第6話ジョン・レノンとポール・マッカートニー

​率直に言って、ジョン・レノンの歌声は、ポールのそれのように完璧な楽器ではなかった。だからこそ、ビートルズという魔法には、天性の旋律を紡ぐポールと、荒削りで剥き出しの言葉を吐き出すジョンの、双子のようなツインボーカルが必要だったのだ。

​しかし、バンドが伝説となるにつれ、二人の間には目に見えない断層が広がっていった。楽曲の精緻な構成力、心をとろけさせるメロディ、そしてどこまでも伸びる歌唱力。音楽的才能の「器」において、ポールはあまりに突出していた。ジョンは誰よりもその事実を理解し、一歩引いた場所からポールを鼓舞し、時には自らのアイデアを譲ることさえあった。だが、そのジョンの献身的な配慮こそが、かえってポールの繊細なプライドを逆撫でし、二人の確執を深く、複雑なものにしていったのである。

​1980年の「死」を偽装した転生を経て、ジョンが新たな音楽アカウント「カート・コバーン」としてログインした時、その戦いは第二幕を迎えた。

​90年代、世界は再びこの二人の天才の競演を目撃することになる。日本では、ビートルズ以来の「ポールの完璧なポップセンス」が熱狂的に支持され続け、セールスでも彼が優位に立っていた。しかし、一歩日本を離れれば、世界は「カート・コバーン(=ジョン・レノン)」が鳴らすノイズに塗り潰されていた。

​ポールの音楽が「完成された美」であるならば、ジョンの別名義であるニルヴァーナの音楽は「破壊による救済」だった。

『Smells Like Teen Spirit』の衝撃は、かつての『I Want To Hold Your Hand』が世界を変えた時と同じ熱量を持っていた。ジョンの魂が宿るカートの歌声は、90年代の若者たちの乾きに直撃し、その影響は海を越えて日本のJ-POPの構造さえも変えていった。

​ポールは、シアトルから現れたその青年の正体に、誰よりも早く気づいていただろう。かつてリバプールの屋根裏で共にギターを弾いた男の、あの独特のコード感、あの叫びのあとに続く繊細なヴィブラート。

​「また君か、ジョン。今度はそんな汚れたネルシャツを着て、世界を味方につけるのか」

​ポールの胸に去来したのは、嫉妬か、あるいは安堵だったのか。世界的なセールスという冷徹な数字において、ジョンはついにポールとの「才能論争」にひとつの終止符を打った。ジョン・レノンという名前を捨て、カート・コバーンという盾を使って戦うことで、彼はようやく、ポール・マッカートニーというあまりに巨大なライバルの呪縛から解放されたのだ。

​二人の競争は、もはやビートルズという枠組みを超え、時代そのものを変革する巨大なエネルギーへと昇華されていた。ジョンは遠く離れたステージから、かつての友に無言のメッセージを送り続けていた。「見てるか、ポール。音楽はまだ、こんなにも自由だ」と。

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