第10話 スレイの憂鬱

 黎明前の王都は、音を吸い込む。人気のない石畳の上を、私は一定の歩幅で進んでる。靴底が刻むリズムは、私の内部で回転する計算機――速さと誤差を秤にかけ続ける冷ややかな意識――と同じ速さで鳴っていた。




 ギルド本部の門をくぐると、緊急依頼に対応する夜番が詰める待機室の明かりが見えた。執務棟の玄関扉を押し開けると、流れ込んだ風にあおられ、柱に貼られた複写地図がかすかにたわんだ。王国地理院が写して配る全国地図。紙は新しいのに、引かれた線のいくつかは、どこか疲れて見えた。


 私の仕事は多い。現場で指揮をとる日以外のデスクワークは、夜明け前のこの時間から始まるか、あるいはこの時間まで続く。




 ◇




 真鍮の扉を押して食堂の前に立つと。中から低い声が重なって聞えてくる。若い測量士たちの擦れた笑いと、濁った苛立ち。




「――だから言ってるだろ、測量魔法はチートだって」




「なあ、王国管轄の杭って、素材は高級でさ、重さも段違い。そりゃズレねえよ。俺らが相手するのは安物の杭ばっかで、雨が降れば翌週にはまた呼び戻される」




「セレナ姫、可愛かったなー」




「歩測、巻き尺、デイオプトラ。やることは昔と変わらない。なのに地理院の連中は、指を鳴らして距離も角度も出す。公平か?」




「あの変な道具を使っていた娘もなかなかじゃなかったか?噂では異世界からきたとかーー」




「最近の測量はなんか変だ。直しても直してもすぐズレやがる」




 扉の影から彼らの横顔を眺める。頬はこけ、指先は傷だらけ。現場に立つ者の顔だ。私は食堂に入らず、隣のホールを目指す。




「スレイ隊長はどう思ってるんだ?」




 背後で誰かが言った。




 食堂となりのメインホール。その東面全体を使った掲示板には、所狭しと依条件が書かれた紙と、その場所を示す複写地図が貼られていた。その前で、依頼を探す測量士がうろついていたが、人数は依頼の数に比べて少ない。




 ――多いな。




 私は依頼の一枚を手に取る。この杭は確か6ヶ月前に修正したばかりのはずだ。正確に打ち直していれば、3年はもつはずだ。何かが起きていることは確実だ。


 掲示板から視線を外し、階段を上る。幹部会までにはまだ時間がある。それまでに片づけねばならない報告書が山積していた。




 ◇




 午後、幹部会。


 会議室に幹部たちがそろう。長机の上には複写地図、帳簿、角度記録。窓から差し込む日差しが、乱れた影を長机に落とす。




「お前のチーム、最近腕が落ちているんじゃないか? 誤差が大きいからすぐズレるって、町長がぼやいていたぞ」




「何いってんだ。お前のところだって、派手に裂け目が開いて魔物がわんさか出てきたらしいじゃないか。戦闘チームを抱えていたよな。まさか戦闘割増料金ねらいじゃないだろうな」




「金目当てか?」




「ぬかせ。犠牲も出てるんだ」




 幹部同士が牽制しあう。現場叩き上げの荒くれ者たちにとって、これくらいの言い合いは挨拶のうちだ。


 一通り”挨拶”を済ませると、白髭の幹部が指で長机を叩いた。


 本題に入る。




「このところの測量の乱れ、王国地理院が発行する地図に問題があるのではないか」




 白髭の幹部が地図を指で叩く。乾いた音が部屋に跳ねた。何人かの幹部が頷く。




「証拠は?」




「ない。だが状況証拠は十分だ」




 このところの異常な白地図化と、突如現れた異世界測量士の活躍。そして先日のセレナ王女の大幅な能力向上。確証はないが、王立地理院の暗躍を疑わざるを得ない。


 私は椅子の背に軽く体を預け、沈黙で議論の流れを測る。




「スレイ。君の意見は?」




 年嵩の幹部が、私に問いかけてきた。




「誤差の伝播を論じるなら、”起点”を疑うか、”過程”を疑うかの二択になります。”過程そくりょう”に問題が無いのなら、”起点ちず”を疑うしかないですが……」




「君も王立地理院が怪しいと?」




「あるいはもっと根本的な”起点” かもしれません」




「三賢者杭に問題があるというのか?」




 誰かが言う。別の誰かが笑う。「山が動いたとでも?」嘲りを含む笑いが一つ、二つ。私は小さくため息をついた。




「仮に地理院が罠を仕掛けるとしても、動機が薄い。我々を貶めて、王族の権威を復活させようというなら、ちょっとやりすぎです。王立地理院特別チームが活躍している今、すでに十分に目的を果たしていますから」




 静かな声が室内を冷やす。私の意見に賛否は分かれ、議論が白熱したが、情報不足は否めない。結論が出ないまま、夕鐘が二度鳴り、会議は散会となった。


 凛はギルドを疑っているようだが、実態はこの通りだ。構成員は聖人君主ではないが、陰謀を秘密裏に進められるほど統一された組織ではない。




 ――王立地理院が黒幕であれば、いずれ収束する。少なくとも国を滅ぼすような真似はしないはずだ。そう思うが……




 ◇




 日が沈み、執務室の窓外には濃い影が落ちる。


 扉が二度叩かれ、間を置いて入室を求める声がする。




「入れ」




 音もなく部屋に入り込んだ黒外套の男が、机上に厚い表紙の冊子を置いた。


 探り屋だ。合法・非合法問わず、必要な情報を集めてくる。ギルドの正規雇いではないが、私はこうした手段を使うことに抵抗はない。影を嫌う者ほど、影に鈍感になるものだ。


 開いた表紙の内側は、びっしりと文字が並んだ報告書。私は一行ずつ、静かに目を通していった。




 ――幹部ダランのキックバック受取金額




 ――幹部ケイトの負傷保険の不正受給




 ――幹部と受付嬢の不倫




 叩けば埃は出るが、埃以上のものは出てこない。




「ご苦労だった。報酬はいつもの二割増にしてある」




 銀貨の袋を差し出すと、男は無言で受け取る。中身は確認しない。




「これ以上の調査は不要だ。撤収してくれ」




 男は影のように消えた。


 スレイは窓を少し開け、冷気を入れた。




 ――ギルドは白だ。




 書簡を暖炉にくべる。炎が紙の上の文字を一度だけ明るく照らし、黒へと変えた。




     ◇




 数日後。私は地下に続く階段を降りていた。本部棟の地下にある図書館は、夏でも肌寒い石造りの壁、規則正しく並ぶ高い書架。湿り気を含んだ羊皮紙の匂いが、層をなして漂う。


 灯は少ないが、文字はよく見える。静寂の中では、思考の速度が加速する。


 目的は、過去の白地図化の記録調査。


 似た事例があったのか、その原因と顛末を探っていた。




『三賢者の行動録』




『測量魔法――角度と距離』




『地脈のすべて』




『古代杭に関する考察』


 私は本を抜き取り、数枚だけページを繰る。粉が舞い、カビ臭い臭が鼻をつく。太古の語と、謎めいた図。




 ”かつて、失われた秘術で地脈を操り、全世界を支配した恐怖の帝国が存在した”




 ――古典的なオカルト話だ。




 知識として知ってはいるが、胡散臭い御伽噺だ。


 本を閉じ、元の棚に戻す。


 棚の向こうから咳払いが聞こえ、書庫番の老人が顔を出す。




「スレイ様、また調べ物ですかな」




「ええ。過去の事例を探しに」




「なるほど、基準点を過去に求めるのですな。直線が引ければ良いが……世の中は曲線が多い」




「曲がっていても、測ってみせますよ」




 スレイは肩をすくめる。老人は微笑み、引っ込んだ。




     ◇




 夕刻。訓練場から、杭を打つ音が響く。鉄と土と腕力がぶつかる、鈍い律動。わたしは窓辺に立ち、打撃の間隔を耳で測る。一定のリズム、良い手だ。ふと旧友のギルの顔が頭に浮かぶ。




 ――あいつが”賢者”?




 角度魔法の使い手――長男アルト。




 三杭間を中継なしで測る距離魔法の使い手――三男コルヴィン。




 地脈を感じる繊細さと、どんな杭でも一撃で打ち込む力強さを兼ね備えた――次男ベネト。




 民衆は、凛たちのチームを“三賢者の再来”と呼ぶ。


 そしてギルを、ベネトになぞらえた。


 白地図化が広がる中、人々はヒーローを求めているのだ。




 ――腕は認めるが……賢者ではないな。




 扉が叩かれ、通信役の女が顔を出した。




「スレイ様。南の村から伝令です。杭のズレ、前回の補正よりさらに大きいと」




「どの杭だ」




「領主私設の四番杭。材質は粗悪。雨で緩んだ様子です」




「王国地理院の複写地図は?」




「はい、現場に回っております」




「よろしい。補正手順書の第七を送れ。仮杭は十本。抜く順序を絶対に間違えるな、と朱で書け」




「かしこまりました」




 女が下がると、私は椅子に深く座り直した。




     ◇




 夜。屋上に出ると、王都の光が低く集まっていた。遠く、三つの山が黒い三角を描いている。




 ――もうこんな時間か。




 太陽はとっくに沈み、空には満月が輝いていた。


 先日の凛のチームとの測量競争を思い出す。


 あの時、現在の王族の測量魔法なら、我々が勝つと思っていた。だが結果は、速さでも正確さでも完敗した。




「セレナはすごいのよ。そうね...これを目標にすれば、月までだって測れるわ」




 そう言いながら、凛は見慣れぬ異世界の道具を叩いた。『コーナーキューブ・プリズム』と呼んでいた。


 月までの距離など見当もつかないが、少なくともこの地の果てよりも遠いだろう。それは無理だろうとは思いながらも、確かめようが無い。伝説――いや、プロパガンダとしては良い話だと感心する。




「凛お姉様、そんなの無理です」




「凛、ハッタリかましすぎだ」




「まあ...ね」




 そんなやり取りを思い返していた。彼らの活躍により王族の人気が高まっているのは事実だ。




 ――測量の安定と王族の復権。




 王国地理院のアーヴェル・モルダンあたりが考えそうな策だ。王族と測量ギルド、どちらが主導権を握ろうと、安定すればそれで良い。




 ――この流れが、それだけを目指しているのなら、いいのだが。




 満月の輪郭が、ほんのわずかに歪んで見えた。


 風か、あるいは、地脈の揺らぎか




 ――老眼だろ。




 からかうギルの声が聞こえたような気がした。




 その日、私が執務を終えたのは、東の空が紫色に染まり始めた頃だった。

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