北斗七星

aga毛のアン

北斗七星

 十二月二十四日。大阪の心斎橋駅前ではイルミネーションの明かりが人々の心を照らしていた。手を繋ぎながら共にショッピングデートを楽しむカップル、帰りを待つ家族にケーキでも買って行こうかと頭を悩ませるサラリーマン、来年こそはと決意を固める若者など、さまざまな人たちで溢れかえっていた。

 その活気あふれる人々を見て、僕は素直に羨ましいと思った。誰かと歩調を合わせる必要がない。それはものすごく自由だけれど、同時に寂しさを感じさせる。その現実を自由だと割り切れたらどんなに楽だろう。誰かの笑い声が僕の心の隙間に吹き抜けて、空虚な自分の輪郭が浮き彫りになる。恥ずかしい気持ちが猛烈に湧き上がって、足早に駅の改札に向かった。

 駅のホームにはたくさんの人がいた。初めはクリスマスイブだからかなと思ったけど、どうやらそういうことじゃないらしい。駅員の謝る声が人混みの雑音と混ざってホームで反響していた。

 なぜ電車が遅延しているのか調べるべく、僕はスマホを開いた。そこにあったのは驚きの見出し文だった。

 『五十代男性、電車で一回転。クリスマスイブに自殺をはかったか』

 今からちょうど十分ほど前に人身事故で人が亡くなったらしい。その事実に僕は驚くほど困惑していた。

 人とはそんなに簡単に死ぬ生き物なのか。確かに理論上で言えば一秒に一人か二人死んでいると言うのは知識として知っている。でもそれが身近で起こったことはなくてどこか別の世界の話だと感じていた。人生経験が十七年しかないからだろうか。僕は周囲の反応が知りたくて、急いで首を横にふるが、電車の遅延に文句を言うばかりで誰一人として人が死んだ事実に困惑してはいなかった。

 まるで人が死ぬのが当たり前だと言わんばかりに。人が死んでこんなにも軽い扱いなのが気に入らなかった。だから僕だけは死んだ彼のことを知りたいと思った。

 家族はいるのだろうか。五十代と言うことは子供は二人ぐらいいるのかな。友人はどうなんだろう。家族との時間が増えて疎遠になってしまっているのだろうか。

 なんでクリスマスイブに死にたいって思ったんだろう。家族も友人も誰もいなくて、街に蔓延るカップルや家族が妬ましくて、恨めしくて電車を遅延させてやろうと思ったのか。ただ単に自分の心の限界がクリスマスイブと重なっただけなのか。

 死ぬ瞬間あなたは何を思ったんですか?

 「電車使って自殺すんなよ。迷惑なんだよ」

 誰かが言った。記事についたコメントも自殺した彼に誹謗中傷を浴びせている。それがなんだか気持ち悪くて拳を握りしめる。死人に口無し。そうだとしても僕は無性に腹が立った。

 確かに迷惑ではあると思う。でもその迷惑を考える余裕もなかったんじゃないか。あるいは自分の死ぬ瞬間を多くの人に見て欲しかったのか。家族も友人もいなくて、誰も自分の名前を知らない。そんな現実で、一人で生きていく決意なんてできなくて、誰かに自分はここにいるんだと認識して欲しくて。それはきっとなんでも良かったんだと思う。芸術家が作品を死後残すように、生きた証を残したかったんじゃないか。誰かの心に自分という存在を刻み付けたい。それがトラウマだったとしても。誰かに名前で呼ばれないのは認識されてないのと同じだから。たくさんあるただの星ではなく、北斗七星と名前をつけられて初めて北斗七星が生まれたように。雄の人間というカテゴリではなく、識別可能な名前をつけられることで初めて存在が認められるのだ。

 記事の見出し文であった五十代男性の文字がひどく悲しく思えた。


 「よりひとさーん、お孫さんがお見舞いに来てくれましたよぉー」

 この看護師さんはのんびりとした話し方をする人でいつも気が利く。これが最後の会話になるかも知れないというのを察しているのか早々と病室を去った。

 目の前のベッドに体を預けるおじいちゃんはいつまで経っても見慣れない。骨と皮膚しか存在していないと見間違うほどの痩せ細った体。病院の白衣が布を持て余していて、それがなんだかとてつもなく悲しかった。

 「…じいちゃん」

 「なんや、すばる。また来たんかいな」

 そう言って笑うじいちゃんは記憶の中の元気だった頃と変わっていなくて、でも呂律や痩せこけた頬が昔とは違うことを静かに主張している。

 「いつもありがとうなぁ。お前が来てくれるからわしはわしでいられる。幸せじゃ」

 それは奇しくもさっき考えていたことと同じで。

 「でもな、心配やよ。わしはスバルを残して逝っちまうからのぉ。まぁなんや、無理すんなよ」

 その言葉に目頭が熱くなった。じいちゃんはどんな時でも僕を優しく肯定してくれる。小さい頃からずっと。

 両親は物心つく前に僕を置いて失踪した。お金がなかったらしい。じいちゃんはそんな僕を引き取って家族として受け入れ育ててくれた。そんなじいちゃんが今この瞬間に死んでしまうかも知れない。その事実が受け入れられなくて、涙を堪えるのに必死だった。

 じいちゃんと話す未来を先に済ませるようにいろんなことを話した。最近のテレビで笑ったこと。自炊してみたら思いの外難しくて卵を黒焦げにしてしまったこと。生活リズムが狂い始めたこと。僕が学校に行けてないこと。

 楽しかったこと、面白かったこと、辛いこと、悲しいこと。これからできる思い出をここで消化するように全て話した。じいちゃんの話す隙を与えずとにかく話した。

 話題が尽きて少しの沈黙。僕はもう察していた。

 僕はその日ただの”人間”になった。


 じいちゃんは死ぬ時幸せだっただろうか。病院からの帰り道そんなことを考える。僕のことなんて考えないイルミネーションは変わらず辺りを照らし続けていて、傷口に塩を塗られているような痛みを感じた。

 じいちゃんは僕が観測することで、”荒田よりひと”として死ねた。それは幸せなことだとじいちゃんは言った。でも僕はどうだろう。僕には友人も恋人も家族も、もういない。僕を名前で呼んでくれる人はもう。

 手を繋いで夜のデートを楽しんでいるカップルも、残業帰りのサラリーマンも、ケーキの売れ残りを捌こうと呼び込みをしているバイトの子も、みんな僕をただの”人間”として認識している。それが寂しくて、辛くて、空虚だと思った。自分がそこにいてもいなくても変わらない置き物になったような気分。本当に生きているのか、あるいは死んでいるのか。それすら定かではなく僕の存在が蝋燭の火のように揺らいでいる。

 僕はここにいるとみんなに知ってほしい。僕の名前を呼んでほしい。その想いだけがクリスマスイブの深夜、積もった。


 十二月二十五日のクリスマス当日。昨日の就寝時間が遅かったにしてはなぜか目覚めが良かった。一人暮らしでは十分な八畳の洋室で支度を済ませ、久しぶりに学校に行こうと思った。学校に行けば僕は僕として生きていける。顔を洗い、朝ごはんを食べ、制服に着替えようとして思い出した。

 そういえば僕はいじめられていた。手に持った制服はビリビリに破られ泥に塗れていた。学校での悲惨な嫌がらせが頭の中でフラッシュバックする。僕は制服をゴミ箱に投げ入れた。

 僕は気がつけば心斎橋駅のホームにいた。周りにはたくさんの学生と、スーツに身を包んだサラリーマンたちが駅のホームを占拠していた。

 ここで身を投げて死ねばみんな僕を僕として見てくれるだろうか。

 そんなことを考えた時、視界の端で一人の妊婦の女性がふらつき線路上に落ちるところを見た。

 僕はそれを見て興奮した。彼女を助ければ僕は昨日の死んだ彼のようにではなく、英雄として後世に名を轟かせられると思ったから。何も行動しなければただの”人間”。行動すれば僕は”荒田すばる”として英雄になるのだ。

 僕は妊婦に向かって走る。しかし、周囲の人たちはなぜか僕を危ないよと止めるばかりで助けようとしていなかった。そんな人間の薄情さに怒りが湧く。周囲の人間を押し除けながら走った。やっとの思いで妊婦の近くまで辿り着き手を差し出す。

 「捕まって」

 息の切れた今できる全力発声。彼女もその声に応じ、こちらに手を出す。その二つの手が重なる瞬間、違和感を覚えた。人間にあるはずの重さがない。力が流れて僕の体がホームから転がり落ちる。痛みで頭がうまく回らない。頭に手を当てると赤黒い液体が付着していた。

 なぜだろうか。周りがやけにうるさい。駅のアナウンス。周囲の声。そして電車。その中に一つ懐かしい声があった。

 「すばる、大丈夫か。掴まれ」

 そう言って手をこちらに差し出す彼は高校の同級生だった。僕が入学したての時に出席番号が近かったからよく話していたのを覚えている。学校に行かなくなって半年ほど経っているから、もう忘れたものと思っていた。

 「すばる!」

 その声に涙が溢れた。僕の名前を覚えていてくれた人がいた。他にも僕につかまれと手を差し伸べてくれる人がいる。

 全て幻だった。英雄になんかなれずとも僕は初めから”荒田すばる"だったのだ。君が僕を覚えていてくれるのなら、僕はきっと君の中で生き続ける。だから。

 「ありがとう」

 電車のブレーキ音が甲高く駅のホームに反芻した。

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