非常口

雨雲サイダー

俺の体は馴染んでいる

―ここどこだよ…


スマホを片手に、立ちすくむ俺の前には非常口がある。


ツタや苔に固定された非常口は、押し引きしても叩いても蹴っても、ビクともしない。


「誰か、誰かいませんかー!!助けてくださいッ!」


俺の声は、ただこのジメジメした空間に吸収されるだけだった。


俺のいる場所には、一部に密集して生えている小さなキノコに、バチバチと音を立て点滅する蛍光灯がある。


外部の光はしっかり遮断され、殺風景な壁と床が不気味で鳥肌が立つ。


俺はスマホをきつく握りしめた。


スマホの画面には、友人である田中の連絡先が表示されている。

トーク履歴を覗くと、昨夜に俺は田中に一言送っていた。


それ以前のトーク履歴は何一つ、残っていなかった。


体力温存を優先した俺は、非常口に耳を当てる。


…しばらく耳を澄ませてみたが、何も聞こえなかった。


緑にぼやける光を放つ、開かずの非常口。


お前はここから出るな―


そう言われてる気がしたりしなかったり…。


俺は落ち着くために、五感に意識を向けた。


俺は今、肌寒い。

ヨレヨレのパーカーにスウェット、部屋着姿をしている。


体の違和感に気を取られた。


所々が筋肉痛だが、特に腕が悲鳴をあげている。


それに寝不足時のように頭が重い。


俺は匂いでよく酔い、頭が重くなることがあるが…あたりは無臭だ。


今俺が焼肉を想像して、『嗅いでみろ』言われたら、出来る気がする。


それぐらい無臭なのだ―


焼肉を通して、あることに気づく。


「俺は腹が減ってる…!」


生えているきのこに目をやったが、流石にやめといた。


仕方なく、食料を求めに辺りを探索することにした。


辺りをぶらついていると、無意識にある場所へ体が吸い寄せられてゆく。


蛍光灯はただのお飾りになり、俺の周りは闇に包まれてゆく。

スマホのライトを頼りに俺は歩き続けた。


微かに鉄の匂いが漂い始めた。


奥にはチラチラと,俺のスマホのライトに反射してなのか、小さな光がたくさんある。


―「!?」


突然、生臭さに加え何かの腐敗臭が、鼻から喉の奥まできつくこびりついた。


即座にパーカーの首元で鼻と口を覆い、吐き気が込み上げては、何度も飲み込んだ。


激臭に足がよろけて、暗闇の中何かを蹴飛ばした。


―「…おぇ、なんか蹴っちまった、、。」


スマホのライトで、蹴ってしまったものを照らす。


思考は停止し,猛烈な嘔気に負けてしまう。


俺は吐きながら、歪んだ表情の猫と目が合う。


光を当てても、猫の瞳孔は形を変えない。

毛並みが黒く艶めき、開きっぱの口の中がよく見えるだけだった。

それは、俺の目には異様なほど綺麗に映った。


蹴った衝撃で荒い断面からは、血が流れている。


―「…最近切断された首なのか……?」

俺の体は疼き、歯同士が小さく音を鳴らす。


振り返ると同時に、スマホのライトが奇妙なものを捉えた。

それは、部屋の一角に溜まっている猫の頭だった。

人間のように、猫の表情は一匹ずつ異なっていた。


蹴った感覚に、こびりつく匂い。

茶色く変色した血液が辺りに飛び散っている光景が思考を崩壊させてゆく。


恐怖で頭の中がごちゃごちゃだったが、俺は正確に非常口へ戻れていた。


呼吸は荒く,冷え汗なのかじんわりする汗に、体は微熱時のように熱い。


勢いよく非常口に背中を押し付け、なだれるように座り込む。


俺は震える手で田中へ電話をかけた。


全然電話は繋がらず…。

かけ続けると、やっと電話はつながった。


―「もしもし、田中!!急にごめん!あのさ、俺さッ…」

焦りと恐怖で声が震えている。


田中『……』

繋がっているのか分からない電話に俺は淡々と語る。


―「田中助けてくれ。俺なんか、なんかさ、知らねぇとこにいんだよ。そんで、こっから出れねんだよ。で猫の、猫の、頭が、よぉ……。」


田中『……もう、やめてくれ。お願いだから、俺に関わるな。』

吐き捨てるように震えた声が鼓膜を揺さぶった。


小さくごめんという言葉が聞こえた瞬間、電話はこときれた。


―「…え、勘弁してくれよ…なんなんだよ」


俺は、なぜ縁を切られたのか全くわからなかった。


ただ俺一人、向こうには猫の頭が置かれてる空間に取り残されていた。


――

次に目が覚めると、俺は非常口の前に立っていた。


非常口は、誰かが苔を引っ掻いた跡に、蔦が不自然に千切れていた。


―「…誰か、いるのか?おーい…」


非常口のランプはもうついていない。


今にも切れそうな蛍光灯が、唯一の光源だった。


スマホが手から滑り落ちる。

何故か、俺の手は血まみれで腕には引っ掻き傷ができている。

猫の引っ掻き傷かと頭をよぎるが、傷を見て違うとわかる。


血で滑り落ちたスマホの画面には、新着メールが届いてた。


送り主は、俺…?


俺はまた、送った記憶のないメールを確認した。


冗談だと思える余裕はなかったため、俺はメールを見た途端に腰が抜けた。


言われてみれば、目覚めた時から何かに見られてる気がしていた。


恐る恐る横に顔を向けると、メールの言っていた通り


俺と田中は目が合った。


腰が抜けている俺より、田中の目線はかなり低い。


田中は瞬きなどせず、ずっと俺を見ていた。


また呼吸が荒く、口角が無意識に上がっている。

じんわりした汗が体を包み、体は熱を帯びた。


―「…なんで、こんな反応してるんだよッ…」


俺は目から大粒の涙が溢れ落ち、自分の体が信じられなかった。

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