孤独の質~選ばれなかった正義

祭影圭介

プロローグ

 島津悠之介は、人を信用しない。 

 信用するのは、研ぎ澄ました剣の重みだけだった。

 夜明け前。

 山里の修行場で、悠之介は木刀を振り続けていた。

 一振り。

 また一振り。

 呼吸は一定、足運びに乱れはない。

 誰に見せるでもなく、誰に褒められるでもない剣。

 人と関わらぬ代わりに、剣だけは裏切らなかった。

 そのときだった。

 地の底から、獣が唸るような音が響いた。

 次の瞬間、地面が跳ね上がった。

「……地震か」

 悠之介がそう呟いた直後、修行場の柱が軋み、岩肌が裂けた。

 立っていることすら困難な揺れが、容赦なく襲いかかる。

 山が、壊れていく。

 人の手ではどうにもならない力が、すべてを引き剥がしていく。

 揺れが収まったあと、悠之介が目にしたのは、見慣れたはずの里の変わり果てた姿だった。

 家屋は潰れ、道は裂け、人々は泣き叫んでいる。

 秩序も、誇りも、地に落ちていた。

「……」

 悠之介は剣を携え、無言で瓦礫の中へ足を踏み入れた。

 助けを求める声が、あちこちから聞こえる。

 剣があれば梁を斬り、埋もれている人を助けることができる。

 しかし彼は、剣に手を伸ばさなかった。

 かつて正しいと思って剣を振るい、藩命で人を斬ったが、世界は少しだけ冷たくなったからだ。

 そのときだった。

 瓦礫の影から、分厚い帳簿を大事そうに両手で抱えた少女が現れた。

 年の頃は、まだ十七、八。

 恐怖に震えながらも、目だけは、はっきりしていた。

 手を貸してくれと言われ、悠之介は彼女に付き合い、剣を使わずに埋もれている人々を助けた。

 そして避難所の寺に逃れ、崩れかけた本堂の中で、少女が帳簿を別の紙に書き写しているとき、帳簿の端に、ひとつの名が書かれているのを、悠之介は見逃さなかった。

 郡司真之進。

 彼は、その名前に覚えがあった。

 直接会ったことは無いが、今は藩の重役で、かつて悠之介に人を斬る藩命を下したのも、その者の名だったと聞いている。

 あとでそのことを尋ねると、「父を、殺した人です」と少女は言う。

 そして今度は、復讐に手を貸してほしいと真剣な眼差しをぶつけられる。

 悠之介は断った。

 復讐は、合理的ではない。剣を鈍らせる。誰の恨みも背負わない。

 しかし、郡司真之進は、今も昔も変わっていない。

 彼は、真実を見ることを決意する。

 人の心を壊し、なお平然と生きる“何か”が、この崩れた世界の奥にいる。

 悠之介は少女と出会ってから、初めて剣の柄を強く握り直した。

 今度のことも、ただの天災では終わらない。

 そう直感したからだ。

 孤独な剣士と、復讐を誓う少女。

 二人の出会いが、崩れた世界の歪みを暴き出していくことを、この時、まだ誰も知らなかった。

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