『主教の庭から見たソールズベリー大聖堂』 作 ◼️◼️◼️◼️

 昨日受けたダメージは回復はしていなかった。今日は8月16日の送り盆。

 昨日の墓参りの際に姉が話したことは、妹である少女が知る由もないことで、それがひどく悲しかった。

 前に姉は自分の理解者なのではと、一番親しい人なのではと思ったが、それはこちら側からの片思いだったのかもしれない。姉は少女には何も言わなかったから。

 結局のところ少女は姉のことを何も知らなかった。自分の面倒は散々見てもらったくせに姉の助けになることは何もしてこなかった。妹だから、なのかもしれない。妹であったから、姉は少女に対して弱みをこれまで見せてこなかったのだろう。耐えきれなくて壊れてしまうまで。

 気がつくとぐるぐるとそんなことを考えているため、精神的ダメージが一晩寝たくらいで回復などするはずもなく、むしろ自分で傷を全力で抉りにかかっていた。メンタルが沈んでいるのは、わりと少女にとっていつものことなので表には出さないけれど。とにかく悲しかった。知らなかったことがつらかった。   

 現在、姉が以前の状態から回復しているのを見ると尚更そう思う。自分は何もしていないのに、姉は立ち直っている。姉は強い人だ、自分なんて、と今度は唐突に姉と自分を比べ出してさらに自爆する。


 姉とのことだけではない。友人との関係だってそうだった。踏み込まれたくないから踏み込まない。それを徹底してきたからか、別の友人とのふとした会話で悩み事や彼氏ができたらしい、進路はどうしたか、などの情報を得ることが多かった。本人の口以外から本人の情報を聞かされるのはそこそこ辛いものがあった。自分が一番情報を出していないのだから、今まで伝えられなかったことを責められたものではないが。

 誰のことも、何も知らない。知りたくないわけではないけど、それ以上にどうしたらいいのかわからなくて、それでまた何かやらかすならもういい、となげやりになる。だから、何もしないし、それ故に何も知らない。


「あー」

「何、勉強飽きた?」


 今は姉が帰ってきているため、また同室となった子供部屋。勉強をしているつもりだったのだが、思考が学習を邪魔してノートには何も書いてない。姉は相変わらず優雅にゲームをしているようで、なんだこいつ。


「お姉ちゃんってさー」

「んー」

「親友っているの」


 唐突に投げた問いだが、姉は操作する手を休めずに答える。


「いるかな」

「いるんだ」

「もう2年くらい会ってないけど」

「連絡取ってるの」

「1年前くらいに生存確認取っただけ」

「自由すぎる……」


 自由人の友人はやはり自由人でないと務まらないのか。


「たまにあって飲みながらたくさん話すくらいでちょうどいいって」

「酒」

「お前はまだ」

「知ってるから」


 姉は姉でコミュニティをちゃんと築いているらしい。それはそうか、と思い少し羨ましくなる。会いたくなったら会う、という自由度の高さは気が楽そうでいい。こっちは毎日顔を付き合わせて、そのせいで息苦しさを感じている。


「あ」

「何」

「そういえば、お姉ちゃん彼氏いるんだよ」

「ダウト」

「嘘じゃないから、なんでそんなこと言うんだよ」

「証拠」

「あるから、ちゃんと写真みせてやるよ」


 唐突なカミングアウトに内心かなり驚く。ついでで言った感がかなりあるが。姉に彼氏がいてもおかしくはない歳だけど、どうも想像がつかなかった。

 半信半疑のまま姉が出してきた画像を見ると別の意味で驚く。


「お兄さん……?」

「ん?まあ、お前からしたら年上のお兄さんだけど。私よりも年上だし」


 姉と写っていたのは絵画廊で会ったあの彼にとてもよく似た人だった。灰色の瞳に、薄いアイボリーの緩やかな髪。整った笑みを浮かべる顔をしばし凝視してしまう。


「おい、妹。これで信じたか」

「まあ信じるけど」

「何」

「その人知ってるかもしれない」

「あ、本当?なら明日会いに行ってみるか」

「え」

「別に彼氏に妹を紹介してもいいだろ」

「必要性あるか」

「ある」

「本音は」

「久々に会うから対応に悩んでる」

「妹に逃げないで」


 その場でなんとも言えない気分になるのは自分では、と胡乱げな目を姉に向ける。世間は案外狭いのかも知れない。まあこんな田舎だから仕方ないのかもと納得する。


「お盆の時期だから、多分こっちに帰ってきてるはずだから」

「ん?」

「いつもはアイツ、東京の大学に行ってるからこっちにはいないんだよね」


 遠距離なんだよなー、と話す姉の話に違和感を感じる。なんとなく自分の想定と噛み合わない。いつもはこっちにはいない、お盆の時期のみ帰ってくる。彼はそんなことを言っていただろうか。むしろ逆だった気がする。


「お姉ちゃん、さっきの写真もう一回見せて」

「いいけど」


 再び画面を注視するが写真にそこまでの違和感は感じ取れなくて、さらに混乱する。何が誰なのか。


「この人、名前なんていうの」


 名前を聞けば区別がつくかと姉に聞くが、その直後に思い出す。


「篠宮 由月」


 彼の名前なんて、少女は知らない。


 ♦


 翌日、アイス買ってあげるから、と言われて仕方なく姉についていくことにした。姉が言う彼が、自分の知ってる彼なのかどうかが気になったというのもある。

 涼しくなってきた夕暮れに姉と自転車を走らせる。姉と並んで漕ぐのはそれこそ、小学生の時に一緒に遊んでいた時以来では、と急に懐かしくなる。その時はタイヤのサイズ感が違いすぎて姉と同じ速度で漕ぐのに随分必死になっていた気がする。

 自転車で進むのは少女の通学路。そしてあの神社の前で姉は自転車を止めた。

 やはり神社を抜けて画廊に行くのだろうか。だとしたら写真の人は彼なのか。感じていた違和感を押しのけて確信を持ち始め、秘密基地を乗っ取られたかのような子供じみた感情が浮上する。

 なんとなく膨れながら姉について鳥居をくぐる。そういえばこの神社は姉から教えてもらったのだったなと思い出す。鳥居の向こう、いつもは誰もいないはずの境内に人がいた。ラフな服装のシルエットに竹箒を持っている、男の人。


「由月」


 姉が呼びかけると、その人は顔を上げてこちらに向かってニッと快活に笑った。


 ♦


 違う。最初に彼をみて思ったのはそれだった。明らかに違う。画廊の彼はこんな爽やかなお兄さんではない。もっと胡散臭くて、人を騙眩かすのが得意そうな感じがする。このお兄さんではない。


「久しぶりー。髪切ったの」

「暑いからな。伸ばすのはもうやめた」


 髪型も違うし、やっぱり明朗そうなこのお兄さんは知らない。しかし、顔立ちは彼とよく似ている気がするけど。

 先程まで拗ねていた気持ちが薄れて、いつも通りの人見知りが顔を覗かせる。とりあえず姉の後ろで目立たないようにしていようと思っていたが


「その子、妹?」


 ソッコーで見つかった。当たり前か。


「そうだよ、蓮っていうの」

「……こんにちは」

「こんにちは、高校生?夏休み勉強大変じゃない?俺とか課題白紙でだしてたけど、頑張ってね」


 うん、本当に違うな。先程からそれしか思わない。いいお兄ちゃんか。

 あの胡散臭い奴と比べたら大違いだな、と表には当然出さずに愚痴る。しかし、姉の彼氏であるこの人が彼本人ではないなら、血の繋がりでもあるのだろうか。この辺りは田舎で黒髪黒目以外はほぼいない。 なのにこの人も彼も同じ様な目立つ容姿をしている。


「お兄さんは神社の人ですか」

「そうだよ。一応ここの宮司は俺の父親なんだ。いつもは父親に任せてお盆の時にだけ帰ってきてる」

「でもここいつも誰もいませんよ」

「ああ、父親は朝方起きてやること済ませて、そして昼間はずっと寝てるんだよ」


 不思議な神職の人もいたものだ。サボっている様でサボってはいなかった。この神社には常にちゃんと人がいたらしい。変なことをしてこなくて良かったと密かに息を吐く。


「あの、神社の後ろのあそこは……」

「あー、あそこね」


 勝手に神社内を探検したことを今更ながら、後ろめたく思ってしまったため曖昧な尻すぼみになってしまったが、彼にはそれで通じた様だった。


「妹ちゃんあそこに行ったことあるの?」

「何回か」


 嘘。夏期講習の間はほぼ毎日通っていた。


「じゃあアイツに会ったんじゃない?胡散臭いお兄さんがいなかった?」

「いましたね」


 これは迷わずに即答できた。先程からもずっと思っていたことだ。


「似てますよね……?」

「んー、まあ親戚だからかな。アイツの祖父と俺の祖父が兄弟なんだよ」


 それは再従兄弟では。おじいさん経由で容姿が似るなら隔世遺伝だろうか。


「あっちの方が年上だから小さい時はよく画廊に遊びに行ったりして構ってもらったんだけど、アイツのおじいさんが亡くなってから会ってないな」

「そうなんですか」

「まあ、すごい信用できない感じを出す奴だけど、もうちゃんとした大人だから大丈夫だよ。暇なら構ってもらいな」


 ちゃんと親戚がこう言うなら大丈夫かな、とまた少し画廊の彼への警戒心は薄れた。しかし、おじいさんはなんとなくは察してはいたが、もう亡くなっていたのか。

 またしても本人のことを本人以外から聞き微妙につらい気持ちになる。


「誰の話してるの」


 今まで聞いていた姉が不思議そうに尋ねる。すると由月は目を細めて、いたずらっ子の様にニヤリと笑い、


「秘密基地の話」


 と、少女を横目に楽しそうに言った。なにそれ、と姉の頭にハテナが浮かぶ。しかし由月は笑って、そのまま凛と蓮の頭を髪が乱れるほど乱暴に撫でて、


「暗くなるからもう帰りな。来てくれてありがとな」


 そう告げ、やはり快活に笑った。


 ♦


「やっぱり知らない人だった」

「そう」


 帰り道、自転車を漕ぎながら姉とそんな会話を交わす。知ってる方の彼であったらどんな顔をすれば良いのかわからなかったし、これで良かった。


「遠距離なんでしょ」

「うん」

「大変じゃないの」

「そうでもないよ」


 私にはちょうどいい、と姉は言う。


「毎日会うのっていくら彼氏でもきっと疲れるよ。だから距離を置いた方が楽なんだ。もし同棲とかしたら案外すぐに別れるかもしれないのが怖いけどね」


 街灯などない田舎の道では、薄暗すぎてと隣に並んでも姉の表情は分からなかった。


 ♦


 お盆が終わって、姉はあっさり祖父母の家に戻ってしまった。大学生も忙しいのだろうか。再び一人で占領する子供部屋。少し広く感じてしまうのは仕方がない。


 お盆が終われば、また頭のおかしいスケジュールで組まれた夏期講習が始まる。夏が後半になっても相変わらず暑さが纏わり付いてきて極めて不快。ただでさえ進んでは行きたくない学校がさらに行きたくなくなる。

 廊下との激しい温度差を感じながら教室に入る。あの友人はまだ来ていない様だ。

 自分の机に鞄を置いた時、ガラガラッと戸が開く音がする。音の方を見ると友人がちょうど今、入ってきたところだった。


「律」


 いつもはこんなに距離があるところから人の名前なんて呼ばないのに、つい友人に向けて呼びかけてしまった。

 その友人は、パッとこちらを向いて少々驚きながらも手を振ってこちらに歩いてきた。


「おはよー。蓮の方が早かったね」

「たまたまじゃない?」


 いつも通りの他愛無い話を続ける。ただいつもと違うのは、途中で少女が眠気に逃げなかったところ。

 お昼休みの時に友人はふと思ったことを告げた。


「なんか今日、蓮、人懐っこくない?」

「私は猫かなにかか?」

「そうじゃなくてー」


 たしかにいつもよりも話してしまった気がするけど、それを気取られたことにより口が重くなる。話しすぎたかもしれない。これ以上はやめとこう、と昼食の容器を片付け、


「手洗ってくる」


 友人から距離をとって逃げる。

 いつもより話し込んでしまったのは、姉が居なくなって人寂しくなった反動だろう。全く自分もまだまだ幼いらしい。それにしても、友人に今日の少女の変化を気づかれてしまったのは失敗だった。これでさらに明日からたくさん話しかけてこられたら、良いのか悪いのか。

 自分の中身を人に晒したくなくて、だから人の中身も見えない様に距離をとって。自分のことが相手の記憶に残ることが嫌で、凹んだ時に思うのは、死にたいではなく消えたい。自分に関する記憶が他の人から残らず消えてしまえばいいのに、といつも思う。自分が相手の記憶に残るのも嫌だし、相手から向けられる何かも怖くて。

 自分を守るために少女は距離を取る。


 ♦


 夏期講習が再開したので、画廊に通うことも再開する。人が極めて少ない環境というのは理想的だ。唯一の懸念事項である、あの管理人の胡散臭さだが、姉の彼氏である由月も大丈夫だと言っていたから、まあ大丈夫だろう。


 外装と比べ比較的新しい扉を開ける。通う様になってから、彼から奥のあの部屋以外は自由に見て良いと言われた。なので今日も勝手にお邪魔して館内を歩き回ってどこで場所を借りるか探す。


 一階奥の長い廊下を進んだ先に壁がほとんどガラス張りになっている小さな部屋がある。ガラスを外から幾重にも蔦や葉が覆って他の部屋よりも日が差し込んでいるのに涼しく快適だった。今日はそこを借りようかと、部屋に入ると先客がいた。

 先客というよりも、ここは彼の場所なのだが。

 少女が知る、名前も教えてくれない彼は柔らかな色合いの髪を机の上に散らしてすやすやと机に伏して眠っていた。場所を変えようかとも思ったが、どうせ後で帰る前に彼を探し回るのだから都合が良いと、向かい側に静かに座る。

 見ると彼の近くに額に入れられた風景画があった。この部屋はガラスの壁なので基本的に絵は飾るところがないと思うのだが、なぜここにあるのだろうか。

 しかしながら彼の覗く寝顔がやはり綺麗だった。目の保養になったと、のんびりと勉強道具を広げ、真白の空欄に数式を書き連ねていく。


 全ての空欄を埋めて、シャーペンを置く。答えはどこに置いたかと顔を上げると、灰色の目がこちらを見あげていた。


「終わったの?」


 腕に顔を乗せたまま眠たそうな、いつもよりもとろんとした雰囲気をしていたが、目を細めて浮かべる笑みはいつも通りのものだった。間違っても由月のような快活さはない。


「まだ終わってないですよ」

「そう」

「ねえ、お兄さん」

「なあに」

「由月っていう神社のお兄さん知ってますか」


 そういうと、わずかに彼の目が見開いて、そして苦笑を浮かべる。


「アイツに会ったの」

「姉の知り合いだったので」

「そう」

「別に、それだけで……」


 彼が素性を明かさないのは、自分と同じように警戒なのか、それ以外の理由かはわからないけれど、本人の口以外から色々と聞くのは良くないと思い由月からはあえて彼のことはあまり聞かないようにした。 

 それを伝えようとしたのだが、やはりなんとなく勝手に悪いことをした気がして彼から目をそらし、語尾が消えてしまう。

 目を合わさなくなった少女を見て、彼はくすりと笑う。


「何も怒ってないよ。世間は狭いなって思ってただけだから」


 そう言って手を伸ばして、少女の頭を軽く撫でた。手はすぐに離れたが少女は驚き、しばし固まる。

 そのまま戻した手をひらひらと振って、


「僕は怖いお兄さんじゃないからね。アイツと違って乱暴なことはしないし」


 ね、と微笑む。たしかに由月はだいぶ雑な撫で方をしたが、胡散臭さならば彼の方が遥かに上だろう、と胡乱げな目を向ける。少女の視線を受け、彼はくすくすと笑う。

 そういえば彼の方を見て思い出した。隣に置かれている絵画はなんなのだろうか。


「それは誰の絵ですか」


 机に置かれた風景画を示すと、彼が少し困ったように口を開く。


「これは、ね。処分しようと思ったんだけど」

「処分?」


 あれだけ絵を大事にしているように見えた彼が、絵を捨てるのか。彼がその絵に手を伸ばすのを見て、咄嗟に絵をこちらに引き寄せる。

 彼が息をのむのが聞こえた。


 手元でその絵を見ると、それは見事な風景画で。まるでファンタジーの中に出てくる城のような、そんな惹かれる絵だった。

空には風があるのか雲が流れ、幾重にも重なり様々な形を成している。建物の前に流れる澄んだ水辺には細やかな装飾が施された馬車があり、繋がれた白馬が水を飲んでいる。周囲の緑は淡く光を受け、とても幻想的だった。


「それは贋作だよ」


 向かいからした声の方に顔を向けると、帆を杖をついてそっぽを向いた彼の姿が見えた。


「贋作……」


 こんなに完成度が高くて綺麗な絵なのに、これは贋作。なんで贋作がここにあるのだろうか。彼は贋作だから先ほど処分しようとしたのか。


「元の絵があるんですか」

「そうだよ。オリジナルは19世紀イギリスの代表的な画家、ジョン・コンスタブルが描いた『主教の庭から見たソールズベリー大聖堂』」


 この城だと思っていた建物は大聖堂だったのか。無名の絵画が集まる絵画廊。オリジナルは著名な画家の作品の贋作。ではこれを描いたのは誰。


「この絵は誰が描いたんですか」

「さあね。なにせ、贋作だし」


 そっぽを向いたまま彼が答える。この絵が気に入らないのは本当のようだ。態度がわかりやすくて子供みたいに感じる。


「元の画家さんはどんな人ですか」

「……コンスタブルは英国の有名な画家だけど、48歳で認められた遅咲きだった。40歳の時に妻のマリアを迎え、子どは7人ほどいたらしい。だけど、その後10年とたたずに妻が死んだ。その時に自分の兄に向けて『こんな気持ちになることは二度とないでしょう。世界は完全に変わってしまった』と綴った手紙を送ったらしい。その後の時期に故郷を描いた絵があるけれど、とても暗く荒れ、寂しい絵だったよ。彼の心象風景そのままって感じだった」

「この絵はいつの時のですか」

「それはたしか晩年の絵だよ」


 見ているものは贋作でも、こんなに幻想的な風景を描く人にそんなに雰囲気が変わった時があったのか。


「それを思うと人が人に与える影響って大きすぎるよね」


 辛うじて顔はこちらを向いてはいるが、彼の目は伏せられている。


「特に感情が伴っていれば尚更に」


 恐ろしい、と彼は言った。


「その影響を弱めるためには、やはり距離を取るしかないのだろうな」


 少女に向けてではなく、彼自身に向けて。掠れてとても小さな声で、彼は呟いた。

 距離を取る。人から影響されないように距離を取る。自分を守るために距離を取る。

 中身がばれないように、見えないように。


 しかし先ほどの彼の言葉は、自分と似たようなものを感じたからか、それともやはり姉が居なくなって寂しくなったせいか、少女が彼の中身を見たいと思うのには十分だった。

 ずっと人との距離を置いて自分を守ってきた。彼もそうなのだとしたら、だとしたら?だとしたらなんなのだ。

 似た考えの人物を見つけて嬉しい?話が噛み合うかもしれない?それはわからない。わからないけれど、こちらの中身がばれてもあちらの中身を見てみたいと初めて思った。


「お兄さん」

「なあに」

「これ捨てるんですか」

「そうだよ」

「なら私にください」


 こんなに彼の驚いた顔は初めて見たなと、楽しげに思う。

 少女は目を細めて微笑み絵を抱きしめる。


「この子、私がもらいますね」


 その後の彼の困ったような、失敗したかのような表情は、迷子の子供のようで。少女にはとても可愛らしく見えた。












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