒動を思い、俺はぼそりと愚痴をこぼした。


「しかも結局、無駄に告白させられて振られてるし……」

「いいじゃない。おかげで、あんたの株も上がったのよ」


 斎河が隣で勝ち誇ったように笑みを浮かべた。それを見て、俺は大きくため息をつく。


 斎河の言う通りだ。あれだけ反感を買い、村八分にされてもおかしくない状況だったにも関わらず、俺はつまはじきにされずに済んでいる。


 しかしながら、諸手を挙げて歓迎できる状況でもない。どうやら俺は、大半の生徒から、「斎河に恋い焦がれるあまりアプローチを間違えたイタイ男」「公衆の面前で振られたかわいそうな男」「傷口に塩ぬられ男」などと言われ、同情票を集めているらしいのだ。


(毎日ちらちら好機の視線を浴びせられて、正直うざいんだけどな……)


 だが、天然を装った斎河の気遣いを無にしたら、今度こそクラス中を敵に回してしまうだろう。そんなわけで、俺は入部以来初めて、真面目に部室に通っていた。


 ……まあ、ただ斎河とだべっているだけのようなものなのだが。


 とにかく、斎河も生物部に入部することができたし、その際に例の図鑑も回収できたので、結果オーライと言えるだろう。

 あとは、俺の告白事件を周囲が忘れ去ってくれれば、言うことなしだ。


 ちなみにその後、部長が墓穴を掘って、図鑑の持ち主が誰か斎河にバレてしまったのだが、俺のせいではないから問題ない。自分を例える魚を変更しろと何度も遠回しに迫られているのも、部長の自業自得だから俺に責任はない。


「……なに?」


 知らず知らずのうちに斎河の顔を見つめていたらしい。怪訝そうに言われ、俺は慌てて話題を探した。


「ああいや、えーと……、あ、そういえば、なんであの時、怒ってたんだ?」

「え?」

「ほら、あの時だよ。俺が斎河を脅したんだって言って教室を出ようとした時。その前に、俺を庇おうとしたのも不思議でさ」

「ああ……」


 斎河は眉根を寄せると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「あれは完全に濡れ衣だったじゃない。大体、あんたねえ、適当なことを言ってあたしを庇おうとしたみたいだけど、論外よ! 自己犠牲精神なんか発揮されても、嬉しくないっての! まったく、体調悪い時に赤くなって目立っちゃうグルクンかよ!」


 部長から仕入れた知識なのか、彼女は得意げに魚のそれを披露してみせた。それから、不思議そうに首を傾げる。


「逆に、なんであたしを庇うようなこと言ったわけ? あんた、他人なんかどうでもいいんでしょ?」

「……その言い方には語弊があるな……」


 本当にこいつは、俺をどんなやつだと思ってるんだろう。


「まあ、元はと言えば俺のせいだし……。そもそも、困ってるやつを助けないってのは別の問題だろ」


 照れくさくて頬をかきながら、「それに」と付け足した。 


「ただのクラスメイトだったら俺にとっては他人だよ。だけど……、俺らはその、友達、なんだろ?」

「――」


 ――お友達から始めましょう。


 斎河の言葉が蘇り、俺たちは顔を見合わせ、同時に噴き出した。


 彼女と俺は、全然違う。考え方も、性格も、クラスでの立ち位置も、すべて。

 それでも、側にいるのは悪くない。もしも本当に、友達といっていいのなら――。




 ――ひとしきり笑った後、斎河が隣で腰を上げた。


「……ふふっ。ニセクロスジギンポみたいに――」


 耳元に口を寄せ、意味ありげに囁いてくる。


「友達のフリして近づいて――いつか、心臓ハートを食いちぎっていくのかも? なんてねっ」

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