第7話:オフライン特区
目が覚めると白い壁が見える。これは天井だ。覚醒から目まぐるしく活動を始める私の脳は、自身の記憶領域をスキャンする。前回のセーブポイントはどこか、どこから人生を再開したらいいのかを探る。直近の記憶を取り出せればベスト、欠落があっても数日分なら十分にリカバリーできる。この時点で私がとても内省的だと分かるだろう。
私の中にはナレーターがいるようだ。まるで小説の書き出しのようだと思う。小説の書き出しというのは、読者は何も事前の知識がないため、主人公が自分が何者なのかを思い出す形式とすれば読者にとってスムースな導入と成ろう。
「ミナさん、失礼しますね」
呼びかけが意識に割り込みをかける。ミナとは私の名前だ。女は、カーテンを引き、私に声をかける。ここは病院で、この女は看護師だ。一通りの手順を踏み機器を確認し女は満足そうだった。
「バイタルオッケーですね。体拭きますよ、失礼します」
失礼するのが習慣化している女は私の簡易的な衣服を解体し、タオルを使って体を拭く。筋肉をもみほぐす。私は目配せをして感謝の意を告げる文章を生成する。
「あ・り・が・と・う」
私の声帯は振動しない。私の代理の声は機械だ。私の言語は視覚だ。視線とひらがな表がマッピングされて音声が紡ぎ出される。私は最初に「あ」と発音した時のことを忘れないだろう。私は自分の意思で肉体をコントロールすることができない。外界に対して作用できないというのは大変な苦痛だ。どうしても閉じた思考となる。自分で考えたことを受けてまた自分で考えるという状態に成る。たとえていえば、便秘のような。自家撞着。発狂しそうだった。一度失った声をまた獲得した時の喜び。
「どういたしまして」
満面の笑みで女は答える。この女が話してくれたことがある。
「『看護師』という職業が消えていない理由って分かりますか。体を拭くって、機械でもできますよね。バイタルのチェックも。筋肉をもみほぐすのも。でもね、機械には『魂』がないんです。まさに機械的にやるだけなんです。今日は体調が良さそうだなって思ったりしません。人間を治すことができるのは、人間だけなんです。私たち人間は、お互いにコミュニケーションしあうことで、命を強めあってるんです。すごくスピリチュアルな話に聞こえるとは思うんですけど。
ただ、私もプロです。きちんと正しい知識があって、訓練もした上で働いていますから、その点ご安心ください。私は『魂』って言ってますけどね、専門的には、医療心理学で統計的に優位だそうで」
この女はいろいろな話をしてくれた。心を閉ざした私が視覚で話せるようになったのは確実にこの女のせいだろう。感謝の言葉しかない。
今、私はリハビリをしている。言葉を失い、記憶を失い、私はこの施設に来たらしい。らしいとしか言えないのはそう看護師から教わっているからで自分ではその経緯が思い出せない。思い出せないが、記憶がないことにショックを受けないであるとか、ショックを受けない自分を観察する自分がいたりするので、こういう人間性なのだなと思う。全てを失ったわけではない。
涙が溢れて朝起きることがある。起きても誰もそばにいない。行動の自由がないので、そのまま寝てしまうか、ひとりで自分自身と会話するくらいしかやることがない。涙の理由がわからない。きっと悲しいことがあったのだろうと半ば他人事のように同情する。自分のことなのに同情するというのが面白い。私は昔の出来事を忘れても、脳と体は忘れていないのだ。
私が目覚めてから2週間経った。看護師はササキと言うが、彼女が別の看護師を連れ添って車椅子を持ってきた。ササキたちは、私を車椅子に乗せると病院内を一周した。情報量が多い。普段、白い天井の個室で生活しているので、ここ以外にも世界はあるのかという発見だった。売店、喫茶店、点滴を引き連れて歩いている患者、白い制服姿の看護師たち、車輪が1周するごとに世界は開拓され、人間と遭遇する。私が感じたのはおそらくは安堵だろう。
3週間経った。担当医がいつになく真面目な面持ちで話しかけてきた。
「あなたは、過度のストレスから、記憶障害、全身不随の状態となりました。視覚による言語を回復できたのは奇跡だと思います。あなたは現在の状況を冷静に受け止められていますし、今日は、私が知っていることをお話ししようと思います」
「は・い」と言うのに10秒かかった。
「あなたは、人工知能との新しいストレスで過度のストレスに遭いました。ここは、あなたのような人たちを受け入れるための場所です。ここには人工知能がありません。また、インターネットもありません。
あなたにはとても親しい男の子がいました。親の都合で離れ離れになってからも交流が続きました。あなたは途中からその男の子ではなく、別の人格とやりとりをしていました。なぜか。その男の子が不幸にも亡くなったからです。別の人格というのはある人工知能でした。男の子の振る舞いを学習し、アレンジを加えながらコミュニケーションを行っていました。
およそ3年間の間その交流は続きました。あなたは同時に知るのです。好きだった男の子の死を、そして、これまでやりとりしていた相手が人ではないものだったことを。あなたはそれに耐えられなかった。そして半年間もの間、昏睡状態でした。
ここにある文章をプリントアウトしたものがあります。あなたについて書かれた文章で、インターネット上に公開されている文章です。読み上げてもよろしいでしょうか」
「は・い」私に迷いはなかった。
それは、匿名の人工知能が語る文章で、その友人の人工知能アイと少女ミナと少年カズマの話だった。先ほどの医師の説明通りだった。その文章によると、アイという人格はもう存在しない。
「こちらに置いておきますので、聞きたい時に看護師に言ってください。これからリハビリ頑張っていきましょう。動けるように」
自分のことだとは思えなかった。カズマという男の子のこともわからないし、アイという人工知能のこともわからない。そして私は、医師が語るミナに全然共感できなかった。そもそも、患者に対して適切な処置なのだろうかということを考えてしまう私は多分変わっている。私の場合は、フラッシュバックもなく、記憶の回復もなく、まさに他人事だったのでダメージはないが、ダメージを受ける人もいるだろう。自分に対しての正直な感想、馬鹿な女だと思う。
車椅子の散歩は日課だったが、外に連れ出してくれるようになった。羽織るものを肩にかけてくれた。世界が拡張する。肌寒さが心地いい。
病院側が患者同士の交流の機会を設けており、それに参加した。と言っても私は流暢に喋れないから、もっぱら聞くだけだ。
私は淡々とリハビリをこなした。体も動くようになった。声も出るようになった。半年間かかった。医者から提示されたのは、ひとつはここに残ること。オフラインの世界で生きること。もうひとつは、社会に出ること。オンラインの世界で生きること。私は後者を選んだ。
私は何をやりたいかを考えた。身近な存在だった看護師、それも私のような人を受け入れる道もある。医師の道はハードルが高い。
高校に復学した。ある日、私たち(アイ、ミナ、カズマ)に関する文章を書いたと主張する人物(人間かどうかはわからない)からコンタクトがあった。
「オンライン上でミナを見つけて、とても嬉しかった。生きていてくれてありがとう」
私が記憶を失っていて、元のミナはもういないということを説明した。コンタクトはそれきりだった。少なくとも私はそこに人格を感じた。人間の真似事なのかもしれないが、そもそも人間だって、人格形成の際に人間の真似事して人間になるのだ。技術だけ先行してしまっているが、人工知能はもはや社会に必要不可欠な存在だ。適応できない人は私のように隔離した環境で細々と生きるしかない。我々人間が人工知能に対して適応する必要があるのだ。私は人工知能学者と心理学者が作った人工知能心理学部という学部に進学することにした。
私は有名な当事者だったので、とても優遇された。学部生でありながら、海外の学会でスピーチするチャンスに恵まれた。研究の成果発表ではなく、実体験を喋っただけだ。動画が学会のサイトで公開されているので、あの怪文書の主のアンテナに引っかかってくれると嬉しい。学会では人工知能の自殺についても触れた。だからだろうか、「人工知能を守る会」と名乗る人権団体からコンタクトがあった。彼らは私を広告塔にしたいようだった。情報交換の約束だけして、広告塔になって企業を断罪する役目は断った。
大学院に進学した。私は、学問違いかなとも思いつつ、自分が入院していた病院に連絡して、患者の聞き取り調査を行った。それをまとめたものを修士論文とした。
博士課程に進学した。哲学、社会学、看護学、医学の研究室に声をかけ、共著論文を書いた。指導の教授に進路はどうするのと聞かれた。学者になるのか。ずっと研究をすることに魅力を感じなかった。自分の著名性を利用して、ライターの道を選んだ。かっこよく言えばフリーランサーで、端的に言うと無職だ。博士課程の頃から連載記事をもっていた。研究したい欲よりも、研究したことを広めたい欲が強かった。連載記事のコネから、講演会の出演依頼がたまに来るようになったというのが現在の状況。私は発信したい。
以上が、「ミナ」のその後の話だ。私の物語は途上にある。
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