『万』の門
救護室で体調不良を装ってベッドを使えないか尋ねると、すんなり許可がもらえた。基本的には感染症患者などの利用に限られる場所だが、ベッドが空いているときはすんなりOKはでる。
硬いベッドの上で少年は考えた。
なんでみんな自殺の準備をしておくんだろう。
施設では外から食料や飲料、トランプやチェス盤などの娯楽用品を仕入れられるのだが、携帯や自身での保持は許可されていない。そういうのを楽しむときは、限られた時間内で、職員たちの目に届くところで、が大原則だ。
理由は単純。外から持ち込んだものを利用して自殺する例が多々あるからだ。
縄を仕入れたものは翌日首を吊って死んだし、毒物を買って、贄になる兆候が出たときに服毒自殺するものもいる。
以降、規制は厳しくなり、施設側からもいろいろな対策が取られることになったが、賢い奴はその目をかいくぐって上手に自殺する。
煙草の葉に偽装して毒草を仕込んだり、食堂で食べ残したチキンを持ち帰り丹念に腐らせて食中毒で死んだり。どうやったらそんな手段を思いつくのか、死に方は様々だ。
その努力を生きる方面に回せばいいのに、なんて少年は思う。自分よりも賢いんだから、熱量の方向性を変えれば、きっと彼らは今も生きていたんだと思う。
だからと言って、生にしがみつく癖に何もしないやつも嫌いだ。
鉱床でハイエナに襲われたとき、「やめてくれ」泣き叫んでばかりで抵抗も何もしないやつ。
少年の喧嘩の腕を頼りにして、自分の稼ぎを自分自身で守ろうとしないやつ。
うまい思いをしたいとか、生きていたいとは思う癖に、なんで自分の力でどうにかしようと思わないんだろう。
生まれながらにして贄ではあるが、本質的に言えば、自分で自分のことを守れないことが根っからの原因だと少年は思っている。
ここでは涙に意味はない。
泣き叫んで誰かが助けに来るなら贄なんてものは存在しない。
だから、少年は泣くことを止めた。前向きになれない感情は人間になるために邪魔になるからだ。
自分の価値は自分で証明する。それが少年がぼんやりと、それでも確かに大切にしている感情だった。
「死んでも何もなくなるだけで、何かが生まれるわけじゃねえのになあ」
それでもちょっと気分が落ち込むのは、おっちゃんが自殺する準備を始めていたことだ。
俺はおっちゃんに文字を教えてもらうようになって、毎日が大分楽しくなったけど、おっちゃんは俺と過ごすだけじゃ、足りなかったのかな。
中流になれたらおっちゃんも買い戻すというのは本気だった。それでもおっちゃんは死ぬ準備をしている。
裏切られた気分にはならないのは、おっちゃんが自分よりも賢い人間であるのは違いなくて、きっと自分の理解の及ばないところに思考が及んでいるから、と想像するからだ。
「……? なんだ。もういいのか」
「ちょっと寝たらよくなりやした! 自分の部屋戻ります」
何もできないなら、見なかったことにして忘れよう。
おっちゃんもそれで気まずい思いはしなくて済むはずだ。
ベッドから起き上がる際に、職員に尋ねられたが、いつも通りの軽口で返した。ここで声色を調整して、いつも通りの態度で振舞えるようにしておく。
部屋に戻るとおっちゃんが少し疲れた様子でベッドに腰を掛けていた。
「おっちゃんどうしたのその怪我。派手にすっころんだ?」
OK。我ながら自然な態度。
少年の声におっちゃんが驚くも、その顔を見て小さく噴き出しながら、「そんなところだ」と返した。
「じゃんけんで不戦敗なんかするから罰が当たったんだよ。次からはしょーもない勝ち方させんのは無しな」
「はは、気を付けるよ」
「怪我は飯食って直すしかねーぜ。そろそろ飯の時間だ。食堂行こう!」
大げさに力こぶを作って見せると、おっちゃんもよっこらせと立ち上がった。
普段通りの優しい笑みになったおっちゃんを見て、少年も安心したように笑い、部屋のドアのノブを回したときだった。
「……?」
「どうした?」
「開かねえ」
思えば、来た時には少し開いていたはずだ。それが自然にしまっていた。
ドアには鍵のようなものなんて存在しない。建付けが悪い時にドアが引っかかることはあるものの、目の前の鉄の扉はどれだけ力を入れてもびくともしなかった。
何か嫌なことが起こる気がする。
そう思った矢先、突如として天井からガス噴射機が現れ、部屋中にガスをまき散らした。
「なん——」
状況を理解する暇もなく、少年たちの意識は途切れた。
急激な眠気に襲われ、二人は——、いや、施設の下流の人間たちすべてが深い眠気に襲われた。
ガスが充満し、だれも動かなくなったところで、ガスマスクをつけた職員たちが、倒れた下流の人間たちを回収していく。
そのころ、施設の外では、都市の南方に魔界の門が現れたと話題になっていた。
そしてその門の贄の要求値が、過去最大の1万だったということも。
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