5. 逆鳴きの地

 灰鏡塔を後にした二人が足を踏み入れたのは、すり鉢状に大地がえぐれた広大な盆地だった。逆鳴き盆地リヴァーブ・クレーター。ピクスは一歩足を踏み入れた瞬間、強烈な吐き気に襲われた。


「うっ、ぷ……。な、なんだよここ。気持ち悪ぃ……」


 視界がぐにゃりと歪む。いや、ピクスの目が狂ったのではない。風景の挙動がおかしいのだ。風が前から吹いてきたと思った次の瞬間には、後ろへ吸い込まれていく。崩れ落ちた砂の斜面が、まるでビデオの巻き戻しのように、サラサラと音を立てて上へと駆け上がっていく。


「おい、グラード! やっぱ迂回しようぜ! ここは空気が腐ってる!」


 ピクスは必死に叫ぶが、グラードは止まらない。彼の感覚器官センサーは、この空間の異常性を「不快」とは感じていても、「脅威」とはみなしていない。ただ通り抜けるべき道としか見ていないのだ。

 だが、その道はすでに何者かのテリトリーだった。


「ヒャハ! 獲物だ! 今日はツイてるぜ!」


 岩陰から、ボロボロの装備を身に着けた盗賊の残党が数人、飛び出してきた。飢えた野犬のような目つき。彼らはグラードの巨躯を見ても怯まず、錆びた剣を振りかざして襲いかかってくる。


「……退け」


 グラードは億劫そうに腕を振るった。『強制の静寂』が発動する。音もなく衝撃波が走り、先頭の盗賊が上半身を砕かれて吹き飛んだ──はずだった。


 ザザッ、とノイズのような音がした。


 次の瞬間。砕け散ったはずの血肉が、空中で停止し、凄まじい勢いで収束する。そして。


「──だ! 今日はツイてるぜ!」


 盗賊は、無傷で立っていた。何事もなかったかのように、最初と同じ台詞を叫び、同じ軌道で剣を振りかざしてくる。


「は……?」


 ピクスの思考が凍りつく。幻覚か? いや、違う。今、確かにこいつは死んだ。死んだはずなのに、「死ぬ数秒前」の状態へ因果ごと引き戻されたのだ。

 グラードがわずかに眉をひそめる。彼は再び腕を振るった。今度はより速く、より重く。ドグシャァ! 盗賊は完全な肉塊と化した。だが、再びノイズが走る。肉塊がまた元の人の形へと戻り、「──てるぜ!」と叫んで突っ込んでくる。


 無限ループ。あるいは、死の否定。殺しても殺しても、世界が「なかったこと」にしてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る