第20話 濾過塔の逆洗

「交易環節、ってさ」


森瀬がソファに座ったまま、スマホの画面を指で弾いた。


「導水、照合、交易……って続いてるなら、次もなんか“生活インフラ”系なんじゃね?」


朔はキッチンの流しで手を洗いながら、泡の向こうにある指先を見ていた。水の膜が薄いところと厚いところが、やけにくっきり分かる。視力強化は、世界の差を暴くのが得意だ。


「……環節って言葉、誰が広めたんだろうな」


「コメント欄だよ。まとめ勢」


森瀬が笑って、すぐ真顔に戻る。まとめ勢、という言い方が冗談みたいでも、今はもう冗談じゃない。どこの誰かも分からない視聴者が、朔の勝ち筋を解析して、次の任務を予測して、賭けの材料にする。


朔はタオルで手を拭き、窓の外を見た。街灯の縁が相変わらず尖って見える。


「当たりやすくなったとはいえ、三週連続で当選して三連続トップって……匂うよな」


森瀬が肩をすくめた。


「匂う。だからこそ勝て。……負けて詰むよりマシだろ」


その言い方が、優しさじゃなく現実だった。


土曜は来る。九時五十九分も来る。

毛布を床に広げる森瀬の手つきは、もう慣れている。倒れる準備が生活の一部になると、週末が週末じゃなくなる。


脳の奥に声が落ちた。


『境界連結。渡航希望を確認します。――異界へ渡航しますか』


朔は即答する。


「はい」


『追加選択を提示します。

通常抽選に参加/優先渡航権を消費/辞退』


朔は通常抽選を選ぶ。今は余計な匂いを増やしたくない。


「通常抽選」


『希望、受理。選定を開始します』


一拍。

二拍。


『選定:当選』


森瀬が、短く息を吐く。


「……また当たったな」


朔は頷く間もなく、白に落ちた。


最初に来たのは、濁った水の匂いだった。

泥。腐った藻。鉄。石灰。湿った木。

鼻の奥が重くなる匂い。長く吸っていると、頭がぼやける。


朔が立っていたのは、巨大な塔の内部だった。


円筒。高い天井。壁に沿って螺旋状の足場が続き、下には黒い水がうねっている。水というより泥水だ。泡が立ち、時々、底から何かがぶくりと膨らむ。


塔の中心を貫くように、太い管が一本通っていた。

その管の外側に、赤い線が走っている。


配水迷図の赤線と同じ匂い。

塗料じゃない。流れの印だ。


『参加帯:十~十九。

試練領域:逆洗濾過塔(ぎゃくせんろかとう)。

任務:濾過塔を逆洗起動し、澄水を《滴盤(てきばん)》へ到達させよ。

手順:塔内三基の《濾材籠》を所定の装填口へ収め、逆洗弁を開放する。

逆洗が正常に開始したのち、塔頂滴盤に最初の澄水滴が落下した者をトップとする。

注意:周期現象泥圧脈が発生。泥圧脈中、汚泥噴出・足場崩落が起きる。

泥圧脈中、魔物泥鰐(どろわに)が活性化する。

誤装填・誤操作により濁水が滴盤へ到達した場合、濁印が付与される。濁印保持者は泥鰐に執着されやすい。

魔物による死亡に裁定は介入しない。

参加者間の致死行為は裁定介入。妨害・拘束・奪取は禁じない』


参加者は二十三人。

足場に散らばった影が、一斉に動き出す。


視界の端でコメントが揺れた。


「濾過塔きた!」

「澄水一滴で勝ちとか渋い」

「濁印=死の首輪」


朔は自分の胸元を見た。紙や札はない。今回は“揃える”んじゃない。装置を起動する。

そして塔の上には、白い皿みたいな盤が見えた。


滴盤。

そこへ澄んだ水が一滴落ちた瞬間に勝ち。


(早い者勝ちだな)


だが“早い”だけではない。

誤装填で濁水を落としたら濁印。濁印は泥鰐が寄る首輪。

勝つために急げば、死ぬために走ることになる。


朔は足場の壁を見た。

壁に小さな案内板。普通なら汚れで読めない。朔の目には、錆と泥の下の刻みが見えた。


――《濾材籠:砂・炭・石英》

――《装填口:下層/中層/上層》


さらに小さな字。

濡れた赤線の下に、微細な矢印が刻まれている。


(順番じゃない。位置だ)


下層に砂。

中層に炭。

上層に石英。


朔は胸の奥で繰り返して、走った。螺旋の足場を上へ。

上に行くほど、空気が冷える。泥の匂いが薄れる代わりに、石灰みたいな乾いた匂いが混ざる。


途中の踊り場で、誰かが転んだ。濡れた鉄板で足が滑り、手すりにぶつかる。

その瞬間、下の泥水がぶくりと膨らみ、黒い影が跳ねた。


泥鰐。


鰐の形をしているのに、皮膚が泥でできている。目が見えない代わりに、泡の弾ける音のほうへ反応して向きを変える。


転んだ参加者が息を呑む前に、泥鰐が足場の縁へ噛みついた。

金属が軋む。足場が揺れる。


参加者が悲鳴を上げ、後退する。

悲鳴は音だ。音は目印だ。

泥鰐が、さらに寄る。


朔はその場を避けた。助ける余裕はない。助けたところで自分が落ちる。

落ちたら裁定は助けない。


上層の倉庫扉に辿り着く。扉に小さな札。


《石英籠》


朔が扉を押すと、白い粉がふわりと舞った。石英の粉。肺に入ると咳が出そうになる。咳は音だ。

朔は息を浅くし、棚を見る。


籠が並んでいる。白い籠。どれも同じに見える。

だが、籠の縁に小さな刻印がある。本物の籠だけ、縁の内側に細い線が二本。偽物は一本。


(ここにも偽があるのかよ)


朔は二本線の籠を掴んだ。思ったより重い。

持ち上げた瞬間、後ろから気配。


振り向くと、背の高い男が立っていた。筋肉の厚い首。目が冷たい。

腕に古い傷。濡れを気にしない歩き方。


真田京介。参加者表示で見た名前が、頭に滑り込む。


真田は籠を見て、短く言った。


「それ、寄越せ」


朔は返さない。返せば負ける。

だが押し合いになれば負ける。真田の体格は、正面から勝てる相手じゃない。


朔は棚の角を見た。床に散った石英粉。そこだけ滑る。

真田は粉を気にせず踏み込んでくる。


朔はわざと一歩引き、真田を滑る角へ誘った。

真田が踏み込んだ瞬間、石英粉が足裏で潰れ、金属床に白い膜ができる。滑る。


真田の体が一拍遅れる。

その一拍で、朔は籠を抱えたまま棚の間へ滑り込んだ。


真田が舌打ちし、追ってくる。

朔は棚の支柱を掴み、体を回して棚を盾にした。真田の腕が伸びるが、棚が邪魔で届かない。


朔は棚の下の隙間を見つけた。小さな点検口。

点検口の向こうに、螺旋足場へ出る梯子がある。


朔は籠を先に押し込み、自分も潜った。

真田の手が背中を掠める。掠めた痛みが、焦点を戻す。


梯子を降り、足場へ出る。

石英籠は重い。腕が痺れる。だがレベルが上がった体は、まだ折れない。


上層装填口へ向かう途中、塔全体が、どくん、と鳴った。


心臓みたいな音。

足場が震え、泥水が泡立つ。


『泥圧脈、発生』


壁の管が唸り、赤線が一瞬だけ明るくなる。

次の瞬間、下層から汚泥が噴き上がった。黒い噴水。足場を叩き、鉄板の縁から滴る。


同時に、泥鰐がいくつも浮かび上がる。

泡を割りながら、足場の下へ寄る。噴水の音、叫び声、鉄の軋み――全部が餌になる。


朔は息を止め、装填口へ飛び込んだ。

装填口は壁に空いた丸い穴。内側に爪。籠を押し込むと爪が噛む仕組み。


籠を押し込む。

重い。腕が震える。

真田が後ろから追いついてくる足音がする。


朔は籠の底を押し、爪に噛ませた。かちり、と音がした。


装填完了。


その瞬間、真田の拳が肩へ来た。

朔は壁へ肩をぶつけ、衝撃を逃がす。籠を落とさなかったのだけが救いだ。


真田が冷たく言う。


「一個押さえたからって、勝てると思うな」


朔は返さない。返したら息が乱れる。息が乱れたら泥鰐が寄る。

朔は真田の足元を見る。汚泥が飛び散っている。足場の端が濡れて滑る。


朔は真田の胸を押した。強くない。押すだけ。

真田が反射で踏ん張ろうとして、滑った。手すりを掴む。

その一拍で朔は下へ走った。


次は中層の炭籠。

炭は重い。汚れやすい。偽が混じるならさらに厄介。


中層の倉庫扉を開けると、煤の匂いが刺さった。

棚の上に黒い籠。どれも同じ黒。だが縁に刻まれた線の“欠け”が違う。


朔は欠けのない籠を選び、抱え上げた。

抱えた瞬間、横から細い手が伸びる。


小笠原紬。参加者表示で見た女。さっき上で真田に絡まれたとき、遠くから見ていた影だ。


紬は籠ではなく、朔の手首を狙ってきた。籠を落とさせるため。

朔は手首を引き、紬の指先だけを掴んだ。軽い。だが動きが速い。


紬が笑った。笑っているのに目が笑っていない。


「いいね、その目。欲しい」


朔は短く言う。


「欲しいなら勝て」


紬の眉が一瞬だけ上がる。

その隙に朔は籠を抱え直し、倉庫の外へ出た。


だが出た瞬間、床が濡れているのが見えた。

汚泥じゃない。黒い水。炭の粉が溶けた水。


(ここ、踏むと滑る)


朔は踏まなかった。踏まない線を拾い、最短で装填口へ向かう。

紬が追う。追いながら、わざと黒水を蹴って水を跳ねさせる。視界を汚すためだ。


朔は目を細める。

視力が良いほど、汚れた視界でも輪郭を拾える。

黒水の粒が飛ぶ中で、装填口の縁の刻印を見つけた。


――《中》


炭は中層。合ってる。


籠を押し込む。

かちり。爪が噛む。


二つ目。


紬が後ろから蹴りを入れる。朔の脇腹に、鈍い衝撃。息が詰まる。

朔は壁へ肩をぶつけ、落下を避ける。籠は落とさない。


紬が囁くように言った。


「最後、砂だよね。下は好き?」


朔は答えない。

下層は泥の匂いが濃い。泥鰐が一番近い。

砂籠は一番危険。


朔は息を整え、下へ走った。

螺旋足場を降りるほど、空気が重くなる。水面が近づく。泡の音が近づく。


下層倉庫。扉に札。


《砂籠》


扉を開けた瞬間、床がぬめった。

砂と泥が混じり、靴裏が取られる。

棚の上に籠。黄土色。だが半分が泥で黒ずんでいる。


朔は縁を見る。

砂籠の縁には、本物だけ小さな点が三つ並ぶ。偽は二つ。


朔が三点の籠を掴んだ瞬間、背後で泥水が爆ぜた。


泥鰐が倉庫の床を突き破って這い出した。

倉庫の床板が薄い。穴が開き、泥が噴き、牙が見える。


朔は息を止め、棚の横へ跳んだ。

泥鰐の牙が空を噛む。棚が削れ、砂が降る。


朔は籠を抱えたまま、棚の間をすり抜けた。

出口へ。出口の床は滑る。滑る場所を拾う。拾った上で、あえて滑る。


朔はわざと足を滑らせ、床を低く滑った。

泥鰐の噛みつきが頭上を通り過ぎる。

滑りが止まる瞬間、朔は手すりを掴み、立ち上がった。


足場へ出る。

籠は重い。腕が痺れる。心臓がうるさい。

でもここで落とせば、泥に沈む。拾う間に食われる。


朔は砂籠を下層装填口へ押し込んだ。

爪が噛む。かちり。


三つ目。


その瞬間、塔の中心管の赤線が、すっと明るくなる。

赤線の下を、何かが流れ始めた色。

濁った流れが動く音が、床を通って伝わる。


(起動条件、揃った)


だがまだ終わらない。逆洗弁を開ける必要がある。

弁は塔の中腹にある“操作室”。そこを押さえた者が勝つ。


朔は足場を蹴って上へ走った。

途中で真田の影が見えた。真田も籠を揃えたのか、操作室へ向かっている。


紬の影も見える。

二人とも速い。速いだけじゃない。躊躇いがない。


操作室は狭い鉄扉の中だった。扉の札。


《逆洗弁》


中には巨大なレバーが一本。横に圧力計。

圧力計の針が揺れている。

針の横に、微細な刻印。


――「逆洗:開」

――「排泥:閉」

――「誤操作:濁印」


朔はレバーに手を掛ける前に、圧力計を見る。

針が高い。今開けたら、逆圧で濁水が上がる。滴盤へ濁水が落ちたら濁印。

濁印は泥鰐が寄る首輪。


(今じゃない)


朔は息を止め、針が落ちる瞬間を待った。

待っている間に背後の扉が開く。


真田が入ってきた。

真田の目がレバーへ吸い寄せられる。


真田が言う。


「開けるぞ」


朔は短く言った。


「今開けたら濁る」


真田が眉を寄せる。


「関係ない。濁っても一滴目が落ちたら勝ちだろ」


違う。濁った一滴は“澄水滴”じゃない。任務は澄水。

だが真田は焦っている。焦りは誤操作を呼ぶ。


真田がレバーへ手を伸ばす。


朔は真田の手首を掴み、押し返した。

真田の力が重い。押し返すだけで腕が震える。


真田が低く笑う。


「お前、腕じゃ勝てねえ」


朔は返さず、足元を見る。

操作室の床に、細い溝。そこに水が溜まっている。

泥圧脈で滲んだ水だ。滑る。


朔は真田の体重を利用して、わざと自分の足を滑らせた。

滑った勢いで真田の身体が前へ流れ、床の溝へ足が乗る。

真田の足が滑る。


真田が一拍よろける。


その一拍で、圧力計の針が下がった。

今だ。


朔はレバーを引いた。


ぎん、と鉄が鳴り、塔の中心管が震えた。

赤線が、ぶわっと光る。

濁った水が逆流する音。下から上へ、汚れが吸い上げられる音。


真田が舌打ちし、朔へ拳を振る。

朔は壁へ肩をぶつけて受け、息を止めた。

痛みが焦点を戻す。レバーは戻させない。


紬が扉から入ってきた。

紬は真田を見て、朔を見て、レバーを見て――笑った。


「二人とも、いい位置にいるね」


紬が床の小さなバルブへ足を置いた。排泥のバルブ。

開ければ濁水が噴く。滴盤へ濁りが回る。


朔の喉が冷たくなる。


「やめろ」


紬は肩をすくめた。


「勝つためだよ」


朔は視線を紬の足元へ落とす。

バルブの刻印。錆の下の小さな字。


――《排泥:開→濁印付与(操作者)》。


濁印は“濁した者”に付与される。

つまり、紬が開ければ紬に首輪が付く。


朔はその字を見て、言葉を投げた。


「開けたらお前が濁印だ」


紬の動きが止まった。

一拍。

その一拍で真田が笑い、紬へ拳を振る。紬が避ける。

避けた瞬間に足が滑る。操作室の床の溝の水。

紬が壁へ肩をぶつけ、舌打ちする。


その間に、塔の上から音が変わった。

濁った流れが薄くなっていく音。

汚れが抜け、泡が細くなり、空気が軽くなる。


朔はレバーを押さえたまま、耳を澄ませた。

澄む音は、音としては地味だ。けれど視力強化のせいか、空気の“揺れ”が変わるのが分かる。


(滴盤だ)


滴盤で澄水滴が落ちる。

誰が最初に“そこにいるか”。


朔はレバーから手を離した。

逆洗は始まった。ここから先は“待つ”ではない。“場所を取る”だ。


朔は操作室を飛び出し、螺旋足場を上へ駆けた。

背後で真田が追う。紬も追う。

三人の足音が塔に反響し、下の泥鰐が泡を割って騒ぐ。


塔頂の足場に出ると、滴盤があった。

白い皿。皿の中央に小さな穴。

その穴の上に、細い管の先がぶら下がっている。


濁った雫が落ちた。

茶色い雫。澄水ではない。判定にならない。


次に落ちる雫が、澄んでいれば勝ち。

澄み具合を見逃せない。


朔は皿の縁に手を置き、雫の落ちる軌道を見る。

風はない。だが塔の呼吸みたいに空気が上下する。雫の落ち方が微妙に揺れる。


真田が後ろから来る。

真田が朔の背中へ腕を伸ばす。掴まれたら皿から落ちる。落ちたら終わる。


朔は皿の縁の濡れを見た。

一箇所だけ、濡れが薄い。滑りにくい。

そこへ足を置き、体を半歩ずらした。


真田の腕が空を掴む。


真田が舌打ちする。


「ちょろちょろすんな」


朔は返さない。

返せば息が乱れる。息が乱れれば足がズレる。


紬が横から回り込む。

紬は皿の縁に指を掛け、わざと揺らそうとする。雫の落下位置をズラすため。


朔は紬の指を見る。爪の先が白い。力が入っている。

朔は紬の手首を叩き、力を抜かせた。叩くのは強さじゃない。瞬間だ。


紬が一拍遅れ、皿が揺れずに済む。


そのとき、雫が落ちた。


今度は――透明だった。


光を通す。茶色くない。泡もない。

ただの水の雫。


雫が皿の中央で弾け、薄い音を立てた。


『澄水滴、到達。

裁定:城戸朔。最初に澄水滴を滴盤へ到達させた。

トップ達成者:レベルが一つ上昇します』


白が来る。


最後に見えたのは、滴盤の水面に天秤の輪が浮かび上がり、ゆっくり点る光景だった。

濁りが抜けた水に、印だけが残る。


リビングの床に戻った瞬間、森瀬が跳ね起きた。


「戻った!」


朔は息を吐き、頷いた。


「勝った」


森瀬が叫ぶ。


「四連続トップ!!」


朔は笑えなかった。塔の湿った匂いと、泥鰐の泡の音がまだ耳の奥に残っている。


スマホが震える。


【逆洗濾過塔/トップ:城戸朔(Lv15へ)】

【視聴報酬:57pt】

【注目:濾過環節が点灯】


森瀬が画面を見て、口元を歪める。


「濾過環節……やっぱり繋がってる。導水、照合、交易、濾過……次、何だよ」


朔はソファに背を預け、天井を見た。

身体は軽くなっている。反射が少し速い。筋肉が“まだ持つ”。


でも、塔の上で真田が言った言葉が残っている。


腕じゃ勝てない。


勝てたのは、目と、タイミングと、滑る床の“差”を拾えたからだ。

逆に言えば、目で拾えない状況が来たら――詰む。


朔は小さく言った。


「……十五か」


森瀬が頷いた。


「十五だな。壁って言われる辺りに近づいてる気がする」


朔は返事をせず、指先を見た。

濾過塔の白い雫。あの透明が、勝ちの印になった。


澄んだ水が落ちた瞬間、また環節が点った。

誰かが進めている。自分が勝つたびに、何かが起動していく。


それが何に繋がっているのか、まだ分からない。

分からないのに、進んでしまうのが一番怖い。


森瀬が、少しだけ声を落とした。


「……なあ。今日さ、最後の雫が落ちる前、画面の端で泥鰐が一匹、変な動きしてた」


朔は眉を寄せる。


「変?」


森瀬が頷く。


「音に寄ってるっていうより、点った輪の方を見てるみたいだった。……気のせいかもだけど」


朔は息を吐いた。気のせいで済むならいい。

でもこの世界の“気のせい”は、大体あとで牙になる。


朔は立ち上がり、窓の外を見た。

街灯の縁が相変わらず鋭い。


目が良いだけのスキルで、ここまで来た。

次もそれで通るとは限らない。


それでも、土曜は来る。

環節は点る。

そして朔は、見落とせないまま、次へ進む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る