第15話 セレナ
わたくしには、年の離れた姉がいました。母を早くに亡くしたわたくしにとって、姉は母であり、先生であり、そして世界そのものでした。
◇
姉は、王族に受け継がれる測量魔法、その中でも角度魔法の使い手でした。その精密さは地理院の師たちをうならせるほどで、角度を測るその姿は、わたくしの憧れでした。
城の中庭。大理石の床に立てられた目印の杭に杖を向け、姉は静かに目を閉じます。杖の先の宝石がゆっくりと目印の杭の方を向きます。
「心を落ち着けて、耳をすましなさい。地脈の声が聞こえてくるはずです。声が最も強く響く方向に杭があります」
そう言って姉は微笑みました。
幼いわたくしには意味が分かりませんでした。ただ、その横顔があまりに美しくて、何度も真似をしました。
けれど、わたくしがどれほど杖を構えても、なんの反応もありません。声も聞こえて来ませんでした。角度を測るどころか、杖の宝石から光がまっすぐに伸びて――杭の向こうの壁に小さな焦げ跡を残しました。
「まあ、セレナ……あなたは光魔法が使えるのね」
姉は叱りもせず、そっとわたくしの髪を撫でました。
「測量には魔物が出ることがあるのよ。セレナの魔法は、きっと役に立つわ」
幼いわたくしは、うまくできない自分が悔しくて泣いてしまいました。
――わたくしには王族の測量魔法の才能がないんだ。
そう思い込んで、杖を投げ出したこともあります。
その涙を、姉は拭ってこう言いました。
「地図は、いろいろな人が、それぞれの能力を発揮してこそ完成するの。あなたの光魔法も、きっと必要になる日がくるわ」
その言葉は、今でも胸の奥に残っています。
姉のそばには、いつも一人の青年がいました。護衛役のギルです。粗野で口が悪く、よく叱られていましたが、姉のことを真剣に見つめる瞳は誠実でした。わたくしは子ども心に、二人のやり取りを見てからかうのが好きでした。
「お姉様とギル、まるで物語に出てくる騎士と姫ですわね」
そう言えば、二人そろって顔を赤くして、「ば、馬鹿を言うな」「違いますわ」と声を揃えるのです。
その反応が面白くて、何度も繰り返しました。
けれど今になって思えば、あの時間こそが――王家に残された、ほんのひとときの平穏だったのかもしれません。姉の笑い声。ギルの不器用な抗弁。中庭を吹き抜ける風。あの日の陽射しは、今でもわたくしの記憶の中で光り続けています。
季節が巡るうち、わたくしの魔法が、角度ではなく、距離を測る魔法であることがわかりました。王族の中でも久しく現れなかった力だと、地理院の師たちは騒ぎました。
そして――姉が倒れました。
◇
魔力の使い過ぎだと医師たちは言いましたが、誰も原因を突き止められませんでした。病室の薄明かりの中で、姉はわたくしの手を握り微笑みました。
「セレナ、国を頼みます」
その瞳は静かで、まるで遠くの地脈の流れを見つめているようでした。
「お姉様、わたくし…何をすれば……」
驚くほど細くて冷たい姉の手を握り返しました。
「測り続けて。人のために。たとえ光が見えなくても、測ることをやめないで」
その言葉のあと、姉は微笑み、ギルへ視線を向けました。
「セレナを……お願い」
それが、姉の最期の言葉でした。
城の鐘が鳴り、空が鉛のように重く沈むあの日の記憶を、わたくしは今も夢に見ることがあります。あの日を境に、すべてが変わりました。
姉は民からの人気も高く、その魔法は王族の復権の象徴でした。わたくしはまだ幼く、測量魔法の能力も未発達で、とても姉の代わりは務まりませんでした。
王である父上は次第に政務から退き、王国地理院長アーヴェルが実権を握るようになっていきました。彼はいつも穏やかに笑い、知識を惜しみなく語ってくれました。
「地脈は生きています。杭がずれれば、国そのものが歪む。地図を守ることは、王の務めなのです」
その言葉に嘘はなく、わたくしは深く信じました。彼は、わたくしの魔法の特異性――距離を測る能力――を高く評価してくれました。
「これは、王家に久しく現れなかった奇跡の才能です」
姉の代わりに国を守らなければならぬと思っていたわたくしは、その言葉に勇気づけられました。
昼はアーヴェルから地脈学を学び、夜はギルから現場での測量作業を聞き、日々を過ごしました。
城の中庭に立ち、姉が立っていた位置から同じ方角に杖を向けるたび、胸の奥でかすかな光が脈打つのを感じました。
最初に白地図化の報が届いたのは、姉の葬儀から数年後のことでした。
◇
地脈が乱れ、地図の一部が白く抜け落ちる――そんな現象が各地で起き始めたのです。
「白地図化が、このように広範囲におきるなど、地脈学の理に反します。誰かが意図的に起こしているとしか考えられません」
アーヴェルは眉をひそめ、測量ギルドの陰謀と断言しました。
「ですが、セレナ様。これは同時に好機でもあります。貴女の測量魔法が、伝説を超える時なのです」
その言葉に、わたくしの胸は高鳴りました。
――わたくしがお姉様の代わりに国を守る
そう思っていたわたくしにとって、その提案は救いのように聞こえたのです。
数日後、アーヴェルは古文書を開き、わたくしに見せました。
「かつて、この地を測った異世界の測量士がいたと記されています。異界の者を呼び、再び三賢者を超える伝説をつくりましょう」
わたしは少し迷いました。
でも、姉のような角度魔法を使える者は、今の王族にはもういません。王立地理院の人員を借りるなら、伝説は生まれない。測量ギルドは信用できない。
「わかりましたわ。古文書に書かれている召喚の儀式をやってみましょう。それと、ギルも一緒でいい?」
「あの者が賢者…まあいいでしょう。腕は確かですから。それ以外の残念なところは、宣伝でどうにでもなるでしょう」
アーヴェルは薄く笑いました。
数日後、わたくしは古文書に従って、召喚の儀式を行いました。
◇
床に描かれた三角形――頂点はそれぞれ三賢者杭に対応している――に埋め込まれた宝石が輝き、光りに包まれました。空気が張りつめ、地脈が脈打つように震えました。
光がやみ、召喚された異世界の測量士は……女の子でした。
見慣れぬ服装、見たこともない器具を抱えた小柄な姿。
わたくしが言うのもどうかと思いますが、ちっちゃくって可愛らしい印象です。突然召喚されたためか戸惑っているようです。無理もありません。わたくしだったら、泣いてギルを呼んでいたでしょう。
ですが、アーヴェルがこの国の現状――白地図化の話をすると、目の色が変わりました。そして測量に関する的確なやり取り。頼りないと思った第一印象から一変して、頼もしい面をみせてくれました。
――姿形はまるで違うけど、なんだかお姉様みたい。
後に凛お姉様と共に測量へ出るようになって、その思いはさらに確信へと変わりました。彼女の言葉、視線、責任を背負う覚悟。どれも姉の面影と重なっていました。だからこそ
――凛お姉様をこれ以上巻き込んで、危険に晒すわけにはまいりません。
ギルが追放され、凛お姉様が幽閉されたとき、わたくしは何も言えませんでした。アーヴェルへの疑惑。もしこれが事実なら、この国で安全な場所はすくない。ギルも追放されてしまった今、凛お姉様を守り切る自信がありません。守るためには、手放すしかなかったのです。
わたくしは自分に言い聞かせました。
――これは、凛お姉様を守るための選択だ。
と。さびしいですけど、お姉様を元の世界に帰すことは約束です。
◇
凛お姉様が幽閉されてから、王立地理院のメンバーと白地図化を止めるため、各地の杭の測量作業をおこなっていますが、一向に収まるけはいがありません。それどころかひどくなっていきます。
国民が私たち測量チームの見る目も次第に険しくなっていきます。小さい時から側にいたギルもいません。お父様も当てにできません。
アーヴェルは……なにか王族に対して裏があることは間違いないようですが、それだけではないような気がします。すべてを白地図にすることを望んでいるとは思えません。
――お姉様、凛お姉様。わたしに力をかしてください。
わたしは意を決して、アーヴェルのもとに向かいました。
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