五両のえにし

chocoルーラ

第1話~8話 晒し女

一章



時は江戸。


昼日中の往来に、一本の杭が立てられていた。

その杭に、女が縛られている。

着物は破れ、帯は解かれ、

白い首筋から腕、足に至るまで、痣と傷が残っていた。

髪は乱れ、唇は乾き、目はうつろだ。


「遊廓破りの女だ」


「逃げ損なったそうだ」


「ざまあねえ」


人々は足を止め、好奇の目を向ける。

罵声も、嘲笑も、石も飛ばない。

ただ、無関心という名の残酷さだけがあった。

女――お咲は、意識が遠のく中で思っていた。


(……もう、終わりだ)


逃げようとした罰だ。

生きて戻されると思っていた自分が甘かった。

そのときだった。


「おい」


低い声がした。

番人が振り向くと、一人の男が立っていた。

旅装束。

肩には風塵の跡、目は鋭いが濁っていない。

銀次という男だった。


「その女、いくらだ」


番人は鼻で笑った。


「渡世人風情が何を言う。こいつは晒しだ。売り物じゃねえ」


銀次は、女を見た。

痩せ細った体。

息は浅く、今にも止まりそうだ。


「このままじゃ死ぬ」


「死んだらそれまでよ」


銀次は懐に手を入れた。


「三両出す」


番人の笑いが止まった。


「冗談だろ。こんな出来損ないに三両?」


「十分だろ」


番人は少し考え、女を改めて見た。

確かに、これじゃもう稼ぎは出せまい。

手間を考えれば、三両でも悪くない。

だが――


「いや、五両だ」


「ふざけるな」


「嫌なら話は終わりだ」


お咲の視界が揺れた。

耳鳴りの向こうで、男たちの声が遠ざかる。


(……買われる)


それが救いなのか、地獄の続きなのか、分からない。

銀次は舌打ちした。


「チッ……足元見やがって」


「世の中はそういうもんだ」


しばしの沈黙。

やがて、銀次は懐から銭を出した。


「わかったよ。ほら、五両だ」


番人は目を輝かせ、銭を受け取る。


「女、良かったな」


縄が解かれ、

お咲の体が崩れ落ちる。

その瞬間、銀次は無言でお咲を抱き上げた。

軽い……。



二章 五両の重さ


お咲が目を覚ましたのは、朽ちかけた寺の軒下だった。

体の下に藁。

鼻をつくのは、焚き火の匂い。


「……ここは」


「気が付いたか」


銀次がいた。

距離を保ち、火の番をしている。

お咲は、条件反射のように体を強張らせていた。


「……あたしは、いくらで売られたの?」


「五両」


銀次の答えを聞き、胸の奥がひやりと冷える。


「……何のために」


「死にそうだったからだ」


「それだけ?」


「それだけじゃ足りねえか」


お咲は目を伏せた。


(どうせ、後で本性を出す)


それが、これまでの人生だった。





三章 旅の始まり


銀次は、必要以上に触れなかった。

傷の手当も、薬も、最低限。

名前だけは互いに名乗った。


「どうして、放っとかない」


「放っとけねえ性分なんだろ」


お咲の問いに、銀次はそれ以上語らない。


街道を進むうち、お咲は少しずつ歩けるようになった。

だが、心は閉じたままだ。


(情を売る男ほど、信用ならない)


そう思いながらも、夜ごと焚き火の向こうで眠る銀次の背中を無意識に見ていた。





四章 疑い


「ねえ」


ある夜、お咲は言った。


「何が目的?」


銀次は酒を飲み、少し間を置いた。


「……ない」


「そんなわけない」


「博打で得た金の使い道に、たまたまお前がいただけだ」


「……安い同情ね」


「高く買った」


その言葉に、胸が詰まった。





五章 追われる影


茶屋で、銀次は気配を察した。


「来るぞ」


「誰が」


「遊廓の連中だ」


夜の山道。

足の悪いお咲は転び、息を切らす。


「置いてって」


「バカ言うな」


銀次はお咲を背負った。


「あたし、五両分は、働く」


追っ手は深追いせず、引いた。

捨てられたのだと、お咲は思った。

だが、背中の温もりは消えなかった。





六章 心の傷


雨の夜、廃屋で。


「……あたし、汚い」


「知ってる」


「それでも?」


「それでもだ」


お咲は泣いた。

声を上げて。

銀次は、何も言わず、そばにいた。





七章 選ぶということ


春。

お咲は元気を取り戻した。


「ここで別れるか」


銀次は言った。


「自由だ」


お咲は、しばらく黙り――


「一緒に行く」


「後悔するぞ」


「もう、後悔する人生しか知らない」


銀次は、初めて笑った。


「ははっ、そうか」




八章 五両の先へ


二人は名もない旅人のまま、江戸の外れを巡った。

行く末なんかわからない。

ただ、確かな温もりだけがそこにあった。



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