第8話 白地図に潜む影
王都の石畳は、日中の熱を蓄えてまだあたたかい。木製の荷車の車輪がゴトゴトと音を立て、城壁の中へ吸い込まれていく。いつもなら仕事帰りの男や屋台で食事を楽しむ家族で賑わう市場の通りも、この日はどこか沈んで見えた。
城門を抜けると、兵士たちが通常よりも倍は配置されていた。槍を構えた姿勢も揺るぎなく、すれ違う私たちに鋭い視線を投げる。ギルは周囲を警戒しつつ、低くつぶやいた。
「やけに物々しいな。戦の前触れか?」
私たちは兵士に導かれ、謁見の間へと進んだ。広大な空間に赤い絨毯が敷かれ、巨大なタペストリーが壁に掛けられている。
――国中の基準杭を記したマスター地図
様々な色の糸で森や畑、建物などが色鮮やかに表現されている。けれど、ところどころ色が薄くなっている。白地図化だ。私が召喚されたときに見たときよりも多くなっているような気がして、息を呑む。
王座の脇に立っていたのは、王国地理院長アーヴェル・モルダン。初老の男の静かな威厳は、場にいる全員を自然と従わせる力を帯びていた。セレナには悪いがと思うけど、正直、玉座の王よりも威厳があるように見えた。
「セレナ、大儀であった」
王はそれだけ告げ、後の主導権をアーヴェルに委ねた。
「お帰りなさいませ、凛殿、セレナ殿下。ご無事で何よりです」
低く穏やかな声が広間に響く。
アーヴェルは私たちを玉座の前に進めると、護衛たちに手を振って下がらせた。静寂が訪れる。彼は私たちに向き直り、ゆっくりと歩み寄る。瞳は知性に満ち、どこか優しささえ感じさせた。
「今回の測量では、測量ギルドと競い合ったそうですね」
情報が早い。彼は続ける。
「王都は今、不穏な噂で満ちています。民は『地図が白くなるのは王族の責任だ』と口々に囁き、測量ギルドへの依存度が高まっています……すべては測量の混乱から始まったのです」
確かに、私が召喚されてからの測量作業は、徐々に規模を増している。杭のズレは、民の暮らしのに影響を与えている。根本原因を直さないと、そのうち対処できなくなる。セレナが杖を抱き締めるようにして問いかけた。
「アーヴェル様。白地図化は勢いを増しています。なぜ測量がこんなにも乱れてしまったのでしょうか?」
アーヴェルは重々しく頷いた。
「答えは一つ。――測量ギルドの暗躍です」
その言葉に、私は思わず目を見開いた。
「ギルドが? でも、彼らは杭を守るために働いているはずじゃ...」
「表向きはそう見えるでしょう。しかし、考えてみなさい。測量の精度がわずかに落ちればどうなるか。杭の位置は曖昧になり、地脈が揺らぎ、土地が白くなる。人々は恐れ、領主たちは慌てて測量を依頼する。結果、彼らは金を得、影響力を増すのです」
アーヴェルの声は静かだが、鋭い刃のような確信を帯びていた。確かにこの世界では、測量は特殊技能だ。ほんの数度の角度誤差でも測量結果は大きく変わる。もし意図的に誤差を入れるのだとしたら――。
「さらに王立地理院の調査で、国外の勢力との繋がりが示唆されています。隣国バルグラントは、我が国の地脈に強い関心を抱いている。測量ギルドの一部は、彼らと内通している、と考えられます」
城門の警備が厳しかった理由に合点がいく。セレナの顔色がさっと青ざめる。
「まさか……ギルドが国を売ろうとしているのですか?」
アーヴェルは悲しげに目を伏せた。
「信じたくはありません。だが国を守るためには、冷徹に事実を見据えねばなりません」
私は両手を胸の前で組み、深く息を吐いた。
――本当にそうなのだろうか?
現場で出会ったスレイの冷徹な眼差しを思い出す。彼は嫌味で理屈っぽいけれど、杭の前で彼が見せた緊張と責任感は、本物だった。国を害そうという意思は感じなかった。
「でも……」
私は口を開いた。
「私が見た限りでは、ギルドの人たちは命懸けで杭を守っていました。利益のために国を危険にさらすなんて、信じられません」
アーヴェルは、まるで父が子を諭すように穏やかに微笑んだ。
「理想を信じる心は美しいものです。しかし、凛殿。人は時に、欲に駆られて理想を裏切る。営利組織であるギルドならなおさらです。……あなたが現場で感じた誠実さは事実でしょう。現場で命を張っている測量士を疑っているわけではありません。ただ、組織の上層が腐っていればどうでしょう?」
反論の言葉は見つからなかった。
その間、ギルは黙って話を聞いていた。腕を組み、顎をわずかに上げてアーヴェルを見据える。やがて低く、しかしはっきりとした声を発した。
「……確かに本部でのさばっている奴らの中には、金で動く輩もいる。だが、外国とつながっている決めつけるのは早計だ」
アーヴェルは小さく首を振る。
「全員を疑っているわけではありません。だが指導部に、我が国に退位する悪意があるのは確かでしょう。証拠を掴むのは容易ではありませんが……白地図化が集中している地域を見れば、自ずと結論は導かれるはずです」
ギルはしばらく沈黙したのち、「ふん」と鼻を鳴らした。それ以上は何も言わなかった。
その後、王立地理院のメンバーも加わり、具体的な測量体制の再編に移った。アーヴェルは終始落ち着いて指示を出し、誰もがその知性と冷静さに納得した。
私はただ、流れるように進む議論を聞きながら、胸の奥の不安を拭えずにいた。ただ純粋に測量技術でこの国を救いたい、と言う思いが、わけのわからない政治のことで汚されている気分だ。精密な測量により治められたこの国が、意図的な誤差が入り込むことでどれほど危険になるか、誰よりも知っているつもりだ。
会議が終わり、私たちは謁見の間を後にした。広い石の廊下を歩きながら、セレナが小さな声で言った。
「凛お姉様……もし本当にギルドが敵なら、わたくしたちは…どうなるのでしょうか」
私は空を仰いだ。窓の外を灰色の雲が流れていく。
「……分からない。でも、私たちは測量士だよ。進路は自分たちで測って、必ず道を見つける。一歩一歩着実に進もう」
セレナは少しだけ笑って「そうですわね」と呟いた。
ギルは黙ったまま、ただ前を見据えて歩いていた。
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