ep.3 剣は数字で測れない

剣は数字で測れない

翌朝の王都は、夜の匂いをまだ引きずっていた。


石畳の隙間に残った酒の甘さ、排水溝に溜まる油の鈍い臭い、パン屋の焦げ、馬糞の湿り気。人間の暮らしが重なった匂いの上に、冬の冷気が薄い膜を張っている。


徴募庁の裏手には訓練場がある。

高い柵。見張り台。砂地。藁人形。木槍。


民間の稽古場とは違う。兵站の匂いがする。ここは「腕試し」ではなく、戦場の手順を体に染み込ませる場所だ。


列に並ぶ男たちは皆、口数が少ない。


剣の柄を握る指の節だけが白くなる。視線は前か、足元か、あるいはどこか遠い場所。


号令が響いた。


「番号順に前へ! 武技試験、続いて隊行動相当の模擬戦を行う!」


武技は単純だ。木剣での一対一。制限時間。反則。

単純だからこそ、人の癖が浮く。癖は剣より先に負け方を喋る。


俺の番が来た。


相手は踏み込みが大きい。大きいものは狙いが分かりやすい。


「はじめ!」


俺は一歩だけ退き、刃を斜めに添える。乾いた音。衝撃が掌に走る。


掌は痛い。でも痛みは握り方の問題だ。握り方は五年で直した。


相手が二度振る。二度目の振りは一度目を打ち消す。打ち消した瞬間、足が止まる。


俺は止めない。


剣は振るためにあるんじゃない。踏み込むためにある。


半歩だけ入る。手首。骨の薄い場所。痛い場所。


木剣が落ちる。落ちるまでの時間が短いほど、人は現実を理解できない。


胸を打つ。そこで終わりだ。


「……そこまで! 終わり!」


間を置かず、試験官の声が落ちた。


礼も最低限で下がった。勝利の味を噛むためじゃない。次の試験のために息を温存する。


武技試験が終わると、訓練場の空気が一段冷えた。


次は模擬戦――本番に近い方の試験だ。


試験官が訓練場中央へ歩き、杖で地面を叩いた。


「これより、隊行動相当の模擬戦を行う。王都騎士団の協力を得た」


試験官は淡々と告げた。


ざわめきが走る。


騎士団。――本物だ。俺たちの稽古相手じゃない。秩序の暴力そのものだ。


訓練場の中央に、急ごしらえの街区が組まれていた。


倒れた荷車。木箱。壊れた門。低い壁。


村が燃えた夜の断片みたいに見えて、胃の奥が冷えた。


騎士団が入ってくる。


鎧の擦れる音が、喧噪を押しつぶす。歩幅が揃っている。揃っているものは、強い。


彼らの武器は刃を潰した訓練用――それでも、当たれば骨は折れる。


先頭に立つ男がいた。


階級章は中途半端な位置。上ではない。だが空気は、そこだけ上だった。


中堅の士官。現場の核。

人を動かす側の人間の目をしている。


「こちらは騎士団第三中隊」


男の声は大きくないのに、端まで届いた。


「四人一組。編成は番号順で固定。騎士団と模擬戦を行う。模擬戦は旗を用いる。勝利条件は単純。指揮旗を奪った班が勝ち。指揮旗に触れた時点で奪取とみなす。魔法の使用は許可するが、致命に相当するものは禁止。――以上」


旗。


分かりやすい。分かりやすいものほど、人は焦る。


説明の途中で、ざわめきが走った。


白が、端に立ったからだ。


フィオナが柵際にいた。厚手の白いマント。首元まできっちり留めている。


白は趣味じゃない。役割の色だ。


フードの影から覗く横顔は、息を呑むほど整っていた。

肌は冬の光を跳ね返すみたいに白く、目には感情の入り口が見えない。


周囲の兵が、彼女の周りだけ自然に距離を取る。尊いからじゃない。触れたら罰が当たりそうだからだ。


試験官がフィオナに目を向け


「賢者殿は介入禁止。安全管理と記録のみ。よろしいですね」


フィオナは小さく頷いた。

頷き方が、同意というより受領だった。


俺の番号が呼ばれ、同じ列から三人が前に出た。


一人目。背が高く、肩幅がある。口元に古い傷。視線がまっすぐすぎる。


「ガイだ。遅いのは嫌いだ」


言い切りが多い。迷う余白がない。


二人目。マントが上等。だが砂を踏む瞬間、眉が僅かに動く。


「ユリウス。以後、よろしく。」


言葉が丁寧で、棘が綺麗だ。


三人目。小柄な少女。簡易マント。黒に近い茶の髪。


「……ミラです。補助魔法……使えます」


声が細い。喉の奥で一度ひっかかってから出てくる声だ。


試験官が問う。


「班長を宣言しろ」


「俺が班長だ」


俺は迷わない。迷うほど、ここでは負ける。


ガイが鼻で息をした。


ユリウスが一拍だけ間を置く。承認ではない。計算している顔。


ミラは杖を握り直す。握り跡が一ミリだけ浅くなる。


旗が渡された。短い棒に布が付いている。手に取れば軽い。だが意味だけが重い。


騎士団側の班が、こちらに向かって散った。


盾槍。細剣。弓。

役割が見える。


「始め!」


試験官の声が落ちた瞬間、訓練場の空気が裂けた。


模擬戦の舞台は、簡易の街区だ。


倒れた門。半壊の塀。木箱が二、三。通り道は三本に割れている。

そして一番奥――瓦礫の向こうに、騎士団の指揮旗が立つ。旗の前には中堅士官。


騎士団が先に形を作る。


盾槍の騎士が中央の通りを塞ぐ。

突進じゃない。前に出るだけで「ここから先は通さない」と言ってくる重さ。


細剣の騎士がその右斜め後ろ。刃が欠けているのに、刺し込む角度だけが本物だ。


弓の騎士はさらに後方、壊れた塀の陰。弦を引く前から、こちらの呼吸を乱してくる。


(役割が見える。だから怖い)


俺は息を吐いて、言葉を短く切った。


「ガイ、中央。押し負けるな」


「ユリウス、右。細剣の騎士を外へ流せ」


「ミラ、後ろ。弓の騎士だけ見ろ。弓にだけ反応しろ」


命令は短い。短いほど、脚が揃う。


ガイが盾槍の騎士へぶつかった。


ぶつかり方は乱暴なのに、足がぶれない。実戦の足だ。


「押すなら押せ! こっちは折れねえ!」


盾槍の騎士が押し返す。ガイが押し返す。


中央の通りは、二人の体重で潰れたみたいに動かなくなる。――通路じゃなく壁になる。


ユリウスは右へ回る。動きが綺麗だ。綺麗だから、紙一重で遅れる。


遅れた分だけ、精密に返す。


木剣で細剣の騎士の手首を叩き、刃の線を外へずらす。


「……泥臭い真似は嫌いなんだがね」


後ろで、ミラが杖先を弓の騎士へ向けた。派手じゃない、小さな光。


弓の騎士の足元の砂が一瞬だけ固まる。踏み替えが遅れ、矢が「今」出ない。


小さな魔法は、小さな中断を作る。中断が一拍あるだけで、命は繋がる。


――繋がるはずだった。


騎士団がこちらの形を見て、即座に壊しに来た。


盾槍の騎士が押し込む。押し込む先が旗へ向く。


細剣の騎士がユリウスを捨てて、角度を変えて俺へ来る。


弓の騎士が、ミラではなく俺へ照準を移す。


(班長を落とせば、指示が止まる。合理だ)


矢が来る。


避ければ細剣が刺し込む。受ければ盾槍が潰す。


俺が避けるしかない。


矢が肩を掠めた。鈍い痛みが走る。


痛みは一瞬で意識を削る。削られる前に、切り替える。


(このまま整えて戦うほど、相手の得意な形になる)


騎士団は正しい戦いをする。


正しさの中で正しく戦えば、俺たちは削られて終わる。


俺はもう一度、息を吐いた。


「合格だけ取る。崩れるな」


ガイが目だけで笑った。


ユリウスが眉を僅かに動かす。嫌な予感の顔。


ミラの目が揺れる。揺れても、足は止まらない。


俺は中央の通りを捨て、左の崩れた門へ走った。


門の影に滑り込み、木箱を蹴る。


木箱が倒れて転がり、追ってきた細剣の騎士の足が一拍止まる。


一拍でいい。一拍あれば、人は別の場所へ行ける。


弓の騎士が射る。


射る前に息を吸う。吸い方が同じ。軍は癖を消すが、呼吸は消えない。


俺は吸った瞬間に体を沈めた。矢が頭上を抜け、門柱に乾いた音を残す。


門を抜けた先――瓦礫の向こうに旗が立っている。


騎士団の指揮旗。


中堅士官がその前にいる。


俺は振り返らずに叫んだ。


「ミラ!」


叫ぶと固まる。固まる前に、命令を短く刻む。


「右の壁、三歩先! 滑らせろ!」


ミラの杖が動いた。


光は小さい。だが狙いが揺れない。


壁際の砂の表面だけが、薄い氷みたいに固まる。


――ズッ。


次の瞬間、細剣の騎士の靴底が一瞬だけ滑った。


転ぶほどじゃない。だが、重心が半歩だけズレる。


半歩ズレれば、刃の角度がズレる。


ズレた刃は、ユリウスを“止める”位置に間に合わない。


「ユリウス!」


ユリウスがその遅れに滑り込む。綺麗な動きを捨てて、細剣の騎士の足首へ木剣を当てて転ばせる。


品がない。だから強い。


「……綺麗に勝てる場面じゃない。仕方ない」


「ガイ、今だ!」


ガイが盾槍の騎士を押し返し、中央の通りから街区へ雪崩れ込む。

乱暴なのに狙いが一つ。――盾槍の騎士を横に押し退け、旗へ抜ける通り道を無理やり作った。


――隙間ができた。

その隙間に、俺が入る。


中堅士官の目が、初めて俺だけを見る。

武器じゃなく、覚悟を測る目だ。


この人は戦いじゃなく、人間の壊れ方を見ている。


士官は旗の前から動かない。


だが、動かないのに近づけない。


そこだけ空気が違う。


剣を構えているのに、刃が見えない。

見えるのは「入ったら終わる」という結論だけだ。


近づくほど、足が勝手に遅くなる。

人間の体が先に、危険を理解している。


俺が踏み込めば、斬られる。


そう思わせるだけの余裕が、士官の呼吸に混じっている。


目の動きが少ない。肩が沈まない。重心が揺れない。


受ける準備じゃない。最初から全部ある。


騎士団の連中がざわつかないのも、そのせいだ。


彼らは士官が負けないと知っている。

旗が安全だと、確信している。


俺は一歩、入る。


士官の手が動いた。


速い。速いのに、乱れがない。


木剣が空を割る音が遅れて聞こえる。


反射じゃない。「決めていた」動きだ。


二歩目は許されない。

そういう圧が、旗と士官の間に張ってある。


俺は笑わない。笑う余裕がない。


だから俺は――剣を振らない。

振る気配だけを作る。


息を一段深くして、肩を落として、踏み込みの前兆を見せる。


士官の意識が剣線に完全に固定されたのが分かった。


その瞬間、俺は木剣を手放した。


落ちる音が、足元で乾いて鳴る。

音は小さい。だが戦っている人間には、刃より大きい。


士官の視線が、ほんの僅かに下へ引かれる。


その隙に、空いた右手が伸びた。


引き抜かない。掴み取らない。

ただ、旗布に指先を触れさせる。


布が皮膚に触れた。

それで十分だった。


――勝ちだ。


「奪取! 終了!」

試験官の声が飛ぶ。


ざわめきが弾け、騎士団側の動きが一斉に止まる。止まり方が揃っている。軍の止まり方だ。


俺たちの息は乱れている。乱れているのに、立っている。


中堅士官がこちらへ歩いてきた。

速くない。だが距離が縮むだけで空気が重くなる。


「奪い方が汚い」


叱責じゃない。確認だ。


「だが、崩さない汚さだ」


それだけ言って、踵を返した。


俺は息を吐いた。

ガイは舌打ちしながら笑っている。

ユリウスはマントの裾を見て顔をしかめた。泥が付いている。

ミラは杖を抱えたまま小さく震えている。震えは寒さじゃない。終わったことを身体がまだ理解していない。


柵際で、白が動かなかった。


フィオナは杖を胸の前に抱えたまま、ただ立っている。


動いているのは目だけだ。


ガイが押し返した瞬間。

ミラの小さな魔法で矢が一拍遅れた瞬間。

ユリウスが綺麗さを捨てて、足首を叩き落とした瞬間。

そして――俺が剣を手放し、旗布に触れた瞬間。


フィオナの目が、ほんの僅かに揺れた。

驚きというより、息を飲み込み損ねた揺れだ。


介入するな、と言われている。

それでも身体が動きかける。

動きかけた分だけ、動けないのが分かる――そんな揺れ。


試験官の「終了!」が落ちて、ようやく彼女は息を吐いた。

吐いたあとも、杖を抱える指の力だけは抜けなかった。


――


夕刻、合格者が掲示板に貼り出された。

番号が並び、群衆が押し寄せる。紙の端が風に震える。


俺は自分の番号を見つけた。胸の奥が、やっと息をした。


その下に、仮編成が貼られていた。役割。担当。

そこに俺たちの名が並ぶ。


レン(前衛/戦闘指揮)

フィオナ・アルセリア(魔法支援)

ガイ(前衛)

ユリウス(護衛)

ミラ(補助)


文字はただの墨だ。

だが並んだ瞬間、隊になる。

隊になったものは、もう簡単にはほどけない。


掲示板から離れようとしたとき、背後で小さな声がした。


「……レン」


呼び方が、呼ぶというより確認に近い。


振り返るとフィオナが立っていた。白いマント。首元まで留めてある。


近くで見ると、整い方が反則みたいだった。


肌は白く、目は澄んでいる。人形みたいに綺麗なのに、なぜか人の熱が薄い。


距離が近いと気づいたのか、フィオナは半歩だけ下がった。

逃げる半歩じゃない。最初から決められた距離に戻す半歩だ。


「明日から、同じ編成」


まずそれを言う。感情じゃなく連絡事項。


「私は支援。あなたは前」


言い直す。


「……戦闘の指揮」


俺は短く息を吐いただけで返した。肯定もしない。否定もしない。


フィオナの視線が、俺の肩の痣に落ちた。

治療が要るか要らないか、それだけを確かめるみたいな目だ。


「さっき、最後」


言葉が一拍遅れて出る。


「剣を捨てた。あれで終わった」


褒めてもいない。責めてもいない。

ただ、結果の報告。


「私は前に出られない」


続けて言う。そこだけは迷わない。


「私の前に入らないで。射線が塞がると、撃てない」


私が困る、とは言わなかった。

隊が困る、とも言わなかった。

ただ手順として「撃てない」と言った。


「分かった」


俺は短く返す。


「……それと」


フィオナは一度だけ口を閉じ、言葉を選び直した。


「あなたが前に出る時は、私の左を空けて。そこへ撃つ。邪魔しないで」


命令じゃない。お願いでもない。

ただの運用手順の提示。


彼女自身がその言い方しか知らないみたいだった。


俺は頷いた。今度は頷けた。

頷いたのは、彼女じゃなく――その配置だ。


――


その場に、別の気配が差し込んだ。


空気が一段冷える。


人が近づく気配じゃない。手順が近づく気配だ。


フィオナの背後に、黒い上着の女が立っていた。


余計のない仕立てで、体に沿っている。動きやすさだけが残っている。

長い髪を後ろで束ね、手袋は白い。白いのに汚れがない。


彼女はまず、何も言わずに周囲を一周見た。

視線の落ちる順番が一定だ。

剣――手――呼吸――足――最後に顔。

人間を見るというより、事故の起き方を点検する目だった。


肩の紋章が目に入る。


レグナール王国 監察局。

「要カナメ・ 不知火シラヌイ」


名乗りは短い。余白がない。


「今夜から、この捜索隊に同行する」


カナメは淡々と言った。


「伝達事項は三つ。まず、出発は明朝。次に、編成は掲示の通り。最後に――私は監察局直轄。異議は受理しない」


文章を読み上げるような口調。


語尾に温度がない。怒っているわけではない。ただ、情緒をそこに置かない。


カナメはフィオナへ目を向けた。


「フィオナ・アルセリア。今日の試験と同じ、前には出るな。あなたは支援。記録上も役割上も、それ以外はいらない」


フィオナは小さく頷いた。

頷き方が、同意というより受領だった。


次にカナメは俺を見る。

顔より先に剣。剣より先に手。手より先に息の癖。


「レン。合格おめでとう」


祝っているようで、祝っていない声。


「あなたは班長を宣言した。指示も出した。結果も取った」


事実だけを積む。


「戦闘指揮は、あなたが担いなさい。現場で迷う時間が一番高い」


俺は返事をしなかった。

返事をすると、ここで首輪を閉められる気がした。


カナメは続ける。

「勇者捜索隊は英雄譚ではない。国家事業だ。」

「求めるのは勇敢さではない。連携。指揮系統。――そして、失敗の形を管理できること」

「あなたの剣は、使い方さえ間違えなければ役に立つ」


役に立つ。

人を道具として褒める言葉。


カナメが去ったあと、俺とフィオナの間に言葉が残らなかった。代わりに残ったのは、見えない鎖の音だった。


白いマントを見ると胸がざわつく。


だが、ざわつきは証拠にならない。


もし彼女が関係ない人間だったら、俺は何をしている。

もし関係ある人間だったとしても――この場で剣を抜けば、そこで終わる。

魔王軍に届く前に、俺が処分される。


だから今は、鎖に首を入れる。

鎖の内側に入らなければ、あの夜に近づけない。

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