第2話

 青年は戸惑って問い返した。

売り物・・・じゃない?」

「ええ。客寄せの飾りにでもなればと引っ張り出して来たものの、一向に役目を果たしてくれない。かえって場所をふさぐばかりだ。もし、貴方あなたがお気に入りなら――持って行ってください」

 まっすぐに青年の瞳を見つめる光太郎。

「どうせ持ち帰ったところで私には豚に真珠、猫に小判だ。私は独り者の男所帯ですからね。これほど真剣に見入ってくださるということは、貴方にはきっとこれがお似合いの素晴らしい御方がおいでなのでしょう! ぜひとも持ち帰って喜ばせてやってください! いえ、喜ばすのはこの舞踏服・・・の方ですよ? 幾星霜、暗い中に閉じ込められていたことか。どうか再び光の中できらめかせてやってください」

 だが、青年は悲しそうに首を振った。

「いえ、残念ながら。私もその舞踏服を喜ばすことは出来ないでしょう。持って帰りたい相手は若い娘じゃないから。母が――」

 青年は口籠くちごもった。

「さっきもお話したでしょう? この種のモノを写真で見たと。それは母の写真です」

 頬にポッと赤みがさす。

「お恥ずかしい話ですが、その昔、私の母もそういうものを着ていたことがあるのです。その母も、今日明日の命と医者に言われました。そんな折り、偶然、写真で見たのとよく似た舞踏服を目にして、つい、色々な思いに囚われてしまった」

 今なお色褪せない舞踏服を眩しそうに見つめながら青年は苦笑した。

「母はそれなりに名のある家の出でした。でも、将来を有望視され嫁いだ父は佐賀の乱鎮圧の際、あっけなく戦死。不器用な生き方しかできず若死にしてしまった父と結婚しなければ、そして、残されたのが僕のような才覚のない息子でなかったなら、母にはもっと別の人生があったのだろうなと、その鮮やかな黄色を見て考えていました」

「お持ちなさい――ならば、ぜひ、これは持って行ってください」

 光太郎は後ろに置いていた箱に舞踏服を入れると丁寧に薄紙を重ねてふたをした。

「僕の方も、この品は邪魔だと思っていたのだから、奇遇というほかない。ほらね、これがなくなれば他のもの――もっと売れる品々をズラッと並べられる。僕も大助かりだ」

「そんな――」

 言った後で、青年は唇を引き結んだ。一度目を閉じ、そして再び開ける。

「では、お言葉に甘えて」

 箱を抱えると突風のごとく駆け去った。

「ふう……これで、良かったんだ」

 どうせ金にはならない。さっきのオルゴールといい、今の舞踏服といい……こうなったらひとつひとつ欲しがる人に分けていってきれいさっぱり処分したほうがいい。そして、全てなくなったらその時はいさぎく自分自身も始末しよう……


 日が傾いた。風も出て来て今日はボチボチ店じまいをしようと腰を上げた時だった。

「お待たせしました。これを――お納めください!」

「?」

 見ると、眼前に立っているのは舞踏服を持たせた青年ではないか。

「先程はお心遣いありがとうございました。おかげさまであの品、頂戴いたしました。代わりと言っては何ですがこれを――」

 それは一振りの刀だった。

 慌てたのは光太郎。両手を左右に振って、

「いや、滅相めっそうもない! こんなお宝――」

「恥ずかしながら、改めてご挨拶いたします。私は土屋義直つちやよしなおと申します。これは我が家に伝わった家宝の一振りです。先ほど申した我が母は、父に先立たれ幼子の僕を抱えて、生きるために宝石や衣服、着物、自身の持ち物は全て金に換えました。だが、これだけはがんとして持ち出すことを許さなかった。亡き父が何より大切にしたこの一刀、ぜひ、お納めください」

「いや、いや、いや! 流石に、あの舞踏服にこれほどの価値はないですよ」

「私をはずかしめないでいただきたい。貴殿にあの服を差し出されたとき、私はこれをお渡ししようと決めていました。よもや、〝ただ〟で私があれを持ち帰ったなどとお考えではないでしょうね?」

 ズイッと、前へ出る。

「落ちぶれたとはいえ武士の子。等価交換のつもりでなければ舞踏服はいただかなかった。貴殿がこれをお納めくださらないなら」

 ここで悲しそうに青年は睫毛を伏せた。

「私は家に戻って、病床でアレを抱きしめている母から再び取り上げてこなければならなくなる」

 さらに一歩、間合いを詰めて、

「私にそんなムゴイ真似はさせませんよね?」

 困惑している光太郎に、青年は言った。

「貴殿はこの刀が舞踏服とは価格が釣り合わないと仰ったが、違います。まさしく同格です。私は心から感謝しているのです」

 手の中の刀に視線を戻す。

「この刀のために、そして父の名誉のために、母は今日まで全身全霊を尽くして来たのです。自分の持っている美しい物を全て手放しても、これだけは死守した。母の、その失った美しい物の中の、せめて一つを、今日、息子の私が再び取り戻すことができた」

 青年は五階の塔よりも更に高く天を仰ぐ。

「父も喜んでいると思います。天上で安堵の息を吐いているに違いない。こんな過去の遺物を残したがために母に余計な苦労をさせたと、ずっと悔やんでいたはずですからね」

 清々しく笑った。

「そういうわけで――これを貴殿にお渡しできて、これで父も気兼ねなく母を迎えに来ることができるでしょう。本当にありがとうございました!」

 刀は光太郎の手に渡った。

 きびすを返したものの、ふいに、思い出したように振り返る。

「老母の戯言ざれごとです。もう意識が朦朧もうろうとしているので真に受けないでいただきたいのですが。母はこの舞踏服に見覚えがあると言っています。『この黄色! 勘解由小路かげゆこうじ子爵令嬢がまとっていたわ。忘れるものですか! それはもうお綺麗で、見とれたものよ……』」

「え?」

「この鮮やかな黄色が、鹿鳴館の階段の踊り場でふわっとひるがえってかぐわしい風を起こした――その一瞬を見たと申します」

 元々〝踊り場〟は、文明開化の頃、娘たちの舞踏服のスカートが揺れて〝踊っている〟ように見えたことからついた名である。

「『忘れるものですか! 11月3日、重陽の宴のあの日……鹿鳴館の階段の両袖は三重の菊の真垣まがきで飾られていて……子爵令嬢は、そこから抜け出た花の精にみえたものよ、それはもうお綺麗で……」

 光太郎の返答を待たず青年は続ける。

「今宵、我が母も17歳に戻り、貴殿にいただいた服を纏って舞踏会へ行くでしょう。そして、父と踊ります。ありがとうございました」

 深々と頭を下げて今度こそ青年は去って行った。



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