限界集落バイラル ~堅物公務員が謎の天才ハッカーとYouTuberになって村を救う件~
@mikitakachi
第1話:片桐守の受難
バン、バン、バン、バン。静寂に包まれた庁舎内に、小気味よいリズムが響き渡る。それは、地方公務員にとっての心臓の鼓動であり、秩序を守るための号砲でもあった。
午後五時十五分。定時退庁時刻まで、あと五分。姥捨村(うばすてむら)役場、総務課。入庁八年目の片桐守(かたぎり・まもる)は、自身のデスクに積み上がった決裁文書の山に対し、無心で公印を押し続けていた。
「確認、よし。根拠法令、よし。予算執行伺い、よし……!」
片桐の右腕は、精密機械のような正確さで動いていた。朱肉に印をつけ、紙面に対し垂直に下ろす。掠れなし、滲みなし、傾きなし。完璧だ。これぞ公務(シゴト)だ。最後の文書に印を押し終えた瞬間、壁掛け時計の針がカチリと音を立て、十七時十五分を指した。
「お疲れ様でした!」
片桐は誰に言うともなく叫び、勢いよく立ち上がった。しかし、返事はない。広々とした総務課のフロアには、片桐以外に誰もいなかったからだ。隣の席の課長はぎっくり腰で早退し、経理係の女性は産休中。窓際の嘱託職員は、三時のおやつの時間に行方不明になったきり戻っていない。
片桐はふぅ、と息を吐き、錆びついた窓枠に手をかけて窓を開けた。一月上旬の、東北の冷たく鋭い風が吹き込んでくる。目の前には、息を呑むような絶景が広がっていた。雪化粧をした山々が、燃えるような夕日に照らされ、茜色と群青色のグラデーションを描いている。眼下には、静まり返った棚田と、ポツポツと灯り始めた民家の明かり。世界で一番美しい夕暮れだと、片桐は本気で思っている。
ただし、その「世界一」も、あと三百六十四日で終わる。
片桐の視線が、机の端に置かれた一枚の回覧文書に落ちた。そこには、無機質な明朝体でこう記されていた。
『財政健全化計画における最終通達について』
要約すればこうだ。――来年の三月三十一日までに、自主財源を一億円確保できなければ、姥捨村は「財政再生団体」に転落する。つまり、村の倒産だ。役場は国の管理下に置かれ、住民サービスはカットされ、職員の給料は半減し、やがて村は近隣の市に吸収合併されて消滅する。人口四百八十人。高齢化率六十二パーセント。主要産業、特になし。詰んでいる。誰がどう見ても、ゲームオーバーの手前だ。
「……だが、諦めん」
片桐は夕日に向かって、誰にも聞こえない声で呟いた。地方公務員法第三十条、全体の奉仕者としての使命。何より、この美しい村を「地図から消しました」という決裁文書に、ハンコを押すのだけは御免だった。たとえそれが、悪魔に魂を売る行為だとしても。
その時、庁内放送のチャイムがけたたましく鳴り響いた。
『ピンポンパンポーン。総務課の片桐くん、片桐くん。至急、村長室まで来なさい。繰り返す、至急だ。……あ、マイク切れてる? これ、入ってる?』
だらしない声の主は、この村の最高責任者にして、最大の懸念事項。轟(とどろき)源次郎村長である。片桐は嫌な予感に眉間を揉みほぐすと、愛読書である『地方自治法(逐条解説付き)』を小脇に抱え、戦場へと向かった。
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