第2話 淡い思いと追跡者たち


 講義開始まで、四分前。


 彼が走ってやって来た。


 秋山結鶴。


 学内では暗いと言われていて、誰とも話しはしない。


 でも、顔付きが可愛い。


 そして、夏が近づいて、着る服が薄くなった中で姿を現す、可愛い顔付きとは釣り合わない細身ながらも筋肉質な身体。


 総じて言えば、男としてはスタイルが良い方。


 さらにテストでは毎回、好成績を残す頭の良さも好ポイント。


 結論として、言えば、私は彼が好き。


 でも、ただ彼が珍しく、遅刻しそうなところを見ているだけで彼とは、一切、話をしたことが無いのが現実。


 私・・・・・・仮にも、芸能人なのに、何で、気になる男の子一人にグイグイ行けないんだろう?


 ベイカー・鈴はそう思いながら、高揚する思いと並行して抱く憂鬱を抑えられなかった。


 彼に話しかけた方が良いだろうか?


 でも、事務所から何を言われるかは分からない。


 大して、売れてもいない女優だけど、夢を叶える為にはある程度のプライべートを犠牲にしないといけない。


 本当は大学には行けないぐらいに仕事が忙しくあって欲しいけど、家が貧乏なので、バイトしないと学費が稼げない事実。


 かといって、私はそこまでしてまで大学に行きたいわけではない。


 本当は仕事がしたいのだ。


 大学に来た理由はその方が、芸能界で箔が付くからであって、決して、キャンバスライフを謳歌したいという、中身のないパリピが考える理由なんかじゃない。


 だけど、本心では大学に行けないぐらいに仕事がいっぱいあるのが理想なのに結鶴がいる以外はつまらない、糞みたいな講義を受けないと、いけない自分がいる。


 つまらない。


 一応、ボイスレコーダーに全部、講義の内容を録音しているから、結鶴でも延々と眺めているか。


 そう思っていた時だった。


 その結鶴が隣に座って来たのだ。


 何で・・・・・・


 普段、私に見向きしないのに?


 自然としどろもどろになる自分がいる。


「ふぅ・・・・・・」


 結鶴君が私の目の前でため息を吐いている。


 少し、汗のにおいがするけど、男性用の香料の匂いと相まって、香しい匂いだ。


 そして、口の匂いからして、恐らく、コーヒーでも飲んだのだろうな。


 カフェインとコーヒー豆特有の匂いがするが、乳製品の匂いは感じない。


 好みはブラック派と見た。


 というより、こういう形で好きな子の癖を分析している私って・・・・・・


 そう、好きな男の子が隣にいて、変質的にならざるを得ない、自分に辟易して、後ろを向こうとした時だった。


「見るな」


 結鶴が声を出す。


「えっ?」


「見ない方が良い」


「何・・・・・・」


「お坊ちゃんとお嬢様たちが講義そっちのけでお楽しみのようだ」


 それを聞いた、瞬間、背中に寒気が走る感覚を覚えた。


 学内で噂にはなっていたけど、実際に講義中にそんなことをする連中がいるの?


 確かにこの講義の教授は生徒に無関心であることで有名だけど、いくら、後ろの席の目立たない部分を陣取っているからと言って・・・・・・そんなことを?


 ただ、衝撃的だったのは結鶴の口から言及はされなかったが、同人がそれらを行なっている生徒がいるということの忠告を自分にしたことだ。


 好きな男の子が清廉潔白であって欲しいと思う、自分が案外、青いという事を知覚したが、まさか、結鶴がそういう下劣なことに対しても平然としているとは・・・・・・


「見ないよ。ありがとう」


「それでいい」


 すると、講義が始まった。


 年の取った、論客としては有名な教授だが、講義の内容は独り善がりでつまらない物だった。


 ボイスレコーダーに録ってあるので、寝ていようかと思ったが、隣に結鶴が居るので、失望されたくないと思ったので、必死に起きている事にした。


 昨日は不覚ながらも、ロード・オブ・ザ・リングシリーズを一気見してしまったので、寝不足なのだ。


 動画配信サービスという高等な文明の利器もあるが、自分にとって未だに実家の近所のレンタルビデオ店でDVDなりブルーレイをレンタルするという、今となってはアナログな映画鑑賞の行為が心の癒しだ。


 そんな無駄なことを考えるぐらいにこの講義がつまらない。


 そう思っていた時だった。


 隣の結鶴が消しゴムを探している。


「秋山君、消しゴム無いの?」


 話しかけることが出来た。


 案外、簡単なものだな?


「・・・・・・無くしたな、どうしよう」


 教授のしゃがれた声が響く。


「貸そうか? 代金は高いけど」


「・・・・・・いくら?」


「三〇〇円でどう?」


 それを聞いた、結鶴は「冗談としては才能無いな。マジで貸してくれないか?」と笑いながら言っていた。


 笑うと、さらに可愛いんだよな。


 彼は?


「じゃあ、無料で良いよ」


「俺だったら、利子付きとか言うけどね? 借りるぞ」


 そう言って、結鶴は消しゴムで間違った箇所を消す。


「返す。利子が怖いから」


「良いよ。今日一日ぐらいは」


 そう言って、初めて話すはずなのに自然と二人で笑顔になれる、結鶴と自分がいる。


 そこから先はお互い、ひたすら無言だった。


 そして、講義が終わった。


 さて・・・・・・今日のアルバイトのシフトは?


 手帳を開いて、バイトのシフトを確認すると、結鶴が「消しゴム返す。ちなみに俺は利子を返す金が無い」とだけ言った。


「冗談だから、そんなことはしないよ。私は優しいし?」


「驚いたな? メーシー様が実は心優しい女子大生なんて」


 何で、それを知っているの・・・・・・


 メーシーというのは私が特撮ドラマの「コークス・アバネット」で演じていた、悪役だ。


 余程の特撮ファンじゃなければ、そんな役名など知らない。


「えっ・・・・・・秋山君って、特撮ファンなの?」


「マニア級にね? ベイカー・鈴だろう? 学内で人気の存在が俺の事を知っているのも光栄だけど?」


 私、そんなに人気無いんだけどなぁ・・・・・・


 ただ単に売れない芸能人ってだけで、色目で見られているだけだと思うけど?


「そっちこそ、女子の間では人気だよ? 男子は嫌っているみたいだけど?」


 それを聞いた、結鶴は「人気者は辛いな? 何か商売にでもしようかな?」と言って、白い歯を見せた。


「秋山君、時間大丈夫なの?」


「無いなぁ? そっちもバイトだろう?」


 それを聞いた、鈴は「何で、分かるの?」と唖然とした表情を見せた。


「手帳開いた時に一瞬だけ見えた」


「・・・・・・来ないでね?」


「行かないよ、俺は暇じゃない」


 そう言って、結鶴は笑い出した。


 鈴も微笑を浮かべる。


「また、消しゴム借りたくなったら言ってよ」


「今度は自前で持ってくる。メーシー様の利子は高くつきそうだからな?」


 そう言って、結鶴は「じゃっ」と言って、そのままどこかへ消えて行った。


 可愛いなぁ・・・・・・色気まであるし?


 寝不足の思考が一気に覚める程にドキドキした瞬間だった。


 これでバイト頑張れるな。


 鈴は筆記用具を片付けると、教室を出て行った。



「最悪だな? 会社の恥さらしめ?」


 警視庁渋谷署刑事課係長の中田恭介警部補はデスクにおいて逮捕された、鮫島の血まみれになりながら憔悴しきった顔を忘れることは無いと思った。


 ビ(警備警察の略称)のエリートSPでありながら、女子高生ごときにご執心の挙句にジ(刑事警察の略称)の下っ端である、自分たちのお縄に着く。


 ビとジの対立関係という意味でのいい気味だという感情を通り越して、険悪感すら覚えるぐらいに低次元な話だ。


 普段、偉そうな顔をしているくせにこんなつまんねぇ、事件で俺たちの手を煩わせるんじゃねぇよ。


 目撃情報によると、若い男にぼこぼこにされていたと言うが、それもそれで情けない。


 現職のサッカン(警察官の略称)が痴漢行為で逮捕。


 しかも、SPが民間人にぼこぼこにされるなどと・・・・・・


 会社の恥さらし。


 何だったら、自殺してもらった方が嬉しいぐらいだ。


「おい、あのバカ、病院に連れて行くんだろう!」


 これから、地域課の連中に話を聞こうとした時だった。


「係長」


 庶務の女性警察官がやって来る。


「何だよ? 俺は忙しいんだよ!」


「本部の暴力団対策課の方が・・・・・・」


「聞こえねぇよ!」


 中田がそう庶務の女性警察官を怒鳴っている時だった。


「中田係長、それはパワハラですよ」


 そう言って、やって来たのは強面のヤクザと言ってもいい、男数人だった。


「マル暴(暴力団対策を担う部署の通称)か?」


「いやぁ・・・・・・渋谷も大分、開発されましたねぇ? 全くもって、異世界のようだ」


「御託は良いんだよ。マル暴が何の用だと聞いているんだよ!」


「だからね? 言っているじゃないですか?」


 強面の男の一人が一瞬で中田の背後に付き、首に手を掛ける。


「パワハラだよ、それ? マジで部下にやっても命取りだし? ましてや俺たち、怖いサッカンにやると・・・・・・潰すよ?」


 こいつ、ただ、顔が怖いだけじゃねぇ。


 マル暴はヤクザを相手にするだけあって、警察内でも武闘派の集団として知られているが、噂通りに単純に喧嘩が強いという事はたった今、痛感した次第だ。


「・・・・・・何の御用でしょうか? 渋谷まで?」


「口の利き方がなっていねぇ係長さんだがよ? お前らに教える義理はねぇんだよ。ただし、言えることは一つ。鮫島の聴取を取らせてもらうのと監視カメラの映像一式を全部貰うぞ?」


 マル暴がただの傷害事件でここまで、出張るという時点で考えられるのはただ一つ。


 鮫島をあそこまで、ボコボコにした人間は暴力団関係者であると言うことだ。


 それならば、現職のSPを圧倒した戦闘能力には納得がいく。


 それを追っているならば、大人しく、証拠を提供した方が良いか?


 もっとも、ここまでドストレートに要求を言い放つ時点で、あまり、頭は回らないようだが?


「分かりました。早急に手配します」


「急に物分かり好いじゃねぇかよ? おい、茶を飲ませてもらうぞ?」


 そう言って、マル暴刑事たちはどこかへ消えて行った。


「ほぼ、ヤクザですね?」


 部下のデカ長(刑事部の巡査部長階級の警察官の通称)である、渡辺が眉を顰める。


「あぁ、だが、手は打つさ?」


 中田はそう言うと「タバコ吸ってくらぁ?」と言って、渡辺に対して、笑う。


 警察はストレスまみれの職場だから、タバコを吸わないとやっていられない。


 それは口実だが、今はこの事態を連絡しないといけない。


「もしもし? 神田か?」


 電話先の相手は不機嫌そうに「今日、非番なんですけど?」と言ってきた。


「所轄は時間に余裕があって、良いねぇ? 昇任試験に落ち続けているから、本部に復帰できねぇんだろう?」


「中田先輩、マジで寝たいから、ちょっかい出すために電話かけないでくれませんか?」


「お前の好きなマルB(暴力団の警察内での隠語)の案件だぞ?」


 それを聞いた、神田玲巡査部長の声のトーンが変わった。


「俺、ヤクザ嫌いなんですけど? 第一、強行犯捜査が専門ですし・・・・・・つまらない話だったら、縁切りますよ」


「後で食事しようや? つまらねぇ、話はしねぇからよ?」


 中田は笑いが止まらない心境だった。


 続く。




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