雨降りモンブラン

安曇桃花

第1話 雨と終電と、どうしようもない関係と。

雨が降っていた。


海のような、泥水のような、そんな生臭い匂い。スニーカーにじわじわと染み込むあの感覚。カフェに入っていた時は、あれほど丁寧に櫛でといていた前髪も、今じゃプールの授業の終わりのように、少ししなしなになって使い物にならない。


「今日は楽しかったね。」


何気ない言葉が、隣から聞こえてくる。カフェの軒下で、ただポツポツと滴る雨水を眺めながら。今はそんな言葉ではないだろうと、心が黒く燻る。


栗乃くりのと会ったの、卒業式ぶりだよな。久々に話せてよかった。」


くしゃっと、セットしてあるはずの前髪をかきあげる姿に、涙が出そうになるのはなぜなのだろう。


目の前に広がる車道はやけに混雑していて、車のヘッドライトが雨が降っていることを改めて知らせてくれる。クラクションがなって、水飛沫を飛ばしながら車が通過した。


「大学はいつから?」

「5月7日から。そっちはいつからなの?」

「俺もそれくらいから。4日間だけのゴールデンウィークなんて短すぎるよなぁ。」


うん、と頷いて傘を開く。4月に買った傘は、まだあまり役に立っていない。きっとこれからの梅雨にかけて使い物になっていくのだろうな、とどこかで思いながら、黄色い花が散りばめられた傘をさした。


隣の流唯るいはというと、こちらの傘に見向きもせずビニール傘をさす。これが現状。普通のこと。


「終電あるかなぁ。」


それぞれの傘に体をおさめて歩き始める。彼の、何気ない一言に唾を飲んだ。


「あるでしょ。ていうか、流唯の家隣の駅じゃん。」

「いや、栗乃の終電だよ。こっから遠いだろ。」

「遠いって言っても30分だけだし。まだ大丈夫だよ。」


足早に歩く。たとえ今日履いてきたヒールが水たまりに浸水しても、新しく買ったショルダーバックが傘からでて濡れても、なるべく早く、この場を離れたかった。


「なあ、栗乃。」


対する彼は、特にせかせかと動くこともなく、水たまりを気にしながら歩いていた。その、のんびりとした口調で、私の名前を呼ぶのだ。


「何?」


自転車のベルがなって、歩道の端へと避けて、また歩み出そうとした瞬間、不意に後ろから腕を掴まれた。


嫌な沈黙だ。後ろを振り返りたくもない。


言いたいことはわかっていた。今日、都合よく夜に呼び出されたことも、不意に酒の匂いがしたことも、終電の話題をいまだしていることも、全部に直結する。


「……離してよ。」


一体いつから、こんなにも変わり果ててしまったのだろうか。もう、あの頃のような関係ではないことは、わかっていたはずなのに。

雨が降りしきっている。どうにもならない湿った空気が、彼をそうさせたと思うことしかできなかった。


「ごめん、好きな人ができた。」


クラクションが鳴った。振り返りざま、眩しすぎる光が彼を照らす。表情は何も見えない。


いや、見えなくてよかったな。見なくてよかった。



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