第四話 戻らない手
昼過ぎ、診療所の扉が鳴った。
「先生、いるか」
村の老人だった。
腰を押さえ、歩幅が小さい。
「どうぞ」
レオンは椅子を示す。
「また、ここがな」
老人は腰を叩いた。
「朝は平気なんだが、昼になると重くなる」
「いつからですか」
「春先から」
「痺れは」
「ない」
レオンは腰から背にかけて手を当て、姿勢を見る。
前かがみの癖、片側に寄った重心。
長く同じ動きを続けた身体の使い方だった。
「畑は」
「毎日だ」
「鍬を振る時間は」
「減らしていない」
レオンは一度、頷いた。
「骨ではありません」
老人が顔を上げる。
「神経に、負担がかかっています」
言い切らず、続ける。
「同じ姿勢と動きを繰り返しています。
昼になると重くなるのは、そのせいです」
必要な箇所にだけ魔力を通す。
熱が引き、張りが緩む。
「……軽いな」
「今は、です」
レオンは淡々と告げる。
「このまま続ければ、また出ます。
治療より、使い方を変えた方が早い」
「年のせいじゃないのか」
「年齢は関係ありません」
包帯を差し出す。
「今日はこれを巻ってください。
鍬を振る時間は半分に。
無理なら、三日に一度、休みを入れてください」
老人は眉をひそめ、しばらく考えた。
「畑は逃げんか」
「逃げません」
「……ふむ」
老人は立ち上がり、腰を伸ばす。
「違うな。
さっきまでとは」
「今日は、楽になります」
「治らんのか」
「生活は、楽になります」
それ以上は言わない。
老人は小さく笑い、銅貨を置いた。
「これで足りるか」
レオンは数えない。
「十分です」
老人が出て行くと、診療所は静かになった。
午後の光が床に落ちる。
レオンは薬棚を整え、次の包帯を切る。
扉は、開いたままだ。
英雄も、噂も、ここにはない。
あるのは、今日の痛みと、明日の使い方だけだ。
――――
外で足音が止まる。
レオンは顔を上げた。
「どうしましたか」
それが、いつもの診療だった。
夕方、診療所の扉が鳴った。
入ってきたのは、若い男だった。
年は二十を少し過ぎた頃だろう。
右手を左腕で支えるようにしている。
「……診てもらえますか」
「どうぞ」
男は椅子に座り、ゆっくりと右手を差し出した。
指は揃っている。傷もない。
だが、動きが鈍かった。
「いつからですか」
「三か月前です」
「原因は」
男は少し黙ってから答えた。
「剣を、振りすぎました」
レオンは頷き、手首から肘、肩までを順に確かめる。
力を入れさせ、抜かせ、反応を見る。
「痛みは」
「強くはありません。
ただ……」
「ただ?」
「思ったところで、止まります」
レオンは、男の指先を軽く叩いた。
「感覚はあります」
「はい」
「震えは」
「ありません」
しばらくして、レオンは手を離した。
「骨ではありません」
男の表情が、わずかに緩む。
「神経です」
すぐに続ける。
「切れてはいません。
ただ、使い方が限界を超えました」
「治りますか」
男は、まっすぐに聞いた。
レオンは少しだけ考える。
「元には戻りません」
男の喉が鳴った。
「剣を振る速さと、精度は戻らないでしょう」
「……そうですか」
落胆はなかった。
確認した、という顔だった。
「生活に支障は出ません。
細かい作業もできます」
男は、自分の手を見つめる。
「剣は」
「持てます」
「振れますか」
「怪我をしない程度には」
レオンは淡々と続ける。
「ただし、同じことを続ければ、
今より悪くなります」
男は小さく息を吐いた。
「それでも、振る人はいますか」
「います」
「……医師は、止めますか」
「止めません」
レオンははっきり言った。
「事実は伝えました。
選ぶのは、あなたです」
男は、しばらく何も言わなかった。
「別の使い方は」
「あります」
レオンは薬棚から簡単な包帯を取り出す。
「今は、休ませてください。
痛みが出たら、ここまで」
包帯で手首を軽く固定する。
「一月後、もう一度診ます」
「それで」
「それで十分です」
男は立ち上がり、銅貨を置いた。
「ありがとうございました」
「気をつけて」
男は一度、深く頭を下げた。
扉の前で、足を止める。
「……剣を、振れなくなったら」
レオンは答えなかった。
男はそれ以上聞かず、出ていった。
診療所に、夕暮れの光が差し込む。
レオンは包帯を片付け、次の準備をする。
戻らない手は、珍しくない。
それでも、人は生きていく。
扉は、まだ開いている。
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