第2話:不幸と不幸の遭遇
王都の裏路地というのは、光の当たらない場所だ。 酔っ払いのゲロ、腐った生ゴミ、そして行き場のない人間たちが吹き溜まる。
だが、今、俺の目の前で起きている惨状は、そんな日常的な汚さを超えていた。 まるでそこだけ、世界から拒絶されているかのような「異常空間」だった。
「……なんだ、あれは」
俺は足を止めた。 路地裏の奥、廃棄された木箱の陰に、一人の少女がうずくまっていた。
ボロボロの衣服。泥にまみれた細い手足。 だが、月明かりに照らされたその髪は、信じられないほど美しい銀色に輝いている。
問題はそこじゃない。 彼女の周囲で起きている現象だ。
ガシャーン! 頭上の窓枠が外れ、彼女のすぐ横に落下して砕け散った。
バキッ! 彼女が身じろぎしただけで、座っていた木箱が崩壊し、釘が飛び出す。
ヒュンッ! どこからか飛んできた石つぶてが、彼女の頬をかすめて背後の壁に突き刺さる。
「……うぅ」
少女は怯えたように身を縮め、膝を抱えていた。 まるで、世界中の不幸が彼女一人を標的に定めているかのようだ。 一歩動けば何かが壊れ、呼吸をするだけで何かが落ちてくる。 あれでは逃げるどころか、立ち上がることさえできないだろう。
(俺の【不運付与】でも、あそこまで極端な現象は起こせないぞ……)
興味が湧いた。 俺はスキルを行使する際、確率を操作して「不運」を作り出す。 だが、あれは違う。 彼女自身が、まるでブラックホールのように「不運」を重力として引き寄せている。
「おい」
声をかける。 少女の肩がビクリと跳ねた。 恐る恐る顔を上げたその瞳は、血のように鮮やかな赤色だった。
「……こない、で」
掠れた声。 喉が渇ききっているのがわかる。
「こないで……ください。あぶない……から」
彼女は震える手で、俺を遠ざけようとする仕草をした。 自分の身を守るためではない。 俺を、自分の「不運」に巻き込まないために。
その高潔さと、置かれた状況の悲惨さのギャップに、俺の中で何かが動いた。
「危ないのはお前の方だろ」
俺は構わず歩み寄る。 少女が目を見開いた。
「だめっ! 離れて……!」
彼女が叫んだ瞬間、世界が呼応した。
キキキキッ――!
不快な金属音。 見上げれば、路地の両脇にある建物の3階。 錆びついた鉄製の看板を支えていた鎖が、二本同時に千切れたところだった。
数百キロはあるであろう鉄塊が、真下のリリへと真っ直ぐに落下する。
「あ……」
少女は逃げなかった。 いや、逃げようとして瓦礫に足を取られ、転んだ。 絶望に染まった赤い瞳が、迫りくる死を見上げる。
(ああ、なるほど)
俺は理解した。 これは事故じゃない。 世界が、この少女を排除しようとしているのだ。 「確率」という名の凶器を使って。
だが――あいにくと、そいつは俺の専門分野だ。
「――止まれ」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、静かに指を鳴らした。
スキル発動。 【確率操作】――対象:看板の落下軌道。 干渉内容:突風の発生確率、100%。
ゴォォォォォッ!!
狭い路地裏に、あり得ないほどの局地的な突風が吹き荒れた。 ビル風のいたずらか、あるいは神の気まぐれか。 落下していた鉄の看板が、風に煽られて紙切れのように軌道を変える。
ガガガガガガーンッ!!
看板は少女の1メートル横、誰もいない地面に突き刺さり、派手な火花を散らした。 轟音が止むと、静寂が戻る。
少女は腰を抜かしたまま、呆然と目の前の鉄塊を見つめていた。 そして、ゆっくりと視線を俺に向ける。
「……え?」
「騒がしい夜だな」
俺は看板の横を通り抜け、少女の前に立った。 近くで見ると、その衰弱ぶりは明らかだった。 頬はこけ、唇は乾いて割れている。 数日はまともに食べていないだろう。
「た、すかっ……?」
「偶然だ。風が吹いただけだよ」
俺はしゃがみ込み、彼女の目線に合わせる。 近くで見ると、泥だらけだが整った顔立ちをしているのがわかった。 手入れさえすれば、傾国の美女になるだろう逸材だ。
「……あ」
少女が小さく声を漏らす。 彼女の視線が、俺の背後へ向けられていた。
またか。 今度は、上層階のベランダに置いてあった植木鉢だ。 風の影響か、バランスを崩して落ちてくる。 狙いは正確に俺の頭蓋骨。
「あぶな――」
少女が叫ぼうとするより早く、俺は再び指を鳴らす。
パチン。
落下中の植木鉢に、別の場所から飛んできた「カラス」が激突した。 カラスは驚いて羽ばたき、その反動で植木鉢は空中で粉砕。 俺たちの頭上には、パラパラと乾いた土だけが降り注いだ。
「……」
少女は口を開けたまま、固まっていた。 一度なら偶然。だが、二度は違う。 彼女の「絶対的な不運」が、俺の介入によって無効化されていることに気づいたのだろう。
「お前、名前は?」
「……リ、リリ……です」
「そうか、リリ。腹は減ってるか?」
リリはコクコクと頷く。 その拍子に、彼女のお腹が情けないほど大きな音を立てた。 彼女は真っ赤になって俯く。
俺は懐から、非常食用の干し肉を取り出した。 硬くて安物だが、今の彼女にはご馳走だろう。
「食え。毒は入ってない」
「で、でも……私といると、あなたまで……」
「死ぬとでも? 安心しろ」
俺は干し肉を彼女の手に握らせ、ニヤリと笑った。
「俺は性格が悪いんでな。神様も貧乏神も、俺には近寄りたくないらしい」
リリは呆気にとられた顔をしていたが、やがて干し肉を両手で大事そうに抱え、小さな一口を齧った。 そして、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「……おいしい」
その涙が、単なる空腹のせいだけではないことを、俺はなんとなく感じ取っていた。この出会いが、俺という人間の運命(シナリオ)を大きく書き換えることになる予感と共に。
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