思い合わせの便りをひとつ

雨々降々

思い合わせの便りをひとつ

 とある田舎町で、僕は、郵便局員として働いている。

 時代の流れは、こんな辺鄙な場所にも影響がある。

 手紙のやりとりも少なくなり、住んでいる人は高齢ばかり。独り身も少なくはない。

 そんなもんだから、役所から郵便局員には、できるだけ住んでいる人に声をかけてもらうように言われている。

 家族がいるうちは、まだいい。

 周りの人に先立たれて、近所づきあいも少ない人は、人知れず孤独な最期を迎えることもありえるからだ。

 だから僕は今日も、郵便の配達がある家に行っては、チャイムを鳴らし住人の顔を見て挨拶をしていく。

 その中でひとつ。気になっている家がある。

 一ヶ月のうちに数回という頻度で郵便の配達があり、行くと、必ず住人が出てきてくれるのだが、そのおじいさんがまぁ無発想。ただ、無愛想というだけで、罵声を浴びせられたり、冷たくされたことは一度もない。

 最早若者が珍しい町なので、どこの家に行ってもお年寄りの皆さんはニコニコと声をかけてくれるものだが、ここの家のおじいさんは違う。

 そのおじいさんは、なんというか——表情が乏しい。

 何かを置き忘れてきたかのような、そんな顔をしている。しかし、ボケている、というわけでもない。

 背がやや低めの彼だが、背筋は年齢に見合わないぐらい、ぴんとしていて姿勢が良い。足腰もしっかりとしているし、身なりも毎日気を使って整えているんだなとわかるほど、清潔感がある。

 他に気になるとしたら、左側の首筋から顔にかけて、大きな傷跡がある……ということぐらい。

 僕が、「こんにちは」と挨拶をすると、言葉も発さず、首だけ動かすような人だった。

 そして、静かに家へと去っていく。だから僕は、彼の声を聴いた記憶がない。

 そんなおじいさんだったが、今日、僕から受け取った封筒の差出人を見て、少しだけ眉を動かしたのを見た。

 僕にとっては珍しい光景だった。

 何を受け取っても、顔の筋肉ひとつ動かさないようなおじいさんの眉を動かすような差出人って、一体どういう関係の人なんだろう?

 少しの好奇心に駆られながらも、僕は当たり障りのない言葉だけ残して、いつも通り、その家の前から自転車を走らせた。






 彼の朝は、こうしてたまにやってくる郵便局員の若者から、始まることもある。

 片手にもっていた白い封筒を一度テーブルの上に置いて、台所に立つ。

 昨夜洗ったままにしていた湯呑みと急須をとり、沸かしていたお湯と茶葉を注ぐ。

 淹れたてのお茶と共に、居間へと戻ってきて、座椅子に腰掛ける。

 一口、熱い茶をすすりながら、彼の視線は白い封筒へと注がれた。しばらくの間、彼は封筒をただじっと見つめるだけ。

 差出人の文字に視線を何度も滑らせる。ゆっくりと湯呑みをテーブルに置くと、その指は流れるように封筒を手に取った。

 やがてゆっくりと封を開き始めた。糊でしっかりと口を閉ざした封筒の端を、丁寧に切り落としていく。

 中身を取り出すと、白く、特に飾り気のない便箋が数枚出てきた。

 それを慎重な仕草で開くと、眼差しはじっくりと一文字一文字を眺め始める。




拝啓


 先生、お元気でしょうか?

 私のことを覚えていらっしゃるかわからなかったのですが、同窓会で、先生が教員を辞めていたと聞いて、思わず筆をとりました。

 ご自宅の住所を、勝手に同窓会の幹事に聞いてしまったことを、お許しください。


 私は今、都内で会社員をしています。

 先月、二人目の子供が生まれ、妻とともに忙しい日々を送っています。

 この歳になると、いろんな責任が降ってくるものですね。

 先生が担任のクラスにいたとき、先生も、私の今ぐらいの歳だったかと思います。

 うちのクラスは、やんちゃぞろいでしたから、先生もご苦労されたんだろうなと、今になって反省しきりです。


 先生。

 僕は今でも、あのときのことを、忘れることができていません。

 覚えてますか?

 私が、クラスで集金したクリスマス会のためのお金を、盗んだんじゃないかと疑われたときの話です。

 結局お金はあとから見つかりましたが、私への疑いは晴れず、悔しい思いをしました。

 あのとき、なんで誰も信じてくれないんだと、心底まわりを恨みました。その中には、先生も入っていました。

 先生は僕を疑ってなんていなかったのに、それでも当時の僕には、そうしなくちゃいけないような思いに駆られていたのです。


 私もガキだったので、どうやったら信じてもらえるのか、というより、自分を信じない奴らが全員悪いとばかり思ってしまって、何もせず、怒鳴り散らすばかりだったのを覚えています。

 それが結局、そのときのクラスのみんなと、歩み寄れない原因を作ってしまったんだと思います。

 私の家は、父親が本当にダメな男で……母親は家計を支えようと、夜の仕事に就いて体を壊してしまうほどでした。

 そんな家の子供だから、金に困って盗んだんだろうと、他の先生に言われたときでしたね。

 先生が、割って入って、その先生を怒ってくれたのは。そのときは言えませんでしたが、私は本当にうれしかったです。でも先生は、表立って、私を庇いだてるようなことはしてくれませんでした。

 子供のときはそれがどうしてなのか、わかりませんでしたが、今思えば、先生は先生でできる限りのことをしてくれてたんだと思います。


 大人の世界は、想像以上に、理不尽と批判との戦いです。

 大人になってから、あのときの先生の行動は、私も、先生自身もつぶれないようにすることで、精いっぱいだったんじゃないかなと、とらえられるようになりました。


 次の年のクラス替えで、私は先生のクラスじゃなくなりましたが、クラスメートも様変わりして、みんなクリスマス会のお金の話なんて忘れていきましたよね。

 私はあのとき、永遠に、盗人のレッテルを貼られたまま生きていくんだと絶望していたのに。

 年明けに、先生がわざわざ私のところに来てくれて、「あけましておめでとう。今年もよろしくな」と行って、年賀状をくれました。

 その年賀状、いまだに持ってますよ。


 つらつらと当時のことを書いてしまいましたが、とにかく、私は今、大人の世界の中で、自分の家族を守るためにがんばっています。

 インフルエンザが流行る時期ですので、先生もお体にはお気をつけください。

 また手紙を書きます。

 次の同窓会は、ぜひいらしてくださいね。みんな待ってますよ。



追伸


 手紙を書いていたら、学校の校庭にあったサッカーゴールが倒れたときのことも思い出しました。

 サッカー部の子をかばって、先生の顔に大きな傷が入って、出血がひどくて大騒ぎになりましたよね。

 かばわれた子の方が大泣きしてましたけど。

 あのときの傷、まだ残っているんでしょうか?




 彼は静かに眼鏡を外す。

 手紙を元にあったように折り直すと、封筒に入れて、糊が少しだけ残った蓋をぎゅっと指で押した。

 座椅子から手が届く位置にある、桐の引き出しを開けて、封筒を入れると、引き出しを丁寧に押し戻した。






「郵便局に、便せんと封筒、あるかな?」

 手紙を渡したときに、僕はそのおじいさんの声を初めて聞いた。

 しわがれているけれど、声量もあって、耳にしっかりと届いたその声色に、僕は正直驚いた。

「……は、はい。売ってます」

 するとおじいさんは、そうか、と頷いてから、懐から茶封筒を取り出して、僕に差し出してくる。

「お金預けるから。明日でいいし、持ってきてくれると助かる」

 ここのあたりは店も少ないし、郵便局も自転車がないと結構遠い。

 一応役所の人からは、何かあったら住人の助けになってほしい、とは言われている。なにより、お金を預けるなんて。

 話したこともないのに、このおじいさんは、僕のことを信用してくれるんだなと思った。

「わかりました。お預かりします」

「ああ。……あ、キャラクターもの以外でな。大人に書く手紙だから」

 はい、と頷く。危ない危ない。お孫さんにでも手紙書くのかなって勝手に想像したから、言われなかったら可愛いの選ぶところだった。

 それにしても珍しいこともあるもんだな、と思いつつ、自転車にまたがろうとした。

「あ、そうだ」

 おじいさんの声が聞こえて、僕は彼に顔を向けた。

 そこには、やわらかく微笑んでいるおじいさんの姿があった。

「いつもありがとう」

 驚きが勝ちすぎて言葉を返すのが遅れた。

 いえ、とんでもないです……という僕の言葉に少しだけ頭を下げて、おじいさんは家へと戻っていった。


 何かを置き忘れてきたようなあの表情は、もう、どこにも見当たらなかった。

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