第3話:宿とリンスと新生活

「やっと着いたかぁ」


 俺は馬車から降り、ぐいっと背を伸ばす。体のあちこちからぽきぽきと骨が鳴る。

 ここ数日の長旅は思った以上に堪えた。馬車の揺れが酷く、身体の芯まで疲れが染み込んでいるようだ。


 ともかく、俺は辿り着いた。

 ここは辺境伯領、交易都市アンプラ。

 かつてはド田舎で、隣国と相争う防衛線だったらしい。

 だが、今は違う。


 和平が結ばれて久しく、両国を結ぶ街道が整備されたことで、人と物の流れが一気に集まった。

 結果として、この街は中継貿易の要衝となり、急速に発展した。

 経済規模で言えば、帝都に次ぐと言ってもいい。


 隣国からの行商人、地方都市からの出稼ぎ労働者、傭兵、職人、訳ありの流れ者。

 さまざまな出自の人々が行き交い、色々と雑多である。


 そして都合の良いことに、金の出入りでも不明瞭な部分が黙認されている。

 俺にとって、それは非常にありがたい。

 最大の懸念事項である魔石の入手経路についても、ここなら過度に詮索される心配は少ないだろう。


 この街で魔石を合成し、成り上がってやる。

 そう考え、俺はこの街へとやってきたのだ。


 ここは馬車の停留所。

 各地から到着した馬車が並び、人々が一斉に降りてくる。

 荷を抱えた商人、旅人、冒険者。怒号と笑い声が入り混じる。


「おらっ、さっさと降りろ!」


 荒々しい声に、思わず視線を向けた。


 そこには、牢のような箱馬車が停まっていた。

 中から引きずられるように出される人々。手首には枷、首元には金属の輪。


 奴隷か。

 ここは商業都市。あらゆる商品が集まる場所。

 彼らもその一つなのだろう。


 見ていて気分の良いものではないが、俺には関係ない。

 そう割り切って、視線を逸らそうとした、そのときだった。


 箱馬車の奥から降りてきた一人の奴隷に、なぜか目を引かれた。


 小柄な体躯。

 ローブを目深に被り、顔はほとんど見えない。

 子供か、それとも……少女だろうか。


 ふと、ローブの隙間から覗いた髪が目に入る。

 灰色。


 珍しい色だ。と思った瞬間、彼女が顔を上げた。


 蒼い瞳が、こちらを向いた。

 ほんの一瞬、視線が交わる。


 感情の読み取れない、澄んだ目。

 だが美しい。


 長い睫毛に縁取られた瞳は、光を失ってなお、宝石のように澄んでいる。

 白磁のような肌に、すっと通った鼻筋。

 整いすぎていると言えるほど、均整の取れた顔立ちだった。


 目を逸らせない。

 彼女の表情から感情は読み取れない。

 それでも、美しい――そうとしか言えないものが、そこにあった。


 だが次の瞬間、彼女は他の奴隷と同じように引き立てられ、人の流れに紛れていく。

 すぐにその姿は見えなくなる。


 胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。

 だが、それだけ。


 俺にできることはない。気にしても仕方がない。

 そう自分に言い聞かせ、踵を返す。


 新しい街だ。

 まずは職と、宿を確保しなければならない。

 特に宿。

 長旅で疲れ切った身体を休められる場所が、今は何よりも必要だった。


 あの灰色の髪の少女のことは気にする必要はない。

 気にしても仕方のないこととして、俺の意識から消すことにした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 最初に向かったのは錬金術師協会の支部。

 さすが交易都市と言うべきか、帝都の物と比べても遜色は無い。大きく、がっしりとした石造りの建物。


「いらっしゃいませ。ご用件は?」


 受付のカウンターに近づき、女性職員に事情を伝える。

 この街に移ってきたこと、仕事を求めていること。


「承知いたしました。それではこちらに必要事項を記入してください。それと、階級の証明を」


 錬金術協会は資格のない者を受け入れない。

 俺は言われた通り、用紙に氏名や前職などを記入し、懐から証書を取り出した。

 銀の鎖に吊るされた小さなペンダント。

 表面には六芒星と、フラスコに絡みつく蛇の意匠が刻まれている。これがこの国における錬金術師の証だ。そしてそこに示されている階級は――


「一級!?」


 彼女が驚きの声を上げる。

 受付にいた他の職員も、ちらりとこちらを振り向く。

 無理もない。一級錬金術師など、帝都でもそう多くはないのだ。


「……それだけの方が、帝立研究所を退職しこの街に、ですか」


 当然の疑問だろう。

 一級錬金術師ともなれば、帝都でも要職に就けるほどの実力者。

 それが辺境都市に現れたとなれば、理由を問いたくもなる。


「色々ありまして。こちらに移ってきました」

「少々お待ちください」


 職員は少し戸惑った様子で奥に引っ込み、しばらくして戻ってきた。

 その顔には、申し訳なさそうな色が浮かんでいる。


「申し訳ありません。支部長に確認しましたが、現在ローゲンさんには斡旋できる業務はないそうです」


 帝都での情報が伝わっていたか。

 支部長クラスは協会本部でのことを知っていたらしい。それが今現在の俺の扱いに繋がったのだろう。


 プルンブが手を回していたか、それともここの支部長が自発的に忖度したか。

 どちらにせよ、協会から仕事を受けることはできないらしい。

 仕方ない。自力で稼ぐか。


「なるほど。では、器具や薬品の購入は可能ですか?」

「それでしたら問題ございません。登録手続きだけしていただければ」

「十分です」


 ならば問題はない。

 設備と材料さえ手に入れば、研究も製作も一人でできる。金策も可能。


 登録を済ませ、俺は事務員に尋ねる。

 自身の研究所を兼ねた家、つまりアトリエを借りられるか、と。

 だが、残念ながら空きは無いとのこと。都合よく空き家が転がっているはずもないか。


「アトリエを貸してくれる協会員の方はいるかもしれませんが……」


 言葉を濁しながら提案する受付嬢。


「やめておきます」

「ですよね」


 苦笑いが返ってくる。

 彼女も分かっているのだ。


 他人の研究所を間借りして使わせてもらう。そのような行為には当然、対価を要求される。

 錬金術師同士の取引で行われる対価とは? 当然、知識だ。


 錬金術師にとって知識は、金にも名誉にも勝る財産。

 誰もが自分の知識を守り、隠そうとする。


 王水の知識を持つ俺はなおさらだ。

 この国の、知識体系、経済、体制にまで影響を及ぼすことになるかもしれないブツだ。

 決して他人にひけらかすことはできない。


 仕方ない。しばらくの間は宿でやりくりするしかないか。

 自分のアトリエを手に入れるためにも、今は地道に働くことにしよう。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 次に向かったのは、協会に紹介してもらった宿屋。

 石畳の通りを歩き、商人や行商人の活気あふれる街並みを抜けていくと、やがて目的の看板が見えてきた。

 壺から液体が注がれる様子を描いた看板『銀の蜂蜜亭』

 派手さはないが、丁寧に掃除され、清潔感が感じられる宿。


 この街アンプラでは、宿や酒場の名に付く金属の名が、その格を示すらしい。

「銀」は中級。ある程度以上の平民が主な客層だという。

「金」が付く宿は上級で、貴族や豪商が滞在する場所。

 ある程度以上の格がないと許されない名前なわけだ。


 一方「銅」や「鉄」の宿は、日雇い労働者や冒険者が夜を明かす程度の安宿だ。料金こそ安いが治安面では少しばかり不安がある。

 乱暴者に絡まれる危険も高く、荒事が苦手な俺にとってはリスクが高い。


 かといって、上級宿のような贅沢な場所に長期滞在すると懐に厳しい。

 よって、俺にはこれくらいの宿が丁度よい。


 扉を開けて中へ入ると、すぐに奥から威勢のいい声が飛んできた。


「いらっしゃい! 食事かい?」


 カウンターの奥から現れたのは、ふくよかな体格の中年女性。

 手には布巾、腰には油染みのついたエプロン。髪を手早く後ろにまとめ、首には年季の入った小さな鍵束が下がっている。


「宿泊でお願いします。期間は取り合えず、一ヵ月ほど」


 そう伝えつつ、協会から預かった紹介状を差し出す。

 ある程度以上の宿は、身元の確かな者でなければ受け入れない。

 その点、錬金術師協会の紹介状は十分に役立つ。信用は十分。


「おや錬金術の先生かい! 若いのに偉いんだねぇ」


 案内されて二階へ上がる。

 通された部屋は、思っていた以上に整っていた。

 清潔そうな寝台、窓際には木の机と椅子、そして小さな棚。


「気に入ってもらえたかい?」

「ええ。いい部屋です。ありがとうございます」


 女将が退出し、一息つく。


 窓を開けると、外には石畳の通りと市場の屋根が見える。夕暮れの光が差し込み、部屋の中を黄金色に染めていた。


 生活環境としては申し分ない。

 そして、余裕のある広さ。最低限の調合くらいはできそうだ。


 贅沢を言うなら、火と水も使えたら最高ではあるが。当然、宿泊用の部屋にそんな設備は無い。

 その辺りは、交渉次第か。


 夕刻、一階へと戻り、夕食をいただく。

 香ばしいシチューと焼きたてのパンが出された。素朴だが、旅の疲れが癒える味だった。

 食後、俺はカウンター越しに女将へ声をかける。


「ひとつ、お願いがあるのですが」

「うん? 何だい、あらたまって」

「日中、厨房を貸して欲しいのです。礼金はもちろん出します。宿の仕事に差支えの無い頃合いで良いのです」


 火と水が使いたいのだ。

 厨房であれば、錬金術に最低限必要なそれらが揃っている。


 女将は眉をひそめて答える。


「うちの厨房で錬金術を? んん……どうだろうねえ。あの人が許すかどうか……」


 そう言いつつも、奥に声をかけ、主人を呼びに行った。


 やがて現れたのは、いかにも職人気質な男。

 分厚い腕を組み、渋い顔でこちらを睨む。


「たとえ客人だろうが、厨房を他人に貸すわけないだろうが。ここは俺の城だ」


 その声音は硬い。やはり一筋縄ではいかなさそうだ。

 一見、交渉の余地はなさそうに思える。

 しかし、ここまでは想定内。俺には秘策がある。


「これで、何とかしていただけませんか?」


 俺は懐から小瓶を取り出し、女将の前にそっと置く。

 淡い琥珀色の液体が光を反射し、柔らかく揺れた。


「それは?」

「リンスと呼びます。髪を洗ったあとに使うと、潤いを保って艶やかに整えてくれるものです」


 そう、俺が用意していたのは美容品の一種、簡易的なリンス。

 自分用を小綺麗な瓶に移したもの。


「私が使っているのと同じものですよ」


 そう言いながら俺は自分の髪を指差す。光を受けてさらりと揺れる黒髪。

 自分の髪に使うことで話のネタになり、飲み屋の嬢に受けが良いのだ。


 この世界、リンスやトリートメントといった美容品の類はあまり普及していない。

 貴族などの上流階級ともなれば別だろうが、一般庶民には縁のないものだ。


 実はリンスは簡単に作れる。現に俺が作ったのも、酢や香料など、市場に出回っている品を混ぜるだけで作れた。

 しかし、人々にそんな知識はない。

 この世界において、知識は財産なのだ。知識のある者はそれを独占し、隠そうとする。


 だからこそ、このように交渉材料として使えると考えたのだ。

 そして、その効果は?


「本当かい!?」


 食いついた。

 女将さんは瞳を輝かせ、小瓶と俺の髪とを交互に見つめる。

 彼女の髪は日々の仕事や生活の苦労のせいか、荒れている。やはりあまり質の良い美容品は使っていないと思われる。

 そして女将は主人へ振り向く。


「ねぇあんた! 貸してやんな! これは絶対に良いもんだよ!」

「うん? うーむ……」


 渋る主人にダメ出しをしてやる。


「ご主人も、奥様が綺麗な方が嬉しいでしょう?」

「ううむ……」

「あんた?」

「わ、わかった! そうだな、お前が綺麗な方がうれしいよ!」


 最終的には、俺の言葉と女将の勢いに押し切られ、頷くこととなったのだ。

 女将が満足そうに笑い、主人は観念したように頭を掻いた。

 やはりどんな年齢であっても、女性の美への執着は侮れない。


「……仕方ねぇな。昼の仕込みが終わってからなら、少しだけ使ってもいい。ただし、壊すなよ」

「ありがとうございます。絶対にご迷惑はかけません」


 交渉成立。

 将を射んとするならなんとやら、だ。


 ともかく、一日のうち短時間ではあるが、調理場の利用許可が出た。

 ここならば他の錬金術師の目を気にする必要はない。


 宿の主人やおかみさんに見られる可能性はあるが、彼らに錬金術の知識はない。

 多少見られたとしても、俺の行為の意味を理解はできまい。将来的に、アトリエを用意するまで保てばいい。


 こうして俺は、ひとまずの工房を手に入れた。

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