これは恋じゃない、はずだった。

蒼山ハル

第1話 始まる嘘

雷は昔から芹沢玲央せりざわれおの天敵だった。


 どこか遠くで低い音がとどろく度に、玄関のチャイムがうちに響き渡る。


「ちぃくん!あけて!」


 舌っ足らずな声とガチャガチャと玄関の取っ手を引く音。この頃の俺は、雷よりもそれに驚くことの方が多かったかもしれない。

 インターホンのカメラ越しには、パジャマ姿のままの玲央が半泣きで立っているのが見える。うちの母親が玄関を開けきるよりも早く、扉の隙間をすり抜けるように転がり込んできた。


「おじゃまします!……ちぃくん、いた!」


 半泣きになりながらも、靴は揃えるし、“おじゃまします”って言ってたのはなかなか偉い。でも、体中が雨でびしょ濡れだ。そのままで俺に抱きついてくるのはやめてほしい。


「ちぃくん、かみなりなってる!こわい!」

「うん。しってる」


 玲央をなんとか引きはがして、くるんと跳ねた癖毛に母親が持ってきたバスタオルをかけてやる。


「ぬれてるのやだから、ちゃんとふいて」


 俺がそう言うと、「やだ……?」ってまた泣きそうになって、タオルで顔と髪をわしゃわしゃと拭いた。

 いくら隣の家とはいえ、この大雨じゃびしょ濡れになるのも仕方がない。うちの母親が出してきた俺のパジャマに着替えた玲央は、いくらか落ち着いた顔をしている。


「きょうはちぃくんとねる」


 収まらない雷が響く度に小さな体をびくっと震わせる玲央。寝る時間になっても家に帰ろうとせず、俺のベッドに潜り込んだ。


「かみなり、ぜったいおれのことねらってる……」

「ねらってないよ。みんなのうえでゴロゴロしてるだけだもん」

「やだ……ちぃくん、手ぎゅってして……」


 布団を頭までかぶって俺の手を握る。今思い出せば可愛らしいものだけど、当時の俺は本当に守ってあげたいと思ったりしたんだよな、こいつのこと。


 手をつないだまま一緒にベッドで横になる。


「ねえ、ちぃくん」

「なあに」

「おっきくなっても、ずっといっしょにいてね」

「うん」


 小さいながらに恥ずかしくて、そっけない返事をしたけど、玲央がそう言ってくれたのは本当に嬉しかった。


「ママがね、『結婚したら、ずっと一緒に暮らせるんだよ』っていってた」

「おとなになったら、れおもだれかとけっこんするの?」

「おれ、ちぃくんとけっこんする!そしたら、ずっといっしょにいられるでしょ?」


 あまりに真っ直ぐだった。

 俺たちは“結婚”とか“好き”がどんなものなのか、ちゃんとは分かってなかった。それでも、あれはあれで、俺たちなりの“約束”だったのかもしれない。


「……おとなになるころには、わすれちゃうよ。れお、いつもわすれるもん」

「ぜったいわすれない!やくそく!」


 繋いだ手をぎゅっと握られる。


「わかった。じゃあおぼえとく」


 俺がそう言うと、幼い玲央は嬉しそうに笑って眠りについた。


 ――それが、12年前の記憶。俺はとっくに忘れていた。いや、忘れたことにしていただけだったのかもしれない。


 あの日までは。




「会長、ちょっといい?」


 高校2年生になって約1か月。帰りのホームルームが終わった教室で、俺――朝倉千景あさくらちかげはこの春いちばんのピンチに陥っている。俺を囲う数人の女子。彼女たちは俺を睨むような厳しい目を向けてくる。思い当たることといえば……。

 

「この前、真奈への返事、覚えてる?」

 

 やっぱり。


「ああ……。ちゃんと断ったつもりだけど」


 そう答えると、真ん中に立っていたポニーテールの女子がぐいっと前に出る。


「それなんだけど、真奈、まだ会長のこと本気なの」

「何回もフラれてるの、さすがに可哀想だと思わない?」

「会長、ひどくない?」


 周りの女子たちも同調するように俺に詰め寄ってきた。


「ひどいって……」


 同じ人に何回も告白されて、その度に傷つけないように当たり障りない言葉で断っている俺も、なかなか可哀想だと思う。しかも今、その子の友達に囲まれて公開処刑みたいになっている。


「付き合えないんだから、断るしかないだろ」

「でも!“今は”とか“忙しいから”って言われたら、期待しちゃうじゃん?」

「……それは、」


 昔からそうだ。中学に入ったころから告白されることが増えた。それ自体はありがたいと思っている。でも、俺は壊滅的に断ることが苦手だ。ましてや誰かの好意を無下にするなんて、絶対にできない。だから、曖昧な言葉に逃げた。その結果がこれ。


「……ごめん」


 さすがに申し訳なくなって苦い顔をすると、ポニーテールの子が慌てたように言う。


「あ、いや、会長のこと責めたいわけじゃなくて……。会長にその気がないなら、はっきり断ってあげてほしいの。真奈、ずっと諦めきれてないみたいだからさ」


 放課後のざわめきが遠ざかる気がした。

 その気は、ない。彼女が悪いわけじゃないけど、2年に進級して、生徒会長にも選ばれて、誰かと恋愛する余裕がないだけだ。告白を断る時、何度もそう言ってきたつもりだった。それでも伝わってないのなら、最後の手段しかない。


「分かった。はっきりさせるよ、もう期待しない方がいいって」


 俺にしては珍しく強く言い切った。彼女たちが驚いたようにこちらを見つめる。


「それって……?」


 鞄の肩ひもを握って、最後の手段に取っておいた言い訳を取り出す準備をする。


「俺、付き合ってる人いるから」


 真っ赤な嘘だ。生徒の規範になるべき生徒会長が嘘をつくのは、あまりに良くない。でも、これ以上誰かに告白されて断るのを続けられる自信もなかった。


「え⁉誰?うちの学校?」

「彼女いるってこと?」

「同い年?」


 だったはずなのに、また詰め寄られた。

 俺の恋愛事情って、そんなに需要あるのか?


 教室中の視線が俺に集まっているのが分かる。まずい、また良くない流れになっている気がする。鞄の肩ひもを握った手が汗ばむのを感じて、喉がヒリつく。

 逃げ場を探すように、廊下の方に目をやると、見慣れた姿が目に入った。ミルクティーのような明るい髪に、すらっと伸びた体躯。ネクタイは緩くて、シャツは第2ボタンまで開きっぱなし。昔から変わらない癖毛を片手でぐしゃぐしゃとかき上げている。


 芹沢玲央。


 遅刻常習犯で、髪色は校則違反で、いつも赤点ギリギリで、俺の幼馴染。

 教師たちからは“問題児”扱いをされているけど、クラスのムードメーカーで、愛されキャラで、本当は誰よりも困っている人を放っとけない奴。俺が困っている時に、いつでも空気を読んで手を貸してくれたのもこいつだった。


「……芹沢」


 だから、俺はそれに甘えることにした。

 

「え、芹沢?」

「会長と芹沢くんって付き合ってるの?」


 教室の空気が揺れる。やっぱり俺は生徒会長としてあまりに良くない。最低だ。心の中で自分にそう吐き捨てたくなった。


 廊下の向こうの玲央が教室のざわめきと視線に気が付いて、振り向く。目が合うと一瞬だけきょとんと首を傾げて、すぐに察したように口角が上がった。


「なーんだ、バラすなら先に言っといてよ」


 いつもみたいにへらへら笑いながら俺の元に歩いてくる。俺を囲っていた女子の輪を崩すように隣に立つと、馴れ馴れしく肩を引き寄せる。ミルクティー色の髪が近づいて、シャンプーの香りがふわっと香った。


「お前ら、会長いじめてんなよ」

「いじめてないし。会長の本命誰なのか気になったから!」

「んで、“芹沢”って言ったんだ」


 玲央がちらりと俺の方を見る。


「……言った」


 小さくそう呟くと、ニヤリと笑って、


「ふーん」


 と肩をすくめて見せた。心做しかその声が低く響いた気がして、心臓がどくんと脈打つ。

 

「そういう訳で、会長、俺のだから」


 もう一度俺を引き寄せて、宣言する。教室中に悲鳴に近いどよめきが起こった。「マジか」とか「意外とお似合いかも」なんて笑う声。“お似合い”ってなんだよ。似合ってたまるか。


「今後“会長フリーですか?”系の質問はナシの方向で。なんか用件ある人は俺通してくださーい」


 なんでこいつこんなに普通なんだよ。俺はお前のこと巻き込んだんだぞ。ちょっとぐらい怒った素振りでも見せろよ。


「な、なんで今まで隠してたの?」

「ん-、気まずくなりたくないじゃん。でも会長に変な虫寄り付くの、俺嫌だし」


 クラスメイトの質問攻めに答える玲央を見てると、普通というか、なんかこいつ楽しそうじゃねえか?むしろノリノリに見える。相変わらず変な奴だ。それでも俺の中に渦巻くのは、自分がついた大きな嘘と、巻き込んでしまった玲央への罪悪感だった。



 部活が始まる時間が近づくと、教室から徐々に人が減っていく。俺も生徒会室で残っている書類を片付けに行かなければならない。

 ……が、今日はその前にやることがある。

 

「芹沢、ちょっといい?」

「お、彼氏直々に呼びだし?」

「うるせ。いいから来い」


 相変わらず俺の横を陣取っている玲央を引っ張って、人気のない廊下まで連れて行く。色褪せたポスターが張られた壁と、少し埃っぽい空気。この辺りは部活動の時間にも人は来ない。


「あのさ、」


 玲央を前にすると、少し口ごもってしまった。でも、これは俺が蒔いた種だ。ちゃんと謝るのが筋だろう。


「悪い。巻き込んで」

「ん?」

「お前と付き合ってるとか勝手に言って、巻き込んで、ごめん」


 自分で言いながら顔が熱くなるのが分かった。本当に、俺は何しているんだ。


「いいよ、別に」


 返ってきた返事は、思いのほかあっさりしていた。突き放すようでもない、いつもの玲央の声。


「なんか大変そうだったもんな。仕方なくね?」

「仕方ない、のかな」

「まあ、千景には今まで散々お世話になったしな。借りは返さないと」


 久しぶりに“千景”と呼ばれた。生徒会長になってからはずっと“会長”って呼んでたくせに。

 何があったのか細々聞いてこないところも玲央らしい。

 

「彼氏のフリぐらい、いつでもしてやるよ」


 窓から西日を受けてミルクティー色の髪が反射する。本当に変な奴だ。


「いいのか?本気で?」

「今“本気”って言葉使うとややこしくねえか」

「あー、確かに。じゃあ……彼氏のフリ、続けてくれんの?」

「ふっ。会長から、彼氏になってくれって言われると思わなかったな」

「言ってねえよ」

「じゃあ、とりあえず今日から俺らは付き合ってるってことで」

「付き合ってる“フリ”な!」


 お互いに相変わらずの軽口だったけど、内容に眩暈がする思いだった。

 俺の嘘を受け入れて、笑っていてくれる。安堵と罪悪感でぐちゃぐちゃになりそうな気持ちを抑えたまま生徒会室へ足を向けた。


 ……で、なぜこいつは、当然のような顔をして後ろを歩いてくるんだろう。


「お前、帰んねえの?」

「今から会長んとこに出勤」

「出勤て何だよ」


 廊下に響く上履きの音が、ぴったり一歩分後ろからついてくる。可愛げのある足音じゃない。がっしりした体格なぶん、重さもちゃんとある。


 小学生までは、俺の方が背が高かった。ランドセルの肩紐を引っ張ってやらないとすぐどこかに寄り道するから、半ば引きずるように一緒に帰っていた記憶がある。いつの間にか抜かされていたのは、いつだったか。気づいた時には、上から覗き込まれる側になっていた。


 その自覚があるのかないのか、玲央は昔と変わらない距離感で、当然みたいな顔をしてついてくる。


「生徒会室入れるのは、基本的に生徒会役員だけなんだけど」

「うん」

「お前、生徒会じゃないよな」

「こんなのが生徒会やっちゃダメでしょ」


 自覚はあるらしい。遅刻、校則違反、赤点ギリギリの生徒会役員なんて、いてたまるか。


「どこまでついてくるつもりだ?」

「え?ずっと。会長が帰るまで」

「お前なあ……」


 振り返ると、でかい図体のくせに、首を傾げてこっちを見ていた。目だけやけに素直で、でかい子犬みたいだなと思ってしまう。自分で思って、自分で腹が立つ。


「付き合ってるフリしてくれとは言ったけど、お前の時間を奪うつもりはない」

「……会長は、俺といるの、嫌?」


 ずるい。わざとらしいくらいに目を潤ませて、上目づかいでそんなことを言うな。


「……っ、それは」


 嫌なわけがないだろ。

 幼馴染としても、生徒としても、俺はこいつのことをずっと気に掛けてきた。気に掛けざるを得なかった、と言うべきかもしれないけど。

 言葉に詰まったところで、生徒会室の扉がガチャリと開いた。


「先輩たち、なにしてるんですか」


 顔を出したのは、一年の書記──由良ゆらだった。手にバインダーを抱えた、いかにも真面目そうな男子だ。


「あ、由良」

「朝倉先輩、お疲れさまです。……芹沢先輩も一緒なんですね?」


 由良が目を瞬かせる。玲央は待ってましたとばかりに片手を挙げた。


「今日は会長の彼氏も同伴でーす」

「かれ、し……? え、付き合ってるんですか!?」


 そんなに素直に反応しなくていい。

 俺はこめかみを押さえてため息をついた。


「まあ、その。……うん、そういう感じ」


 本当は、「フリなんだけど」とか、「事情があって」とか補足するべきなのかもしれない。でも、それをいちいち説明するのも面倒だ。説明したところで、余計ややこしくなる気しかしない。


「へえ……!そうだったんですね……!」


 由良が目を輝かせて、きらきらした顔で俺たちを交互に見てくる。そこまで輝かせる話題でもないだろうに。


「なあ由良。生徒会室入れるのは役員だけって話、したよな」

「しましたけど?」

「こいつ、生徒会じゃないよな」

「ですよね。遅刻多いし、髪の色アウトだし」

「辛辣だなお前ら」


 玲央が苦笑いを浮かべる。


「俺さ、会長に変な虫付かないように、近くにいたいんだよね。生徒会室でも。雑用とかも全然やるし」


 玲央が、わざとらしく肩をすくめてみせる。

 由良の目が、さらにきらりと光った。


「雑用、手伝ってくださるなら僕は大歓迎です!」

「ちょっと待て。そこは一回俺に確認──」

「じゃあ芹沢先輩、生徒会室へどうぞ! コピーとかポスター貼りとか、いくらでもお願いしたい仕事あるんで!」


 お前、どんだけ仕事多いんだ。なんか申し訳なくなってきた。そんなことを思う暇もなく、由良は嬉々として玲央を部屋の中へ案内してしまった。結局、俺もその後を追うしかない。


 生徒会室の中は、放課後特有の薄い夕陽に照らされていた。四角い机を囲む椅子と、壁際には書類棚。隅には学校備品のコピー機が鎮座している。


「お邪魔しまーす」


 玲央がずかずかと入り、俺はその後ろで軽く頭を下げる。


「で、会長。何すればいいですか」


 机の上を覗き込んでくる玲央に、ちょうど手元にあった書類の束を持ち上げた。行事ごとの収支表と、来月の活動予定の案だ。生徒会に回されるプリントは、いつだって山のようにある。


「じゃあ、これ。コピー五十部。教師陣に配るやつ」

「おー、了解」

「コピー機はそこの。操作は見りゃ分かる」

「雑」

「分からなかったら呼べ」


 そう言って書類を押し付けると、玲央は「はーい」と気楽な返事をしてコピー機の方へ歩いていった。


「朝倉先輩、さっき吹奏楽部の部費計画書届きましたよ」


 由良が別のファイルを持ってくる。


「了解。確認しておく」

「お願いします。僕はちょっと職員室行ってきますね」


 由良が軽く会釈して、生徒会室を出て行く。

 扉が閉まった瞬間、室内に残ったのはコピー機の動作音と、紙が送られる規則正しいリズムだけになった。


「……」

「……」


 妙に、静かだ。


「会長、これでいい?」


 玲央がコピー機の前から振り返る。トレイの上には、見事に揃えられた書類の束が積まれていた。昔から、いざやるとなると丁寧なのが芹沢玲央という人間だった。


「……ああ。ありがとな」


 受け取って、ぱらぱらと枚数を確認する。ちょうどその時、生徒会室の扉がノックされた。


「はーい」


 返事をして開けると、演劇部の部長をやっている同級生の女子が立っていた。手には封筒。


「朝倉、生徒会に部費計画持ってきたー。ここ置いとけばいい?」

「その辺置いといて。後で確認しとく」

「はーい……って、え?マジで芹沢いるじゃん」


 女子が俺の後ろを覗き込んで、目を丸くする。コピーされたプリントを揃えていた玲央が、ひらっと手を振った。


「どもー。会長の雑用係でーす」

「ちょっと、ほんとに付き合ってるの?」


 これから、何回同じことを聞かれるんだろう。

俺が答える前に、玲央がふらっと近づいてきた。


「そう。……な?」

「ちょ、」


 気づいた時には、背中側に回られていた。椅子に座っている俺の肩を、後ろから抱き寄せられる。玲央の腕が、胸の前でゆるく輪を作った。シャツ越しに、体温がじわりと伝わってくる。教室で横から肩を寄せられたのとは違う。直に、包まれているみたいな感覚だ。


「あ、もしかして会長狙ってた?」


 耳のすぐ傍で、いつも通りの軽い声が落ちる。

 心臓だけが、いつも通りじゃいられない。うるさすぎて、演劇部の女子にも聞こえているんじゃないかと本気で疑う。


「ちがうちがう。気になっただけ! でも、マジでお似合いじゃん」


 女子はけらけら笑いながら手を振った。


「……お似合いって何だよ」


 思わず低い声が漏れる。

 不服そうに聞こえたのか、女子が「あれ」と首を傾げた。


「会長、照れてる?」

「照れてねえよ」

「それが照れてるって言うんだって〜。はいはい、お幸せに〜」


 軽いノリでそう言って、女子はひらひらと手を振って生徒会室を出て行った。扉が閉まる。

 同時に、肩から玲央の腕が離れる。ふう、と小さな息が耳元をかすめた。


「……これ、ずっと続けんのか」


 まだ少し熱の残る肩をさすりながら言うと、玲央は机にもたれて首を傾げた。


「分かりやすい方がいいじゃん。周りにも、会長にも」

「俺にも?」

「“付き合ってるフリ”ってさ、やっぱりこっちの気持ちでバレそうじゃん。だったらちゃんと見せつけとかないと」

「それは……そうだけど」


 分かりやすい方が、効果があるのは分かっている。教室での宣言も、今みたいなスキンシップも、“噂”を鎮火させるには一番手っ取り早い。


 でも、教室では余裕ぶっていられたのに、さっきの距離は本気で心臓に悪かった。

 さっき演劇部の女子に「照れてる?」と言われて、思い知らされた。俺の不服そうな顔も、ぎこちない反応も、全部“それっぽさ”を演出するのに一役買っているようだ。


 ──自分の動揺が、嘘にリアリティを与えている。


「……文句言えないのが嫌だな」

「ん?」

「俺が巻き込んだんだから、文句言う立場じゃないって話。お前の時間取ってるのも、仕事増やしてるのも、全部俺のせいだし」

「会長が気にすることじゃなくね」


 玲央は、いつもの調子でケラケラ笑う。


「俺、帰宅部だからどうせ帰るだけだし」

「暇人ってことか」

「でもまあ──」


 そう言って、玲央は俺の机に頬杖をつくように身を乗り出した。ミルクティー色の髪が、夕陽に反射してきらりと光る。


「会長の役に立てんの、ちょっと嬉しいけどな」

「……は?」

「今まで散々面倒見てもらったし。やっと、ちょっとだけ返せてる感じ?」


 さらっと言うな。そのくせ、こっちが言い返そうとすると、目だけ真面目そうな顔をするのもやめろ。


「だからまあ、“フリ彼氏”のやることは、俺に任せときゃいいって」

「……お前のが、恋愛経験豊富だしな」

「お、会長、自覚あった?」

「ほっとけ」


 苦々しく返しながらも、反論しきれないのが悔しい。

 こいつは俺なんかよりずっと、人に向き合うことに慣れている。誰かと付き合うだとか、両想いだとか、そういう話が噂話として何度か耳に入ってきたこともある。


 だから、玲央の「分かりやすい方がいい」という言葉に頼ってしまった。


 ──それが、後の自分を苦しめるとも知らずに。

 

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